ツーリング日和24(第25話)琴平花壇

 なんとか転ばずに階段地獄から下りて来られた。平地ってこんなに嬉しいものだと思ったよ。もう足だってパンパンだ。ところで宿は、

「近いで」

 それは助かる。ここから一時間なんて事故しちゃいそう。駐車場から橋を渡って川沿いの道を走って行ったら、

「あそこが駐車場みたいや。嬉しいな、屋根付きのバイク置き場もあるやんか」

 ホントだ。ところで琴平花壇ってなってるけど、元は花屋さんだったの。

「何言うてるねん。明石にも人丸花壇ってあるやんか」

 言われてみればそうだ。

「箱根にも強羅花壇があるで。琴平花壇も江戸時代からあるそうやが、この名前になったんは明治になってからやそうや。ようわからんけど、その頃は花壇って付けるのがなんかオシャレで高級感があったんちゃうか」

 それはあるかも。その手の語感というか言葉からのイメージは変わるものね。間違っても公園の花壇を見ながら思いついたものじゃないはず。旅館には道向かいの階段を上がるのか。また階段ってちょっとウンザリした。

 さてどんな宿かな、ちゃちな宿だったら承知しないぞ・・・て、本当にこの宿なの。間違えたのじゃないの。

「ここでエエはずや。たぶんやが似たような名前の宿はないはずや」

 そ、それはそうだけど、それにしてもじゃないの。フロントでも予約が通ったみたいだから、ここみたい。そこから部屋に案内されたけど、どうして庭に出るかと思ったら、ここって離れじゃないの!

「気に入ってくれたか?」

 気に入るも何も、気でも狂ったの。どこをどう見たって超高級旅館のしかも離れだよ。中に案内されても目が回りそうだ。

「千草と一緒に泊まるなんて、そうそうはあらへんやろ」

 中学の修学旅行以来だ。それにしたって、

「こういうとこ好きやろ」

 好きだよ、いつの日にか泊まってみたいと夢見てたよ。だけど、だけど、いくらなんでも・・・そもそもだけど、いくらするって言うのよ。こんなところの宿泊費なんて千草は払えないよ。

「それは心配せんでもエエ。これぐらい経費で落ちる」

 経費って言うけど、遊びに来てるだけじゃない。そんなものが経費で落とせるものか。

「そうでもないねん。医者やったら落ちんけど、イラストレーターもやってるやんか。そやから取材のための経費や」

 そっちの方の経費か。たしかにイラストレーターなら取材は仕事だし、

「金毘羅様参りも、こういう宿に泊まるのも取材の一環や」

 そんなものなのか。でもさぁ、でもさぁ、コータローは仕事になるかもしれないけど千草は関係ないじゃないの。

「あるに決まっとるやんか。イラストにはモデルが必要や」

 千草がモデル? ああ、なるほど。イラストに描く時は美少女になるから、そこに誰であっても女がいれば良いぐらいか。マネキンだって人形だって良いのだろうけど、生身の人間の方がイメージしやすいぐらいかも。

「まず風呂に行こうや」

 それ賛成。ツーリングってひたすら風を浴びてるようなものだから汚れるし、今日はトドメに金刀比羅神社の階段地獄だった。

「貸切風呂も使えるけど・・・」

 あのね。そしたら混浴になるじゃないの。まだそんな関係じゃないだろうが。ここは温泉なのが嬉しいけど、昔からの温泉じゃなくて二十世紀の終わりごろにボーリングして掘り出したものとか。

 でも筋肉痛に気持ち良いぞ。露天風呂もあるのか。ノンビリ浸かりながら考えてたのだけど、コータローは本気で千草と間違いをやろうとしてる。だってさ、こんだけのシチュエーションを整えられてしまってるんだもの。いくらかかっていると言うんだよ。

 ここも誤解を招きそうだな。援助交際でもパパ活でも売春でもないから、いくらカネを積まれたってやる義理はない。当たり前の話だ。そうじゃなくて、千草はコータローの好意を受け入れてしまってるって事なんだ。

 好意たってピンキリで、それこそ休憩の時のジュースを奢る程度もある。それぐらいなら大したことないけど、コータローは今回のお泊りツーリング代をすべて奢るつもりだ。というか、こんな超が付きそうな高級旅館の宿代なんて払えないよ。

 ここもわかりにくいか。お泊りツーリングを受け入れた時点で、こうなる可能性もあったんだよ。だからその点にあらかじめ釘を刺しとくとか、そもそもお泊りツーリングに行かない選択も千草にはあったってこと。

 でも、のこのこ出かけて来てるし、結果としてコータローの好意を受け取ってしまってる。受け取ったからには代償を払う必要が出て来るのよね。代償が何になるかだけど、女と男がこんな良い宿に二人で泊まったら一つしかない。

 そうなるかもしれないのに、ここまで来てしまったのが今だ。そりゃ、今からでも断れるし、そこを無理やりコータローが襲えば犯罪だ。けどさ、ここまでされたら逃げられるものか。そうなると今夜だからせめてしっかり洗っておくか。

 風呂から上がって部屋に戻ったら夕食だ。うひょぉ、これは御馳走だ。海に近いから瀬戸内海の海の幸は当然として、

「讃岐三畜って言うらしいけど・・・」

 讃岐牛に、オリーブ豚に、讃岐コーチンなのか。これも美味しい。讃岐グルメのオンパレードだよこれ。食べながら逃げ場はどこにもないと覚悟した。これだけの好意を受け取ってしまったものね。けどね、けどね、

「千草も運動不足やで」

 うぅぅぅ。バイクには乗るけど普段はあんまり歩かないからな。あの階段地獄はあまりにもきつかった。本宮に着いた時に完全にヘタレこんじゃったもの。ここまで来てるから奥の院も行きたかったけど、あそこで引き返してくれて助かったと思ったぐらい。

「ひょっとして生理か?」

 夕食中にデリカシーが無さすぎだ。そんなものはちゃんと調整して来てるわい。女を舐めるな。これはやるためじゃないぞ。旅行でガッチャンしたら悲惨だからだ。男には死ぬまでわからんないだろうけどね。

 食事が終わり、片付けとお布団敷く間にガーデンラウンジでもう一杯。でもさぁ、それだけ歩くだけで足が筋肉痛の悲鳴を挙げまくってる。でも部屋に戻るよね。中に入るとぴっちり合わせて布団が敷いてある。そ、そうなるか。この歳のカップルだからそう見るよね。

 次はコータローが求めてくるはず。つうかさ、ここまでになって求められない方が女の恥だろ。そこの覚悟はなんとか出来たけど、この足の状態でやったら辛すぎる。だってさ、やってる最中に足が攣りそうじゃないの。

「ホンマに痛そうやな」

 シャレにならないぐらいだ。これって明日の方がもっと辛いよね。

「明後日の方が辛かったらオバハンや」

 うるさいわ。

「明日もあるから寝よか」

 えっ、えっ、えっ、寝るって睡眠の意味なの。

「千草も疲れたやろ。帰りもあるからちゃんと休まんとあかん。オレかってくたびれたし」

 それは有難いけど、コータローはそれで良いの。これをするためにここまで来て、これだけのセットアップをしたのでしょ。

「なんかやりたいんか?」

 いや、あの、そうじゃないけど、そうでしょ。

「アホ言うな。千草は大事な大事な幼馴染や。今夜は寝るで」

 助かったと思う反面。あれだけ覚悟を決めたのがアホみたいじゃないの。でも寝よう。体が悲鳴を上げてるのは間違いないものね。

ツーリング日和24(第24話)金刀比羅階段地獄

 駐車場からさっきの参道に引き返したのだけど、金毘羅さんって、階段で有名だよね。

「奥の院までやったら千三百段ぐらいやったんちゃうか」

 なんだよそれ。奥の院まで行ったら三時間ぐらいかかるって拷問みたいじゃないか。

「登れば登るほどご利益があるらしいで」

 ここまで来たら登るしかないけど、最初は土産物屋通りみたいな感じだな。うわぁ、階段がきつくなってきた。あそこに見える建物は、

「大門やな」

 ほいでもって大門を見上げるここでまだ二百九十四段かよ。大門を過ぎて三百六十五段を越えたところで桜の馬場ってところか。ちょっと平坦だから息が継げるよ。また鳥居を潜って、えっちら、えっちら登って行くと。あったぞ、本宮に到着だ。

「ここは旭社や。そんでもってここを本宮と勘違いして引き返したんが森の石松や」

 石松の気持ちがわかった。旭社が立派なのもあるけど、階段にウンザリしたんだろう。当時は本宮まで後何段の案内はなかったのかな。

「今より少なかったと思うで」

 それは石松の失敗を教訓にして増えたとか。

「失敗したのは石松ぐらいちゃうか」

 ぎゃふん。当時も旅行案内的なものは出てたけど、

「石松には読めんかったんちゃうかな」

 だったら誰かに聞けば、

「そんなもの神田の生まれだから聞けなかったんだろ」

 違うよ。馬鹿は死ななきゃぁあ治らないからでしょ。

「それも違うだろうけど、天下の次郎長の子分だから聞けなかったんちゃうか」

 それでも六百段を越えたのか。根性出してって言いたいけど、最後になんなのこの石段。殺す気かよ。それでも、なんとか、こここそが本宮のはず。お参りして、石松には勝ったぞ。でも続きの階段があるじゃない。

「奥の院まで五百八十三段ってなってるな」

 死ぬ。でもここまで来たのだから、

「ここで引き返そ。奥の院まで行ったら時間があらへん」

 フェリーターミナルを出発したのが十三時半で、階段を登り始めたのが十五時だったものね。今から下りても、

「バイクに行く頃には十七時になってまうやんか」

 ジャンボフェリーのバカ野郎だ。とはいえ、ここで階段地獄が終わるのは正直なところ嬉しいのが本音だ。だってもう足がガクガクになってるもの。

「階段は下る時の方が危ないからな」

 足がもつれて転んだりしたらタダじゃすまないよ。ただ下る方が息もラクだからコータローと話ぐらいは出来そうだ。登る時はそれどころじゃなくってたものね。本宮にお参りした時に気になったのだけど、金毘羅さんの神様って大国主命にになってたよね。

「ああそうや、千草は、そやのになんで金毘羅さんか聞きたいんやろ」

 金毘羅とはクンビーラらから来たものらしくて、クンビーラとはインドの鰐を神格化したものなんだって。

「千草には難しい話やが・・・」

 仏教ってバラモン教から出た宗教の一派なんだって。

「そやから釈迦かって仏教徒やのうてバラモン教徒のはずや」

 バラモン教徒はヒンドゥー教の先祖でもあるのか。だから、

「ああそうや。仏教も多神教やねん。曼荼羅ぐらい知ってるやろ」

 曼荼羅ってどこかの半グレとか暴走族の名前かって思ったけど、真言宗の世界観を現した神々の配置図みたいなものらしい。仏教ではクンビーラは十二神将筆頭の宮比羅になるらしいけど、ちょっと待ってよ金毘羅さんって神社だよ。

「わからんところが山ほどあるんやが・・・」

 金刀比羅神社があるのは象頭山って言うのだけど、ここは古くから船乗りが信仰していた山だったとか。

「そうなってるねん。つうのもかつてはこの山は海岸線にあって船乗りの目印やったとなってるねん」

 それっていつの時代の話なのよ。こんなところまで海だったなんて、

「この辺は土器川ってのが流れてるんやが、丸亀とか、多度津は土器川が埋め立てて出来たそうやねん。そやから金毘羅さん海に面していたのはそうやと思う」

 金刀比羅神社の創建も古いなんてものじゃないそうで、それこそ神代の時代に遡るとか。あっ、そっか、神代の時代にはまだ仏教が伝来してないから大国主命なのか。

「そういう話なっとるねんけど・・・」

 コータローに言わせると香川と言うか讃岐に大国主命の足跡があるのが妙だって。大国主命は出雲の王だけど、神代の出雲王国は播磨までしか進出していないはずだって。播磨の対岸が讃岐みたいなものだけどそう簡単に渡れないものね。

「瀬戸内海やったら古代吉備王国やろ」

 岡山にも古代王権はあったもの。

「たぶんやが・・・」

 まず航海の目印として象頭山信仰があって、それに因んだ神社がいつしか作られたはずだって。それは理屈としてわかるけど、そこにどうしてバラモンの神なり、十二神将の宮比羅が入り込んだのよ。

「そやからわからんって言うてるやんか。あくまでもオレの仮説やが・・・」

 空海が満濃池の改修をしたのは歴史的事実だけど、この時に金刀比羅神社にも手を出した可能性を考えてるのか。とくに四国では御大師様の御意向は絶大だものね。

「空海が着た頃には象頭山をご神体とした山岳宗教みたいなもんやったと思うねん。そこにもっともらしい装飾を施したぐらいの見方や」

 じゃあ、大国主命はどこから出てきたの?

「こういう神社仏閣は古いほど有難そうに感じるやんか。実際も古そうやん。そやけど由緒を遡らせてまうと宮比羅は日本にまだおらんやん。ついでに言うと、神代の時代も神武天皇が東方遠征するまで天津神はおらへんやんか」

 だから消去法で大国主命か。なんか無理あるけど、そうでも考えないと大国主命を祀る神社なのに宮比羅の名を冠した神社名はおかしいものね。

「妙に辻褄を合わせる知恵者がおってんやろうけど、たぶんやが船乗りたちは大国主命やのうて宮比羅を信仰してると思うで」

 というか出雲の神じゃなくて金毘羅の神を信仰してる気がする。千草もそうだもの。

「それでエエんちゃう。そういう融通無碍なんが日本の宗教や」

ツーリング日和23(第23話)高松街道

 フェリーが着いたのは高松東港。予定の十三時十五分には着岸したけど、そこから下りてスタートできたのが十三時半だ。フェリーターミナルから四車線道を南に下って国道十一号に入った。西に少し進んだところで国道十一号は南に曲がるのだけど、これが片側三車線なんだ。

 道の両側にビルが立ち並んでるから高松の中心街みたいなところで良さそうだ。さすがは四国でも指折りの大都会だ。

「高松は支店の街とも呼ばれとった時代があったからな」

 全国規模の企業が四国に支店を置く時にまず高松だったからだって。この片側三車線の道を南に下って行くと今度は西に曲がるんだ。真ん中にある高架の道は?

「オレらに縁がない高松道や」

 やっぱりそうか。だけど、

「あったあった、こんぴらさんの方に行くで」

 今度は国道三十二号でここも片側二車線の道だ。江戸時代の高松街道もおおよそはこんなルートだったらしい。とはいえ旧街道の情緒はないな。これは仕方がない。どこかに残されているとは思うけど、それを調べて走る余裕が今日はないものね。

 でさぁ、でさぁ、フェリーターミナルからここまで走って来て思ったのだけど、香川の道って稲美町と似てる気がするんだよ。だってさ、

「あれやろ、ランドマークが見えへんからやろ。讃岐平野も平たいから山が遠いもんな」

 それそれ。神戸に住んでると常に山と海を意識て方角を決めてるのよね。それぐらい南北の幅が狭いのだけどね。とくに六甲山は常に頭に置いてる気がする。

「六甲山言うより、登り坂やったら北に向こうてるやろ」

 あははは、そうかものね。だからこれだけ平たいとそれだけで迷子になりそうなんだ。

「東京なんかもっと広いやんか」

 千草も行ったことあるけど眩暈がしそうだったもの。だって、だって、

「オレもそうやった。電車の路線図見ただけで途方にくれそうやった」

 コータローはお台場に泊まったそうだけど、東京タワーに行きたくなったんだって。千草らの頃の修学旅行は北九州だったものね。

「高校も東京やなかったし」

 千草もだ。それはともかくコータローはホテルのフロントで東京タワーへの行き方を聞いたそうだけど、

「そうやねんけど簡単に答えが帰って来んねん」

 それぐらいあれこれルートがあるのが東京だってこと。さらに、

「行って見たらとにかく遠いのにウンザリさせられた」

 わかる。距離感と言うか、時間間隔が関西とは違うもの。乗り換えだって大変で、

「地下鉄にも乗ったんやが、どこら辺におるかの感覚が完全にあらへんかった」

 それは仕方ないよ。あいうものって、地名とかでおおよその推測をするのだけど、東京の地名って、

「なんか名前だけはなんやかんやで見覚えがあっても、それが東京のどの辺なんかさっぱりわからんものな」

 思いっ切りお上りさん気分を味わったのか。千草もそんな感じだったのよね。とはいえ金毘羅参りであれば国道三十二号に入れたら九割ぐらいはだいじょうぶだみたいなんだ。道は市街地を抜け郊外に入り道の駅で、

「ちょっと休むで」

 コーヒーブレークと生理現象の解消だ。コータローはナビとにらめっこしてるけど、

「この道で琴平町まで行けるんやけど・・・」

 そこから琴平町に入って金刀比羅神社に行くことになるのか。この道はバイパスみたいな感じの道だけど、

「県道二八二号から県道二〇六号の道が金毘羅さんに行く道みたいやねん」

 それだったら県道二〇〇号に乗って曲がったら良さそうだけど、

「そうやねんけど、こういう道って国道三一九号から行く気もするねん」

 後は行って見て考えないと仕方がないよ。琴平町内もゴチャゴチャしてそうだから、道路案内を見て判断するしかないもの。川を渡ったからそろそろ何か出てくるはずだけど、琴平まで四キロか。へぇ、社会で習った満濃池ってこの近くにあるのか。てなことを思ってたら琴平まで三キロだ。

 また川を渡ったけどここもまんのう町ってなってるぞ。さてと次の道路案内は、あれっ、琴平は右ってなってるけど、国道三一九号じゃないの。コータローの予想が当たったみたいだ。雨になったら困るんだけどね。

「この天気予報で雨なんか降るか!」

 この交差点のはずだけど、これってどう曲がるんだよ。

「ぐいっと曲がるみたいや」

 ホンマかいなと思ったけど、合ってるみたいだ。これはわかりくいな。それでもってついに対面二車線か。琴平まで1キロってなってるからもう市街地に入ってるはず。おお、ここからが琴平町なのか。次の道路案内には琴平町街ってなってるけど、

「ここはやめとこ」

 千草もそう思う。だって金刀比羅神社って絶対に書いてあるはずだもの。うん、あったぞ、こんぴらさんて書いてある。次の信号を左だ。ローソンの角だな。この辺は旧市街って感じだけど、どこにバイクを停めるつもり。

「そんなもん行って考えるに決まってるやろ。とにかく行けるとことまで行って見る」

 踏切を渡って、あれっ、路面がアスファルトから石畳に変わってる。もうそろそろ感が溢れてるんだけど、突き当たって右って出て来たけど、あれって右に曲がれないってなってるじゃない。

「よう見てみい。大型車だけや」

 ホントだ。でもわかりにくいじゃない、でも曲がったらなるほどだ。こんなところに大型車が走られたら迷惑だ。さてさて、ここを曲がるで良さそうだ。ほぉ、ここは江戸時代の門前町の雰囲気があって良い感じだ。だけどこの石段って、

「始まりやと思うけど、そこの喫茶店の駐車場でターンさせてもらお」

 どうもなんだけど、金刀比羅神社の近くにでっかい公営の駐車場みたいなものは無さそうだ。停めるのなら何か所かあった民営みたいな駐車場を使うことになりそう。コータローがなにやら駐車場の人と話してるけど、

「バイクあかんところが多いみたいやけど、バイクも確実に停められるところとなると・・・」

 あの手も民営の駐車場の多くは一定金額以上のお土産を買ったら駐車料金がタダになるシステムが多いそう。だったらバイクだって停めさせてくれたら良いのに。

「たぶんやけど、バイク乗りってあんまりお土産買わへんやんか」

 そういうことか。お土産って帰ってから配ったりすることが多いじゃない。会社でも旅行のお土産のお菓子を配ったりはポピュラーだ。ああいうものって人数分と配る所分だけ買うから、

「こういうついでの時に結構な金額を買うのが期待できるやんか」

 それはわかる。さらにクルマだから少々買っても積むのにも問題は出ないはず。だがバイクとなると菓子箱一つでさえ困る時は困る。

「駐車場代が五百円でお土産が八百円以上やったらタダになるシステムが多いらしいけど、バイク乗りならぎりぎり八百円しか買わんのが多そうや」

 なんかそんな気がする。そうなると民営駐車場を経営しているお土産屋さんにとってバイク乗りは、

「招かざる客や」

 平日のヒマの日なら停めさせてくれたかもね。そんな話をしながら探していたら橋を渡ったところにあったぞ。クルマが五百円で、バイクが三百円か。こっちはモンキーだぞって言いたいけど、停められたからヨシとしよう。

ツーリング日和24(第22話)金毘羅船々

 江戸時代も金毘羅参りのためには瀬戸内海を渡らないといけないはずだけど、その船って西宮から出てたの。

「あれは西宮からも出ていたが正しいやろ。西国巡礼のオプションとしての金毘羅参りも始まりは多さからやったはずやねん。そやから中山寺から西宮に寄り道したんもおったぐらいがより正しいと思うで」

 十返舎一九の作品には金毘羅参詣続膝栗毛まであったのか。この作品では木津川から丸亀に三日半で着いたとなってるどうだけど、エラい時間がかかってるな。

「そういうけど、この三日半は小説やからかなり理想的に行ってのものやってなっとるぐらいや」

 当時の航路は大坂からまず室津に向かったのか。室津から小豆島の東側を南下して四国の沿岸に向かい、さらに沿岸沿いに西に進んで丸亀を目指したそう。だけどこの航路は日数もかかるけど天候の影響も大きかったそうなんだ。

「かなり大きかったそうや。当時の航海技術からしたら室津に行くだけでも一苦労みたいやったみたいやねん」

 とくに明石海峡は難所だったのか。今でもそうだと言うものね。だから明石海峡を通過できる日和を待つのが嫌で参詣者は船を乗る場所を西へ、西へとシフトしたらいしいんだ。

「江戸時代のこっちゃから、予約なんかしてへんから、大坂の船が出そうにないと聞いたら、大坂で待つのやのうて西に歩いていったみたいやねん」

 これこそ当時の旅人の感覚だ。この西に歩くと言っても半端じゃないみたいで、西宮辺りもあったとは思うけど、高砂もあったり、

「室津までどころか、牛窓ぐらいから、さらには下津井まで行くようになったらしいねん」

 下津井って、

「宇高連絡船の航路やな」

 当時の感覚として海路はとにかく不安定だし、航海中だって船が揺れるから船酔いにも苦しんだとか。料金だって距離が延びるほど高くなるだろうから、それだったら歩いてしまえになったのか。

 金毘羅参りの航路は室津からも小豆島に西側を通るルートに変わって行ったそうだけど、最短距離でまだしも確実性の高い下津井からの航路がだんだんとメインになっていったそう。

「海路がいかに大変やったんかわかるんと、それだけ参拝客が分散しても金毘羅船があちこちの港から出るぐらい多かったんがわかるな」

 だから西宮からも出る船もあったってことか。

「この辺の海は、冬は北西の季節風が強くなるやんか。そうなったら明石海峡の東側からは行けんようになるぐらいで良いと思うで。だからその季節に金毘羅参りをしようと思えば西へ西へシフトしたんやと思うねん」

 日程的には大坂から順調に行って三泊四日だけど、下津井まで来たら一泊二日で着いたらしい。さらに下津井まで来れば船賃も五分の一ぐらいになり、運航もかなり確実性が高くなったとか。

「下津井の方かって商売やから喩伽大権現との両参りもアピールしたとなっとるわ」

 それってどこだ。

「廃仏毀釈の時に蓮台寺と由加神社に分かれたんやけど、江戸時代は栄えたそうや」

 コータローが言うには江戸時代も下るほど観光客の奪い合いが盛んになり、今でいう旅行代理店みたいな機能を宿屋とかが持つようになったと見て良いそうなんだ。

「宿屋と渡船業者が手を組むとかや。それだけやない、神社仏閣かって参拝客が多い方が儲かるやんか。金毘羅参りも江戸初期の頃は新興観光地やったから、宮島とセットで売り出していた形跡も残ってるそうや」

 それってもしかして、大井川の川止めみたいな側面もあったとか。

「あったと思うで。天気予報が無いような時代やんか。船を出す出さへんは船頭の腹一つやけど、なんだかんだで客を待たせた方が客も増えるし、宿屋かって儲かるやん」

 それぐらい海路が危険で不確実なのはもちろんあったとは思うけど、客の方にしたら旅費がうなぎ上りに増えて行くから、

「それやったら歩いて近づくようになったのはあると思うで。ちなみに下津井の方は確実性を売りにしとったらしいねん」

 旅程的にも順調に行けば大坂から船が早いだろうけど、とにかく遅れたら一日単位で伸びて行くから下津井まで回ってもかえって早いとかあったかも。それにしても、そこまで苦労して金毘羅参りをしたかったんだよね。今はどうなの、

「今でも香川で一番の観光地や。今でも年間で三百万人ぐらいおるねん」

 ちなみに伊勢神宮の半分弱ぐらいなのか。

「もっとわかりやすく言うたら、阪神の年間観客動員数ぐらいが参拝してるねん」

 ふへぇ、そんなにいるのか。まさに魂消た。それぐらい人気があったから、海路の困難を乗り越えても金毘羅参りに行ったんだよね。千草だって一度ぐらいは行って見たいと思うものね。

 金毘羅参りが江戸時代に盛んだった名残として、金毘羅五街道もあるんだって。なんかすべての道は金毘羅さんに通じるみたいな話だけど、

 ・丸亀街道
 ・多度津街道
 ・高松街道
 ・阿波街道
 ・伊予・土佐街道

 丸亀街道は大坂とか東側の人が丸亀を目指し、多度津街道は九州とか中国の西側の人が目指したとか。ちなみに千草たちは高松街道だな。これは高松藩主も金毘羅参りに使ったからお成り道とも呼ばれたそう。

「旧街道と近いルートで行くで」

 それ良いね。お殿様気分だ。

「金毘羅参りやったらお姫様も行ったんちゃうか」

 高松から三十キロぐらいだから可能性あるよね。あれかな二泊三日ぐらいだったとか。

「せっかくやから一週間ぐらいおったんちゃうか」

 それもあるあるだ。さすがにそうは旅行なんか出来ないだろうから、それこそのついでだ。

「そろそろ着くみたいやで」

 やっとか。

ツーリング日和24(第21話)ジャンボフェリー

 千草がお泊りツーリングにOKを出したらコータローは嬉しそうだったな。どこに行くかだけど、お互いにフェリーは初めてだから近いところにしようとなったんだ。神戸からになると小豆島もあるけど、コータローの希望もあって香川にした。

 小豆島も香川だけど高松というか、四国の香川県ね。これも小型バイクの悔しいところだけど、橋を渡って行けないんだよね。だからフェリーになるのだけど、神戸からならジャンボフェリーになるそうだ。

「これもダイヤが変更になってもたから・・・」

 コータローも高松へのツーリングは考えてたそうだけど、使おうと思ってたのはジャンボフェリーの二便なんだって。これは最近まで、

 平日・・・六時発 → 十時四十五分着
 休日・・・八時半発 → 十三時十五分着

 一便になると一時発になるし高松が五時十五分着になる。高松からさらにロングツーリングを考えるのならアリだけど、

「そやな。徳島回って室戸岬どころか高知でも余裕で行けるんちゃうか」

 そういうツーリングも魅力的ではあるけど、そんなに走ったら一泊二日では帰って来れなくなるのよね。さらに言えば今回のツーリングで目指すのは四国と言うより四国の香川県だ。だから平日の二便で十時四十五分に着くのを考えていたそうだけど、

「全部八時半発になってもた」

 そうなると高松着が十三時十五分着になるのだけど、

「ツーリングをやるには中途半端やねん」

 だよね。でもその条件でなんとかするのはコータローの仕事だ。この高松に行くジャンボフェリーって三宮からでも出るのも初めて知った。

「税関の奥のとこや」

 今どき税関じゃわからんのがおるやろが。フラワーロードの突き当りと言えよな。それと八時半発だけど八時半に港に行けば良いものじゃないみたいなんだ。

「あれは出航が八時半の意味やぞ。三十分前には着いとかなあかんってなっとるわ」

 電車じゃなく飛行機の感覚に近いかもだ。フェリーだから乗客だけじゃなくクルマやトラックの乗り込み時間だって必要ってことか。だから朝の待ち合わせも七時にした。

「まずモーニングや」

 コメダは七時からだってこと。三宮のフェリーターミナルには八時前には着いたけど、ここって、こうなってるのか。なんか係員の人がいたから高松に行くって言ったら行き先を書かれてる札を渡されて、あそこに並んだら良いみたいだ。

 これがジャンボフェリーか。フェリーなんか、たこフェリーに乗ったのが最後だな。明石大橋が出来る前は淡路に行くフェリーが何本もあったと親父に聞いた事があるけど、たこフェリーも無くなってしまったもの。それにしても神戸から高松の航路なんて良く生き残ってるものだ。

「瀬戸大橋はちょっと遠いからやろ」

 いくら高速を使っても岡山まではかなりあるものね。たぶんだけど高速料金と比べても割安にしてるはずだ。そうこうしているうちに乗り込みが始まった。千草たちの順番も来てランプウェイからいざ船内に。

 なかにも誘導の人がいて、ここに停めろってことだな。停める時もニュートラルじゃなくてローにしとくのか。バイクを停めたらいざ船室に。なかなか綺麗だよ。

「デッキに行こか」

 海から見る神戸って初めてかも。神戸に住んでいても港町って感じが、

「それ以前にあんまり海が見えへんわ」

 そうなのよね。だけど常に海は意識しているところがって、

「大丸に行っても、平気で海側、山側ってなってるものな」

 北が山側で、南が海側だけど、あれを南北って言わないのが神戸の人かな。出航の時はちゃんと汽笛が鳴るんだ。なんかこの感じ良いよね。

「千草もそうか。高松に行くって知っとっても、なんかまだ見ぬフロンティアに旅立っとる気がするねん」

 と言うか高松は初めてなんだよ。高松と言うか香川県は海を挟んだお隣さんだけど、なかなか足が向かないところなんだよね。理由はあれこれあるだろうけど、ぶっちゃで言うとわざわざ行きたいところが無いぐらいかもしれない。

「悪いとこやないと思うねんけど、どうしても行きたいって目玉がない感じや」

 目玉観光地の存在ってバカに出来なくて、そういうところがあれば、そこに行っただけでも満足するし、

「ついでのセットであれこれ回るもんな」

 そこに新たな魅力を発見する感じかな。でもさぁ、でもさぁ、それでも江戸時代の西国巡礼は香川もオプションで行ったのよね。

「金毘羅参りや」

 とくに有名なのが森の石松だけど、あれって、そもそもどうして金毘羅参りに行ったの?

「講談によるとやな・・・」

 清水の次郎長には長兵衛という恩人がいたんだけど、これが罠にはまって捕まって牢屋で死んだのか。その長兵衛の敵討ちを次郎長が果たすのだけど、

「そん時に金毘羅さんに願をかけたから、そのお礼参りやねん」

 だったら金毘羅さんって戦いの神なの。

「一般的には海の神で船乗りの信仰を集めたとなっとるけど、江戸時代に伊勢の御師みたなのが活躍して色んな効能を追加したみたいやで」

 なるほど、なるほど、だから金毘羅参りだけでも庶民の憧れになり、西国巡礼のオプションにもなり、森の石松も行ったのか。ところでだけど、森の石松が寿司食いねえをやったのはどこなの。

「あれは講談やったら淀川の三十石船になっとるけど、あれは金毘羅参りの帰りやねん」

 そうだったのか。千草はてっきり桑名から宮の船の上だと思ってた。そこで疑問があるのだけど、あの時の寿司ってどんな寿司だったの。イメージとしては握り寿司だけど、あの頃に関西で握り寿司なんてなかったんじゃない。

「あれだけ神田の生まれを強調してるから握り寿司のイメージが強いんやけど、あの頃の関西の寿司は押し寿司なんは千草の言う通りや。講談師が作った話やから真相もクソもないんやけど・・・」

 その謎を追いかけた人もいるのがおもしろいね。この話は二代目広沢虎造のが有名だそうだけど、なんとそこに答えがあるのだとか。森の石松は三十石船に乗る前に大阪で押し寿司を買う下りがあるんだって。

「こんなもん後だしジャンケンやねんけど・・・」

 あの有名な掛け合いだけど、石松は寿司を勧めるじゃない。だけど、あれが握り寿司だったらネタによる高い安いがあるはずだから、

「そうやねんよ、高いネタを食いやがってみたいなくすぐりを絶対入れるはずやんか」

 それありそうだ。あれ食いやがってとかの話が入るとおもしろそうだもの。だけど食べてるのが押し寿司だから、どこを食べても変わらないから入れようがなかったのかもね。この二便のジャンボフェリーだけど小豆島に寄ってから高松に行くんだよ。だから五時間近くかかる。

「昼はフェリーでうどんや」

 というか、うどんしか無い。

「高松行くフェリーやから、しゃ~ないんやんか」

 そういうけど高松から神戸にも来るじゃない。もうちょっとバラエティがあっても、

「それぐらいしゃ~ないやろが。天下のうどん県やねんから」

 まあ、いっか。きつねうどんにしたけど、さすがに美味しかったもの。