エミの青春:疑惑

 エミは高校には合格したんだけど、通い始めてすぐに、家が貧乏な事を理由にイジメに遭っちゃったんだ。最初はお母ちゃんに相談したんだけど、

 「お父ちゃんが、エミを高校に行かせるのにどれだけ苦心してるのかわかってるの」

 こんな調子で取り合ってくれなかったの。エミも我慢して通学してたんだけど、ついにダウン。それこそ部屋から出れなくなっちゃったんだよ。これを知ったお父ちゃんが、これもこの時だけじゃないかと思うほどお母ちゃんを叱りつけてた。

 「お前、エミを潰してまう気か」
 「でも、あなたがせっかく行かせてくれた高校なのに」
 「だから、どうしたって言うんや。親が子どもを高校に行かせるのは、趣味でも、慈善事業でもあらへん。娘のためだけや」
 「だから中退なんかもってのほか」

 あの時のお父ちゃんはホントに怒ってた。

 「アホンダラ、イジメに遭って潰してまで行かせるとこちゃうわ。あんな高校、こっちから願い下げや。これ以上、グチャグチャ言うたら許さんぞ」

 次の日からお父ちゃんが走り回ってくれて、エミは私学の高校に転校になったんだ。エミもちょっとどころやなく抵抗があったけど、行って見たらなんとか馴染めてホッとした。とりあえず高校生活は順調になってくれたんだけど、エミにはずっと疑問があるのよね。


 やっぱり気になって仕方がないのが二人の結婚。古臭い考え方たって笑われるかもしれないけど、釣り合いってものがあるじゃない。たとえばだよ、エミが皇太子のお妃に選ばれるなんて考えられないじゃない。

 そこまでは極端すぎるかもしれないけど、自分の親ながら釣り合いが悪いのよね。そりゃ、厩務員とウエイトレスだったら問題なさそうに見えるけど、甲陵のウエイトレスがどれだけ価値があったか知れば知るほどバランスが悪いもの。

 それと学歴。学歴で結婚するものじゃないと言えばそれまでだけど、お父ちゃんは高校中退。お母ちゃんはどう見ても大卒。それも松蔭以上で、海星や女学院でも違和感ないもの。それぐらいお母ちゃんの教養はありそうに見えるんだ。

 職業と学歴に目を瞑っても、身長の問題もあるんだよ。女は自分より背の低い相手は基本的に避ける傾向があるんだよね。絶対じゃないけど、無意識のうちに頭から恋愛対象から外してる感じかな。それでもイケメンとか、抜群に格好良いなら一考の余地も出て来るけど、残念ながらお父ちゃんは間違ってもそうじゃない。

 さらにだよ、打算的になって良くないかもしれないけど、お父ちゃんに財産があった訳じゃないもの。同じ騎手でも競馬の騎手なら、将来性に期待しては残るかもしれないけど、馬術の騎手なんて、言ったら悪いけど金持ちの道楽で、これで儲かる訳じゃないものね。

 それがだよ、駆け落ち同然の大恋愛だって言うじゃない。その証拠に未だにお母ちゃんの実家とは疎遠どころか、行った事どころか、話題にもされないぐらいだよ。お父ちゃんが悪い人でないのはエミが一番良く知ってるけど、そこまで熱中できる相手かと言われると疑問がテンコモリ。

 男と女の仲は理屈じゃないらしいから無理やりでも納得できない事はないし、現実にあの歳になってもラブラブ夫婦だけど、それだけでホントに説明出来るものか、引っかかる時があるのはあるのよね。


 次に気になるのはエミの扱い。下女のように働いてるのは小林家の経済状態からして、なんの不服もないのだけど、どうにもお父ちゃんとお母ちゃんで温度差を感じることがあるんだ。

 普段は感じもしないんだけど、節目節目でお父ちゃんとお母ちゃんの姿勢に温度差が出るんだよ。わかりやすかったのは高校進学の時。あの時のお母ちゃんは、高校進学は無しでも仕方がない感触があったんだよね。一方のお父さんは頭から進学させるものと決めつけていた。

 でもこれもおかしいと言えばおかしい。今どき中卒なんて、よほど特殊な職業でも目指す者じゃなければあり得ないじゃない。百歩譲っても、高校進学無しを主張するのはお父さんの方じゃないかと思うのよ。お母ちゃんがあんな態度を取るのは不思議過ぎるんだ。

 イジメで苦しんだ時もそうで、あれだけイジメに苦しんでいたのに、お母ちゃんは頑として中退を認めなかったどころか、エミが苦しんでいるのをお父ちゃんに相談すらしてなかったのよ。あれだけなんでも夫婦で話をするのにだよ。

 さらに転校先が私立に決まった時の渋りよう。そりゃ、うちにカネがないのが大きな原因なのはわかるけど、それにしてもの感じがしてならないんだ。どう言えばイイんだろう。お母ちゃんは、エミにカネをかけるのを避けよう、避けようとしてる気がしてならないんだ。


 そうやって考え始めると、二人の結婚にはなにか秘密があるんじゃないかって。職場は同じ甲陵倶楽部だけど、どうにも身分差があり過ぎるんだよね。たとえは悪いけど、ウエイトレスは王女様とかの侍女で、厩務員は下男ぐらいの差がある気がする。

 侍女と下男じゃ口さえ利けないほどの差があるじゃない。そりゃ、大昔と違うけど、甲陵のウエイトレスが相手にするのはセレブの客とかコックさん達ぐらい。だってだよ、お父ちゃんも、

 「甲陵に勤めとったけど、厩務員じゃレストランなんか入られへんねん」

 同じ勤務場所ってだけで、会うどころか、話をする機会もなさそうじゃない。普通の職場結婚だって、あれは同じ部署で同じ部屋で机を並べるから出会いが生れると思うのよね。学校だってクラスや部活の枠を越えてカップルが生れるのは少ないし、学校越えてのカップルなんてエミは見たことも、聞いたこともない。

 そこまで住んでる世界の違う二人が出会って、大恋愛の末に駆け落ちしてエミが産まれたのは事実としか言いようがないけど、どう考えたって不思議過ぎるとしか思えない。

 なにか二人はエミに隠してることがありそうな気がしてならないんだよ。思い過ごしに過ぎないと言えば、それだけど、気になりだしたら気になってしまうのが人間。そんな事が気になりだしたら、夫婦仲にも違和感があるような気がするのよね。

 もちろん夫婦仲は誰が見ても円満だよ。ううん、円満なんてものじゃなくて、あの歳で恋人気分がパンパンじゃない。それを隠しもしないし、堂々と人前で恥ずかしげもなく口に出来るぐらい。

 だけどだよ、よくよく見ると、どこかでお母ちゃんが一歩引いてる気がするんだよ。どう言えばイイのかな。お父ちゃんが、お母ちゃんを引かせないようにしてるように見える時があるんだよね。

 だいぶ前だけど、思い切って広次郎叔父ちゃんに聞いた事もあるんだ。広次郎叔父ちゃんは大笑いしながら、

 「そりゃ、兄貴が美千代姉さんを大事にしすぎたからちゃうかな。兄貴が結婚するって連れてきた時に、オレは腰抜かしたんや。ありゃ、文字通りの美女と野獣やったで」

 美女と野獣は可哀想と思ったけど、正直な感想の気がした。もっともお父ちゃんは野獣ってイメージじゃないけどね。これ以上はわかんないけど、結婚の時になにか大きなドラマがあったぐらいしか今はわかんないよ。

 「エミちゃん、大盛りカツ丼に豚汁頼むは」
 「オレはカツカレー特盛でな。サラダも付けてや」

 おっと仕事、仕事。

 「二番テーブルさん・・・」

 高校から帰ったらすぐに店に入ってる。日曜休日はもちろん一日中。さすがに平日の昼間はアルバイト雇ってるけど、小林家では当たり前の風景。だからエミも高校卒業したら働くつもりだけど、お母ちゃんは、

 「助かるわ。待ってる」

 お父ちゃんは、

 「アカン、大学行くんや。エミなら行けるで」

 やっぱり何かある気がする。

エミの青春:小林家

 お父さんにどうして乗馬クラブを始めたか聞いたことがあるんだけど、お父さんのお父さん、つまりお祖父ちゃんが馬好きだったらしい。もっとも乗る方じゃなくて賭ける方。

 「子どもの頃にお出かけ言うたら競馬場やった」

 そこで見ていた騎手に憧れをもったぐらいかな。

 「なんで騎手にならんかったん」
 「落ちたんや」

 お父ちゃんは騎手を目指して中央競馬のJRA競馬学校と、地方競馬の地方競馬教養センターを受けたんだけど、

 「あれな。JRAで百五十人ぐらい受験して合格するのは七~八人ぐらいやからな。馬なんか乗った事がないオレじゃ合格するはずもないわ」

 もっともお父ちゃんはそれ以前の問題があって、

 「とにかく学無いやろ、二次試験さえ進めんかったんや」

 一次が筆記で、二次が実技ぐらいに考えたらイイみたいだけど、一次さえ突破できなかったんだって。そんな時に目についたのが、甲陵倶楽部の厩務員募集。馬関係の仕事やから飛びついたみたい。

 「こっちは受かったんや」

 なんと受かったから高校まで中退したって言うのよね。

 「エミとえらい違いやで、あははは」

 そこで出会ったのが馬術。

 「最初は競馬に較べたら地味やと思ってたんやが、こっちも知れば知るほど奥が深いのがわかったんや」

 甲陵の厩務員も調教助手、調教師とステップアップするみたいで、お父ちゃんも調教のために馬に乗れるようになったで良さそう。ところでだけどお祖父ちゃんは大工でお父ちゃんも子どもの頃から仕込まれたみたいだけど、

 「お前には向いとらん」

 こう言われたんだって。でも大工仕事は素人離れしてる。そう下手な大工より下手ぐらいには出来る。このお祖父ちゃんだけど、エミが物心つく前に亡くなってる。

 「飲み過ぎやろ」

 ただ実家は小林工務店として今も健在。

 「広次郎は器用やったし、康三郎は学あったからな」

 お父ちゃんの兄弟だけど、

 ・孝太郎
 ・広次郎
 ・康三郎

 みんな『こう』が頭に付いてるんだよね。

「それか。親父が呼び間違えんようにそうしたって言うとった」

 広次郎叔父が社長、康三郎叔父が設計士になって、お祖父ちゃんの頃よりずっと繁盛してるってさ。それでだけどお父ちゃんの兄弟は本当に仲がイイんだ。大工に成れなかったお父ちゃんに、

 「兄貴、兄貴」

 こうやって立ててるのがわかるもの。これも聞いたことがあるんだけど、

 「兄貴にはホンマに世話になってるんや」

 お祖父さんは飲み過ぎて早くに亡くなるぐらいの大酒呑みだったんだけど、かなりの酒乱で飲むと暴れ出して大変だったみたい。酒さえ入らなければ悪い人じゃなかったみたいだけど、とにかく飲むし、飲めば暴れるだったらしい。

 だから何回も事件やトラブルを起こしてるし、愛想尽かされて奥さんにも逃げられてるんよね。お祖父さんは酔うと子どもにも容赦なく手を挙げたそうだけど、お父さんは弟たちが殴られないように、いつも庇ってたんだって。その代り、

 「そりゃ、親父の方が強いからボコボコにされてたけど、兄貴が体を張って庇ってくれてなかったら、オレらは殺されてたかもしれん。命の恩人みたいなもんやで」

 どれだけって思うけど、話してくれた叔父ちゃんの目は真剣だったもの。それだけじゃなくて、お祖母ちゃんに逃げられてるから、お父ちゃんが弟たちのお世話を全部やってたし、小学校の頃からバイトして、叔父ちゃんたちの文房具を買ったり、お小遣いあげてたんだって。

 「兄貴が高校中退したんかって、オレや康三郎を学校に行かすためやってんよ」
 「そうや、オレが建築士目指して大学行くときなんか、兄貴は取っ組み合いの大喧嘩の末に親父に『ウン』ていわせたものな」
 「兄貴にはホンマに感謝してる」

 そんなお父ちゃんの娘やから、

 「エミちゃん、エミちゃん・・・」

 遊びに行ったら可愛がってくれてる。お父ちゃんの実家はそんな感じなんだけど、お母ちゃんの実家は行ったことがないのよね。お母ちゃんも話したがらないんだけど、お父ちゃんにはちょっと聞いたことがある。

 「甲陵のレストランのウエイトレスは、ただのウエイトレスやないんや」

 甲陵倶楽部と言えば神戸のセレブの社交クラブなんだけど、そこのレストランの客も当然セレブだから、ヒョイヒョイと雇ってくれるところじゃないみたい。家庭の身上書まで必要で、その上で高い教養と容姿端麗まで条件になってるんだって。

 「まあ会員とロマンスが生まれて玉の輿も無いとは言えんかったから、かなりの競争率やったで」

 だから若い頃のお母ちゃんがあれだけ綺麗だったのもわかったし、お父ちゃんと較べたら可哀想だけど、口ぶりだって上品だもの。

 「お母ちゃんの家とは結婚の時にもめてもめて、駆け落ちみたいなものやねん。そやからエミに悪いけど、連れて行ってあげられへん」

 かなりお堅い家らしいのはエミにも雰囲気でわかる気がする。というかお母ちゃんは実はお嬢様だった気がしてる。だってだよ、字を書かせたら達筆だし、レストランに花を飾っても見事だもの。あれは華道の心得があるとしか思えないもの。

 教養は甲陵のウエイトレスになるには必要だけど、エミには大学卒にしか見えないのよね。礼儀だって作法だってちゃんと出来るもの。だから冠婚葬祭の行事ごとがあると、お父ちゃんに付きっきりで教えてる感じ。

 「お父ちゃんのどこが良くて結婚したん」

 そしたらお母ちゃんは、

 「そんなものすべてよ。結婚してもらえて本当に幸せ」

 でもだよ、若い頃のお父ちゃんの写真を見ても冴えないのよね。それにさ、騎手目指せるぐらいだから、背も低くて、お母ちゃんの方が高いのよね。お母ちゃんには言えないけど、変わった趣味してると思ったもの。

エミの青春:エミ

 「五番テーブルさん、サービスと御飯大盛り、かつ丼に豚汁、あがったよ」
 「は~い」

 ここは北六甲乗馬クラブ・レストラン。料理を作っているのはお母ちゃんで、エミはウエイトレス兼なんでも屋。とにかく時分どきは目が回るぐらい忙しいんだ。

 「エミちゃん、こっちは豚の生姜焼定食と、麻婆茄子、御飯大盛りで粕汁」
 「こっちは、ラーメン定食に餃子頼むで」
 「は~い」

 ホントはお母ちゃんと二人で切り盛りするには無理があるんだけど、

 「食器返しとくで」
 「台拭きはこっちやな」

 お客さんの協力もあって、なんとかこなしてる感じ、

 「エミ、こっちは・・・」
 「忙しいんだからお父ちゃんは後にして!」

 お父ちゃんは北六甲乗馬クラブの社長。胴長短足、田舎のオッサン顔、中年臭がプンプンしてるんだけど、とにかく働き者。だって、だって、北六甲乗馬クラブをその手一つで作り上げたようなものだもの。

 「エミ、意地悪しないでお父ちゃんの注文取ってあげなさい」
 「頼むは腹減って死にそうやねん」

 夫婦仲は円満なんてものじゃない。お父ちゃんは自分が愛妻家なのを隠しもしないし、お母ちゃんだってお父ちゃんに未だにベタ惚れがミエミエってぐらい。だってだよ、この歳になっても、

 「美千代はオレの恋女房や」
 「お父ちゃんと結婚出来て幸せ」

 恥ずかしげもなく人前で言うぐらい。こっちが照れくさくなるのよね。でもこんなに仲がイイのに子どもはエミ一人。

 「エミ、ごめんね」
 「あれは悪かったと思てる」

 全然そんなことないのよ。エミは難産だったみたいで、エミも危なかったんだって。でもそれ以上に危なかったのはお母ちゃん。それこそ生死の境を彷徨いつづけて、子宮まで取らざるを得なくなったんだ。母無し子になる一歩手前だったんだよ。

 エミが人並み以上に可愛いって言われるのは、お母ちゃんのお蔭。今でこそ肝っ玉母さんみたいになってるけど、エミが小さい時は夢見るぐらい素敵な人だったそう。写真が残ってるけど、たしかに綺麗。

 「そりゃ、甲陵倶楽部のウエイトレスの中でもピカイチやったから」
 「イヤですよ。それは言い過ぎ」

 い~や、全然言い過ぎだと思わない。そんなお母ちゃんに似れば、それなりの美人になっても不思議ないのだけど、

 「ホンマにエミはワシに似んで良かった」

 本音ではそう思ってるけど、あまりにも似なさすぎるんだよね。たしかにエミはお母ちゃんに似てるけど、瓜二つって訳じゃない。それはお父ちゃんの血が入ってるからのはずだけど、どこをどう見たってお父ちゃんの面影が見つからないんだ。

 「そんなことないで、働き者のとこなんてソックリや」
 「そうよ、そうよ」

 まあ、そうなんだけど、これは遺伝と言うより家庭環境。とにかくエミの家は貧乏だった。お父ちゃんも、お母ちゃんもフルタイムで働くだけじゃなくて、夜にはアルバイトもやってた。もちろん土曜も、日曜も、休日も無し。

 そうなると家の洗濯、掃除、買い物、はたまた食事の準備も小さいころからエミの担当。うちの家は働き者じゃなくちゃ生きていけないって感じかな。だから家族でお出かけの記憶も殆どないぐらい。そこまで貧乏だったのにある日、連れて行かれて見せられたのが馬、

 「エエ馬やろ」
 「あなた、やっとですね」
 「そうや、これでギャフンと言わせたるで」

 滅多にしない外食を家族でやったのもその日。とにかく、お父ちゃんもお母ちゃんも嬉しそうで、舞い上がるぐらいはしゃいでいたのを幼心に覚えてる。でも生活は馬を買ってからも全然ラクになる気配さえなかったんだよね。

 それから、しばらくしてエミが倒れたんだ。病院であれこれ検査してもらうと白血病。当時のエミにはピンと来なかったけど、お父ちゃんも、お母ちゃんも真っ暗な顔をしてた。

 「なんでやねん。なんでエミがこんな目に」
 「やっと、今からのところまで来てたのに・・・」

 エミは入院。これもとにかく大変なものだった。痛い、痛い検査、とにかく七転八倒するほど苦しい治療。これが何年も続いたんだよね。エミの髪は一本も無くなり、ガリガリの青白い顔になってた。

 この苦しい治療は、小学校に入っても続いたから、エミの小さなころの記憶は病院ばっかり。そんな最中だったけど、珍しくお父ちゃんとお母ちゃんが言い争いをしてたのが聞こえたんだ、

 「あなた、それだけはやめて下さい。私がなんとかしますから」
 「アホ言うな。お前が働けば、エミは病院で一人ぼっちになってまうやんか。馬なんかよりエミの方が一万倍大事や」

 そしたら、お母ちゃんが泣き崩れてしまって、

 「ゴメンナサイ、みんな私が悪いのです。私さえ我慢してれば、こんなことには・・・」
 「なに言うてるんや。お前はオレの恋女房。惚れに惚れぬいて結婚してるんや。お前が産んだエミはオレの娘や、宝物や」

 そこからも泣き崩れてしまったお母ちゃんを勇気づけるお父ちゃんの声が、切れ切れに聞こえて来たんだよ。しばらくしてから、

 「あのお馬さんに会いたいな」

 そしたらお母ちゃんは目に涙をいっぱい浮かべて、

 「元気なったらね・・・」

 幼心に二度と聞いてはならないものって気がしたのをよく覚えてる。そんな苦しい治療だったけど、やっとゴールが来た。あまりにも日常生活過ぎたから、これで終りと言われてもピンと来なかったぐらい。あの日のお父ちゃんとお母ちゃんも楽しげだった。

 「エミ、ようがんばった。さすがお母ちゃんの子や」
 「違いますよ、お父ちゃんの子だから頑張れたのです」

 その後も再発が怖い怖いと言いつづけられたみたいだけど、今も元気だよ。髪もちゃんと伸びたし、病院の先生にも、

 「もう九九・九%だいじょうぶ」

 こう言ってもらえたもの。それにしても医者って一〇〇%って意地でも言わないもんだ。ただし退院しても我が家は貧乏。お父ちゃんも、お母ちゃんも、それこそ二十四時間三百六十五日の勢いで働きに、働いてた。だから高校進学は言いにくかったんだ。

 「あのぉ、高校なんだけど」

 ここからも今から思えば奇妙な会話だった。

 「どこいくか決めたか。な~に、任せとけ、松蔭でも、親和でも、海星でもドンとこいや」
 「あなた、そこまでエミにしてもらうのは・・・」
 「なに寝言抜かしとるねん。エミにはちゃんとした高校に行って、ちゃんとした大学に行ってもらわなアカン」
 「そんなことをしたら、またあなたの夢が」
 「夢やったら、今から高校に入ってくれる」

 小林家定番のおカネの話でイイのだけどなんか気になった。でも当時は思いの外にアッサリ認めてもらえてうれしかったんだ。勉強はそれなりに出来たから無事県立校に入学できた。

 「エミはほんまにワシ似んで良かった。お父ちゃんは自慢やないけど勉強できんかったから。エミには大学まで行ってもらうで」

 制服着たエミを見て、お父ちゃんもお母ちゃんも本当に嬉しそうだった。二人の会話が聞こえて来たんだけど、

 「あなた、良かったのですか」
 「エエに決まってるやろ。それにしてもエミが高校生になるなんて夢みたいや」
 「ホントに感謝してます」
 「もうエミも高校生やで。いつまでも水臭すぎるぞ」

 どこか引っかかる気がしてた。

次回作の紹介

 まず紹介文ですが、

 高校生になった小林エミには両親に疑問がありました。夫婦仲はエミから見ても照れ臭くなるほど良いのですが、娘のエミから見ても釣り合いが悪すぎる点です。母は今でこそ小太りの肝っ玉母さんですが、かつては夢見る人と言われるほど美人で、教養だってどうみても大卒、さらに礼儀作法も心得ています。
 一方で父は高校中退の小男で母より背が低い。顔もわが父ながら胴長短足の醜男で、結婚した頃も貧乏で、結婚してからもずっと貧乏。接点さえ無さそうな二人なのに大恋愛の末に駆け落ちし、母の実家とは完全に縁が切られている状態です。さらにエミは母親に似て学校ではリボンのシンデレラと呼ばれる程の美人ですが、どこをどう見ても父親の面影がないというより無さすぎるのです。
そんな小林家が忌み嫌う人物に甲陵倶楽部馬術会長の黒田がいます。父の子どもの頃からの喧嘩相手だったとの事ですが、とにかく両親が嫌うものでエミも黒田は不倶戴天の仇敵みたいに思っています。
 ある嵐の日にエミは母と親子喧嘩をします。その挙句に告げられたのが、エミは黒田の娘であるだったのです。母は黒田と付き合っていましたが、妊娠した途端に捨てられ、飛び降り自殺をしようとした時に父に抱き止められて結婚したと言うのです。
 父は母を黒田の子ども付きで受け入れ結婚しただけでなく、エミは難産で母はその時に子どもを産めない体になってしまっています。それでも父は母を愛し、エミを実の娘以上に愛しています。出生の秘密を知ったエミは父の愛の深さを知ることになります。
 そんな時に父の乗馬クラブと、黒田のクラブが果し合いのような馬術試合の団体戦を行うことが決まります。実力差は大人と子供ほどの差がありますが、母は何がなんでも勝つと意気込みます。一方でエミは叔父の広次郎夫妻から両親のさらなる結婚秘話を教えられます。
 馬術試合に勝つには大障害を飛べる騎手が必要です。それが飛べるのはクラブでコトリ、シノブ、ユッキーしかいません。シノブは失恋のショックで引きこもり状態で、コトリは馬で競技とは言え戦う事に気乗りがしません。でもユッキーは願いを受け入れ、三人は馬術試合に参加を決めます。
 対戦相手ははアジア大会代表を含む強豪ぞろい。貸与馬戦ですから馬のハンデは無いとはいえ厳しすぎる試合に臨むことになります。エミは馬術試合の勝利を心から願いました。父が苦労惨憺の末に作り上げた乗馬クラブを守り、母の黒田への妄執が解き放たれるようにです。エミの願いは果たして叶うのか。

 シノブの恋のサイド・ストーリーで、なおかつセレネリアン・ミステリーの前に書いた作品です。ですから天使と女神シリーズ番号が前後しています。今から思えば外伝シリーズに入れた方が良さそうで、そのうち修正しようと思っています。

 それと紹介文が今までに比べて異常に長いのですが、これは某懸賞サイトの規定が千字程度になっており、それに合わせたものです。とはいえ、これで作品の半分ぐらいの紹介で、後半部分は二つほどまだヤマを残しています。

 前半部分はシノブの恋の馬術試合部分を小林家サイドから見たもの。エミが父親の子でない設定はシノブの恋で使っていますが、これを膨らませたものです。娘から見ても不釣り合いの両親の馴れ初めの秘密をムックを話の軸に据え、さらにエミの叔父の話を加えて厚みを加えたつもりです。

 後半部分はボツ作品のリサイクル。なかなか一つのヤマでは1冊書きあがりませんから、詰め合わせにしてみたぐらいです。それだけじゃなく、続編からさらにサイドストーリーを展開させて、四部作(シノブの恋から数えれば五部作)にしています。

 後半部分に関しては、続編を書いた時にこの作品の終盤部分をゴッソリ移植する必要が生じ、その穴埋めに苦慮した部分があります。シリーズを書いていると、我ながら良く書けたと思う作品も出てくるのですが、続編がそうで、ほぼ独立した作品にするための改造が必要だったぐらいです。

 とにかくユッキー・コトリを主役として使うのに煮詰まり感があり、新たなヒロインを軸に据えたらスルスルと世界が広がったぐらいです。続編の話は先々のお楽しみにして頂いて、まずは新たな世界への扉の世界をお楽しみ下さい。

20200320120113

初恋の名言

 半年ほど先に公開予定の作品に使うためにあれこれ調べた余談みたいなものです。まずはオスカー・ワイルドから、

    男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。

 次はバルザックで、

    男の初恋を満足させられるのは、女の最後の恋だけである。

 どちらも似てまして、男は初恋に夢を描くのに対して女は実る恋に重きを置くぐらいに受け取っています。もう少し捻ってあるのがトーベ・ヤンソンで、

    初恋と最後の恋のちがいをご存じ? 初恋はこれが最後の恋だと思うし、最後の恋はこれこそ初恋だと思うもの。
 個人的には初恋を最後の恋と思うのはわかります。初恋じゃなくとも次の相手を考えながらの恋はする人は多くないと思っています。ただ最後の恋を初恋と思うのかと言われれば、ちょっとどうかなと思います。この辺は今度こそが運命の人だと思い込むぐらいにしておきます。

 オスカー・ワイルドにしろ、バルザックにしろ、トーベ・ヤンソンにしろ男ですから、男は初恋こそ至上の恋だと思いやすい面はあると見ても良いかもしれません。厨川白村になるとストレートで、

    初恋は純の醇なるものだ。それきりで終わる人は誰よりも幸福な人だ。
 初恋の人と結婚するのは1%程だそうです。これもあくまでも「初恋の人」であって、初恋の人に告白、交際して結婚に至った者は少なく、大学とか、社会人になってから再会・再燃・ゴールインが大半とされます。そういう御夫婦なら私も知っています。さらにがあって、結婚しても3組に1組以上は離婚します。

 そうなると私ぐらいの年齢で、初恋からストレートで結婚し、今もラブラブなんてカップルは0.1%もいない気がします。もちろん私もそうではありませんから、誰よりもは幸福ではなさそうです。


 この手の名言の中で、おそらく日本で一番有名なものの一つに、

    男は初恋をあきらめる事ができず、女は最後の恋をあきらめる事ができない。
 有名と言っても歳がばれるだけですが、2007年放映のプロポーズ大作戦の最終回に使われたセリフです。あれから13年になるのですね。それはともかくドラマではJ.S.ヴェイスがこう語ったとなっていますが、一生懸命ググってもJ.S.ヴェイスが存在しません。

 どうもオスカー・ワイルドの名言から流用して創作した気がします。でも初恋の名言集は似たところがあるので作家の創作でも問題ないと思っています。

 それとある知人に言われましたが、この手の名言集は男視線ばっかりだけど、女だって初恋に燃えるんだと。忘れられないのは最高と思った恋で、人は失恋の経験を積むことにより、より自分に相応しい相手を探せるようになると。

 初恋と言っても・・・嫌ですねぇ、もう45年前になります。見栄張ってんじゃないですよ。恋愛はオクテでしたから、それぐらいです。私にとって初恋とはギュスターヴ・フローベール曰く、

    青年期には、多かれ少なかれ初恋の女に似ているという理由から、男は女を好きになるが、そのあとは、初恋の女と違っているという理由で、男は女を好きになる。

 結果的にはこうなってる気がします。