ツーリング日和26(第5話)山陰道

 ツーリングで歴史をダイレクトに味わいたいのなら、やっぱり歴史街道だろ。そこには昔からの人々の足跡が残されてる。

「舗装されて残ってへんと思うで」

 そうなんだけど、昔からの街道の多くは今でも国道とか、県道として残されてるはずなのよ。路面は変われど、何百年、下手した千年も、二千年も前から同じ風景を人は見て旅してたはずじゃない。

「田舎に行くほどそうやろな」

 都市部だって山とかは変わってないところだってあると思うけど、田舎ならなおさらなのはそうだ。兵庫県だって歴史街道はあるのよ。

「西国街道は走れんで」

 あれも断片的には残ってると言うか、おおよそ国道二号のはずだけど、それこその都市部の市街地走行だけになるものね。だったらさ、南が西国街道なら北には山陰道があるはずよね。

「古代の山陰道で、江戸時代なら山陰街道やな」

 あの辺だったら昔の気分を味わえそうじゃない。

「それはそうやねんけど、山陰道なり山陰街道は歴史的にはマイナーやねん」

 あんまり有名じゃないのは同意だ。でもさ、有名じゃないからこそ残ってるはずよ。

「歴史の法則からそうなりそうなもんやけど、あそこはややこしいねん」

 古代の山陰道は七道の一つとして整備されて、京都から山陰の国々を巡る道だったそう。律令期の街道は国府をつなぐ道だから京都を出発してまず丹波に向かうよね。

「ああそうや、丹波の国府も諸説あると言うか、何度か移転したみたいやけど、おおよそ亀岡にあったでエエはずや」

 山陰道はおおよそ国道九号のはずだけど、

「国道九号は江戸時代の山陰街道のはずや。山陽道も山陰道も同じとこが多いけど、山陰道は福知山やのうて篠山に向かって進んどった」

 国道九号は福知山に向かうけど、山陰道は国道三七二号だったのか。今ならデカンショ街道って呼ばれる道だな。天引峠を越えて篠山に入り、鐘ヶ坂峠を越えて・・・

「そこもようわからんとこがある。まずやけど篠山まで来た山陰道から支道が出るんよ」

 これは丹波から丹後に向かう道だそうだけど、丹後の国府は宮津だったのか。

「篠山から北に向かうとなったら・・・」

 篠山は盆地なんだけど北側に屏風のように連なる多紀連山がある。ここは大雑把な分類だけど多紀連山の北側が奥丹波で、今なら丹波市になる感じ。山陰道はどこかで多紀連山を越えて奥丹波に入らないと行けないのだけど、

「篠山から丹後の国府があった宮津に向かう道は丹後支道ぐらいになるはずやねんけど、この支道は佐仲峠を越えてたそうや」

 そんな峠なんか聞いた事ないぞ。

「今でも県道二八九号やし、途中にある佐仲ダムはワカサギとかヘラブナ釣りで賑わってるそうやねん。そやけどな・・・」

 篠山側から佐仲ダムまでの道は悪いながらもクルマは通れるそうだけど、佐仲ダムから北側は荒れ放題なんてレベルじゃなくて、

「あそこまで行ったら険道どころかスーパー険道や」

 落ち葉が降り積もったり、木が倒れてるレベルじゃなくて、道路の上に土が堆積して、

「あそこまで行ったらオフロードバイクでも無理ちゃうか」

 さすがはユーチューブで、わざわざ行った人もいるけど、これって単なる山道でしょ。

「そやからスーパー険道や言うたやろ」

 春日から佐仲峠まではなんとかバイクなら行けたみたいだけど、そこから先になると人じゃないと到底進めるようなものじゃないよこれ。どこが県道だと言いたくなるぐらい。こりゃ、再び通れるようにする気はゼロだね。何十年放置してるのだのレベルだ。

 山陰道の丹後支道は春日に出て現在の国道一七六号ぐらいを進み、塩津峠を越えて福知山に入り、由良川を遡って、

「それは舞鶴に行く国道一七五号やねんけど、丹後支道は国道一七六号で与謝町の方から宮津に行ってるねん」

 えっとえっと、ややこしい。国道一七六号と国道一七五号は丹波市の氷上のところでぶつかって、福知山に向かうのは国道一七六号のはずなんだ。だけど実は国道一七五号と重複していて、再び福知山を北上したところで分かれるのか。それってまさかの酷道だとか、

「やったらしいねんけど、今はバイパスが整備されて走りやすくなってるらしいわ」

 へぇ、古代はこっちのルートで宮津に行ってたのか。旧国道も残ってるらしいけど、これが国道って言いたくなるぐらい狭い道なんだそう。宮津に向かう道はわかったけど、山陰本道は鐘ヶ坂峠を越えて、

「これがわからんねんけど、瓶割峠を越えたとなっとるねん」

 これもどこなんだになるのだけど、コータローがわからないとしてるのは峠の場所じゃないみたい。瓶割峠は江戸時代もよく使われていて。今でもハイキングコースとして整備されてるとかなんとか。

 地理的には鐘ヶ坂峠のほんの東隣ぐらいになるのだけど、この二つの峠が奥丹波に下りて来るところが問題なんだって。鐘ヶ坂峠は柏原に下りて来るのだけど、瓶割峠は春日の国領温泉の近くだそう。

「あの辺のルートは変わりようがあらへんはずやんか」

 だと思うよ。地形的な制約が大きいからバイパス整備でも行われない限り昔と同じはず。

「佐仲峠が下りて来るとこと1キロぐらいしか離れてへんねん」

 そんなに近いのか。春日のあたりもそれなりに平地が広がってるところなんだよ。山陰道は瓶割峠を越えてから西に向かったとしてる説があるみたいなんだけど、

「山陰道だけやったらそれもありやと思うけど、それやったら篠山で分岐せんでも春日で分岐したら済むやろ」

 峠から下りたところの間に山とかあればわかるけど、あの辺は平地だものね。でも文献的には瓶割峠なんだって。ちなみに江戸時代の山陰街道は鐘ヶ坂峠で良いみたいだけど、

「オレは古代も鐘ヶ坂峠やったと考えてるねん」

 地名の変動とか取り違えの可能性か。それはいかにもありそうだ。残されてる文献資料は地元の人が書いたのじゃなく、伝聞を基に京都とかにいた人が書いたはずだもの。ここはコータロー説を採って鐘ヶ坂峠で奥丹波に入らせてもらおう。

 峠を下ったところに駅家があるのだけど、これが星角駅って言うのか。なんかロマンチックな駅名だな。具体的にはどこにあったの?

「豊岡道の氷上ICの近くらしいわ」

 市辺遺跡というらしいけど、郡衙もあったんじゃないかと推測されてるらしい。今もあの辺りはロードサイド店が集まってるけど、昔から街があったとはちょっと感心したかな。あの辺も平地が広がってるから奥丹波の中心だったかもしれないな。

 そこからは丹波の森街道の県道七号を北上して青垣にあったとされる佐治駅に続くって感じになっていたそう。ちなみにその辺は加古川の支流である遠坂川が作った谷間になっていて、この辺を遠阪谷と呼び峠を遠坂峠と呼んだとか、なんとか。

 そうなると山陰道は遠坂峠を越えて丹波から但馬に入ってたことになるのか。だったらさ、江戸時代の山陰街道もそうだったの?

「いや、国道九号沿いのはずで、夜久野高原を越えて但馬に入っとる」

 なるほど福知山からならそうなるか。それでも二つのルートは和田山では合流する感じだね。江戸時代に福知山経由になったのは福知山の街が大きくなったからで良いと思うけど、そうなれば遠坂峠を越える山陰道は衰えちゃったの。

「とも言えんみたいや」

 但馬から京都や大坂に向かうには和田山からになるけど、距離ならどっちもどっちぐらいだよね。ただ実感としたら山陰道の方が近いとか、但馬の人なら昔からの道だから馴染みがあるとかあるかもしれない。

 その辺の理由の最後のところはわからないけど、江戸時代でも二つの街道は使われたみたいなんだ。だからわざわざ遠阪トンネルを掘ったり、豊岡道を通したりしてるのかも。

「遠阪谷も含めて青垣になるんやが、かなり栄えとったらしいで」

 これも、はぁ? てな話だけど、青垣と福知山は地理的な結びつきが強いって言うけど、二つの街を結ぶルートって国道四七九号で、シニクとまで呼ばれる酷道じゃない。

「榎峠は今でも難所やねんけど、あそこをバスが通っとった時代には『福知山の居酒屋は青垣でもつ』ってまでされとったらしいねん」

 青垣の祭りには福知山からも見物客が押し寄せたとか。

「そやから榎峠のとこもトンネルでぶち抜くのが決まっとる」

 そこまでするんだ。国道整備の一環と言われればそれまでだけど、青垣と福知山だぞ。ホントに申し訳ないのだけど、同じ県内だけど、青垣と言われてピンと来るのは少ないと思うのよ。今だって、

「丹波市のハズレやもんな」

 とくに千草みたいな神戸に住んでたら、青垣は県内だけど、福知山は京都府じゃない。完全に別地域って感覚だけど、

「住んでる人にしたら同じ丹波の人間なんやろな」

 きっとそうのはず。こういうのこそ街道に歴史ありみたいなものだよ。福知山が栄えたのは光秀が福知山城を築いてからになるはずだから、福知山の発展のために青垣からも人が移ったんじゃないかな。

「それはあるかもしれんわ。移っても青垣は故郷の感覚は残るもんな」

 田舎者ほどそれにこだわり続けるのは良く知ってるよ。それも福知山の最初の頃は他所者として見下されていたというより、むしろ青垣から来てやったでブイブイ言わせてたかも。青垣から見れば福知山は新興都市も良いとこだったはずだもの。

 それから何百年って話にはなるけど、心の奥底には青垣と福知山は兄弟とか親戚みたいな意識がある気がする。そうじゃなければ、榎峠のトンネルを地元の悲願なんかにしないと思うもの。

ツーリング日和26(第4話)歴史の授業のボヤキ

 コータローには歴史趣味はある。

「千草かってあるやんか」

 それこそ夫唱婦随の賜物だろうが。こんなにも夫であるコータローに趣味を合わせてやってるんだから感謝しろ。

「ホンマは嫌いやったんか」

 学校の歴史の授業は大嫌いだった。だってさ、あんなもの純粋の暗記科目じゃないの。試験の問題だって、知ってるか知ってないしかなくて、考えるなんて部分はないじゃないの。それもだぞ、

「わかる、わかる。ああなったのは過去問対策もあるとは思うけんど、大学入試レベルなんかキチガイみたいな問題が出て来よる」

 短大でお茶を濁した千草と違ってコータローはガチの大学入試をやってるものね。大学入試となるとどの科目だって過去問を覚えるのは基本中の基本ぐらいは知ってる。過去問を知ることで、いわゆる傾向と対策を練るってのもあるはず。

「過去問対策は大学側もやるけど、暗記科目はとにかく煮詰まりやすいねん」

 コータローに言わせると歴史を担当するような教授なり教官は歴史が好きなんだろうけど、好きすぎてスノブになってるんじゃないかって。

「有名な奇問珍問にボストン茶会事件があるねん」

 ボストンってアメリカだよね。そこでのお茶会でなにか事件が起こったとか。

「ざっとだけ言うとくと・・・」

 アメリカ独立運動の引き金になった事件だそうで、イギリスの植民地支配に反対する人々が港に停泊していた船を襲って、積み荷であるお茶を海に放り捨てた事件だそう。大学受験に世界史を選ぶような者ならそれぐらいは常識らしいけど、

「そういう設定やったらどんな問題にする?」

 う~んと、まずは事件が起こった年だろ。それと、うんと、うんと、アメリカ独立運動は世界史の中でもトピックのはずだから、事件名を問うのもあるはずだ。

「受験生からしてもそうや。そやけどな、試験問題で問われたのは、その時に何箱捨てられたかやねん」

 はぁ、はぁ、はぁ。捨てられた箱の数って無理難題も良いところじゃないの。そんなもの知ってた人はいるの?

「とりあえず答えは三百四十二箱や」

 こういう難問奇問は、その問題が答えられないのも困るけど、そのクラスの重箱どころかスノブの極北みたいなものを出題されたことだって。

「だってそうやんか。捨てられた箱数まで問われたら、次は捨てられた茶の量とか、何人が事件に関わったとか、その中で何人がモホーク族の格好しとったとか、捨てるのに何時間かかったとかや」

 あのねぇって言いたいけど、箱数まで問われるとなると傾向と対策としてそこまで覚える必要が出て来るってことか。でも、そうなるとどこまで覚えろって話になるじゃないの。

「ボストン茶会事件の捨てられた箱数なんか、関ヶ原の後の秀頼の所領より奇問珍問やと思うで」

 関ヶ原の前まで二百二十万石ぐらいあったそうだけど、これを六十五万石に減らされてるのか。つうか、そんなもん、

「秀吉が天下を天王山の時に中国大返しをしたのは受験生やったら誰でも知っとるけど、あれが何日やったかとか、光秀の三日天下はホンマは何日やったとかクラスや」

 そこまで聞かれたら、

「歴史の教科書の欄外から、画像のキャプション、こぼれ話的なもんまで根こそぎ暗記の対象になってまう」

 試験ってさ、授業をどれだけちゃんと受けたかを試すものだと思うのよ。だから満点を取れば授業の成果として、出題する方も満足しそうなものだけど、

「そうのはずやねんけど、出題する方からしたら満点を取られたら恥ぐらいの意識もあるで」

 入試問題なら差を付けないといけないからとくにそうかも。全員が満点じゃ試験で振り分けられないものね。

「そやから千草みたいな歴史授業嫌いが量産されるんや」

 そうなる。ひたすら無味乾燥な暗記地獄教科だもの。

「歴史はな無味乾燥やないねん。人が織り成すドラマやねん。オレに言わせたら歴史の流れを感じてくれたら十分やねんよ」

 でも受験科目だからね。

「そやな、歴史ドラマとか歴史小説読んで、それがいつぐらいの時代の話か、登場人物がだいたいやけど、ああいう人物であったはずぐらい知っとったら十分やんか」

 それぐらいは知ってないとドラマも小説も楽しめないよね。もっとも、それを言い出せばの反論はテンコモリだろうけどね。千草の場合は学校の授業の歴史にはウンザリしたけど、試験から解放されてから好きになったかな。だってさ、だってさ、観光と言えば名所旧跡巡りみたいなものじゃない。

 その時に何時代に誰が作ったとかの説明があるけど、これがまったくわからなかったら、タダの古い建物とか、古びた物にしか見えないじゃない。でもさ、ちょっとでも知ってると全然見え方が変わってくるじゃないの。

「それでエエと思うねん。歴史ってな、過去の出来事の暗記やないねん。過去は今に繋がってるねん。過去から今につながって行く時の流れ、ダイナミズムを感じて楽しむもんやと思うてる」

 おっ、良いこと言うじゃない。そんな歴史として覚えるなら千草だって楽しいんだよ。これこそ夫唱婦随だろ、ああなんて千草は貞淑な妻なんだ。こんな素晴らしい千草を嫁に出来た幸せを死ぬまで感謝しろよな。

 ツーリングもそんな歴史の息吹を感じれたら嬉しいのだよね。だからさ、そういうところを探してよ。県内だって千草が知らないだけでまだまだあるはずよ。

「オレかって知らんとこはなんぼでもあるわ。そやけどな、歴史かってメジャーとマイナーがあるやんか」

 どうしてもね。たとえばみたいな話だけど、兵庫県にも立派な城はある。千草の故郷にだってある。今は殆ど何も残ってないような城だけど、

「考えようによっては県内で歴史的には一番有名な城かもしれん」

 一番かどうかは地元の人間の思い入れもあるけど、歴史の教科書にも出て来るぐらいは余裕で有名だし、大河ドラマにだって、

「太閤記関連やったら必ず出て来るぐらいや」

 どうしてそうなのかは城を攻めて落としたのが秀吉だから。ここから鳥取城、備中高松城と進んで行って本能寺が起こり、天下分け目の天王山の戦いに続くのよね。

「姫路城は日本を代表する大城郭やし、あれだけのもんが今でも残っとるのは日本の宝物や。そやけど、歴史的にはあんまり価値あらへん」

 価値は無いは言い過ぎだけど、歴史の流れとか、動きとかに関わっていないのは確かだもの。

「丹波は光秀が攻めたんがアンラッキーやったよな」

 それはあると思う。あれだって、

「天王山で光秀が勝っとったら変わったかも」

 そんなことをあれこれ考えるのが楽しいのが歴史だと思ってる。

ツーリング日和26(第3話)ツーリングの楽しみ

 将来のことは置いとくとして今の愛車はモンキーだ。モンキーはね、コータローを引き合わせてくれただけじゃなく、あきらめていた花嫁にもしてくれたんだ。だからモンキーは愛車と言うより愛の車、愛のバイクなんだ。そんなモンキーに乗ってコータローとするツーリングはまさに愛の行為だ。

「そんなん言うけど、バイクに乗って愛の行為なんて出来へんで。世の中にゼロとは言わんけど」

 あのな、そんな状況で誰がやるもんか。見世物じゃないんだから。そもそもだぞ、もしやるとしたら前からじゃ無理だ。

「そやな。千草が跨ったら前が見えへんもんな」

 前方の視界を確保しようと思えば後ろからになるけど、あんなもんぶち込まれながら運転なんか出来るか!

「そうやな。オレが運転するにもやっぱり千草が前に跨るから視界が悪いわ」

 コータローは入れながら運転できるって言うのかよ。そもそもだぞ、そんなアクロバチックプレイを追求しなくても普通にベッドで励めば良いだけじゃない。まさかと思うけどコータローはもう倦怠期に入ったとでも言うの!

「自分を誰やと思うてんねん。千草やぞ、そんなもん百歳になっても毎日ヒーヒー言わしたるわい」

 そこまでは無理だろ、

「老いらくの恋を知らんのか」

 それたぶん使い方を間違ってるぞ。そんな事はともかく、どこにツーリングに出かけるかが今日の話題なんだよね。

「どうしても行ける範囲の制限の出て来るのがモンキーや」

 ツーリングは道路さえ走れば出来るようなものだけど、だからと言って近所へ買い物に行くのをツーリングとは言わないのよね。ツーリングの楽しみとは走る楽しみになるのだけど、走って気持ちの良いところじゃないと話にならないもの。

 市街地の信号地獄なんか仇敵にしかならないってこと。神戸に住んでるから、そういう道に出るまでの市街地走行はどうしようもないにしろ、市外に出てからだってバイク乗りが走りたい道はどうしたって限られる。

「クルマのドライブより狭いかもしれん」

 う~ん、そこはどうだろ。ドライブもツーリングも似たところがあるけど、やはり同じじゃない気がする。どっちも道路を走って楽しむ点では共通してるけど、バイクの方が走れる道の範囲が広いんじゃないかな。

 その差として大きいのはサイズだ。とくに横幅。軽自動車でも横幅は百四十センチあるんだよ。5ナンバーなら百七十センチになるし、大きなワゴン車になると百八十五センチもある。大型トラックなんか二百五十センチだ。

「バイクやったら、一番大きくて百センチぐらいやろ」

 ちなみにモンキーで七百五十五ミリだけど、大型バイクの平均でも七百七十ミリぐらいなんだって。バイクは大きくなれば重くなるし、長くなるけど人が乗って運転するものだから、ハンドルの幅は巨大化しないはず。

「あんなもんが二メートルもあったら運転できるか!」

 バイクの車幅はイコールでハンドル幅だから軽自動車の半分ぐらいとして良いかな。そうなると同じ道幅でも感覚はかなり変わってくる。

「すれ違いのプレッシャーも軽くなるで」

 狭い道で嫌なのはすれ違いだものね。言うまでもないけどバイクだって広い道の方が嬉しいけど、狭い道を走るというか、狭い道を楽しめる範囲が広いと思う。それだけじゃなく、

「狭い道はクルマが嫌がるから空いてるのもある」

 結果的にそうなる。ツーリングで求めるものに快走があるんだよ。快走ってぶっ飛ばせるって意味も含まれてるけど、それだけじゃなく信号が少ないとか、

「クルマが少ないのはある」

 クルマの後ろを走るのは嬉しくないものね。もちろん不可避の部分はあるけど、出来ればいない方が理想だ。クルマだってそうだろうけど、信号が少なくて、空いている道だってちょっと困るのはいる。

「こんな道で堪忍してくれってクルマはおるもんな」

 交通法規を守るのは良いことだと思うし、千草だってなるべく守って走ろうとはしてる。でもさぁ、それでもって道があるじゃない。それを言うとツッコンで来るのが多いからこれぐらいにしとく。ともかく快走路を求めると抜け道、裏道を探すことにはなる。そういう道は、

「カントリーロードや」

 人が多く住むところはクルマも増えるものね。とはいえ裏道、抜け道がすべて快走路になるかと言えばそうじゃない。今どきの事だからあれこれ事前に調べる手段はあるとは言うものの、

「実際に走らんとホンマのとこはわからん」

 快走路を求めて走るのがツーリングの本質だけど、ここからは趣味が分かれて来るところはある。一つはひたすら走る派だ。

「それは分かれる言うより、楽しみ方の差や」

 ツーリングはたとえ日帰りでも旅だと思ってる。千草は旅に目的が欲しい派かな。そりゃ、バイクで快走路を走るのがツーリングの本道と言っても、そこになにかプラスアルファが欲しいぐらい。

「ダムマニアはわりとおるで」

 みたいだね。マニアとまで言わなくても目的地とか立ち寄るところにダムを設定している人は多い気がする。ダムにはダム湖がセットで付いてるからレイクサイードツーリングも追加される感じかな。

「ダムがあるようなとこは景色もエエからな」

 他にはグルメツアーも盛り込んでる人も多いかな。この辺はバイク乗りだから、ラーメン屋とか、そば屋とか、リッチして坂越のカキなんてのもある。ココロはバイク乗りのファッションでもTPO的に問題がないところぐらい。

「アイスクリームとかもあるで」

 あるあるだ。暑い時期のツーリングでアイスクリームが待ってると思うだけでテンション上がるもの。とは言うものの、ここで行動半径の縛りがネックとして出て来る。

「日帰りやったら二百キロが一つの目安になってくるわ」

 二百キロ走ろうと思ったら下道ならだいたいだけど七時間は見ておく必要がある。もちろん走る道によって変わる部分はあるけど、これがおおよそ一時間に三十キロぐらいなんだよね。

「なかなか四十キロに届かんからな」

 実際に走って見るとそんな感じなんだ。この時間には休憩だとか、お昼ご飯を食べたり、ちょっと観光を楽しんだりも含む時間だよ。もちろん二百キロ以上を走る人だっていくらでもいるけど、そうだね、三百キロになるとかなり根性がいるものね。

「若桜まで行って三百キロちょっとぐらいや」

 もうちょっとあっただろうが。あの時はコータローが給油を粘り過ぎて、千草の生理現象がなかったらガス欠になってたぞ。

「あれはヤバかった」

 それ以上に千草の生理現象もヤバかった。

「そやけど高速走れても日帰りの限界は言うほど変わらんぞ」

 それはツーリング動画を上げてる人を見ればわかるのよね。あの手の動画は、こんなところを走りましたってなるのだけど、十回ぐらいでタネが尽きてる人が多い気がする。これは見ようなんだけど、

「基本は日帰りやんか。住んでるとこからやったら、それぐらいしかお勧めコースが無いとも言えるんちゃうかな」

 動画に上げるぐらいだから、手持ちの中でも良い方だと思うけど、それでもそれぐらいって見えないこともない。

「何回も同じコースを出せんやろしな」

 見る方からしたらそうだし、上げる方だってそうなりそう。高速を使えば行動半径は広がるけど、お勧めできるコースとなるとそれぐらいで手持ちが終わってしまう気がする。でもさ、でもさ、ツーリングの楽しみとして見知らぬ道を走るのは絶対にある。

「UFOラインとかしまなみ海道、やまなみハイウェイや、ミルクロードか」

 あれは良かったなんてものじゃなく、まさに感動だった。バイクに乗っていて良かったと思ったもの。この道を走るために生きていたんだと思ったぐらい。さすがは全国でも屈指の名ツーリングコースと思った。でもさぁ、あんなところがお手軽にいくらでも転がってる訳じゃないのも現実だ。

「家から行けるところは限られてまうもんな」

 それをなんとかするのがコータローだろうが。なんのために千草の夫をやらしてあげてると思ってるんだ。

「夜は頑張っとるが」

 あれは満足してる。でもあれはあくまでも夜の話だ。千草の夫なら昼も満足させろ。

「昼もやるんか」

 そうじゃない。千草はそこまで助平でも淫乱でもない。そりゃ、千草の体はコータローに染められた。あれも相性と言うけど、コータローとの相性はこの世で最高だと思ってる。けどね、あれだけが夫婦の楽しいのすべてじゃないだろうが!

「だから朝から・・・」

 そのために朝から裸エプロンの要求を持ち出すな。たく千草の裸エプロンを想像するだけで欲情する変態はこの世でコータローぐらいしかいないぞ。

「もう一人欲しいんか」

 いらないよ。そういう趣味は千草に無い。千草があれを好きにさせられたのは認めるよ。そうしやがったのはコータローなのも認める。けどね、千草は愛する男以外は絶対にNOだ。千草が体を許して良いのはコータローだけだ。

ツーリング日和26(第2話)LUUP

 モンキーは小型バイクだから高速も自動車専用道も走れないのはやはりネックにはなるのよね。だからと言って、

「オレは一五〇CCに乗るやつの気がしれん」

 難しい問題だけど、それだったら中途半端な気がするのは千草もそうだ。一五〇CCになれば高速だって自動車専用道だって走れるメリットはあるし、

「原付二種の十五馬力の自主規制からも外れるやろうけど」

 その代わりのデメリットも大きくなるものね。単純には維持費の増大だ。たった二十五CCの差と言っても、一五〇CCになれば中型に分類されてしまう。それだったら、

「素直に二五〇CCに乗ったらエエと思うねん」

 千草もそう思う。ここも二五〇CCになれば重くて大きくなるからは出て来るとは思うけど、この辺のメリット、デメリットの受け取り方は人それぞれだから構わないけどね。一五〇CCはともかくLUUPはどう思う?

「あれやったら電動チャリでエエと思うた」

 千草もそう。見かけたことあるけど、なんか無理があるのよね。

「オモロそうには見えるし、使い方次第やと思わんこともないけど、あんなもんよう認可したもんや」

 コータローもLUUPに魅かれた時期があったのか。あの手の乗り物は電動スケボーとして昔からあるものね。もしかしてバック・トゥ・ザ・フーチャーの影響とか?

「千草も若いと思うたが・・・」

 同い年だ! コータローが目を付けたのは電動じゃなくエンジン式だったのか。

「それもガソリン式とガスボンベ式があって、ガスボンベはカセットコンロのやつやねん」

 そんなのがあったのか。スタイルはキックボードでハンドル付きって言うから、今のLUUPに近いよね。

「そうやねんけど、まだ認可されてへんから、公道を走るために・・・」

 シートが必要なだけではなくウインカーもあり、要するに原付一種として認められるようになってたぐらいで良さそう。コータローはガスボンベ式にかなり魅かれたみたいだけど、

「高いのもあったし、やっぱり走れへんねん」

 モンキーも非力だけけど、そんなレベルじゃないよね。峠道どころか、街中の登りでも苦戦するレベルだったで良さそうだ。

「それやったら素直に原チャリのスクーターでエエやんかになったぐらいや」

 コスパ考えるとそうなると思う。LUUPの欠点は誰もが感じてるけど、タイヤが小さいし、ホイールベースだって短いし、

「立って乗るから重心高いやんか」

 タイヤが小さいとギャップに弱いのよね。舗装路だって荒れてるところは少なくないし、モンキーでもギャップにヒヤッとする時は幾らでもあるもの。ギャップに引っかかるとどうしたって前に重心がかかるから、

「転ぶどころか前に吹っ飛ばされるわ」

 なると思う。バイクだってと言われそうだけど、バイク乗りからみても危なっかしい乗り物に見えて仕方ないのがLUUPだ。

「手軽さは認めるけど、やっぱりあんなもんよう認可されたと思うてるわ」

 それは千草も思った。似たような乗り物が前にあったじゃない。なんだっけ、車輪の二つの上に乗って走るやつ。

「セグウェイやろ。あれも公道は走れんかったな」

 良くも悪くも新しい乗り物について警察は保守的だけど、LUUPは突然浮上して、あれよあれよと認可されちゃった感じだった。あれって、

「誰がどう見たって政治の力や。政治がゴリ押しした時は札束が動いとる時やろ」

 そうなるよね。それでも認可されちゃったけど神戸じゃあんまり普及しない気がする。

「そうなるわ。神戸は東西こそフラットやけど、南北はひたすら坂の街や」

 電動チャリでも苦戦する坂はいくらでもと言うより、普通にあるもの。この先どうなるかぐらいの話だけどね。LUUPは興味もないからこれぐらいにして、バイクも電動化するの?

「長い目で見たらそっちに動きそうやけど、クルマかって苦戦中やんか」

 一時は猫も杓子もみたいな勢いだったけど、頓挫というか足踏み状態に戻ってしまった感じかな。やっぱりまだ不便だよ。

「リチウムイオン電池は偉大な発明で、あれでEV車への道が開かれたところはあるけど、同時にEV車の限界になっとるからな」

 そんな感じだと千草も思った。それでも十年単位で見たらEV化へは進んで行きそうだとは感じてる。あそこまでEVにこだわりまくる理由が千草にはわかりにくいのだけど、

「カネと政治やろ。世の中はカネの臭いがするところに人が集まり、動かしていくのは今も昔も変わらへん」

 こっちはなるようになるのを受け入れるしかないけど千草はモンキーが好きだ。

「オレもや。やっぱりガソリン燃やして走るエンジンが好きやねん」

 その時が来ればその時だ。そうそう、ホンダのなんだっけ、

「Eクラッチやろ」

 あれはどうなの?

「わからんな。クルマ乗りに比べてバイク乗りは保守的やからな」

 オートマの一種で良いと思うし、あれはあれで便利そうではあるけど、別にクラッチで良い気もするのよね。サーキットでタイムを競うレベルなら違うだろうけど、公道でオートマにそんなにしたいのかな。

「ホンダは昔からバイクのオートマに熱心やねん。クルマがそうやからバイクもそうなるはずの見方やろ」

 日本で最初にクルマにオートマを搭載したのがホンダで、その時にバイクのオートマも発売してるんだって。クルマのオートマは今に至るで良いけどバイクは、

「さっぱり売れんで、今では珍車扱いや」

 それでもホンダはあきらめずEクラッチもそうだけど、デュアルクラッチなんかもあったはず。

「とりあえず自動遠心クラッチは大成功やし」

 スクーターはVベルトだものね。けどさぁ、けどさぁ、スクーターとかカブはともかく、バイク乗りってクラッチをそんなに苦にしてないと思うよ。

「そうなんよな。クラッチ操作も含めて楽しみぐらいに思うてるのは多いで。なかったら寂しいぐらいや」

 そこからコータローは独り言のように言ってたけど、クラッチは体が覚えてしまえば運転している時には意識も無いぐらいだけど、初めてバイクに乗る人にはかなりのハードルになるだろうって。

 千草は教習所で免許を取ったけど、それはわかるのよね。千草だって最初はエンストやらかしたし、見てるといつまで経っても発進できないのはいたもの。ここでだけどさぁ、バイク人口は八十年代ぐらいに較べると一割ぐらいに減ってるのよね。

 メーカーにしたらとにかく免許を取ってくれないとバイクが売れないから、より取りやすいAT免許を次の主戦場と考えてるのじゃないかって。モンキーみたいなカブエンジン派生型の車種展開もATが多いものね。それでもね。千草はクラッチも好きなんだ。

「オレもや。気が合うな」

 合わないのなら離婚するぞ。

「心配せんでも墓まで一緒や」

 当然だ。誰が逃がしたりするものか。

ツーリング日和26(第1話)マスツー派

 十八年ぶりに開かれた中学の同窓会で幼馴染のコータローと出会い、結婚までしてしまった千草だよ。

「あのなぁ、なんか人生の大失敗をしてもたような言い方はやめてくれるか」

 今のところは成功と思ってるから安心してね。同窓会で再会して焼けボックイに火が着いた理由の一つが共通の趣味だ。二人ともバイク乗りで、なおかつ愛車がモンキーだったんだ。

 これはモンキーが共通しているというより、乗っているのが小型バイク同士である点は大きいんだよね。バイク乗りにもソロツー派とマスツー派がいるけど、千草はマスツー派になるかな。

 もっともマスツー派も幅が大きくて、ツーリングでも出会うことがあるけど、十台かそれ以上の大集団のマスツーをするのは割といる。

「ハーレー軍団は迫力あるよな」

 駐車場で出くわしたりしたら、どこか圧倒される気分になってしまう。なんだかんだで見た目の迫力もあるし、

「ハーレー乗りって独自のファッションしとる気もする」

 もちろん全員がそうじゃないけど、革ジャン、ロングブーツってイメージはあるのはある。ぶっちゃけ、イージーライダーの世界。

「見たことあるんか」

 あるはずないでしょうが。千草を幾つだと思ってるんだ。

「同い年やから便利でエエわ」

 マッドマックスのスーパーソフトバージョンならどうだ。

「余計にわからんようになるで」

 ハーレー乗りは置いといて、千草はあそこまでの大集団のマスツーはパスだ。というかさ、マスツー派の終着駅がツーリングクラブだと思ってる。

「終着駅って言い方にトゲあるけど、まあ、そうなるわな。そやなかったら、あれだけの大集団が出来上がらへん」

 二十台以上はいそうな大集団もいるのよね。それもハーレー軍団と違って色んなバイクが混じってる。リッターから二五〇CC、スポーツタイプからアメリカン、オフローダーまで混じってる感じ。

 大昔なら学生なら集められたかもしれないけど、今のバイク人口じゃ無理だろ。社会人ならなおさらだから、あんなに集まるのはツーリングクラブしかないと思う。道の駅で出会ったりしたら壮観だもの。

 終着駅かどうかは置いといても、あれが大規模マスツー派の一つのゴールに見えなくもない。そういうマスツーの楽しみを追求するのは悪いと思わないよ。でもさぁ、でもさぁ、ああなるとある種の組織じゃない。

 組織となれば統制があるし、ルールだって出来る。なければあれだけの大集団のマスツーなんて出来るはずがない。

「あそこまでの大集団になったら団体旅行みたいなもんや。ツアコンがおってガイドさんが旗振らんとツーリングにならへんと思うわ」

 大集団になると一番遅いのにペースを合わせないとバラバラになるじゃない。それだけじゃなく、団体旅行並みのツーリング計画だって必要になるはず。

「そうなるわな。休憩ポイントとか、給油ポイント、昼食をどこで取るかとか」

 故障とかのトラブル対策だって考えておく必要はあるじゃない。今は走行中にインカムで連絡も取れると言うけど、大集団になるとそれだって大変なはずだもの。そういうツーリングになるのが大規模マスツーだろうし、それが好きだからやってるのも良いのだけど、

「何が言いたいねん」

 だから組織だって言ってるでしょうが。人の組織ってね、数が増えれば必ず変なのが混じるのが宿命みたいなものじゃない。会社だってそうだよ。どうしたって、気が合わないのとか、嫌いなのだとか、ぶっちゃけ、役立たずだっているでしょ。

「そ、それはそうや。ほんでも、そんな連中と付き合っていくのが社会人やんか」

 良く言うよ。そういう付き合いを鬱陶しがってフリーターになってるのがコータローじゃないの。

「フリーターやのうてフリーランスや」

 似たようなものだ。変なのがいても付き合っていくのが社会人なのはコータローの言う通りだけど、会社とツーリングクラブではだいぶ色合いが違うじゃない。会社の場合は統制を乱し過ぎるとこれを制裁するメカニズムがあるでしょ。

「まあ、そうや。会社の利益を損なうやつには左遷とか、降格とか、減給とか、クビまであるわ」

 けどさぁ、ツーリングクラブってしょせんは同好会程度の統制なのよね。マスツーの和を乱すのがいても、せいぜい注意するぐらい。注意して聞かなくても、それを咎める権限がないじゃない。

「よほど酷かったら除名とかもあるやろうけど・・・」

 その『よほど』が相当なレベルになると思う。

「まあ、そうなるわな。そやけど、それはどこの組織でも・・・」

 そうなんだけど、そうなだ、会社員と比べたらわかるじゃない。会社にも変なのがいるけど折り合って我慢して付き合う目的がある。表向きは会社のためだけど、ぶっちゃけで言うとお給料のためだ。

 人はおカネのために生きてるのよ。会社とはおカネを稼ぐ機関みたいなものだから、機関を動かすために嫌な奴と思っても我慢するのじゃない。

「パワハラ上司とか、セクハラ野郎とか、モラハラ爺とかやな」

 嫌味女とか、サボり女とかもね。けどさ、ツーリングクラブで我慢して得られるメリットってマスツーの楽しみだけじゃない。さらに言えば、肝心要のマスツーの楽しみを邪魔するのが出て来るじゃない。

「なるほどな。オレ様ルールを振り回すのは必ず出て来るもんな」

 ウンザリさせられるオレ様ルールも幾つもあるけど、遅刻野郎は絶対に混じってくる。会社なら遅刻はペナルティが下るけど、プライベートならヘラヘラ笑って済ませやがる。遅刻野郎のとにかくタチが悪いのは、遅刻が悪いなんてまったく思っていない点なんだよ。

「遅刻野郎は他の連中が迷惑しているのなんか死ぬまで理解できへん人種やもんな。オレもその手の人種を知っとるけど、ほんまにタチ悪いわ。そやから何とかタイムが暗黙のルールとしてあったりするぐらいや」

 あるあるだ。なんとかタイムだって、それで許している訳じゃないんだよ。あれは呆れてあきらめた代物だ。それだけでもエエ加減ウンザリも良いところなんだけど、遅刻野郎は自分が悪いなんて1ミリグラムも思ってないのに腹が立つ。

 遅刻野郎の存在はその日のスケジュールを狂わすじゃない。狂えばその日の計画が思っていた通りにいかなくなる。原因は遅刻野郎が初っ端から時間を浪費しやがったせいなんだけど、

「おるんよな。それだったらもっと早く出発すべきだってな」

 アホか。全部てめえが遅刻しやがったせいなんだけど、

「どうしてもっと早く来れるようにしなかったんだってな」

 てめえが遅刻したせいだろうと言っても、

「ちゃんと起こさなかったお前らが悪いって平然と言いだすんだよな」

 自分を絶対免責にしてやがるからひたすら他人の責任にしやがりまくるんだ。お前を中心に世界が回ってるじゃないと言い返したところで馬耳東風、カエルの面にションベン。

「その時に不承不承で黙らせても次もいつものように遅刻しやがり、不満を並べまくるもんな」

 遅刻野郎もウンザリなんてものじゃないけど、グチグチ野郎もヘドが出る。それなりの人数で食事をすれば全員の最大公約数的なとこに行くじゃない。だって好き嫌いはあるし、懐具合も様々だもの。

 けどさ、最大公約数的なところって、逆に言えばどこか不満は残るともいえる。それを我慢するのがマナーなのに、まあ、これでもかと言い立てるのがいる。やれ不味いだの、量が少ないだの、高いだの、サービス悪いだのってね。

 それもだよ、店に入ってから出るまでだけじゃなく、お出かけ中もずっとグチグチ、グチグチ言いやがるんだよ。あんなものずっと言われ続けたら気分が悪くてしょうがない。

「おるおる、だったら来るなと言いたいけど、なんだかんだと潜り込んで来やがるんだよな」

 そうなのよ。あれってさ、グチグチ野郎は、グチグチ言う事で自分のストレスを吐き出してるのかもしれないけど、聞かされる方は堪ったもんじゃないもの。そんなにグチグチやりたいなら自分の部屋で一人でやれと言いたいよ。

「それわかるで。お前のグチグチを聞きに来てるんちゃうからな」

 オレ様ルール野郎は問答無用で唯我独尊なんだけど、

「オレに言わせたら、てめえ以外が我慢してやってるから存在出来てるだけやから死ぬほど感謝して欲しいわ」

 まさにそれ。マスツーが好きな連中は一人がどこか寂しいのはあるはず。これ自体はツーリングに限らずあってもなんの問題もないけど、一緒に走ってくれた人への感謝は必要のはず。

「そりゃそうや。ツーリングは遊びやねん。なんでオレ様ルール野郎の接待をやらんとあかんねん」

 あれは接待と言うより躾のなっていないガキの世話だ。千草もソロツーは寂しいからマスツー派だけど、本当に気の合った人としかやりたくない。そこに現れたのがコータローだ。マスツーはね、二人でもマスツーなんだよ。それにお互いの愛車がモンキーだったのはまさに勿怪の幸いだ。

「ツーリングクラブは大型が中心のとこが多そうやもんな」

 ツーリングクラブと言っても色々だろうから一概に言えないにしても、そういうところは多そうなイメージがある。

「どうしてもあるやろ」

 多かれ少なかれね。なにがあるって、そりゃ排気量マウントだよ。クラブの中でも大きなバイクを乗っているほど大きな顔をするって感じ。そんな気はないって言うだろうけど、

「つうか現実的にツーリングやってもそうなるやろ」

 どうしてもね。どうしたって排気量で走行性能に差が出るもの。だから言葉の端々に小さいバイクに気を遣ってやってる、合わせてやってるのが出て来るのよ。

「それもやで、小さいとか遅いとされるんは二五〇CCとかアメリカンやもんな」

 二五〇CCでもそう見られるのだから、モンキーなんてまさにノロマなカメ扱いにしかならないのよね。はっきり言うとツーリングのお荷物扱いにされるよ。それぐらい走行性能に差があるぐらいは、こっちだって知ってるもの。だったら小型バイクが集まるツーリングクラブに入れば良いようなものだけど、

「どこに入っても人間関係はロシアンルーレットや」

 千草は最高のツーリングパートナーを得られたし、最高過ぎて人生のパートナーにもしてしまったぐらい。

「だから、そのウッカリとか、物の弾みみたいにオレと結婚したみたいな言い方はやめてくれ。オレは千草がこの世で最高の女やと思うたから結婚したんやぞ」

 そうじゃなかったら結婚なんかするものか。