ツーリング日和(第4話)シーサイド・ツーリング

 コトリもユッキーもだいぶバイクに慣れてきたから、長めのツーリングに行くことしたんや。朝は七時にポーアイを出発。バイクは一路西に進むで。国道四十三号線から国道二号線に乗って行くんよ。

「今日は空いてるね」
「ラッキーやな」

 メットに仕込んだインカムもよう出来てるわ。昔やったら考えられへんかった。どんだけ昔やったかは置いとくわ。それでも空いてて良かったわ。国道二号線は昔から渋滞の名所やったからな。

「朝ごはんはやっぱり、ウェザー・レポートなの」
「いつの時代の話をしとるんや。そんなもん、橋が出来た百年前にとっくに潰れとるわい」

 ウェザー・レポートも懐かしいな。あの頃の珠玉のドライブ・スポットやったもんな。若者が一度は行ってみたいと憧れてたんよ。コトリも、あれこそオシャレやと思たけど、今もあったらショボイんやろな。思い出だけにしといた方がエエ店や。

 ポーアイから明石まで二十五キロぐらいやから、順調に走って一時間ぐらいや。明石市内に入って来たな。

「ユッキー、次の交差点で左に曲がるで」
「朝ごはんから玉子焼きなの」
「まだ開いとるか!」

 海まですぐや。おっとここやな、右に曲がったら、あった、あった、ジェノバ・ラインや。今日は淡路島に行くんやけど、明石大橋が出来てから原付や自転車で行きにくうなってもたんよ。橋は高速やから走られへんねん。

 橋が出来ても頑張っとったフェリー会社もあったんやけど、ほとんど潰れた。そりゃ、そうなるわな。昔は西宮から淡路にフェリーがあったなんて言うても覚えてるやつは殆どおらへん気がする。

「甲子園フェリーでしょ」
「深日から洲本に行く大阪湾フェリーもあったもんな」
「須磨からもあったよね」

 それでも生き残っとるんがジェノバ・ラインや。八時過ぎか、エエぐらいや。日曜や休日は一時間に一本で、明石からやったら八時半になるねん。おるおる、あれ乗るんやろ。乗船券とバイクの切符を買って、

「八台しか乗らないのね」
「そんなもんで足りるんやろ」

 へぇ。こうやってバイクを固定するんか。よっこらしょっと。船室に移動して待っとったら出航や。十五分もせんうちに岩屋に到着。ここも橋が出来る前は国道フェリーがあって、フェリー待ちのクルマがテンコモリおったし、それ相手の店もあったんやけどな。

「今日は時計回りで行くで」
「まずは洲本を目指すのね」

 時計回りにしたんは、海がより近いからやねん。さて、のんびり行くか。空いとって気持ちエエわ。淡路島も橋が出来る前は、四国と近畿を結ぶルートやったからトラックも多くて渋滞もようあってんよ。今はそいつら高速走ってるからな。

「朝ごはんはウェスティンで食べるの」
「ツーリングっぽくないやろ」

 コトリもそうやけど、ユッキーも腹減ってんやろな。十分も走ったら、あったあった、東浦ターミナルパークや。

「ここ入るで」
「道の駅なんだ」

 で、で~ん。タコの姿焼きや。生のタコを丸ごと一匹プレスしながら焼いたもんや。コトリも話に聞いてたから食べたかったんよ。

「美味しい! これって最高のタコ料理じゃない」
「歯ごたえと旨味がたまらん」

 タコも淡路の地ダコやから最高やで。ユッキーも気に入ってくれたみたいでパクついてるわ。今日のお土産はこれやな。

「天日干しのカレイも買って帰ろうよ」
「薄いからちょうどエエしな」

 これもバイク乗りの発想かもな。乗せるとこがリア・ボックスしかあらへんから、平べったいものが嬉しいんよ。まあ今日は荷物も多ないから余裕はあるけどな。お腹がタコだらけになったから出発や。洲本まではひたすらシーサイド・ロードを南下。四十分ほど走ると到着。

「イオンのとこを右に曲がるで」
「らじゃ」

 今日は洲本は素通りして二十分程で由良や。由良の市街も狭いんやけどバイクやったら問題なし。

「立川水仙郷まで行くの?」
「今日は変化球や」

 水仙の季節やないからな。これはコトリの趣味やけど歴史スポット巡りや。景色もエエとこのはずやねん。おっと、ここから入るんやな。あった、あった、案内板のとこを登って第二駐車場や。

「あれは二十八サンチ榴弾砲の砲身じゃない・・・そっか由良要塞の跡か」

 さすがにユッキーや。由良、友ヶ島、加太と並んで砲台が作られとってんよ。そこを通ってくる敵の軍艦を沈めてまうためで、鳴門要塞も含めた大要塞やってん。日清戦争の前から作ってたから、

「初期はレンガ作りだったのね」

 その通り。コンクリに変わって行く時代の変遷があってオモロイとこや。ほいでも活躍することはなかったんよ。日露戦争も、第一次大戦も、日中戦争も攻められへんかったからな。ついに攻められた第二次大戦の時には、

「B29は頭の上を飛んで行ったものね」

 そういうこっちゃ。こんなもんは役に立たんで済んで良かったわ。紀望台に回って、

「なるほど紀州を望むだね。成ヶ島の綺麗なこと」

 昔は見張り台やったんやろな。さらに生石鼻灯台から出石神社へ。神社と言うより祠やねんけど、起こりは古いなんてもんやあらへん、垂仁天皇の頃に遡るんよ。天日槍のひ孫に清彦てのがいて、天日槍が新羅から持ってきた宝物の一つを持っとってん。

 これを垂仁天皇が見たいと言われて見せたら、献上させられて石上神社にしまわれてしもてん。ところが石上神社から忽然と消え失せて由良に流れ着き祠に祀られたのが始まりになってるねん。

「出石の刀子ね。清彦はお菓子の神様のお父さんでもある」

 お菓子の神様は田道間守やねんけど、古事記では清彦の弟、日本書記では子になってるな。さすがにこの祠の中に刀子は残ってへんと思うけど、現代まで祠が残ってるのは奥ゆかしいことや。後は展望台を二つほど回って出発や。

「わたしが前を走るね」
「次は福良の道の駅や」

 南淡路水仙ラインと呼ぶんやけど、由良からはちょっとした峠越えや。そこを超えるとガチガチのシーサイド・ロードのはず。

「コトリ、ここ気持ちイイ」
「コトリもや」

 こりゃ楽しいわ。こんな海に近いところを走れるとは予想以上やった。だいぶ走ってから、また山って言うより丘ぐらいの道になるんやけど、こっちはこっちは軽くワインディングしててバイク乗りにはたまらんと思うで。

「また海に出て来たよ」
「福良も近いで」

 道の駅にバイクを置いて。

「どこ行くの」
「えっとやな、あった、あった、あの店や」

 コトリが選んだのは山武水産。魚屋さんやねんけど、食堂もやってるんよ。口コミみたら美味そうやってん。魚屋さんの魚やから美味しいはずやねん。ちょうど席も空いとって良かったで。頼んだんは海鮮丼とウニ丼やってんけど、

「穴子丼も美味しそうだからお願い。それと車エビの塩焼きと、大あさり焼きと、サザエのつぼ焼き」
「アワビの刺身と、アオリイカの刺身とキスの天ぷらもや」

 タコの刺身や天ぷらも美味そうやってんけど朝に一匹食べたからな。二人で食った、食った。ビールがあれば最高やねんけどバイクやから我慢、我慢。食い終わったら今度は道の駅うずしおや、

「それって大鳴門橋記念館」
「拡大版らしい」

 コトリもユッキーも当然やけど大鳴門橋が出来た頃に行ってるねん。福良から二十分もせんうちに到着。

「淡路島バーガーが売れ切れじゃない」
「しゃ~ないやん」

 女神の食事はその気になれば大食い大会で楽勝できるほど食べれるけど、普段はそれなり。今日はテンション上がってるからユッキーも大食いモードやな。コトリもやけど。次は淡路の西海岸を淡路サンセット・ライン使って北上や。

「次は都志で給油や」
「そんなに走ったんだ」
「そうでもないけど、スタンドの都合」

 都志で高田屋嘉兵衛記念館に寄ったのはコトリの趣味で、次は室津の幸せのパンケーキや。パンケーキ屋はテンコモリの満員で行列が出来てたからあきらめたけど、ユッキーと幸せの階段と岬のブランコで記念写真や。

「この階段って天国に通じてるみたいだね」
「そやな。ほいでも、いつになったら行けるのやら」
「その時は一緒よ」
「そやな約束する」

 ホンマにいつになったら死ぬんやろ。ゲシュティンアンナやドゥムジ、ユダはもう一万年やから、そこまでは神の寿命は確実にあるもんな。ま、しばらくはユッキーとツーリング楽しめそうやからエエか。

 だいぶ寄り道したから、室津からはとばして帰ったわ。夜道は怖いからな。夜は夜でこれも福良で買った三年とらふぐの鍋セットで、

「カンパ~イ」

 気持ちのエエ一日やった。天気も最高やったし、淡路島は信号が少ないから快適なんよ。道も細いとこはあったけど、バイクやったら気にもならへん。生きてるのも、たまにはオモロイことはあるよな。