ツーリング日和22(第14話)バイク乗りのボヤキ

 次回のツーリングで相談したいからと初鹿野君から連絡がありロイホに。ロイホならゆっくり相談できるぐらいだろう。わかってきたのだけどプライベートの初鹿野君との話はとにかく脱線しやすい。

 さらに無駄口も多い。無駄口というより、ごく自然に話が出来る。なおかつ、それが妙に心楽しい。だから呼びされても、ウンザリじゃなくウキウキしながら出て来てるぐらいなんだ。

「とにかく都市部はパス」

 これは信号地獄もあるけど、それより困るのは駐輪場所だ。バイクだって駐禁に引っかかるんだよ。もっともクルマに比べると取り締まりは緩やかだけど、

「それぐらい駐輪場所は少ないです」

 明石城公園に行った時も往生した。ちゃんと調べて行ったんだよ。

「あそこは自転車競技場のところにありますが・・・」

 初鹿野君も行ったのか。駐輪場に行くには明石城公園の東側の住宅街を登るのだけど、

「案内表示が無いのですよね。わたしは行き過ぎてしまいターンして戻りました」

 実はボクもそうだった。その道を進めば自転車競技場の北側の駐車場の入り口には出られるのだけど、

「あれを見つけろというのに無理があります」

 だよな。まずその駐車場には駐輪できないし、そこにも駐輪場の案内はない。初鹿野君も一度はそこであきらめて帰ったのか。気持ちはわかる。ボクはもう少し調べていたから、突き当りまで進んだんだ。

「あそこだって車両進入禁止の表示がこれでもかとあります」

 そうなんだよ。車止めのアーチみたいなものが道路に埋め込まれていて、絶対に通しませんの雰囲気をプンプンさせている。それでもそこまで行けば、

「あれなんなのですか」

 右手の奥の方に遠慮深そうにバイク仮置場の看板が見えるのだよ。

「あそこって正しい行き方はどうなのでしょうか」

 なにが正しいかはわからないけど、そこは小型バイクのメリットを活かして押して行ったよ。でもって、仮でもバイク置場なのにただの公園の道なのだよな。駐輪区画の線さえ引いていない。なんとなくあまり集まってもらっても困るから、知る人ぞ知るぐらいにしている気もするけど、

「あの仮置場って随分前からそうだったみたいです」

 仮って言うぐらいだから、正式のバイク駐輪場を整備する予定のはずだけど、ひたすら後回しにされてるぐらいで良さそうだ。駐車場に駐輪場を併設してるところもあるけど、あれだって知っていないと利用するのは容易じゃない。そりゃ、その駐車場にバイクが停められるかを知っておく必要があるからな。

「部長は魚の棚の駐輪場を使ったことがありますか?」

 あるよ。便利な場所にあるとは思ったけど、あれはあれで気を遣わされた。あそこは原付専用だからモンキーはもちろんOKだ。だけど駐輪スペースの幅が狭いんだよ。狭いと言ってもモンキーだから問題なさそうなものだけど、

「サイドスタンドだからかと」

 それはあると思う。バイクを停める時にはサイドスタンドとセンタースタンドがあるけど、モンキーにはサイドスタンドしかない。傾けて停める分だけ車幅は広くなるとは思うけど、

「二台分のスペースが必要になります。あそこの駐輪場って、センスタのスクーターしか想定していない気がします」

 ボクもそう思ったけど、センスタのスクーターでも並んで停めると鮨詰め状態だぞ。そんな事をしたら、

「出す時には横に立たないと動かせません」

 バイクの横に立てるスペースがあるとは思えなかった。クルマで例えればドアが開かないのと同じだ。それぐらい狭いんだよ。それでも駐輪場を作ってくれてるだけマシと言うか感謝しないといけないか。

 最優先されるのはクルマの駐車スペースの確保で、そこに駐輪場を併設する発想は少ないんだよ。そりゃ、バイク、それも小型バイクだからどこでも駐輪できると言えばそれまでだけど、マナーとして良くないし、

「長時間駐輪して悪戯されるのも嫌です」

 クルマに比べたら剥き出し見たいな構造だものな。ただでも都市部はツーリングで避けたいのに、駐輪場所も困るとなれば余計に避けたくなる。もっとも駐輪場に困るのは都市部だけで郊外に出れば問題は少なくなる。

 郊外のロードサイド店なら広い駐車場があるから駐車スペースにバイクを停めても気にならないし、駐車スペースを避けても、それ以外のスペースにも余裕もあるから、適当にどこにでも停められる。

 他のところだって小型バイクだから、それこそヒョイと道端に停めても問題にまずならない。警察だってバイクどころかクルマの駐禁の取り締まりにも来ないはずだ。それぐらい周囲になんにもないところは珍しくもないからね。

「部長は後で駐輪場があるのに気が付いた経験はありませんか」

 あるに決まってるじゃないか。あれは三木の道の駅だったかな。生理現象も迫ってたから入ったんだ。いわゆる第一駐車場が空いてなかったから第二駐車場に停めたのだけど、お手洗いを終えて帰る時に駐輪場があるのに気づいた。

「案内が無かったり、あっても目立たない小さなものが多いと感じます」

 それぐらい片手間と言うか、どうでも良い扱いなのがバイクの駐輪場だと思ってる。バイクの駐車問題は都市部でこそ一部問題になってるけど、あれだって停めるなの規制だけで、停めるスペースの整備にはひたすら不熱心の気がする。行われても対象は自転車だ。

「需要と供給の関係で話はすべて終わってしまいます」

 そこなんだよな。クルマの駐車場は集客でペイする計算もできるかもしれないが、バイクなんて集めたところでペイなんかしようがない。バイクの駐輪場整備に予算を費やすより、切り捨てる方が効率も良いぐらいだろ。

「クルマとは使い方がだいぶ違います」

 そこはあると思う。明石もそうだけど、あれだけクルマの駐車場が整備されているのは、不法駐車を防ぐの意味もあるだろうけど、買い物客を集めるためもあるはずなんだ。バイク乗りだって買い物をしないわけじゃないけど、

「クルマに比べるかなり落ちると思います」

 駐輪場の件はこれぐらいにして、初鹿野君ならモンキーの魅力をどうプレゼンする。

「えらく話が飛びますね。魅力と言うよりこの走りを楽しいと思うかどうかがすべてでしょう」

 そう来たか。でも本音で言えばそこに尽きるだろ。バイクは走って楽しむ乗り物だけど、モンキーの走行能力は高くないと言うより低い。とにかく非力だからな。バイク乗りでもスピード指向があるものには不満しか出ないと思う。とくに若者はそうなるはずだ。

「それでも体感的にはそれなりに走ってくれます」

 体感とも言えるし主観でも良いと思う。だけど客観的にはスクーターにも負けそうになるし、軽自動車にも遠く及ばない。

「百キロ出すのも大変過ぎます」

 だから高速も自動車専用道路も走れない理由がわかってしまうぐらいなんだ。けどな、走っていて楽しいバイクだと思う。それだってボクの主観に過ぎないけど、

「見た目九割、主観がすべての世界です」

 あははは、そういう事だ。こんなもの理屈で納得する世界じゃない。ただ小さいが故に怖い時もあるのは確かだ。

「遅いから抜きたくなるのまでは理解はしますが・・・」

 やっぱりそういう経験はあるよな。クルマは小さいバイクを見れば抜きたくなる習性が確実にある。これは遅いクルマがいればそうなるのと基本的に同じのはずだが、クルマに比べたら車幅も小さいから抜きやすいのは確実にある。

 だけど、たとえそれなりの速度で走っていても強引に追い抜こうとするクルマは決して少なくない。あそこまでするかってやつだ。だからだと思うのだが、

「昔からバイクは排気量が同じでも車体が大きい方が好まれます」

 そうなんだよな。大きい車体の方が走行安定性は良いと言うのもあるけど、それより大きい方がクルマに抜きたくなる気持ちを少しでも抑えられる効果を期待している部分はあるはずだ。それぐらい強引にクルマに追い抜かれるのは怖い時は怖い。

「だからマスツーが好まれる一因にもなってるのかも」

 そこはどうなんだろう。バイクであっても一台より二台の方が追い抜きにくいのはある。もっと大集団になればなおさらだ。

「話を本題に戻しますが・・・」

 こりゃ、いかん。プライベートの初鹿野君との話は無駄話にどうしても花が咲いてしまう。こんなどうでも良さそうな雑談に楽しそうにしている初鹿野君を見たら、うちの連中は口をアングリさせるだろうな。

ツーリング日和22(第13話)竹田城

 初鹿野君の提案で今日はロングツーリング。やっぱりロングはテンション上がるかな。まずは新神戸トンネルを抜け呑吐ダム。御坂神社の信号を左折し、志染中学校の先の信号を右折。

 山陽道を潜り、ネスタリゾートの前を過ぎ、突き当りを左に。そこから豊地の交差点を右折し、桃坂の交差点を左だ。この辺はボクも初鹿野君も良く知ってる道で、このまま走ればひまわりの丘公園の北側で国道一七五号バイパスに入れる。

 そこから北上して中国道を潜り、加古川を渡って西脇市内に入った信号を左折し国道四二七号に入る。

「ここはゴチャゴチャしてます」

 国道だけど何度か曲がらないと西脇市内を抜けられないものな。初めて来たときはちょっと迷ったもの。

「わたしもです」

 西脇市内を抜けると多可町に。高岸の交差点を左折するのだけど、

「部長は間違いませんでしたか?」

 間違ったよ。ウッカリ直進してターンして戻って来たもの。

「まっすぐ走りたくなります」

 そして醤油蔵を過ぎたあたりの交差点を左に曲がり県道八号に入る。

「名水ってやつ寄ったことありますか?」

 ないな。今から越えるのは高坂峠なんだけど、その途中にある松か井の水は疲れた旅人が飲むと疲れを回復したと言われてるらしいけど、バイクじゃ水は汲んで帰れないからな。

「新松か井の水の方には水汲みのクルマが良く停まっています」

 コーヒーでも淹れれば美味しいのかも。高坂峠も頂上部にトンネルが出来ていて、これぐらいならモンキーだってそれほど苦じゃない。あくまでも『それほど』だけどな。峠を下ると神崎町になり、

「今は神河町です」

 それじゃ、ピンと来ないから神崎町だ。クルマなら播但自動車道になるけど、

「クルマなら中国道で来てます」

 ツッコミがうるさいぞ。そういうバイクで、こういうツーリングを楽しみに来てるのだろうが。

「もちろんです。大きなバイクでもそうしたいのが多いみたいです」

 出発地の関係もあるのだと思うけど、結構走ってるよな。ところでバイクで高速を走るのは楽しいのかな。

「二百五十CCでも辛いって話も聞きますけど」

 高速になると純馬力勝負になるものな。

「それこそ大型は良いぞの世界です」

 ボクは排気量マウントのオッサンに会ったことはないけど初鹿野君はあるのかな。

「一度だけ・・・」

 実在するのか。排気量マウントのオッサンの定番の決めセリフは、

『そんな小さなバイクじゃ、バイクの本当の楽しさはわからない』

 だけど、やっぱりそう言われたのかな。

「出ました。だから、そんなクソデカイバイクで何がわかるって返しときました」

 喧嘩売ってどうするかと言いたいところだけど、あれって大人の対応をすればツケ上がるだけらしいから、

「あんなアホのオッサンにわたしが口で負けるとでも」

 排気量マウントのオッサンも相手が悪かったと後悔したのじゃないかな。初鹿野君がその気になればアンゴルモアの恐怖の大王になるからな。情けも容赦もなくコテンパンにされたと思うとどこか同情したくなる。そうこう言ってる間に生野峠を越えると、

「生野町です」

 残念朝来市だ。ちなみに和田山まで朝来市だ。

「それは無茶な」

 それぐらいの広域合併をしないと市にならないのだろうけど、なんともだ。家具センターが見えてきたから竹田のはずだが、竹田城跡まで五・四キロか。まだあるな。うん、道路案内では直進となってるけど、

「ここを曲がれば良いはずです」

 そのはずだ。橋を渡り直進すると、あったあった、まちなか駐車場だ。空いてるじゃないか、これはラッキーだ。ここが満車だったら次のところまで下調べしてなかったからな。

「ご心配なく。ばっちり把握しています」

 さすがだな。初鹿野君も生理現象の解消か。ボクもそうしよう。へぇ、バス停がここってことは、駐車場の中までバスが入って来るのか。待つことしばしでバスが来て、

「可愛いバスです」

 おいおい来たことあるんだろ。

「前の時は山城の郷から歩いて登りました」

 だから今回はバスを提案したのか。食えないな。

「ご心配なく、しっかり生で賞味できます」

 なんの話だ。山道をバスは揺らしながら走り竹田城に。バスを降りると歩きだ。しばらく歩くと立派な石垣が見えてきて料金所だ。これはボクも聞いただけの話だけど、かつてはクルマで上がれて無料だったそうなんだ。

「バイクでもと言いたいですけど、モンキーにはちょっと辛いかもです」

 ちょっとじゃなくて、根性出してみろだろうが。城跡を巡りながら、竹田城と言えばこの石垣だけど、よくまあ、これだけの壮大な石垣をこんな山の上に積み上げたものだ。石垣だけじゃなく、この上に建物があったんだよ。

「竹田城からは瓦が多数見つかってるそうですから、近世城郭があったはずです」

 そのはずなんだけど、それがどんな様子だったのかの資料が皆無なのは残念だ、最近の研究では天正十三年に現在の竹田城の築城が始まり、一国一城令で廃城になる慶長二十年まで雄姿を見せていたはずだけど、

「十五年以上はあったはずです」

 近世城郭はとくに安土城以降は権威の象徴の意味も濃くなっている。だが一方で軍事的拠点の意味も当然のように重い。だから築城のための設計図の類は軍事機密として残っている方が珍しいぐらいなんだ。

 じゃあ、絵姿はどうかだけど、天守閣とかを特集した浮世絵なんかなかったはず。この辺も軍事拠点だから、見るのはともかく絵にすればあれこれ問題になったと思う。ましてや竹田城の雄姿が聳えていた時代になるとみたいなもんだ。

「今だって似たようなものじゃないですか」

 たしかに。今は写真も手軽に撮れるし、ネット上にも溢れているけど、それでも失われるとすぐに忘れ去られる。たとえば、ヒョイと更地があったても、そこに前は何があったのか思い出せないことなんていくらでもある。

「店が入れ替わってもです」

 実はって程の話じゃないけど、学生時代の思い出のスナックを探したことがあるんだよ。だけど、卒業してからたったのこれだけで様変わりしていた。まず、どこにあったのかを思い出すだけで一苦労だったもの。

 あれだけ学生時代に通っていたけど、そのために目印にしていたものが、ホントに見つからなかった。やっとこさ、それらしい目印を見つけたけど、ついにあの懐かしのスナックは見つからなかったぐらいだ。

 水商売だから潰れたのかもしれないし、どこかに移転したのかもしれないけど、そこで手掛かりは消えてしまった。そりゃ、その気になって探偵もどきに探して回れば行方は探せたかもしれないけど、そこまでは個人の努力で出来ないよ。

「そうやって、いつしか記憶の中だけの存在になり、記憶を残している者がいなくなれば忘れ去られる」

 神戸は震災があったけど、そこで記憶が断絶してると言うものな。震災を経験した者には、震災前の神戸の街がありありと見えるけど、後から住んだ者にとっては、震災後の神戸がすべてだ。

 だからと言って震災前の神戸が語り継がれることは殆どない。あっても被災経験者同士がたまに語り合うぐらい。これは震災経験なんて、実際に経験した者じゃないと最後の実感はわかりあえるはずがないのあきらめはあると思う。

「聞かされる方も災難かもしれません」

 だと思う。話す方だって、今さら同情されたってどうだの思いが確実にある。今だって、語り継げとか、忘れるなって頑張ってる人はいるけど、ボクはそうやって忘れ去られて行くものだとあきらめてる。

「良いように言えば前を向いて歩きたいですし、過去にいつまでもこだわらないぐらいでしょうか」

 そこまでドライに割り切れるものじゃないだろうけど、そんな感じはどこかにありそうな気がする。同じじゃないけど、この城に大城郭が聳えていた時代もそうやって忘れ去られて行った気がする。

「人だってそうです。学校もそこに在学していた時代は主役でしたが、卒業した途端に過去の人になります」

 たしかにそうだ。OB・OGとして訪れても、たんなる知らないオッサンとかオバハンどころか不審者扱いにされてしまうからな。これは自分が学生の時にはそういう目で見ていたから、まさに順送りの主役交代みたいなものだけど。

「なんのために人は生きてるのか考えた時期はありました」

 初鹿野君もペシミストの面があったのか。

「部長だってあったでしょうが! でも生きるって自分の人生ドラマの主役を演じているのだと思うようになっています」

 そうかもな。だけどそこに台本は無いぞ。

「あってたまるものですか。自分が主役のドラマの台本は自分で書くものです。たとえ台本通りにドラマが進行しなくても、そうなるように何度も書き直して進んで行くものだと思っています」

 それが夢とか希望ってことか。

「それ以外にないじゃないですか。わたしの台本もなかなか波乱万丈なのですが、それでもやっと進んでくれそうです」

 なるほど、初鹿野君にも春が来そうってことだろうな。初鹿野君に魅力があるのはこうやってプライベートで会えばよくわかる。職場でもこういう面を出せばモテると思うよ。誰もが争うほどは言い過ぎだけど、初鹿野君に惚れこむ男が出ない方がおかしいだろ。

「わたしの台本では惚れられるのではなく、惚れて追いかけます」

 ホラー映画の台本なのだろうか。

ツーリング日和22(第12話)昔の恋バナ

 江井ヶ島からの帰りだけど、山麓バイパスで帰るのもツマラナイとなって国道一七五号を北上、三木から呑吐ダムに行き、新神戸トンネルから帰ることになった。この辺は江井ヶ島へのツーリングが市街地走行ばっかりだったからな。帰り道で、

「ところでそのママさんとはそれだけだったとしても、その後の彼女はどうだったのですか?」

 あの後か。学生時代のボクは良く言えば向上心に燃えてた。向上心と言えば聞こえは良いけど、野望と言うか、社会人になったらブイブイ言わせてやろうぐらいかな。

「部長は、えっと、えっと、どこでしたっけ?」

 初鹿野君の先輩だよ。これも当時はコンプレックスだった。目指していたのは京阪大だったからね。だからそっちに行った連中を社会人になったら見返してやろうぐらいの野心に燃えた青臭い学生だったってこと。

 野心と言っても政治家になって権力を揮おうなんてものはカケラもなくて、一流の会社に入って、エリートコースを驀進したいぐらいのチンケなものだった。その第一歩の京阪大入学は叶わなかったから、せめて港都大で良い成績を残して就活を有利にしようぐらいって話だよ。

 とは言うものの思春期から二十歳になろうともしているから彼女も欲しかったし、童貞だって卒業したかった。周囲がドンドン童貞を失業したなんて話を聞かされて焦ってた部分もあったよ。この辺はどこまで行っても凡人なんだよな。

 だから彼女を紹介してもらったりもあったのだけど、どれも長続きしなかったな。当時は理由なんてわからなかったけど、今ならわかる。オクテの恋愛下手だったんだよ。恋愛下手というより、女性に恋して愛するとは何かがわかってなかった気がする。

「ひょっとして男子校だったとか」

 そうだよ。それも中学からだったから女性への免疫が無かったとしても良いと思う。思春期の真っ只中を野郎だけで過ごす寂しい青春だってことだ。

「男子校ってやっぱりBLワールドの世界なのでしょうか」

 いやいや、そういう目で見ないでくれ。男子校がBLワールドになるのなら、女子高は百合世界になっちまうじゃないか。

「それはそうですが、女子校だって・・・」

 思春期の若者が同性しかいない環境に放り込まれれば、その欲情のはけ口がしばしば変質して異性じゃなく同性に向かうそうだ。それを実感したかな。だからBLワールドが無かったなんて綺麗事は言わないよ。やってるやつはやっていたし、最後まで行ってたのも知ってるからな。

 けどなぁ、BLワールドだって見た目九割だ。同性だからって、相手が誰でも良いわけじゃない。ドッキングしたい相手じゃないと欲情しないし、欲情しないような相手に愛情なんて持つわけないだろ。だから結果だけで言うと無縁だ。

 ここでもし誘惑されたらどうだったのかの質問はやめてくれ。ああいう世界の空気は異常なんだよ。もっとも卒業して同性だけの環境から解放されたら、憑き物が落ちたように消えてなくなってるよ。

「女子校もそんな感じだそうです」

 そんなボクにだってついに彼女は出来た。ただこれでもかのお嬢様だった。そこに惚れたと言うか。彼女も彼女でオクテなのに彼氏が欲しいで、妙なところで気が合ったのかもしれない。

「その彼女と!」

 ああそうだ。童貞と処女だったから大変だったけど結ばれたよ。

「嬉しかったですか?」

 もちろんだ。ついに男になれたと思ったからな。それだけじゃない、やっと女の本当の良さを知った気がした。そりゃ、もう熱中した。愛おしくてたまらなかったし、世界で最高の女性と思い込んでた。

「卒業したら結婚を考えてたとか?」

 当たり前だ。それしか考えてなかった。初心だったと笑うなら笑え。それ以外にあり得ないと思い込んでたよ。他に何を考えるって言うんだよ。最愛で最高の女性を自分のものにするにはそれしかないだろう。

「結婚したのですか?」

 ボクはバツイチじゃないよ。卒業で待ってたのは別れだった。

「何かあったのですか?」

 出来ちゃった騒動とかはなかったからな。彼女が切り出した理由は、

『お見合いの話が出てきたから・・・』

 お見合いするにはボクがいたら邪魔だから整理されたってことだ。

「それって・・・」

 当時は何を言われてるのかわからなかったけど、ある種の遁辞だろうな。

「お見合い話はウソ?」

 いやウソじゃなかったはず。あれはボクを切り捨てたんだろう。そんな複雑な話じゃない。彼女はこれでもかのお嬢様だったからお見合い話の一つぐらい出るよ。そういうセレブの家だったからな。

「政略結婚で泣く泣くとか?」

 そこのところの最後のところはわからないけど、そんな彼女の見合い相手だからバリバリのエリートだったんだろう。それを知った彼女は乗り換えたってだけの話で良いと思う。彼女は付き合った時は初心だったけど、ボクで男を経験して成長したんだろ。

 ボクは彼女を経験することで溺れ込んだけど、彼女だっていつまでも初心なネンネじゃない。いわゆる男を見る目が養われたはずだ、それだけじゃない、自分がどういう価値のある女であるのかもわかったと思う。

「えっと、えっと・・・」

 わかんないかな。彼女はこれでもかのお嬢様だと言ったろ。つまりはセレブの家の娘だ。それも跡取り娘だ。彼女の夫になる男には次期社長の椅子が約束されている。そういう男を選べる立場の女だと自覚したで良いと思う。

 彼女との結婚の条件が婿養子なのは知ってはいたけど、まだまだ世間知らずも良いところで、せいぜい苗字が彼女の姓になるぐらいしか思ってなかったお目出度い野郎だったんだよ。

 選ぶ立場で見てみれば、ボクの価値は低いよ。そりゃ、エリートビジネスマンを目指してはいたけど、まだ海のものとも山のものとわかんないじゃないか。それに比べたらお見合いの相手は既に社会に出てエリートビジネスマンになっているはずだ。

「そ、それはそうですが」

 これは想像に過ぎないけど、お見合いの相手はイケメンでもあったはずだ。それに比べたら、ボクなんか並がせいぜいだ。体だって小学校から延々と続いた受験競争の賜物で、ぶよぶよに太ってこそいなかったが青白いモヤシ野郎だったからな。

「部長はモヤシじゃありません」

 今はな。これはある時に人生の長期休暇があったからだ。とにかく時間だけは売るほどあったから、ジムに熱中したからだよ。週に七日も朝から夕まで通い続ければこれぐらいにはなるってことだ。

「そうは言いますが、女と男の関係は・・・」

 そっちか。可能性だけは考えたよ。親に理不尽な結婚を強制され、泣く泣く人身御供になる可哀想な花嫁だろ。そこに乗り込んで奪い返す正義のヒーロー役の可能性はあるだろうかってね。

 そりゃ、未練が無かったかと言えばウソになるけど、それならそれで彼女からサインがあるだろうが。サインどころか懇願されるのが普通だろ。なんにも無かったから捨てられたとあきらめた。

「その後は?」

 今に至るだ。

「ところで部長のモンキーは一人乗りですか」

 ああそうだ。タンデムが出来るようにカスタムするのもいるそうだが、見ての通りでその手のカスタムなんてしてないだろ。

「それっていつまでですか?」

 いつまでって言われても、この先ずっとだ。モンキーの非力さにタンデムは合わないよ。モンキーじゃなくてもボクはタンデムが好きじゃない。バイクは一人で乗るのが良い。

「わたしはタンデムをしたくなっています」

 それは初鹿野君の好きにしたら良いよ。まあ、モンキーでやれば峠道を登れなくなると思うけどな。

「モンキーならそうですが、部長となら登れます」

 アホか! 物理法則に逆らってどうするんだ。竹やりでB29を落とせないぐらい知ってるだろ。ボクとタンデムなんかしたら、峠道どころか平坦路でもカメになるしかないだろうが。

 モンキーをタンデムにカスタムするのは不可能じゃないけど手続きはややこしそうだ。それに馬力の問題はどこまでも付いて回る。ボアアップキットはあるかもしれないけど、そんなもの使えば小型じゃなくなり、中型の手続きが必要になってしまう。

 あんなものどうやったら認めてもらえるか途方に暮れるような話だし、手続きをしないと違法バイクになるだけだ。そこまでモンキーに手間とカネをかけてタンデムするより、せめて250CCに買い替えるか二台持ちにした方が良いと思うぞ。

ツーリング日和22(第11話)江井ヶ島

 今日の初鹿野君とのツーリングもご近所だ。どうもツーリング動画で見つけたらしくての希望だ。あの人の動画はいくつか見てるというか、ボクがモンキーを買うキッカケになった動画でもある。あの動画の人はモンキーの他にスーパーカブとSR400も持ってるんだよな。

 だからって訳じゃないけど、スーパーカブで大阪から明石までのツーリング動画なんだ。けっこうな距離なんだけど、あの動画の人が住んでいるのは南大阪なんだよな。

「あの時刻から帰っています」

 もうかなり陽も傾いていたから家に着いたら夜になるはず。そこは編集でカットされたけどね。その動画にヒントを得たぐらいの企画で、今回は初鹿野君が下調べもしてるから先導だ。動画では国道二号で明石に向かってたけど、これはパス。

 定番の山麓バイパスから西神中央に快走。快走って言うか、モンキーにしたらチト流れが速いぐらいの道。それにアップダウンもそれなりにあって、五速じゃ全部走り切れないぐらいになる。西神中央駅のバスターミナルの信号で、

「左に行きます」

 この道は走ったことがないな。どうもニュータウンの住宅地の中の道で良さそうだけど、信号が多いのがちょっとな。それでも住宅地を抜けると森の中に。こっちの方がツーリング的には楽しいと思っていたら国道一七五号に出て来たな。なるほど、こうつながっているのか。

 そこからは国道一七五号をひたすら南下。第二神明を潜り、市街地をひたすら走ることになるのはしょうがない。やがて国道二号とクロスする交差点に出て来たけど、

「直進します」

 山電を潜って林小学校前となっている交差点を右折か。、

「林崎です」

 へぇ、そうだったのか。林崎って地名は知ってたけど、あれって林ってところの岬だから林崎と言うみたいだ。だから林小学校なんだろうな。この道って、

「西国街道になります」

 明石の本町通りから続いている道なのか。だが待てよ、西国街道の宿場は大蔵谷の次は大久保だったはず。

「ああそれですか。大久保に宿場が置かれたのは寛永年間のはずで・・・」

 よく調べてるな。江戸期に西国街道のルート追加があったみたいだ。従来と言うか、古代からの山陽道は今走ってるこの道だけど、内陸部に新ルートが出来たぐらいだろ。大久保宿の次が加古川宿だからショートカットでも狙ったのかな。

「西国浜街道と西国街道の関係みたいなものだと考えています」

 そんな感じだろう。だから国道二号が江戸時代の西国街道の本街道になったのだろうな。林崎の次が松江、その次が藤江か。藤江も聞いた事だけはある地名だけど、こんなところだったのか。わりと走ってから、

「次の信号を左に入ります」

 江井ヶ島港になってるものな。進んで行くと椰子の木が見えて来たぞ。道は右にカーブして海岸線だ。動画にあったシーサイドロードだけど、

「あそこの駐車場に入ります」

 たしかに海岸線沿いに椰子の木があるのが良い感じだけど、あははは、これだけなのか。駐車場は妙に立派なトイレもあってちょっとした休憩所みたいだけど、

「海水浴用に整備されたはずです」

 ここで海水浴をするのか。ちゃんと砂浜になってるから泳げるのだろうけど、なんかせせこましいな。だって駐車場の後ろは漁港だぞ。それでも景色は悪くない。淡路島も見えるし、明石大橋だって見えるからな。そうだな、それだったら、

「何をされてるのですか?」

 不要なところをトリミングすればウエストコーストに見えないかと思って。動画の人は時刻の関係もあって、ここから引き返してるけど、

「お昼にします」

 西国街道に引き返すのかと思ったら海岸線をさらに西に進み、橋を渡ったところで、

「ここにします」

 なになに明石江井ヶ島酒館だって。ながさわの系列店がやっているのか。よくまあ、こんなところで商売をやってると思うよな。レストランでランチにしたのだけど、ここって江井ヶ島酒造の関連施設になるはずだ。

 なんか学生時代を思い出す。大学に入ればまず何をしたかだけど、酒を飲むだった。もう時効だから白状するけどフライングだったけどそうだった。あれは酒を飲みたいと言うより、酒を飲むのが大人だって背伸びする感覚だった気がする。

「高校時代の子ども扱いから変わりますから、誰だって多かれ少なかれ背伸びする時代です」

 女のそれが化粧かどうかは男のボクにはわからないが、急に女の子が女性になって見えた記憶はある。酒も最初は宅飲みだが次は店で飲むだ。家で飲む方が安上がりなんだけど、あれは店で飲むことに意義があると思ってた。

 ちょうどボクが大学に入った頃に出来たスナックがあって、そこの常連みたいになったんだ。常連と言うか行きつけの店って感覚が誇らしかった気さえしてた。学生相手の店で良かったとは思うけど、そこで飲んでたのが江井ヶ島酒造の酒だった。

「日本酒だったのですか?」

 いやウイスキーだった。江井ヶ島酒造は日本酒の蔵元ではあるけどウイスキーも作ってるところなんだ。というか、当時は江井ヶ島酒造が日本酒を作ってるのを知らなかったけどね。

「美味しかったのですか?」

 あははは、忘れた。というかウイスキーの味なんてわかってなかった。あの時に価値があったのはウイスキーを飲んでいることで、それが美味しいとか、不味いなんて関係なかったんだよ。ウイスキー色したエタノール飲まされても区別できなかったと思うな。

 時効ついでの話だけど、そのスナックのマスターとは馬が合った。合い過ぎたかもしれない。いつしかマスターの家にまで招かれたぐらいだった。でね、マスターの奥さんのママが美人だったんだよ。

「それってまさかの」

 なりかけた。と言ってもボクがどうこうした訳じゃない。マスターが店のバイトの女の子と浮気しやがったんだよ。どうもママさんは浮気現場に踏み込んだか、出くわしたかで知ったようなんだ。たく、マスターも店でやるなよな。

 ママさんは怒った。そりゃ、怒るだろ。怒ったママさんが、なぜか呼び出したのがボクだった。晩メシに誘われたのだけどそこでマスターの浮気を初めて知ったぐらいだ。こんなに綺麗なママさんがいるのに信じられなかったよ。

「そのままリベンジ浮気に」

 あくまでも今から思えばママさんはその気だった気がする。あれは浮気現場を見た日だったはずだから逆上してたはずだ。だからボクが誘えばホテルにGOになってたと思う。でもマスターにも良くしてもらっていた友だちだから、裏切る気にならなかったんだよ。

「さすが部長」

 てな程のものじゃない。さっき上げた理由は建前だ。本当のところは単なるヘタレだっただけ。この辺はまだ童貞だったのもあったんだよな。実戦経験がなかったから、このままベッドに行っても自信がなかったのは確実にあった。

 でもあれで良かったと思ってる。あれから何があったかは知る由もないけど、マスターとママさんは離婚しなかったし、少なくとも大学卒業まで夫婦だったのは間違いない。もしあそこでボクが手を出していたら、話がもっとややこしくなってたはずだもの。

 すっかり忘れかけていたけど、江井ヶ島酒造と聞いてあの頃飲んだウイスキーを思い出してしまった。思い出の酒でもあり、青春のウイスキーでもある。

「また飲みたいですか」

 飲みたい気分はあるけど、飲まない方が良いと思っている。あれからボクも酒の味を覚えた。歳も取って味覚も好みも変わって来てる。どう考えたってあのウイスキーを美味しく感じるとは思えない。

 あれはあくまでも思い出の中のウイスキーなんだ。記憶の中の美酒としてもよい。それを現実化させても落胆と失望しかないよ。だから時々思い出して記憶の中だけで飲むのが一番良いと思う。

「ママさんは好きだったのですか」

 好きと言うより憧れだったかな。これは今もそういうところは残ってるけど、他人の奥さんは恋愛対象外にしてるんだ。当たり前か。それでも、もし結婚するのなら、あれぐらい素敵な人が良いぐらいには思ってた。もう会うこともないだろうな。

「ママさんもまた記憶の中の憧れの人に?」

 あれから何年経ってると思ってるんだ。ウイスキーの味は変わらないかもしれないが、人は変わる。ボクだって歳は取ったけど、ママさんもまた同じ歳月を過ごしてる。なのに学生時代の記憶のままで会っても良い事なんかあるものか。

ツーリング日和22(第10話)初鹿野君

 初鹿野君の新人教育はボクがやったんだ。あの頃はまだ場末のビルだったから、新人教育をするにもボクしかいなかったのもあった。ボクも経験者と聞いていたから、即戦力にしたくて、今の初鹿野君程じゃないけど、それなりにスパルタだったかな。とにかく戦力が一人でも欲しかったんだ。

 始めてみると優秀さに舌をひたすら巻かされた。基本業務ぐらいはあっという間に習得したし、社会人としての礼儀作法、ビジネスマナーについてはまさに完璧だった。ここまで出来るのならと、新人教育としてはどうかと思ったけど次のステップにも踏み込んでみた。

 あははは、何にも教えることはなかった。あれは既に知っていたよ。知っているどころのレベルじゃなく。そうだな、茶道で言えば表千家と裏千家の達人がすり合わせしているような感覚と言えば良いのかな。だってだよ、時々出る、

「なるほど、こういう時にはこうなのですか・・・」

 なんかボクの営業技術の裏を読まれている気しかしなかったもの。ただ不思議な点は多々あった。ロクに使える戦力が乏しいから、少しでも厄介な仕事になると初鹿野君と組むことも多かったのだけど、

「こうされれば・・・」

 おいおい、そんな手を知っているのかと驚かされた。だけどその手は当時の星雷社では使えないんだよな。

「申し訳ありません。わたしとしたことが・・・」

 この辺の感覚をわかってもらうのが難しいのだけど、あれは相当な規模の会社の営業、それもトップクラスの経験が無いと知りようがないし、使いようのない手法なんだ。当時は初鹿野君もその辺のギャップが出ていたとは思う。

 その辺もあの頃は、そんなものぐらいにしか思っていなかったけど、こうやって初鹿野君とヒョンな事からプライベートのつながりが出来てしまったから、妙に気になって来てる。そんな事をどうして初鹿野君は知っているかだ。

 初鹿野君には前職がある、だから中途入社なのだけど、それが磯辺商事なんだ。はっきり言えばボクも知らない無名の会社だ。そこが倒産したから星雷社に転職したのもわかるのはわかる。

 磯辺商事は実在してたし、そこが倒産しているのも確認した。企業規模としては当時の星雷社とドッコイドッコイぐらいだから、同規模の会社に転職したのも筋は通るのは通る。これは転職の一つの側面みたいなものだ。

 一昔、いや二昔前は就職と言えばイコールで終身雇用が当たり前の時代もあったが、今はキャリアを積み上げて転職をするのも増えて来てる。ヘッドハンティングもその類型の一つとして良いだろう。

 この転職のキャリア評価だが、当たり前だが前職の評価になる。どんな会社にいて、どんなポジションを占め、どんな業績を上げていたかだ。だから初鹿野君には悪いが、無名の磯辺商事で働いていただけでは横滑りの規模の会社に転職するのは妥当の見方だ。

 初鹿野君は磯辺商事に新卒で就職していた事になるのだが、初鹿野君は港都大卒なんだ。もちろん港都大卒と言っても必ずしも名の通った一流会社に就職できるわけではないのだが、いくらなんでも磯辺商事の気持ちは正直なところある。

 それより何より初鹿野君の持つ優秀さの基礎になっているのは豊富で分厚い経験だ。さらにその豊富な経験を実戦に即座に応用できる能力に秀でているのは、一緒に働けばよくわかる。

 だがな、あんな経験を磯辺商事で積める訳が無いんだよ。あれだけの経験を積むには相当な規模の会社で無いと絶対に無理だ。少なくともボクの前職ぐらい会社で無いと不可能なのはボクならわかる。

 そうなると経歴詐称疑惑が出て来る。先に断っておくと別にそれが問題になるわけじゃないぞ。会社が欲しいのは正しい経歴じゃなく、その優秀な能力だ。初鹿野君はケチの付けようのない赫々たる実績を積み上げているからな。

 経歴詐称だが、詐称までいかなくとも、それなりに経歴を盛るぐらいはやっているのは多いはずだ。それで転職活動を少しでも有利にしたいぐらいだ。職を得るのはそれぐらい大変だからな。

 だが初鹿野君がやったのは経歴をあえて落としているとしか思えない。だがここも謎が多すぎる。ボクが見るところ、初鹿野君は前職でもトップビジネスマンだったはずだ。なんらかの理由で転職をするにしても、場末の星雷社になぜ来たんだ。もっと良いところをいくらでも選べたはずなんだ。

 そうなると初鹿野君はわざと経歴を低くし、あえて場末の星雷社に転職したことになってしまうじゃないか。それはどうしてだの疑問が渦巻いてしまうことになる。誰が好き好んでそんな事をするかって話だ。


 とにかく謎の多い初鹿野君だが、女としての評価はどうかになる。独身で年齢は三十歳を過ぎている。いわゆるアラサーと呼ばれる年齢だが、この晩婚の時代だから余裕で若いとして良いと思う。

 だが浮いた噂の一つもない。これはボクと同様、下手するとボク以上にプライベートの付き合いをシャットアウトしてるのは確実にある。たとえば主任としてよくある、上司として部下を飲みに連れて行くなど、想像するのも難しいからな。

 そりゃ、誘われたら断ることなど不可能だろうけど、そういう素振りも見せないと言うより、誘う姿さえあり得るとは社内の誰一人考えもしないだろう。そこで楽しく飲ミニケーションなんて・・・天地がひっくり返ってもありえないのが初鹿野君だ。

 スタイルはどうかだけど、これはごく素直に悪くないとして良いと思う。細身の方だが華奢じゃない。あれは引き締まったナイスバディぐらいは言えるとは思う。ただ歩く姿にはクセがある。

 背筋をピンと伸ばしているのは良いのだけど、やや肩を揺らして歩くんだ。威風堂々ともいえるけど、口の悪い連中はノッシノッシだと言ってたな。そうなるのはガニ股の時が多いはずなんだが、そうは到底見えないからクセなんだろうな。

 顔はあまり言いたくない。ホントに言いたくない。少なくとも万人受けする美人ではない。これも口の悪い連中は、

「忍者ハットリ君」

 初鹿野君には悪いが良く特徴を捉えているとは思う。これは営業では威力を発揮している。笑うとなんとも言えない愛嬌になるのは知ってるからな。だけど、職場ではとにかくニコリともしないから凄みになるんだよ。この世であんなに恐ろしい忍者ハットリ君がいるかと思うぐらいだ。

 少し色恋の話に戻すけど、初鹿野君はとにかく怖がられてはいるけど、一方で非常に慕われてる不思議なキャラなんだ。その慕われようも崇拝レベルじゃないかと思うぐらいなんだ。

 あれだけ慕う者がいれば、誰か一人ぐらい崇拝が愛情に変わるのも出そうなものだと思うけど、噂にも聞かないな。もっともあの忍者ハットリ君で凄まれたら、そこにどうやったら恋愛感情なんて生まれるんだと言われればそれまでなんだが。


 ざっと初鹿野君のイメージを並べてみたけど、仕事ぶりはとにかく献身的だ。ボクと組んだ時だって、ここまでするかってぐらい働いてくれる。だから初鹿野君と一緒に仕事をするのは楽しいぐらいだ。

 だけどな、自分の手柄への関心が薄いところがある。誇らないどころか、いともあっさり人に譲ってしまうんだ。これでも言い足りないな。どうしても他人に譲りようがないものだけ、嫌々って感じで自分の業績にすると言えば良いのだろうか。

 これも不思議すぎるところで、誰だって自分の業績を積み上げて昇給なり、出世にしたいのがビジネスマンだ。そのために働いているとしても言い過ぎじゃないだろう。なのにあれだけ働いてるのに無関心と見えて仕方がない。

 だからって事になってしまうが、いわゆる勤務評定は目立って高くなっていない。そりゃ、そうだろ、あれだけ譲ればそうなるよ。けどな、ボクだって節穴じゃない。だから主任になってもらった。

 それに対する反発は皆無だったし、それでも評価が足りないぐらいにされてたで良いと思う。つうか、誰が初鹿野君の上に立って仕事などしたいと思うものか。もっとも初鹿野君はまったく嬉しそうじゃなかったけどな。とにかく不思議なところがあれこれあるのが初鹿野君だ。