ツーリング日和2(第11話)本場のカツオ

 明日のツーリング計画を聞いたのですが、

「明日は走るツーリングや」

 高知市の観光をどうするかを聞いたのですが、

「ああ、いらん」
「桂浜もパスで良いわ」

 どうも話しぶりからすると、高知市内の観光も高松市内の観光も良く行ってるようです。

「あんなとこ、いつでも行けるやんか」
「バイクじゃないと楽しめないところに行かなくっちゃ」

 それはそうですが桂浜ぐらい寄っても、

「あそこは高知に行ったら絶対連れて行かれるんよね」
「坂本龍馬の銅像は立派だけど、ああも毎度毎度じゃ、さすがにね」

 何回来てるのやら。ところでお昼は、

「高知言うたらカツオや」
「お刺身とたたき食べなきゃ」

 祖谷温泉は山の幸でしたからね。

「今夜も山の幸になるからカツオは絶対や」

 朝になったら次の宿まで確保して頂いてました。でも高知でカツオなんてどこでも食べられるはずです。

「まあ、そうや。神戸でも食べれるし、東京でだって食べられる」

 じゃあ、どこでも良いのかですが、

「だから高知の中でも、とくに美味しいカツオを食べたいじゃない」

 そんなに差があるのかなぁ、

「あるで。高知のカツオ言うても、大きく分けたら二種類ある。一つは三陸沖とかに遠征して取って来るやつや。これは日数もかかるから冷凍や。もう一つが土佐の沖で釣ってきたやつや」

 なるほど、近海物の方が新鮮で美味しいと言う事か、

「あははは、それほど単純な話やないで・・・」

 カツオは黒潮に乗って回遊しますが、三月ぐらいに高知では初ガツオが獲れ始めるようです。これを上りカツオと言いますが、九月ぐらいから戻りカツオになり、

「十一月ぐらいが脂も最高に乗って旨くなるんやが、それ過ぎると冷凍物の方が美味しくなる」

 今は近海物のカツオが美味しいわけか、

「そういうこっちゃ。そやけど近海物でも新鮮な方が美味しいんよ。生ものやから時間が経てばたつほど味は落ちる」
「そういうこと。今はカツオの旬の季節だから、獲れたてホヤホヤのカツオが食べられるはずなのよ」

 なるほど。でもそんなものをどうやって、

「久礼に行く」
「久礼って須崎の先の・・・もしかして」
「そうや」

 聞いたことはありますが、行ったことはありません。

「原田は行ったことあるか」
「ない。ユーチューブで見ただけだ」

 翌朝はなんと六時起き。風呂を済ませて七時から朝食が始まり、七時半に出発とコトリさんたちに告げられています。ナビで確認すると久礼まで百三十キロで三時間と出ていますが、

「休憩を入れて三時間半ぐらいか」
「いや四時間見ていた方が良いだろう」

 まず祖谷のションベン小僧を見に行って、そこから昨日走った道を大歩危橋まで引き返し、国道三十二号で高知をひたすら目指します。ボクたちだけなら高速も使えますが、コトリさんたちは原付ですからね。

「この道も悪くないな」
「バイクのツーリングなら、こちらの方が良いかもしれない」

 今日はコトリさんたちが先行したいと言われ、高知市内を桂浜まで下って、そこから黒潮ラインに。一時間に一度ぐらい休憩を挟みながらこれはまさに快走。須崎の手前で横浪黒潮ラインに入り、

「こういう道は楽しみたいやろ」
「遅れたって一本道でしょ。次はここで休憩にするから」

 今度はボクらが先行。

「今日はシーサイド・ツーリングだな」
「山道のワインディングも楽しいけど、海沿いの道もバイク乗りにはたまらないな」

 横浪黒潮ラインはバイク雑誌に日本の名コース五十に選ばれたぐらい道で、太平洋の景色が素晴らしいだけでなく、ツイスティでアップ・ダウンを繰り返します。

「まったく遅れる様子がないな」
「どんな改造をしたら、原付があれだけ走れるのだろ」

 改造と言えば驚かされたのがガソリン・タンクが二ヵ所あること。どうにも燃費が良くないらしく、二つを満タンにしてなんとか二百キロだとか。途中の休憩所で、

「これが武市瑞山銅像やな」
「これも見たかったんだ。だって高知で銅像で連れて行かれるのは、桂浜の坂本龍馬とせいぜい室戸岬の中岡慎太郎ばっかりだもの」

 連れて行かれるってどういうこと。接待されるような年齢には見えません。横浪黒潮ラインから国道五十六号に戻り須崎を抜け久礼に入ります。中土佐町久礼の交差点を左折して進んで行くと、

「この辺だが活気があるな」
「駐輪場はこの奥みたいだな」

 駐車場はいっぱいで、ふるさと海岸の無料駐車場に案内されました。歩いて五分ぐらいで大正町市場に戻れます。

「立派ね。カツオの木彫りの看板がイイね」
「大正天皇の下賜金がなんで出たんやろ」
「昭憲皇太后の影響じゃないかな」

 市場はアーケードになっていますが、これが木製のなのが良い味を出しています。それより何より人、人、人。買い物客をかき分けてになります。

「明石の魚の棚みたいやな」
「久礼の方が小さいけど活気は上かも」

 コトリさんたちは、どの店で買おうか見て回っているようでしたが、

「ここにしよう」

 勧められるままにカツオのたたきとお刺身、

「アオリイカとウツボのたたきも美味しそう」

 これを皿に盛ってもらって向かいの食堂に。味噌汁とご飯を頼んで、

「さすが久礼や」
「お塩が最高」

 塩でお刺身を食べたのは初めてでしたが、

「塩で刺身は初めてなんか。塩でも美味い刺身はホンマに美味い刺身やで」
「でも醤油で食べても美味しいよ」

 同じカツオかと思うほど味が違います。

「ウツボのゼラチンのところはいけるな」
「こんな透明のイカはそうは食べられないよ」
「ウルメイワシの刺身なんて食えるのはここだけかもしれん」

 食堂を出た後も串焼きを買って頬ばりながら、

「カツオの心臓もなかなかやな」

 心臓はチチコとも呼ぶそうですがコリコリしてなかなかです。

「ハランボも美味しい」

 カツオの心臓も初めて食べましたが、ハランボはカツオの腹のあたりだそうで、

「マグロで言うたらトロや」

 塩焼きのようですが表面がパリッとして、かむとプリっと身は柔らかくフワっです。口の中にはカツオの濃厚な脂と旨味が広がります。よく食べるのは昨日から知っていますが市場を出てからも、

「くれ天もいけるな」
「ここのドーナッツも懐かしい味がする」

 まあ、次から次へと。それから名残惜しそうに、

「また来よな」
「絶対よ」

ツーリング日和2(第10話)三種の神器

 コトリさんが面白がったのは高知の平家落人伝説との関わりです。ここでユッキーさんが、

「横倉山の鞠ケ奈呂陵ね」

 須崎から北に入った山の中だそうですが、ここに伝安徳天皇陵があるのだそうです。さらに、

「平氏一門八十余名の墓と称される古墳、塚、小祠もあるのよね」

 この鞠ケ奈呂陵ですが驚いたことに安徳天皇の陵墓参考地として宮内庁の管理になってるのです。ただし宮内庁の管理になっているのはここだけでなく、

 ・鞠ケ奈呂陵墓(高知県)
 ・宇倍野陵墓参考地(鳥取県)
 ・西市陵墓参考地(山口県)
 ・佐須陵墓参考地(長崎県)
 ・花園陵墓参考地(熊本県)

 宮内庁管理以外にもたくさんあるそうですが、

「祖谷の伝承やったら八歳で安徳天皇は亡くなってるんよ。ところが横倉山の伝承では二十三歳で亡くなってるんよね」
「それに横倉山の伝承では、祖谷から土佐に逃げ込んで、西熊山、御在所山、宮古野、平家平、稲叢山、越裏門、椿山、別枝都と転々と行在所を変えて横倉山に落ち着いたとなってるの」

 つながると言えばつながるか。祖谷で八歳まで過ごした後に土佐に逃げ込んだと見れますからね。祖谷で亡くなったとしたのは追手を振り切るためかもしれません。そこまで追われるのならやはり本物だったとか。

「あのなぁ、実母の建礼門院は捕まって京都に帰って余生を過ごしてるんよ」

 そうだった。安徳天皇に影武者立てて落としたのなら、実母である建礼門院もセットで落としそうなものだよな。

「壇ノ浦の合戦の、もう一つの側面がある」

 平家の都落ちの時に安徳天皇と三種の神器を抱えて行っています。三種の神器は天皇の正統性を保証する重要な神器であり、これの奪還も重要な使命だったとコトリさんはしています。

「あれって草薙の剣だけが失われたんじゃ」
「他も怪しすぎるで」

 八咫鏡と八尺瓊勾玉は浜に流れ着いて回収されたとなっていますが。

「話やったらな。木の箱に入れとったからプカプカ浮いとったってなっとる。ほいでも土壇場やで、安徳天皇も入水してるぐらいやで。二つとも箱から出して抱えて沈んだはずや」

 安徳天皇の最後の様子も吾妻鑑では二位尼が草薙の剣を持って入水し、安徳天皇は按察使局が抱いて入水したとなっているそうですが、

「平家物語延慶本にはな・・・」

 延慶本とは平家物語でも最古の写本だそうですが、安徳天皇の入水の様子は、

『二位殿は今はかうと思われければ、練袴のそば高く挟みて、先帝を負ひ奉り、帯にて我が御身に結び合わせ奉りて、宝剣をば腰に差し、神爾をば脇に挟みて』

 吾妻鏡は正史になるそうですが、史実について、とくに源平合戦については平家物語を凌ぐと言いきれない部分があるそうで、

「按察使局はタダの女官や。安徳天皇と最期を共にするのなら生母の建礼門院か、清盛の妻の二位尼しかおらんやろ。さらに草薙の剣と八尺瓊勾玉も抱いて入水したとなっとる。この意味わかるか」

 教えてもらったのですが、三種の神器の中でも草薙の剣と八尺瓊勾玉は剣璽と言われ、天皇が常に所持してるものだそうです。

「八咫鏡はデカイからかもしれん」

 今でも剣璽は宮中の剣璽の間に置かれ、天皇が外出する時には必ず持って行くそうです。一方で八咫鏡は箱にしまわれ、宮中の賢所に置かれているそうです。

「コトリは平家物語延慶本が正しい気がするねんよ。天皇は剣璽を常に所持するもんや。死の土壇場に追い込まれた二位尼は、死んでも安徳天皇の正統性を守ろうとしたんやと思うわ。そやから残っとってんやったら八咫鏡や。そやけど流れ着いた話が出てるから、一緒に沈んだと考えるべきやろ」

 ここでユッキーさんが笑いながら、

「頼朝が三種の神器を回収できなかった義経を怒り、義経の不遇の始まりとしている説もあるけど眉唾ね。本当に失われたのは八尺瓊勾玉だけよ」

 はぁ、どういうこと。

「あら知らなかったの。八咫鏡は伊勢神宮の内宮にあるし、草薙の剣は熱田神宮にあるじゃない。壇ノ浦で沈んだのは形代と言ってレプリカみたいなものだよ。無くなれば作り直せば済む話」

 これも日本書紀とか古事記に出てくる話のようで、崇神天皇の頃は草薙の剣も八咫鏡も宮中にあったそうですが、これの神威に怖れ笠縫邑に移され放浪の末に垂仁天皇時代に伊勢に落ち着き伊勢神宮になったそうです。

「八咫鏡はそのままだけど、草薙の剣は日本武尊の東国遠征に持ち出されて熱田神宮に移されてるのよ。宮中にあるのは、そのレプリカの形代だよ」

 壇ノ浦で草薙の剣の形代が失わた後も、伊勢神宮から献上された剣を草薙の剣の形代にしたそうです。

「その後も火事があったりして、形代作り直してるし、ホンモノの方もどうなっているのか見た人はいないよ」

 見れるものじゃありませんからね、

「ユッキーの言う通りやけど、三種の神器の形代は量産できへんのよ。一つあるうちは、それが正統の形代で、二つ目作ったから言うて本物やと言えへんのが鉄則みたいなもんや。高校野球の優勝旗のレプリカみたいなもんかな」

 そういう話につながるのか。天皇もまたそうで後継候補はたくさんいても、安徳天皇が正統の形代の剣璽を持って生きていると、京都で新たな剣璽を作って新天皇が即位しても、ひっくり返される可能性が残ってしまうのか。

「だから祖谷で安徳天皇健在の噂があれば追手が来た可能性はある。土佐に逃げても同じや。転々とした末に横倉山で死んだんぐらいかな」

 ならば、一の谷で負けて、なにがなんでも安徳天皇と三種の神器を守るために祖谷に隠した可能性は、

「それはあらへん。平家も武家や。負けたらどうなるかは知っとるわ。都落ちもやってるからな。平家の最後の切り札が安徳天皇と三種の神器やねんから、そんなもの手放すかい。死ねばもろともや。壇ノ浦がそうなっとるやんか」

 だよな。

「ああそうや、コトリがあれこれ言うたけど、安徳天皇は生き延びた可能性はあるで。合戦に安徳天皇を連れて行く代わりに形代立てた可能性や。合戦やから流れ矢に当たって死んでも困るやろ」

 彦島に留まっていた可能性か。でも顔を見たら、

「誰も安徳天皇の顔を知るかいな。平家方かって知っとるのは一門ぐらいで、下っ端は見た事あらへんはずや。源氏なんかなおさらや。それらしい装束来て目の前で入水したら疑う奴なんておらんやろ」

 でも建礼門院や按察使局は助かっているのじゃ、

「二位尼もホンモノやろ。ニセモノが潔く死ねるかい」

 そ、そうですよね。

「やっぱ落人伝説はロマンがあるんよな。秀頼の子が薩摩で生きとったとか、光秀かって天海僧正になったとかもあるからな」
「義経だって衣川で死なずに成吉思汗になってるし」

 そんな話を聞いたことがありますが。

「どっかにホンモノの話があるかもしれへん。そやけど検証しようがあらへんやんか。それでも祖谷には平家の落人が住み着いた伝承が残っとって、今も語り継いでるのは奥床しいことやんか」

 それにしてもコトリさんもユッキーさんも半端な歴女じゃありません。これだけの事を空でムック出来るなんて、

「コトリは歴女だけどわたしは違うよ」
「そやな。単なる物知りの温泉小娘や」

ツーリング日和2(第9話)平家落人伝説

 さっきは保留にした、壇ノ浦の合戦から安徳天皇が祖谷に落ち延びて来たかどうかですが、

「それって、かずら橋の由来でしょ。源氏の追手が迫ってきたら、すぐに切り落とせるようにって」

 コトリさんがまず注目したのが落人が平国盛であり、これが実は平教経である点です。

「伝承の中には幼名の国盛にしたって書いてあったりするのもあるけんど、国盛なんて幼名があるかい。どこをどう見ても諱や。もし教経やったら改名やろ」

 貴族とか武士の名前はまず生まれら幼名と言って、子どもとしての名前が与えられるのだそうです。

「そやで。信長やったら吉法師、家康やったら竹千代や」

 これが元服して成人になる時に大人としての名前である諱を与えられるそうです。

「そういうこっちゃ。幼名に教経なんて大層な名前を付けるかいな。男やったら、なんとか千代とか、なんとか丸が多いんちゃうか」

 加えてそういう伝承が残っているのは、いわゆる庶民には諱がないそうで、幼名と諱がどういうものかを知らない人が語り伝えたのじゃないかとしています。

「教経は吾妻鑑では一の谷で討ち死にだよね」
「そやけど玉葉には生存説も書いてあるで」

 コトリさんからの受売りばかりですが、一の谷の平家はまさに惨敗で、教経の兄の通盛、弟の業盛を始め平家一門九人が討ち死しているぐらいです。一の谷の教経は義経軍の襲来を予期した宗盛の要請で兄の通盛と共に山の手を守ったていたとなっています。

「山の手ってどこですか」
「一の谷の最大のミステリーで、義経が鵯越の逆落としをやらかしたところや」

 あれはたしか須磨浦公園のあたりだったはず。

「コトリはちゃうと考えてる。まあ、この話をやりだすと長うなるから今夜は置いとくとして、まず教経が一の谷を生き残ったかどうかや」

 吾妻鑑にある教経の最後は、

『但馬の前司経正、能登の守教経、備中の守師盛は、遠江の守義定これを獲ると』

 義定とは安田義定のことで甲斐源氏の一族になり、一の谷の時には義経軍に所属していたとなっています。この安田義定によって教経だけでなく、経正、師盛も生け捕りになり首を切られたとなっているのですが、

「壇ノ浦の奮戦は創作ですか」
「そんなものわかるか! そやけど剛勇教経が生け捕られるのは妙やと思てる。教経が剛勇やったのも創作と見れんことないけど義経とはちゃうからな」

 コトリさん曰く、義経は判官贔屓の言葉が残されるぐらい人気があり、伝説が作られるぐらいですが、教経にそこまで人気があって伝説が作られる理由が乏しいとしています。ユッキーさんも、

「生け捕りになるのは降伏したからだけど、敦盛だって熊谷直実と一騎打ちして首を取られてるのよ。今と違って捕虜になってからって命の保証はゼロだし、現に首を切られてるじゃない」

 当時の武士の気風として一騎打ちまで行って勝てば相手の首を取るのがある意味礼儀らしく、わざわざ生け捕りにして恥を晒した上で首を切るのは理由があるはずとしています。つまりは命乞いするぐらいの状況になるそうです。

「あくまでも仮にやけど、影武者立てて落とすなんて小細工考えるんやったら知盛やろ」

 知盛は平家の総帥宗盛の弟で知略に優れた名将だそうです。

「清盛の息子の中でも重盛と並ぶぐらい出来が良かったとなってるわ。一の谷でも東の木戸は守り切ってたようなもんやし、屋島の時も彦島におって不在やってんよ。壇ノ浦では采配揮ったとなってるけど、平家も宗盛やのうて知盛が家を継いどったら歴史は変わったかもしれん」

 知盛は鎧を二重に着た上に碇を背負って入水したとか。生け捕りにされた総帥宗盛と対照的な最期であったとしています。ならばその知盛の策略で教経が壇ノ浦でも生き延びて祖谷に、

「それもおかしいやろ」

 平家物語にあるように壇ノ浦まで生き延びたとしても、あの奮戦と豪傑らしい最期があるとコトリさんはしています。たしかに義経を最後まで追いまくって八艘飛びの逸話まで残されています。

「影武者でコソコソ生き残るようなキャラになっとらん」

 たしかに。さらに壇ノ浦の合戦の様子に話が及びます。あの合戦は関門海峡で行われましたが、東から攻め寄せる源氏軍に対して平家は西から迎え撃っています。最初は潮に乗って平家軍が押しまくりますが、これを源氏軍が耐え忍び、潮が変わると数で優る源氏軍が押しつぶして勝ったぐらいの経緯のはずです。

「その話も平家物語にしか書いてあらへん。そやけど合戦があったんは間違いあらへんし、東西の位置が逆転するとも思われへん。屋島を追い払われた後の平家の拠点が彦島やからな」

 彦島は本州の西の端にある島で今は陸続きになっていますが、当時は島で関門海峡を押さえる要衝ぐらいで良かったようです。ここは平家が都落ちして以来の根拠地で、壇ノ浦の時点では最後の根拠地ぐらいで良さそうです。

 壇ノ浦の合戦は関門海峡の東側付近であったと見て良いはずですが、合戦の後半で西側に押し込まれたのなら、負けた平家軍は西に逃げるしかないはずです。西となると彦島もありますが、合戦場から近いですから博多方面が思い浮かびますが、

「範頼が地味に働いとるんよ。壇ノ浦の前には範頼軍は関門海峡渡って豊後に入って、さらに豊前から博多まで押さえてるんや。それだけやない松浦党も平家物語やったら平家軍に参加しとるとなっとるが源平合戦の後は頼朝から褒美もろてるぐらいや」

 松浦党は松浦半島あたりに根拠地を置く水軍で、豪族連合みたいなものだったようです。平家物語を信じれば、松浦党の中でも親平家がいて参加したかもしれませんが、主流派は親源氏で、

「博多から西に逃げても捕まるってことや」

 じゃあ平家が西に逃げても上陸するところが、

「平家物語の平家の水軍の中に山鹿秀遠ってのがおるんやけど・・・」

 山鹿秀遠は平家の家人で、遠賀川の河口付近に勢力のあった豪族だそうです。平家物語でも平家方として最大勢力で壇ノ浦に参戦しています。これも平家物語にしかない記録ですが、源平合戦終了後に領地を没収されています。

「山鹿氏は最後まで平家方やったで良いと見てるわ。そやから壇ノ浦で生き残った平家の水軍は遠賀川に逃げた可能性が高いと思てる。川遡って逃げるのが自然やろ」

 別府は範頼が抑えていますから、田川から肥前や日向、さらに鹿児島方面か。

「四国に渡るにも河野水軍が源氏やから伊予には行けんし、しまなみ海道を抜けるのも無理やろ」

 じゃあどうやって四国に、

「祖谷の平家の落人伝説は教経だけやなく安徳天皇も一緒やとなってるやんか。もし四国に渡るとした日向ぐらいから土佐やろ」

 ですが祖谷の伝承では今の東かがわ市あたりから阿讃山脈越えて吉野川を遡り祖谷に至ったとなっていますが、

「そやからそんなとこに行かれへんやんか。そんなんしようと思たら、日向ぐらいから船出して、足摺岬も室戸岬も回って行かなあかん。大冒険もエエとこや。それにやで屋島落ちとるのに讃岐目指してどうするんよ」

 ですが伝承は伝承で、

「もしホンマやったら屋島合戦の前や」

 えっ、どういうこと。

「一の谷の平家は惨敗や。一族九人が討ち取られてるぐらいやからな。敗軍の中で起こるのは裏切りと脱走や。一の谷から屋島に帰らんかったのがおったんちゃうか」

 なるほど。屋島に帰って再起を図るよりも命惜しさに逃げるのはアリか。

「落人になるけど、そん時にニセ安徳担いだのはありやろ。どうせ顔なんか誰も知らんし」

 コトリさん曰く平家の一族どうかさえ怪しいとしています。平家の一門には諱で『盛』が付くのが多いので適当に国盛と名乗ったぐらいでしょうか。

「貴種であるほど昔は尊重されとったから、天皇担いだら効果あってんやろ」

 コトリさんが注目したのは平家屋敷民俗資料館。

「注目は言い過ぎやけど妙なんよ」

 たしか説明では安徳天皇の御典医として仕えていた堀川内記が壇ノ浦の後に落ち延びて云々だったはずですが、

「天皇の御典医はもともとは内薬司やってんよ。典薬寮と別でな。簡単に言うたら内薬司が皇族用で、典薬寮が官人用や。そやけど八九六年に二つは合併しとる。源平合戦の二百年ぐらい前や」

 では堀川内記は典薬寮の人。

「そないストレートに行くかいな。まだ律令時代やで。内記は職名なんよ」

 内記は詔勅・宣命・位記の起草・天皇の行動記録が仕事だそうですが、

「後世やったら祐筆みたいな職やねんけど、筆頭の大内記でも正六位上で内裏に入られへんかってん。そこに蔵人が出てきたんよ。蔵人は内裏に入れるから内記の職を奪ってもた格好になる」

 えっと、えっと、

「典薬寮と内記局は別の部門や。戦国時代みたいに勝手に官命名乗る時代やないってことや。そやから内記と名乗る限り医者やあらへんし、安徳天皇の御典医であるはずがない」

 さらに源平合戦の頃の内記局は大内記一名、小内記二名、史生四名の計七人が定員だそうで、

「内記の人間が都落ちに付き合うかな。付き合っても構わへんが、官人としては下っ端やったってことや」

 たしかに。ここでユッキーさんが、

「薬草に詳しかったのは事実かもしれないから典薬寮の薬園師かもしれないね。都落ちして屋島に根拠地を設けた時に祖谷まで薬草を求めに来て、そのまま土着したのはありかもよ」
「まあな。もし内記で医者やったら、安徳天皇やのうて、平家の医者やったかもしれへん。屋島に来た時に無官じゃ格好悪いから内記にしたぐらいはあるかもしれんへん」

ツーリング日和2(第8話)見るべきもの

 コトリさんはニコニコしながら、

「ツーリング付き合うてくれてありがとう。ほいでやけど、プロのユーチューバーやったら、今日のツーリングをどうまとめるか聞かせて欲しいな」

 まずフェリー乗り場に向かうシーンから入るな。フェリーを使ったツーリングは多いとは言えないから、乗船手続きとかも詳しめに紹介したいところです。原田がこれに続けて、

「フェリーの設備が整っていることもアピールしたいと思います」

 それも必要だよな。航海中はカットとして、次はあのディープなうどん屋だよな。あれは今回の目玉の一つになるからしっかり紹介しておきたい。

「笹岡、大歩危峡までの道中はどうする」
「要所要所程度で良いのじゃないか」
「いや、高松から祖谷にバイクで行ける点を出しておかないと」

 原田の意見の方が正しいかもな。まだ関西に来てから日が浅いから自信がないのですが、たとえ神戸からでも祖谷は遠いイメージがある気がします。フェリーを使えば朝こそ早いですが、余裕で祖谷にツーリングできる情報はあった方が良いはずです。

 大歩危峡は・・・綺麗だ、絶景だパターンにするしかありませんか。道が悪くないのも伝えておくべきだと思います。

「原田はどうだ」
「それぐらいしか思いつかないな」

 次はかずら橋でしょう。

「もう一つのかずら橋があるのを出すのはインパクトがあるぞ」
「野猿もあったしな」

 あとは祖谷温泉ホテルのケーブルカー露天風呂で〆かな。

「料理を出したら妬まれるかな」
「露天風呂だけでも妬まれるさ」

 今回は番組にしていませんが、出直して作れば良いものになりそうな気がします。

「ユッキーはどう思う」
「ありきたりだね。同じようなのがテンコモリあるもの」

 うっ、それを言われると。とは言っても、他に編集しようがないじゃないですか。ここでコトリさんは、

「変なとこ回ったと思てるやろ。あれはな平家落人伝説ゆかりの地を回ってたんよ」

 ひょいと紙を渡してくれて、

「それはホテルのフロントに置いてある平家落人伝説の概要や。まずやけど・・・」

 祖谷にもそんなのがあったのか。なになに、壇ノ浦の合戦から安徳天皇と平国盛が祖谷に逃れて来たって!

「ホンマに来たかどうかの話は後や。まず安徳天皇一行は大枝名に行ったとなってるやろ。あれは平家民俗資料館の次に行った旧喜多家武家屋敷のあったとこら辺やねん。今でも大枝集落ってなっとるわ」

 あんなところに逃げ込んでたのか、

「最初の御所が流されたところは天皇森って書いてあるけど、東祖谷民俗資料館があったんを覚えてるか。あそこのもうちょっと東側ぐらいやったとなっとる。今は国道があるからわからんけど、昔は森やったはずや」
「そう言えば天皇森の上の集落を京上って言うけど、関係あるの」
「あるかもしれんけどわからんな」

 川に流されたとあるから、川の傍にあったんだろうな。

「あっ、鉾杉ってその時の杉が今でも」
「そういうこっちゃ」

 コトリさんが言うには旧喜多家武家屋敷が出来たのは江戸時代ですが、あれだけの屋敷を作れる力を持った豪族の庇護を受けていた可能性はあるとしていました。

「そこから変な神社行ったやろ。栗枝渡神社の境内で安徳天皇を荼毘にしたって伝承や」
「だったらあの対岸に二度目の安徳天皇の御殿があったことに」

 ここでユッキーさんが、

「わかるかな。コトリが見て回ったのは祖谷の伝説の地巡りよ。もちろんコトリの趣味だけど、バイクなら回れるでしょ」

 クルマでも可能ですが、酷道からさらにあんなクネクネした細い道を走るのはラクじゃありません。とくに旧喜多家武家屋敷なんかそうです。

「祖谷と言えばかずら橋だけど、そこばっかりじゃない。セットで紹介したら面白くないかな」

 たしかに。

「いっつも、いっつも都合良う、あるわけやあらへんけど、あったら利用せん手はない」
「そうよ。バイク乗りの観光とクルマの観光は同じじゃないでしょ。バイク乗りだから出来る観光ってあるはずなの」

 なるほど。クルマは移動に快適な乗り物ですが、そのぶん車幅があります。クルマを停めるにも駐車スペースの問題や方向転換の場所も必要です。それよりなにより、すれ違いも出来ないような道は走りたくないはず。

 バイクは今日ぐらいの道でも走るのはクルマほど苦にしません。ワインディングだってかえって楽しいと思ってしまうのがバイク乗りです。

「それにバイク乗りは、案外しょぼいものでも喜ぶで。そやな、自分が見つけ出したとか、たどり着いたの価値観が重い感じの気がするで」

 それはあります。そういうところに行きたいのがツーリングの楽しみの一つです。クルマでもラクに行けるところは、混んでるし避けてしまう傾向が無いとは言えません。

「バイクってさ、クルマよりお手軽に寄り道出来ると思うのよ。道の狭さだって、悪さだって、クルマに較べるとはるかに強いじゃない。これはわたしもコトリも好きだからそうしてるけど、寄り道ツーリングって楽しいよ」

 ひたすら走る派だって、休憩はしますし、休憩したところに、ちょっとしたでも良いから見どころがあれば嬉しいはずです。だけど、今回はたまたま平家落人伝説があったから、

「今回は特別に感じるかもしれへんけど、もっと単純に考えてみいや。ツーリングしとって気になるもんってあらへんか。風景でもエエし、建物でもかまへん」

 それはあります。変わった山の形だとか、妙に由緒がありそうな建物とか。原田も、

「廃墟も気になったりするよな」
「それ、あるあるだよ」

 コトリさんはコップ酒を煽りながら、

「そういうもんって、通り過ぎたら忘れてまうし、後で調べようと思ても場所がどこやったかもわからんことが多いやろ」

 そうなることが多いですが、

「わかったら楽しあらへんか。知っとって見るのも楽しいし、後からわかっても楽しいやんか。先に知っとったら、わざわざ見に行ったりもあるで。それもツーリングの楽しみちゃうか」

 言われてみれば、

「調べるのは難かしゅうない。そういうマニアはちゃんとおる。そやけど、そういう情報の横の連絡は弱いと思わへんか」

 なるほど。うどん屋もそうでした。そりゃ、うどん好きのバイク好きもいますが、多くのバイク好きはうどんは好きでも、ディープなうどん屋の情報を熱心に集めるわけじゃありません。

「完全な新発見の情報なんか滅多にあらへん。さっき廃墟の話が出とったけど、廃墟マニアの世界はむちゃくちゃディープや。少々の廃墟を見つけても、ちゃんと調べ上げとる。そやけどポピュラーな情報とは言えん。ネットにあっても調べようとせんと知らんままや」

 ユッキーさんもコップ酒をまるで水のように飲みながら、

「ツーリングでの新発見って個人的な体験なのよ。わかるかな、自分の感覚で新発見であれば満足するのよ。定番以外に一つでも見つけられたら嬉しくない?」

 ボクたちが考えた番組構成では・・・うどん屋以外は定番も良いところです。ボクたちの番組を見て高松から祖谷にツーリングしても、あのうどん屋が新発見ぐらいしか体験できません。

「誤解せんときや。定番も必要なんや。定番があるからそこから外れた楽しみがあるからな。そやけど、定番撮るやつはゴッソリおるやんか。そこで競うてもワン・オブ・ゼムや。よほど段違いのもん作らん限り、その他大勢にしかならんで」

 厳しい指摘だが間違っていません。ボクと原田の考えたものは定番観光ガイド的なものです。普通に大歩危小歩危から祖谷に行けばああなります。そうモデルコースの紹介のようなものです。それが必ずしも悪いわけではありませんし、ユーチューバーでも趣味でやっている者なら十分のものです。

 だがボクらはプロのユーチューバー、食えるユーチューバーを目指しています。そうだよ、定番だけじゃダメなんだ。そこにプラス・アルファを加えないと埋もれてしまうだけです。今回であればコトリさんの言う通り、祖谷の紹介に平家落人伝説を絡めると、普通と違うツーリングを紹介できるじゃありませんか。これこそがプラス・アルファのはずです。

ツーリング日和2(第7話)大歩危小歩危から祖谷へ

「徳島に行くで」

 どうも国道四三八号を通るようですが、ナビで確認すると徳島との県境は三頭峠と呼ばれ、三頭トンネルが峠の一番上にあります。このトンネルは二六四八メートルの長さもあるのも特徴ですが、標高が四百四十メートルぐらいあります。

 たいした事のない峠ですが、コトリさんたちのバイクは百二十五CCです。これぐらいは登れるのは間違いありませんが、

「そやな、笹岡君たちは先行してエエで。トンネルの手前に休憩所があるさかい、コトリたちが遅れてたら、そこで待っといてくれるか」
「原田君もスカッと走りたいでしょ」

 お言葉に甘えて先行させてもらったのですが、彼女たちは余裕で付いてきます。

「最近の一二五CCは良く走るな」
「坂も緩いからだろう」

 原田がペースアップしましたが余裕で付いてくるので、休憩所には寄らずに、そのままトンネルに。これも長いトンネルです。ここから出ると徳島県です。徳島の下りは急でしたが下りですから問題なく走り抜け美馬へ。

「コトリさんたち追い抜いたけど、先行してくれるって意味だよな」
「原付は高速走れないからな」

 県道十二号から橋を渡って国道一九二号です。吉野川を右手に見て、左手にJRを見ながら西に進んで行き、池田大橋を渡ります。この辺は池田と呼ぶようですが、吉野川は流れを南に曲げています、走行の向きで呼びますが、ボクたちは吉野川の右岸の国道三十二号を土讃線と並行しながら走ります。

「川の水の色が変わって来たな」
「エメラルド・グリーンで良いのかな」

 しばらくするとコトリさんたちが停まり自販機でジュース休憩のようです。

「この辺が小歩危ですか」
「まだや。よくガイドに歩危茶屋付近からと書いてあるけど、もう閉店してるんよ。もうちょっと行ったら白川谷川が合流するから、そこから上流ぐらいでエエと思うで」

 たしか大歩危小歩危って大股で歩いても危ないところ、小股で歩いても危ないところの意味だったはずですが、

「通説やな。そやけど、それやったら上流に行くほど歩きやすいことになるやんか。古語にボケは崖って意味があるから、最初は小さな崖、さらに大きな崖って意味って説もあるで」

 なるほど。でも道は二車線で快適ですが、

「あははは、今はな。だからバイクでもクルマでも行ける観光地になってるんよ。昔は河原を歩いとってんや」

 この下の河原を・・・雨でも降れば絶対に通れないじゃありませんか、

「だから秘境やんか」

 祖谷ってそういうところなんだ。

「ちゃうちゃう。ここは大歩危峡で祖谷渓とちゃうで。祖谷渓はあの山の向こうや」

 吉野川の支流の祖谷川が作る渓谷が祖谷渓だそうです。

「ここからしばらく一本道やから先行してくれるか。レストラン大歩危峡まんなかで次の休憩や」

 気持ちよくリバーサイド・ツーリングを楽しんでレストラン大歩危峡まんなか、ここで遊覧船に乗りたいみたいでしたが、

「もう二時回ってもたな。ユッキー悪いけど割愛するで」
「イイよ。上から見るだけでも堪能できたし」

 大歩危橋を渡って今度は県道四十五号、途中で平家屋敷民俗資料館に寄って、峠を下ると祖谷渓です。途中でトンネルになっていて助かりました。祖谷のかずら橋に行くかと思てましたが、

「先に二重かずら橋に行く」

 県道三十三号を西に走っていたのですが、もう少しで国道四三九号と言うところで左折して橋を渡ります。そこから曲がりくねった道を登り詰めると、なんと集落があるではないですか。

「大枝集落言うてな、あそこ茅葺屋根が旧喜多家武家屋敷や。蜂須賀さんが阿波の領主になった時に功績のあった家柄やそうや」

 武家屋敷を足早に見て回った後に鳥居を潜るとそこには巨大な杉が、

「鉾杉や」

 そこから引き返して今度は国道四三九号なのですが、五分ぐらいでまた国道から外れて山道を登って行きます。

「それにしてもこんなところに人が住んでるんだよな」
「ああ、そっちに驚くわ」

 バイクを下りてからしばらく歩くと、なんの変哲も無さそうな神社があり、

「栗枝渡神社や」

 興味深そうに境内を見ながら、

「落合集落はパスするわ」
「イイの」
「時間が足らん」

 そこから国道四三九号に戻りましたが、

「原田、これってホントに国道か」
「そう書いてあるから国道だろうが、これは国道と言うより酷い道の酷道だな」

 一車線半の道が延々と続きますし、対向車とすれ違うのも一苦労です。バイクだから良いようなものですが、クルマではあまり走りたくない道です。やっと祖谷の二重かずら橋と野猿。コトリさんたちは嬉しそうに、

「野猿は十津川にもあったね」
「人力ロープーウェーやな」

 そこからコトリさんは、

「かずら橋に戻るで」

 酷道ならぬ国道を戻り本家のかずら橋も渡れて、

「ところでどこに泊まるのですか」
「そんなものホテル祖谷温泉に決まってるでしょ。ここまで来て泊まらなかったらバチが当たるじゃない」

 えっ、てっきりかずら橋の近くの民宿とか、旅館と思ってましたからボクも原田も大慌て。道すがら、

「いくらだろう」
「カードぐらい使えるはずだけど」

 これまたクネクネした道を登ったところに、

「あれみたいだな」
「ケーブルカーみたいなのも見えるからな」

 なんとか六時前に宿に入れたのがウソみたいです。

「部屋やねんけど、急やったやんか」

 フェリーではスマホはつながらないですからね。

「空いとったんが一部屋しかなかってんよ」
「だから今日の宿代は番組収録の中止代にしとくね」

 それはいくらなんでもと断ろうとしたのですが、

「ホンマに悪いと思てるんやけど、特別室しか空いてへんかってん。あそこはさすがに高すぎるわ」

 えっ、ではコトリさんやユッキーさんは、

「普通の部屋や」
「別に部屋風呂いらないし、二人だから十分よ」

 それはいくらなんでもと押し問答になりかけたのですが、

「その代わり、明日も付き合ってもらうで」
「頑張ってね」

 部屋に入ると、

「笹岡、見てみろ、内風呂が檜風呂だぞ」
「いくらになるか考えるだけで怖くなってきた」

 座卓の上には朱塗りの小型のお重のようなもの。開けると鳴門うず芋と書いたお菓子とかぼす茶。見るからに高級と言うか、贅沢と言うか。

「あの二人、何者だろう」
「金持ちのお嬢さんだと思うが」

 とりあえず名物の温泉に行こうとなって地階に、

「これは本物のケーブルカーだな」
「ネットで見たのと同じだ」

 おもしろいのは自分でケーブルカーの操作をするところです。下の駅で降りて露天風呂で汗を流してサッパリ気分。いやぁ、この露天風呂は岩風呂なのですが、壁の代わりに葭簀が張ってあり、風呂の向こうには祖谷渓を流れる川がすぐそばに、

「だから葭簀なんだろうな」
「わざわざ大浴場が別にあるのもな」

 こんなに川が近いと雨でも降れば沈んでしまいそうです。その代わり天気が良ければ最高ってところです。

「朝も入らないといけないな」
「景色も絶対良いはずだからな」

 着いた時刻が時刻だったので、既に暗くなっていて景色が見えないのが残念です。風呂から上がって食事はダイニング・ホール。行ってみると。

「こっち、こっち」

 手を振る彼女たち。

「一緒にしてもろてん」
「今日はお疲れさま。まずはビールで良いよね」

 リッチだ。阿波牛の鉄板焼きに、剣山の鹿肉のロースト、マガモの炙り焼き・・・

「阿波牛はなかなかやな」
「マガモはさすがよ。鹿肉も処理が上手だわ」

 そしたら店員を呼んでなにやら交渉。

「じゃあ、お願いね」

 すると山盛りで皿に積まれてきて、

「山ん中やからジビエ尽くしや。ワイン飲もか」
「日本酒でもイイんじゃない。今小町とか座花酔月とか面白そうじゃない」

 そしたらコトリさんは、ワインがフルボトルなのはともかく、日本酒はなんと一升瓶で、

「ちびちび飲むのもエエけんど、こういう時はガバガバや」
「そうよ、ほらもっと食べて飲んで盛り上がろうよ」

 いやぁ、見る見るうちに平らげて行きます。謎めいた二人ですが、飲み食いもまた凄まじい。

「明日もあるから、もっと食べないと」
「そうや、食わんと元気でえへんで。バイク乗りは体力が大事や」