シオリの冒険:女神たちの再会

 今のわたしはツバサかな、それともシオリかな。どっちも自分だけど今日は間違いなくシオリの日。オフィスの経営も立ち直りつつあるから、今日は久しぶりにクレイエール・ビルに。受付に行ったら、

    「麻吹先生、ようこそいらっしゃいました」
    「香坂さんも変わらないね」

 こうやって香坂さんを改めてみると、やっぱ化物だね。他人のことを言えないけど、七十三歳だよ。女神の力ってホントに怖いぐらいだよ。三十階も四年ぶりかな。

    『コ~ン』

 鹿威しも変わらないか。リビングに入ると、

    「シオリ、久しぶり、元気でやってる」
    「ボチボチよ」

 集まってるのは四人で、コトリちゃんは不在。わたしの翌年に宿主代わりしたみたいで。

    「コトリは港都大の考古学部に入ったんだけど、大学院でエレギオン学やりたいって続けてるのよね」
    「そんなものやらなくても、誰よりも知ってるじゃない」
    「それは、そうなんだけど、狙いは第三次発掘調査。やっぱり行きたいんだろうね」
    「ユッキーは?」
    「行きたいけど、さすがに社長だから、そこまで長期となると無理かなぁ。次の宿主代わりの時に考えるわ」

 ここのビールも久しぶり。

    「でもさすがはシオリね。あっという間に売れっ子じゃない。まあ、中身が加納志織だから当然だけど」
    「売れなきゃオフィスが倒産してたからね」
    「そこでだけど、今後もここに来るのに悪いけど・・・」

 非常勤の顧問就任の要請。エレギオンHDとの関係を今の時点で深めちゃうのは、商売としては善し悪しだけど、

    「シオリが考えていることはわかるわ。だから非常勤顧問就任はウチウチにしとく。いくらわたしが社長でも、ここに出入りする社内的な名目がいるの」

 ユッキーも良く知ってるわ。ウチウチならイイか。受けとく事にした。

    「ところでシオリ、随分グラマーになったじゃない」

 麻吹つばさはスリムと言うよりガリだったのよね。それもユッキーのように華奢じゃなくて、まさしく鶏ガラのガリ。初めて鏡で見た時に、いくら借りものでもチョットだったのよ。だから加納志織のスタイルをイメージして念じていたら、ビックリした、ビックリした。そうなっちゃうのよね。

    「ユッキー、あんなに変われるものなの」
    「やろうと思えば、前宿主と寸分変わらないものにするのも出来るよ。もっとも、シオリじゃそこまで繊細なコントロールは無理だと思うけど」

 ここでユッキーが悪戯っぽく笑って、

    「でもシオリが大学中退してまでオフィス加納に行くとは思わなかった」
    「なんだかんだ言っても愛着深いし」
    「それだけ?」

 ん?

    「星野君が気になったんじゃない」
    「サトルが? そりゃ、最後の弟子だから気にはなったけど」
    「それだけ?」
    「それだけよ」
    「ホントに?」

 ユッキーは何を聞きたいんだろ。

    「じゃあ、わたしがチャレンジしてもイイ?」
    「えっ、あの、そ、それは・・・」
    「ハハハハ、女神同士でも恋は真剣勝負だからね。欲しけりゃ奪うし、隙があればさらっていく」
 サトルか。アイツの気持ちはわかってるんだよなぁ。ちょっと頼りないというか、バイタリティに欠けるところはあるけどイイ奴だよ。真面目だし、素直だし。カメラの腕だって悪くない。もう一皮剥いてやれば、かなりのレベルになるはずなんだ。

 もう一皮剥いた後だけど、どうしよう。そこまでの腕になれば独立させた方がイイんだけど、アイツは経営センスないからなぁ。オフィス加納を任せてよくわかったよ。となればウチの雇われカメラマンで過ごすことになるけど、それだったら・・・

    「シオリ、同じにしろとは言わないけど、永遠の時を生きる女神の最後の生きがいは恋なのよ。そこだけは妥協もしないし、自分の思いのままに楽しむの。そりゃ、前の宿主の時の男の思い出はどうしても引きずっちゃうけど、どこかで割り切るのも必要よ」
    「言いたいことはわかるけど・・・」

 ここでユッキーは微笑んで、

    「シオリの思うようにしたら良いよ。星野君を選ぶもヨシ、選ばないもヨシ。とにかく考える時間だけは売るほどあるからね。ただね、人は老いて行くのよ。いつまでも、待っててくれないから、そこだけは気を付けてね」

 そうなんだよね。カズ君を見てると辛いというか、申し訳ない気分になった時があったもんね。人が老いるのは当たり前だけど、あのカズ君だってあそこまで老いてしまうのを見ちゃったものね。

    「ユッキー、聞いてもイイ」
    「な~に」
    「男が老いても愛し続けられるものなの」
    「シオリは出来たじゃない」

 まあ、そうなんだけど、ユッキーはニッコリ微笑みながら、

    「とにかく五千年も恋をやってると、外見は二の次なのよ。どんなに格好の良い男だって、歳取れば腹も出て来るし、禿げる奴は禿げる。肌だって皺くちゃになるよ。そうなった時にどこを愛するかだけど、ハートよ。魂と言っても良いかもしれない。そういう意味でカズ坊は綺麗なハートを持ってたよ」

 それはわかる。カズ君がいくら老けても愛していたと自信を持って言えるもの。

    「星野君のハートも綺麗だよ。その証拠にわたしも、コトリも飛びついた。コトリと男の趣味は被りまくるけど、あれは趣味が似てる部分もあるけど、それより見てる部分が同じだと思ってる」
    「でもガキっぽく見えない」
    「それも同じ。ハートさえ綺麗だったら、年齢なんて関係ないよ。まだシオリには無理だろうけど、そうねぇ、三十回ぐらいやったらわかってくると思うわ」

 三十回か。ユッキーはもう何百回ってやってるんだろうな。

    「それにしても、シオリ、ありがとう。ここはシオリの家でもあるから、好きな時に遊びに来てね。一緒に暮らしたいならいつでも歓迎よ。それに困ったことがあったら、気軽に相談してね。わたしも、コトリも、ミサキちゃんも、シノブちゃんも全力で助けにいくから」
    「エレギオンHDの正社員でもないのに、甘えちゃってイイのかな」

 ユッキーはニッコリ笑って、

    「時はね、ひたすら流れていくよ。そしてね、流れ去った時は二度と戻らないのよ。どんなに親しくなっても、どんなに愛しても必ずいなくなるの。そりゃ、寂しいのよ。だからこそ仲間は大切。真の意味で掛け替えがない仲間ってこと」

 今日のユッキーの話は重い。

    「掛け替えのない仲間のためなら、命ぐらいはいつでも捨てるさ。失ったら生きている意味さえなくなるからね。シオリもエレギオンの女神として復活したんだから、わたしもみんなもすべてを犠牲にしても助けるよ。時の放浪者の同行者なんだから、それぐらいは当たり前過ぎること」

 ユッキーが女神たちのリーダーとされてるのが良くわかる。そう言えば高校の時も氷姫としてあれだけ怖れられていたのに、なぜか慕われていたものね。

    「ところでだけど、麻吹つばさってバージンなの」
    「それはシノブちゃんの方が詳しいわ」

 やはりエレギオンHDで調べ上げてたんだ。

    「まず高校時代の明文館タイムスには交際記録は残されていませんでした」
    「へぇ、まだ明文館タイムズってあるんだ」
    「ええ、もっとも今はIT化されています」

 時代の進歩ね、

    「大学に入ってからも男っ気はありません」

 ないだろうな。部屋中探して回っても、それらしいもののカケラもなかったもの。

    「その後、退学されるまでも・・・」
    「そこは知ってるからイイよ。となるとまだね。ユッキー、やっぱり痛いかな」

 ここでユッキーが、

    「これも教えとくけど、宿主が代わっても技能は受け継がれるのはわかったよね。それでね、アレの時の感度も受け継がれるんだよ。だから女神が燃えた時は大変なことになるのよ。カズ坊の時もそうなっちゃったでしょ」

 あれはカズ君が凄かっただけじゃなく、わたしの体にも長い年月の記憶が刻み込まれていたからなのか。

    「主女神ってそんなに」
    「うん、百二十人の愛人とノン・ストップでやりまくっても、疲れることがなかったとなってる」

 げっ、色情狂みたいなものじゃない。たしか主女神って一万年だっけ。

    「でもさぁ、加納志織のロスト・バージンの時も、その後もカズ君までそんなに良かったことがなかったんだけど」

 ユッキーがニヤッと笑って、
「まず加納志織が極度の不感症であった可能性がある。コトリの小島知江時代もそうだったみたいだから」

 ユッキーのいう宿主依存性の部分かな。それにしてもユッキーのニヤニヤは今日は気になるわ。

    「それとね、記憶を受け継がない時には眠っていた技術が甦るのにキッカケが必要なのよ。たとえばミサキちゃんはラテン語だって、エルグ語だってペラペラだけど、シノブちゃんは出来ないもの。シノブちゃんにはキッカケがまだないからね」
    「そんなもんなんだ」

 ユッキーはニヤニヤしながら、

    「シオリの最初は坂元だろ。そんなに下手だったの。普通にやれば目覚めるんだけどねぇ。たとえ童貞相手でも目覚めるはずだけど」
    「そっか、わかったわ。坂元は極端な早漏だったし、その後の連中も打算尽くで抱かれてたから目覚めなかったんだ」

 たぶんだけど心の底から愛してる男と燃えたら目覚めるんじゃないかな。

    「シオリは理解が早いね。たぶん、その通り。でも坂元は愛してたんじゃないの」

 なんか話に流れがヤバイけど、ま、いっか。女同士のモロの猥談も久しぶりで楽しいもの。坂元は高校から付き合ってたし、愛してたけど最初が酷かった。いくら恋人同士でもレイプ同然だったものね。

    「シオリ、それでも無理やりなら感じなかった」
    「どうしてそれを知ってるの」

 ユッキーの奴、そこまで調べ上げてるとか。

    「やっぱり。何されたの、教えて、教えて」

 これは口にしたくなかったけど、ユッキーの執拗な追及に釣られてつい、

    「電マとオモチャの攻撃」
    「うんうん」
    「前と後ろとクリと乳首に同時やられてエンドレス」
    「クリに電マは強烈よね」

 そりゃ、感じたけど、死ぬかと思った。たぶんだけど、あの時にエクスタシーって苦しみだと思っちゃった気がする。だってさ、泡吹いて失神しても、次に目覚めるのはイク時の強烈なやつだもの。それを延々と何時間もだよ。

    「坂元ってそんな趣味だったんだ。わたしは興味なかったけど、コトリも下手すりゃやられてたかもね。でも、ひょっとして残念がったかもしれない。コトリは案外好きなのよ」

 坂元も思えば数奇な運命をたどったよね。高校の時にはユッキー様になったユッキーに手を出しかけたし、わたしはモロいたぶられたし、一時はコトリちゃんとも付き合ってたものね。

    「コトリちゃんは坂元とやらなかったの」
    「そうみたい。わたしもコトリの事を言えないんだけど、やるのも大好きだけど、やるまでのステップも大好きなのよ。コトリはそのステップをやってるうちに、カズ坊に乗り替えちゃったってところかな」

 それでも坂元は最後にみいちゃんに救われたのかな。ユッキーはどこまで知ってるのだろうか。

    「坂元がどうなったかを知ってる」
    「もう亡くなったよ、みいちゃんもね」

 そんな歳だもんね。時が流れるって死んで欲しくない人も死んじゃうけど、そうでない人も同じように死ぬんだわ。それにしても今日のユッキーのニヤニヤはしつこい、

    「これから経験するだろうけど、あのクールそうなミサキちゃんだって、どれだけ乱れる事か。ミサキちゃんの体にも四千年分の体験が刻み込まれてるのよ」
    「社長、ちょっと待ってください。どうしてミサキが引き合いに出されるのですか」
    「たとえよ、たとえ。でも、マルコもイイ歳になっちゃったから、寂しいんじゃない」
    「寂しくなんかありません」
    「えっ、今でも毎晩頑張ってるの?」
    「やってませんよ。いくつだと思ってるのですか!」
 これがわたしの仲間なんだ。そう、永遠の時を旅する仲間だ。ちょっと下品だけど。

シオリの冒険:シオリの体験

 次の宿主を誰にするかだけど、ユッキーに任せた。宿主は孤児ないし孤児に近い者から選ぶそうなのよね。まあ、そうしないと中身がそっくり入れ替わるようなものだから、後がややこしくなるのはわかる。

 最後に意識があったのはマンションの自分の部屋のベッドだったけど、気が付くとユッキーとコトリちゃんの顔が見えた。

    「わたしがわかる?」
    「ユッキーとコトリちゃんでしょ」

 そうしたら二人はハイ・タッチして、

    「やったぁ、成功」

 わたしが加納志織からの記憶を受け継いで宿主代わりに成功したみたい。たしかにそれ以前の記憶はないし、加納志織の記憶はあるものね。どうもここはアパートの一室みたいだけど、

    「わたしは誰になったの?」
    「麻吹つばさよ。鏡を見てごらん」

 これが今度の自分か。なんか変な感じ。

    「これが麻吹つばさの経歴。ちなみに今は西宮学院学芸学部メディア創造学科一年。どこの学科がイイのか聞きそびれてたから、シオリに向きそうな無難なところにしといた」

 とう言うことは学生で十九歳か。

    「学費や生活費はすべて振込で送るし、必要なものがあったら連絡してね。下宿も変わりたかったらOKだからね」

 おカネはいらないと言いかけたけど、加納志織の財産は御破算になってるのよね。

    「悪いわね」
    「遠慮することないからね」

 学生生活をどうしようって相談したけど、そこは自分でなんとかしてくれって言われちゃった。そこまでは助けようがないものね。ここでコトリちゃんが、

    「わからんところも楽しいし、すぐに慣れるで。後はコンパに合コン、学生生活を思う存分謳歌できるって」

 あははは、楽観的だねぇ。少し気になるのは麻吹つばさの容姿。宿主として使わせてもらってるのは感謝しないといけないけど、言っちゃ悪いけどパッとしない。

    「それやったら、変えたらエエねん。シオリちゃんなら、こうなりたいって念じてると、段々そうなるよ」

 そんなもので変わるんだろうか。しばらくあれこれ話はしたけど、

    「習うより慣れろやで」
    「困ったことがあったら相談に来てね」
 そう言って、二人は帰っちゃいました。さてと、まずは麻吹つばさの勉強をしなきゃ。まずは経歴からが基本だね。なになに、両親は三歳の時に離婚と来たか。原因は母親の浮気で引き取ったのは父親なんだ。これでとりあえず母方の親戚とは縁切れてるよね。

 父親は・・・孤児なんだ。父親は再婚もせずに男手一つで麻吹つばさを育てたみたいだね。なかなかやるじゃんか。それに高校は明文館だって。これは助かった。あそこの高校なら良く知ってるし。今はちょっと違うかもしれないけど、それなりに誤魔化せそうだものね。

 その父親だけど、麻吹つばさが大学に入る前年に交通事故で急死となってる。そっか、麻吹つばさが西宮学院に進学できたのは、この時の慰謝料かもしれない。さすがはユッキー、親族関係でトラブルは起りそうに無いようになってるわ。

 肝心の本人だけど、へぇ、写真部の後輩か、同級生関係は要注意ね。だからメディア創造学科なのか。そうなるとカメラを持ってるはずよね。えっと、えっと、あった、あった。EOSのKISSか、ありがたく使わせてもらおう。

 教科書の類はどこかな。なになに、イラストレーター・フォトショップ・インデザインの基礎講座みたい。この辺は仕事で使ってたから問題なさそう。こっちはメディア文化史か。この辺は学校に行って見ないと後はわからないよね。

 もう少し麻吹つばさ本人の情報はないかなぁ。日記とかつけてくれてると助かるんだけど、そうだLINEとかやってるはずよね。スマホは・・・あった、あった、指紋は同じだから、ほら開いた。

 ありゃ、ほとんど使ってないじゃないの。メイル・ボックスも空みたいなもんだし。こりゃ、友だち少なそう。でも今のわたしに取っては、こっちの方が都合がイイかも。だって人気者だったら誤魔化すのは大変じゃない。

 さてPCもあるけど、どうやって開くかだね。あははは、付箋が貼ってあるじゃない。これは助かった。とりあえず本人を撮ってる写真は無いかな。あった、あった、こんな感じのファッションか、それにしても地味だねぇ。

 それと麻吹つばさのカメラの腕だけど・・・ま、高校の写真部上がりならこんなものか。それにしても、もうちょっと個人的な話を書いてあるところがないかな。見たところなさそうね。

 おおよそのイメージとして、地味な暗めの女子大生ぐらいで良さそうな。彼氏も出来た事はなさそうだね。だったらバージンかもね。かなり可哀想な生い立ちに同情するけど、だいじょうぶ、わたしが変えてみせるわ。体を利用させてもらってるんだから、それぐらいはね。


 学校生活も慣れるまで大変だった。西宮学院ってどこにあるかから始まるし、教室がどこにあって、それまで麻吹つばさがどんな態度で授業を受けてたとか、どんな日常を送ってたかなんてわかんないから、すべて手探り状態。

 助かったのは、予想通り麻吹つばさが地味で暗い大学生活を送っていたこと。だってさ、初日なんてわたしも緊張してたけど、誰も声一つかけてくれなかったぐらい。徐々に慣れたいわたしには好都合だったけど、こんな寂しい生活を送っていたかとおもうと同情したもの。

 最初のうちは大人しくして情報を集めてたんだけど、少ないながらも声をかけてくれるのも出てきた。それが、なんかよそよそしいというか、腫物に触るみたいな感じで妙だったのよ。こっちもサッパリわからないから、せめて愛想よくしとこうと思って受け答えしてたんだけど。

    「あなた本当に麻吹さん?」

 バレたかと一瞬思ったものの、見ただけでバレるわけないよね。

    「そうだよ。顔にゴミでも付いてる?」

 なんか呆気に取られたような顔をしてた。その数少ない友だちから聞きだしたところでは、麻吹つばさは極度の緊張症だったみたいで、声をかけても飛び上るような素っ頓狂の応対しかしてなかったみたい。なるほど、それじゃ、誰からも敬遠される訳だ。ここも誤魔化さないと、

    「ちょっと心境の変化があってね」
    「それにしても変わり過ぎ。でも今の方が良いわ。声かけるのまで気を使うのはシンドかったもの」

 さすが若者、割り切りが早いわ。

    「でも心境の変化ってすごいものね。キャラもそうだけど、顔やスタイルまでも変わってるじゃない。好きな男でも出来たの、それとも、もう付き合ってるとか」
    「あははは・・・」
 適当に流しといた。このメディア創造学科って何をするところかだけど、情報メディアのプロを作るってのが目標みたい。撮影・音響・展示・デザインの専門知識・技能を覚えるだけでなく、これのプロデュース力も養成するぐらいかな。

 ユッキーは無難に選んだって言ってたけど、かなり考えて選んだと思ってる。だってオモシロイもの。わたしだって本業だったけど、実戦で泥縄式に覚えたようなものだから、こうやって系統だって理論づけられて学べれば役に立ちそうじゃない。

 一年の時は基礎講座が多かったけど、二年になるとゼミが始まり、実技講習が増えていたの。なかなか立派なスタジオもあって感心した。ただそうなってくると地が出そうで抑えるのに難儀した。かなり抑えて撮ったつもりでも、

    「麻吹君は写真の才能がある」
 そりゃ、あるよ。ダテにメシ食ってきたわけじゃないからね。それにしても学生だったら、あの程度のレベルでえらい評価するんだね。というか講師連中の腕が悪すぎるんじゃないの。あれがお手本じゃ伸びないよ。


 容姿はコトリちゃんの言ったとおり、格段に変わっていくのがわかった。元は麻吹つばさだけど、三ヶ月もすれば誰もが振り返るぐらいとすれば大げさかな。一年のあの時期で良かったとしみじみと思ってる。あの時期ならイメチェンしたって誤魔化せるからね。

 二年になった頃には、またもや注目の的。これも明文館で経験済みだし、明文館みたいに開けっぴろげで追っかけされる訳じゃないから、どうってこともないよ。ペーパー・テストは少々苦戦したけど、実技やらせれば段違いだから大学生活も順調ってところ。

 とにかく誘われるからコンパや合コンも良く行った。えへへへ、これも実は初体験。加納志織の時も大学には行ったけど、高校の時から坂元と付き合ってたし、入学早々襲われてロスト・バージンさせられて、ひたすらやられまくってたからね。ああ、イヤな事思い出しちゃった。これが記憶を受け継ぐデメリットかもね。

 そのせいでもないけど彼氏は結局作らなかった。さすがに幼稚に見えちゃった部分があるのは白状しておく。そりゃ、加納志織の続きだから八十歳半ばだからね。それでも若い連中と付き合うのは悪くなかった、いや楽しかった。宿主代わりしたら感性も若返るのかなぁ。


 四年にも無事進級し、このまま卒業したかっただけど、悪い話を聞いちゃったんだよね。オフィス加納が経営危機だっていうのよ。サトルの野郎、なに遊んでやがるんだよ。こっちが遊べないじゃない、もとい勉強できないじゃないか。でも仕方がないから中退してプロになるって言ったらビックリされたし反対された。誰もが口をそろえて、

    『せめて卒業までは』
 そう言うよね。でもね、オフィス加納の経営難は深刻そうだったから、卒業まで待てなかったんだ。大学中退も加納志織時代に続いて二回目だから、なんか自分の宿命かもしれないね。ま、フォトグラファーに学歴は関係ないんだけど。

 サトルに弟子入り希望したら、アイツ、わたしの写真を見て、目をシロクロさせていやがった。ただ提示された給与を見て呆れたよ。ここまで追い詰められてるのかって。ここまで苦しくなった原因もすぐにわかった。

 サトルの野郎、苦手の人物写真を逃げてやがるんだよ。そこでユッキーに悪いけど頼んだんだ。光の写真を条件に大きな仕事を回してくれないかって。ユッキーは快く了解してくれて、わたしでも驚くような大きな仕事を手配してくれた。

 サトルの奴、苦悩してたよな。アイツには光の写真は撮れないし、でも苦しい経営のためには、この仕事を物にしなければならないって。わたしはさぁ、サトルがここで一念発起するのも期待してたんだよ。

 アイツのテクニックで人物写真、とくに女の写真を撮るのは難しいけど、これが撮れるようになれば、光の写真に匹敵するかもしれない凄い絵が出来上がるはずなんだ。だけどサトルときたら情けないことに指をくわえていやがるんだよ。

 仕方がないから撮ってやった。自分が作ったオフィスを潰したくなかったからね。でもついにバレちゃったよ。これは奥の手だから出したくなかったんだけど、あそこまでやればサトルでも気づくよな。


 とにかくサトルには頭に来たから、人物写真でシゴキ上げてる。泣こうが、わめこうが、徹底的に締め上げてる真っ最中。サトルの奴はとにかく逃げようとするんだよ、

    「シオリ先生、人には得手不得手がありますから、ボクが風景とかを担当して、先生が人物を担当すれば丸く収まるんじゃないですか」

 カンカンになって怒ってやった。

    「バカ野郎。サトルが撮れるように、これだけ付き合ってやってるのに、なんていう言い草だよ。そこまでいうなら、麻吹つばさは独立する。一人で風景でも撮ってやがれ」
    「それは・・・」
    「それはもクソもない。よし決めた、サトルが人物を極めるまで、他の写真は一切禁止だ。それがイヤなら出て行くよ」
 この辺は頭から怒鳴っている麻吹つばさはサトルの弟子で雇われカメラマン。サトルはあくまでも社長だから叩きだすわけにもいかないから仕方がない。

 だいたいだよ、経営が危なくなるぐらい追い詰められているというのに、苦手の人物写真克服に精を出さないなんて信じられないよ。そこまで追い詰められたら、普通は死に物狂いでやるもんだろ。

 ホンマにアイツはわたしが付いていないと、どうしようない奴だと思ったよ。こうなったら、力づくでもサトルの皮をひん剥いてやる。痛がろうが、抵抗しようがビリビリに剥いてやる。覚悟しやがれ。

    「サトル、今日の分のチェックだ」
    「あ、はい」

 サトルの写真を見ながら怒りがムラムラと、

    「これがオフィス加納の金看板を背負った社長の写真か!」
    「でも、この辺は良く撮れてると思うのですが・・・」
    「これがか? サトルはこのレベルが合格点? それって写真と同じぐらい出来の悪い冗談じゃない。だからたった三年ぐらいでオフィスを潰しそうになったのが、よ~く、わかる」
    「経営を悪化させてしまったのは・・・」
    「今は経営の事なんか考えなくていい。わたしがちゃんと稼ぐから忘れろ。この写真だけど・・・」

 そこから傷口に塩、いやタバスコ擦りこむ指摘とアドバイスをみっちりと。

    「ボツ、ボツ、ぜ~んぶ、ボツ。話になんないよ。これでメシ食えるとでも思ってるの。味噌汁で顔洗って出直しな」
 スタッフが笑ってやがる。師匠が弟子をシゴクのはイイのだけど、人としてはサトルが師匠で社長だものね。弟子に搾り上げられる師匠がなんとも言えないおかしみを誘うよね。でもサトルも評価してるよ。

 あれだけ怒鳴られても付いてくるし、段々と良くなってるよ。時々だけどハッとする写真が混じってきたからね。頑張って付いておいで、今度こそ本当の一流の写真家にしてあげる。

 サトルが本当の一流になったら・・・はて、次はどうさせるつもりなんだろう。え~い、どこまで行っても世話の焼ける野郎だ、自分でなんとかしやがれ。

シオリの冒険:麻吹つばさ(2)

 ただ経営の苦しさは相変わらずで、スタッフとも協議を重ねていますが、有効な打開策などあるはずもありません。とうに内部留保は食いつぶし、オフィスのビルも担保に入っています。資金繰りは自転車操業も良いところで、時間の問題で不渡り手形が出そうです。

 そんな時に大きな仕事が舞い込みました。倒産しかけのオフィス加納にしたら信じられないぐらいの美味しい仕事です。ただし条件は、

    『光の写真』

 この手の依頼は未だにあるのですが、すべて断らざるを得ないのが実情です。でも、今回はなんとかしたかった。この仕事を取らないと来月倒産してもおかしくありません。会議が持たれましたが、結論はやはり同じで、

    『サトル先生が光の写真を撮るか、光の写真以上に魅力的な写真を撮る』

 どっちも無理です。無理とわかっていても、倒産の危機ですから、あるはずもない解決策を考えあぐねることになります。誰もがどうしようもないとあきらめかけた時に麻吹君が、

    「わたしが撮ってもよろしいでしょうか。近いものはなんとかなるかと・・・」

 あの時の会議の雰囲気は異様だったと思います。麻吹君の言葉に誰もが飛びついてしまったのです。ワラをもすがるとはあんな状況と思います。麻吹君は、

    「わたしが撮りやすいようにさせて頂いて宜しいでしょうか」
 もちろん託したからにはOKで、ボクも撮影現場に同行しました。麻吹君は手際よく撮影を進めるのですが、強烈なデジャブに襲われてしまいました。あの身のこなし、撮影スタイル、撮影の時のちょっとした仕草、撮影指示の出し方・・・

 スタッフの動きも最初こそ戸惑いがありましたが、すぐにわかったようです。どう動けばイイということを。まさにあの撮影現場が、ここに再現されているのです。撮影終了後にスタッフが、

    「サトル先生、ツバサちゃんのあの動きは」
    「ボクもそうだとしか思えなかった。とにかく写真を見よう」

 オフィスに帰って見たのですが、

    「こ、これは・・・」

 そこには光の写真があります。それだけではありません。あの加納アングルが完璧に再現されています。麻吹君が心配そうに、

    「星野先生、どうですか」
    「か、完璧だ・・・」

 麻吹君の撮った写真は大反響を呼びました。二度と撮れないと思われていた光の写真が甦ったのです。もう事務所の電話は撮影依頼で鳴りっぱなしです。シオリ先生が亡くなってから沈滞ムードで落ち込んでいたオフィスに、かつての活気が戻って来たのです。そんなある日に麻吹君をバーに誘いました、

    「これは星野先生、お久しぶりです」

 シオリ先生が亡くなってから、バーに来る余裕もなかったのです。

    「麻吹君」
    「星野先生、イイ加減ツバサって呼んで頂いても宜しいのじゃないですか」
 麻吹君はスタッフからは『ツバサちゃん』って呼ばれているだけじゃなく、今や『ツバサ先生』とまで呼ばれています。短期間でボクをしのぐ売れっ子になっており、オフィス加納の大黒柱として扱われています。

 それにしても隣で飲んでいる麻吹君は美しい。息が止まるほどの美人はシオリ先生しかいないと思っていましたが、もう完全に匹敵するとして良いとしか思えません。それより気になるのは、その仕草の一つ一つです。

 麻吹君はあのブレークした仕事以来、ボクが意識しているせいもあるかもしれませんが、何気ない仕草のすべてがシオリ先生とソックリなのです。今ならグラスの傾け方の角度まで同じとしか思えません。オフィスでの歩き方、話し方、スタッフに対する態度もシオリ先生と二重映しになって仕方ありません。

    「麻吹君もシオリ先生のファンだったんだね」
    「ファンもファンも大ファンです」

 麻吹君は大ファンだったから、シオリ先生のマネをして光の写真も加納アングルも習得したと言ってますが、あのテクニックがマネだけで出来ないのはボクが一番よく知っています。

    「シオリ先生は亡くなる少し前に、ある弟子を取って欲しいと遺言されたんだ」
    「誰ですか?」
    「なぜか名前を話してくれなかったから誰かはわからないのだけど、今から思えば麻吹君としか思えない」
    「違うと思いますよ。そもそも会ったこともありませんし」

 もう理屈じゃないと思っています。あの時のシオリ先生の遺言は、御自身が生まれ代わって復活するの意味としか考えられなくなっています。今日はそれを確認するために、このバーに来ています。

    「麻吹君のことをツバサと呼ばなくて良かったと思ってる」
    「どうしてですか」

 もう聞いてもイイでしょう。

    「師匠を呼び捨てになんか出来ないからだよ」
    「イヤですわ。わたしは先生の弟子です」

 そう来るよな。こうなりゃ、正面突破だ。

    「これは理屈じゃない、理屈じゃないけど確信してる。麻吹君、君は間違いなくシオリ先生だ。光の写真も、加納アングルもシオリ先生以外には使えないんだ。それだけじゃない、君の動き、仕草、すべてがシオリ先生そのものだ。最後の弟子のボクが言うのだから間違いない」
    「でも加納先生は亡くなられています。先生もそれは良く御存じのはずです」

 そうなんだけど、ここで終れるものか、

    「シオリ先生、ボクがわからなければ写真家として失格です。あなたは誰がなんと言おうと加納志織です。シオリ先生はあの時にボクならわかると言ったではないですか!」

 麻吹君は何も答えず微笑んでいます。

    「ボクだけじゃありません。スタッフの誰もがそう思っています。シオリ先生は麻吹つばさとして甦ったのです。外見は麻吹つばさですが、中身は間違いなくシオリ先生です」

 麻吹君は少し間を置いてから、

    「先生、それはSFですよ」
    「SFでもなんでもかまいません。あなたはシオリ先生です」

 麻吹君は困ったような表情をされて、

    「先生、それを信じる方がオカシイですよ」
    「オカシイ? これを信じない方がオカシイですよ」

 麻吹君はグラスをグッと飲み干して、ボクの方に向き直りました。ボクの目をじっと見つめます。麻吹君の表情が明らかに変わっています。この表情は良く知っています。口調も聞き間違えるはずがありません。

    「熊野古道を覚えてる」

 この声を聞いた瞬間に、こみ上げて来るものをどうしようもなくなりました。ボクに出来るのは号泣を懸命に抑えることだけです。必死になって絞り出せたのは、

    「会いたかった。もう一度、話をしたかった。叶わぬ夢と思っていましたが、こんなことが起るなんて・・・」

 麻吹君、いやシオリ先生は悪戯っぽく微笑んで、

    「バレちゃったか。サトルが悪いのよ。相変わらず女を撮るのが下手なんだから」
    「すみません」
    「確かにサトルの切り開いた世界で女を魅力的に撮るのは簡単じゃないけど、前にも言ったでしょ、撮れるんだって。撮れたらオフィスを潰しそうにならずに済んだのよ」
    「ごめんなさい」
    「三年間もなに遊んでたのよ、サトルは相変わらず甘いね。サトルはプロだろ、オフィスの看板背負ってるんだ。苦手を避けてどうするんだ。プロは食えなきゃプロじゃないんだよ。食うために克服せんかい」

 ああ、シオリ先生だ。

    「仕方がないから助けてやったんだよ。もうちょっと麻吹つばさで気楽に撮りたかったんだけど、オフィスを潰すまで見てる訳にはいかなかったからね」

 こうやって叱責されるのが懐かしすぎる。ダメだ涙が止まらない、

    「泣くんじゃないよ。明日から鍛え直してあげるから、根性入れときなさい」
    「先生・・・」
    「たく甘えん坊で、泣き虫のところまで一緒とは情けない。どこまで世話焼かせるんだよ」

 その夜からシオリ先生は復活されました。対外的には麻吹つばさですが、オフィス内ではシオリ先生です。ボクは人物写真で徹底的にしごかれます。

    「だからどうしてわたしのマネをしようとするんだよ。そんなものじゃ、意味がないってあんだけ教えたのをもう忘れたのかい。こんなもの二束三文の価値もないよ、全部ボツ、やり直し」
    「表情が死んじゃってるよ。憂いを含むったって、別に葬式に行ってる訳じゃないんだ。こんな陰気な写真が商売物になるわけないでしょ。イチからやり直し」
    「なによ、このケバケバしい写真は。華やかさとケバケバしさはまったくの別物。サトルが目指すのは艶やかさよ。全然わかってない、やり直し」
    「サトル、あんたは自分の世界を切り開いたけど、サトルが住んでるのはその端っこじゃないか。どうして、そんな狭い世界に満足しちゃうのよ。あんたの世界はもっと広いのよ。自分の世界の中心に立ちさえすれば、女の写真なんて撮れて当然」

 スタッフが笑いをこらえているのが目に入ります。シオリ先生は、

    「お前たちもサトルを甘やかし過ぎよ。だからお給料も減っちゃってるじゃない。みんなでもっと尻叩かないと」
    「バットとかムチですか」
    「それじゃ足りないね。バーナーで炙るぐらいはいりそうよ。そうでもしないと、コイツはすぐに小さくまとまろうとしやがるんだ」

 今回しごかれ直されてわかった事があります。シオリ先生が偉大なのは、常に燃えるような向上心がある事で、自分の可能性を片時も忘れず追求し続けていることです。今だってそうで、衝撃のデビュー当時こそ、

    『第二の加納志織』

 こう呼ばれていましたが、今では、

    『光の魔術師、麻吹つばさ』

 当初こそ加納志織の劣化コピーの悪評もありましたが、これを実力で覆しています。麻吹つばさは加納志織を越えてしまっているのです。シオリ先生は、

    「この世界は追っかけてくる奴がウジャウジャいるんだよ。ちょっとでも油断してるとすぐに追いつかれて、置き去りにされてしまうんだ。そうならないためには、常に先に進み続けるだけ」
    「だからシオリ先生はずっとトップランナーだったのですね」
    「わたしはカメラマンじゃなくてフォトグラファーだよ。フォトグラファーは職人じゃなくて芸術家なんだ、芸術にゴールなんてあるわけないじゃないか。サトルみたいにちょっとコツをつかんだら有頂天になって満足してるようじゃ、すぐに周回遅れで野垂れ死ぬんだよ。もっと気合入れんかい」

 いつものように散々なんですが、ボクには秘めた恋があります。加納志織時代は高齢のためにかないませんでしたが、今度こそと思っています。そのためには、まず自分の世界を極めないといけません。そうしないと、

    「ボツ、ボツ、ぜ~んぶ、ボツ。話になんないよ。これでメシ食えるとでも思ってるの。味噌汁で顔洗って出直しな」
 これ以上の会話さえままならないですから。

シオリの冒険:麻吹つばさ(1)

 シオリ先生の死は気持ちの問題だけでなく、オフィス加納の経営にも大きな影響を及ぼします。とにもかくにも直面したのは収入の落ち込みです。依頼件数が三分の一になっただけではなく、依頼料が四分の一になってしまいました。

 これは弁解になりますが、ようやく一流プロの末席に顔を出したばかりのボクにしたら、依頼件数は多いぐらいです。依頼料だって駆け出しレベルなら安すぎるとは言えません。ただ世界の巨匠と誰からも認められたシオリ先生との差は余りにも大きいのです。

 これを詰めるにはボクの仕事が認められ、依頼件数を増やし、依頼料を上げていくしかありませんが、とにかく背負っているのがオフィス加納ですから経営がたちまち苦しくなります。

 経営なんて素人なのですが、スタッフの説明から理解できたのは、オフィス加納の経営はシオリ先生の売り上げをベースに設定されており、収入が一割以下に落ち込めば赤字必至というところです。

 ボクの売り上げが急に増えるわけがありませんから、やれることはリストラしかありません。スタッフには給料の大幅削減か、オフィスを辞めて他のところに働くかの選択を示す以外にありませんでした。これを機に退職されたスタッフもいましたが、

    「サトル先生はシオリ先生の後継者だから、どこまでも付いて行く」
 こう言って、給料がガクンと下がっても残ってくれるスタッフも多くいます。それはそれで感謝ですが、予定より減らなかった分は経営に応えます。


 依頼件数ですが、これはボクにも責任があります。シオリ先生はボクを一流のプロの腕に鍛え上げてくれましたが、どうしても得手不得手があります。どうにも人物写真が苦手です。とくに女性、若い女性がからきし苦手です。この辺についてシオリ先生は、

    「サトルの持ち味じゃ苦手にするのはわかるけど、克服できるはずよ」
 こうは言ってくれていましたが、やはりダメです。若い女性相手の人物写真となるとアイドルや女優さんのグラビア撮影になりますが、我ながらイマイチすぎる代物で、当然のように人物写真の依頼は減っていくことになります。そうそう女性は苦手ですが、男性だから得意ってわけでもなく、ここが減るのが大きすぎる部分です。

 依頼料については原因がはっきりしています。シオリ先生及びオフィス加納の名を高くしていたのは、やはり光の写真です。この価値が高いのは良く知っていますが、失ってみるとその大きさが改めて思い知らされます。光の写真はそれだけで大きなプレミアなのです。ボクもシオリ先生に手ほどきをお願いしたことがあるのですが、

    「サトルも知りたいだろうけど、まず教えるのが半端じゃないぐらい難しいのがあるわ。それとね、これはわたしが産み出したテクニックじゃないの。カズ君がわたしのために編み出したもので、他人には教えられないのよ」

 シオリ先生以外に光の写真が撮れる者がいるのが信じられませんでしたが、シオリ先生は笑いながら見せてくれました。

    「カズ君はね、写真は素人だけど、光の写真については師匠なのよ。だってだよ、スマホでだって撮れるだけではなく、自撮棒でもセルタイマーでも撮れるのよ。どうやったら撮れるのかわたしでさえわからないもの」
 たしかに撮れてます。ボクが撮れないのはあきらめるとしても、世の中には特異な技術を持つ人がいるもだと感心させられました。それはともかく、光の写真のプレミアを失って経営は苦しくなっているのは事実です。シオリ先生時代の内部留保を食いつぶしながらの苦しい経営が続きます。


 三回忌が終わり、三年目に入った頃に弟子入り志願者がありました。弟子入り志願者もシオリ先生が健在な頃は殺到って感じでしたが、ボクが社長を継いだころから減り始め、シオリ先生が亡くなり、オフィス加納の経営が苦しくなっていくと随分少なくなっています。

 経営的にも弟子を取る余裕もないのですが、シオリ先生の遺言もあるので若い女性の志願者だけは会ってます。スタッフからは、

    「サトル先生、嫁さん探しですね」

 こう冷やかされますが、これまであえて弟子にしたいのはいませんでした。もっとも、シオリ先生の言葉自体が謎めいてますから、本当に来るのかなってところです。

    「サトル先生、こんどの弟子入り希望者は美人ですよ」
    「私もビックリした。世の中、広いと思いましたもの。あのクラスになるとシオリ先生に匹敵しそうです。きっと先生のお眼鏡にかないますよ」

 だから嫁さん探しじゃないのですが、だいたいシオリ先生と較べるのは大げさ過ぎると思ったものです。なにしろシオリ先生は、

    『撮られる女優やアイドルより、撮る加納志織の方が遥かに綺麗』

 ここまで呼ばれた人で、さらにその評価は八十歳を超え、死ぬまで不動のものだったからです。それは弟子として晩年のシオリ先生に仕えたボクはよく知っています。とにかく会って見ることにしました。

    「麻吹つばさです。よろしくお願いします」

 ひぇぇ、こりゃ美人だ。ボクだって男ですから美人を見れば素直に反応します。でも、写真は容姿で撮るものじゃなく腕で撮るものです。

    「写真を見せてくれるかな」

 写真を見ながら内心唸らざるを得ませんでした、とりあえず第一印象は華があるです。決して華美じゃないのですが、見ただけで心が浮き立つような感じが湧いてきます。構図も完璧。それも才能に任せてのまぐれあたりの感じと思えない感触さえあります。

    「ローもあるかな」

 これはシオリ先生の写真哲学を受けついでいるのですが、写真はローの時点で完成しているぐらいでなければならないです。これも驚くほかはありません。ここまでローの時点の完成度が高いからこそ、完成型はあのレベルになるのが思い知らされる気分です。

    「じゃあ、ちょっと撮ってくれるかな」
 面接にもってくる写真は当たり前ですが、それまで撮った中で最高のもののはずです。麻吹さんが持ってきた写真のレベルの高さに文句の付けようがありませんが、これがどれほどの確率で撮れるかです。

 撮った写真を見ましたが、もう仰天するほかはありません。ほぼじゃなく、全部がそうなんです。ボクだってここまで撮れるとは言えません。いや、ここまで撮れる写真家がこの世にどれだけいるかレベルの話になります。

 ボクは悩みました。技術は文句なしです。下手すりゃ、ボクより撮れるかもしれないぐらいです。弟子入り資格は余るほどありますが、弟子を雇える余裕がないのです。

    「星野先生、いかがでしょうか」

 麻吹さんには少し待ってもらい、スタッフと協議です。

    「弟子を取りたい」
    「サトル先生の判断に反対しませんが・・・」

 麻吹さんに正直に伝えました。弟子にしたいが給料はお小遣い程度しか出せないと。

    「星野先生の弟子にさせて頂いて光栄です。お世話になります」
    「じゃ、今から麻吹君と呼ぶよ」
 弟子にしてみて麻吹君の技術の高さ、そのセンスにはますます舌を巻かされます。聞いてみると高校の写真部から大学の関係学部に進学して、中途退学までして弟子入りしたとなっていますが、世の中にはこれほどの才能をもつ人がいるものだと呆れるぐらいです。

 このレベルなら後は実戦経験を積むだけだと判断し、仕事を任せてみたのですが、唸るほどの出来栄えです。かつてシオリ先生にしてもらったように、麻吹君の撮ったものをすべてチェックするのですが、指導するというより感想を言ってるだけみたいなものです。

シオリの冒険:シオリ先生の死

 ボクがオフィス加納を継ぎ、シオリ先生が顧問になって三ヶ月後に先生は倒れられました。シオリ先生は入院するより自宅での療養を望まれました。今どきの医療はそうなってるようですし、それよりなにより思い出深いマンションで最後の時を過ごしたいのでしょう。

 先生には子どもがおらず、妹さんも先に亡くられています。甥御さんと姪御さんがおられますが、付き切りの看病は無理みたいで、オフィスから人手を出しています。というか、みんな行きたがって交通整理が大変です。

 ボクもお見舞いと看病に訪れることがあるのですが、先生は女性ですから、どうしても女性スタッフの手が必要です。そんなボクに先生は、

    「サトルはオフィスを支えるために仕事に励みなさい」
 こう気丈に言ってはくれますが、日に日に衰えられ、見るのも辛い状況になっています。お見舞いには熊野古道で出会った五人組の方も来られます。これもだいぶ後で知ったのですが、あの方々はエレギオンHDの重役、いやトップ・フォーだと聞いて腰を抜かしたものです。

 その日は小山社長と香坂専務が来られ、シオリ先生と話をされていましたが、そこにボクも呼ばれました。小山社長はシオリ先生の長年の友人として看護に協力したいとの申し出でした。断る理由もなかったのですが、

    「シオリには出来るだけのことをしてあげたい」

 なんと医師と看護師を常駐させるとのことです。そこからシオリ先生が謎めいたことを話し出します。

    「サトル、落ち着いて聞いてね。一週間後にユッキーとコトリちゃんと香坂さんが来るわ。その時にわたしは死ぬ」
    「先生なんてことを・・・」
    「これはもう決まっていること。わたしが死ぬ時については、すべてはユッキーの指示に従ってくれる。サトルじゃ、まだ無理なことも多いし」

 シオリ先生の葬儀となると、たしかに大変な事になると覚悟しています。

    「それと、わたしが死んだ後は顔を見ないでね」
    「どういうことですか」
    「あははは、女心よ。老いさらばえた姿はさらしたくないのよ。サトル、わかった。頼んだわよ」

 小山社長が帰った後に、

    「サトル、お願いが一つあるのだけど」
    「なんなりと言ってください」
    「わたしが死んでからサトルのところに弟子入り希望の若い女が来るわ。悪いけど弟子にしてやってくれない」
    「先生の御推薦ならもちろんですが。お名前はなんと仰いますか」
    「それは言えない。でも、サトルなら写真を見ればわかるはずよ」

 それ以上は何を聞いても笑ってこたえてくれません。この日を境にシオリ先生の容体はさらに悪化し、食べ物どころか水も飲むことが出来なくなりました。意識も途切れ途切れです。それでも、少しでも意識がはっきりしているときは、

    「ユッキーの指示には従ってね。まあ、ユッキー相手に逆らえるはずもないのだけど」

 これもどういう意味かわかりませんが、予言から五日後にはシオリ先生の意識はついに戻らなくなり七日目に小山社長、立花副社長、香坂常務が来られました。小山社長は、

    「悪いけどコトリと三人にしてくれる」

 そう言われて立花副社長と残り、香坂常務は部屋のドアの前に立たれます。しばらくしてから、

    「先生を呼んでくれる」

 医師と看護師が入ってしばらくしてから、小山社長と一緒に出て来られ、

    「加納先生は今お亡くなりになられました」

 オフィス加納のスタッフもたくさん詰めてましたから、先生の顔を見ようと駆け寄ろうとしましたが、小山社長は、

    「シオリは死に顔を見て欲しくないとの遺言です。御遠慮ください」

 小山社長とは熊野古道で『あ~ん』までしてもらってますし、これまで何度か顔を合わせた時はホントに可愛くて楽しい方でしたが、この時は、それはそれは厳しい顔でした。いや、あれは厳しいを通り越して怖い顔です。それでもスタッフが、

    「せめて一目だけでも」

 こう詰め寄ると、

    「女心をわかってあげなさい」

 小山社長は実業界では氷の女帝と怖れられてると聞いていましたが、その実像をまざまざと見せつけられました。小山社長が一睨みすると、誰も声すら出なくなってしまったのです。声どころか息をするのも苦しいぐらいです。

    「後は遺言により小山が宰領します」
 物凄い迫力というか重圧で、誰も逆らうなんて出来ませんでした。これがシオリ先生の言っていた、誰も小山社長に逆らえないの意味だと良くわかりました。小山社長はマスコミなどの対応を担当し、葬儀の実務は香坂常務が担当となります。ボクも含めてオフィスのスタッフはその指示の下に動く事になります。

 香坂常務はテキパキと指示を下していきます。すぐにエレギオンHDからの応援部隊も到着し、遺体は葬儀場へと運ばれます。葬儀自体は近しい人だけで執り行うと言われ、急を聞いて駆け付けた御親戚の方と、オフィス加納のスタッフ、エレギオンHDのあの四人だけでしめやかに行われました。

 葬儀の後にお別れの会がクレイエール記念ホールで行われました。写真業界だけではなく、芸能界や各界の有名人たちが多数集まり執り行われました。ボクも挨拶に出たのですが、小山社長の威厳というか威風は、ウルサ方と呼ばれる人々を余裕で抑え込んでいると感じました。

 ボクもバタバタと葬儀の準備に追われてしまった部分があるのですが、オフィス加納を代表して弔辞を読ませて頂いています。祭壇の上にはシオリ先生の大きな遺影が掲げられています。もう涙、涙で、最後まで読むのが大変でした。


 シオリ先生の死はマスコミでも大きく取り上げられ、

    『写真界の巨星逝く』
 年齢が年齢なので早すぎたということはないのですが、とにかくあの見た目の異常な若さと、最後まで現役であったことがあちこちで採り上げられ、ワイドショーとかで、その経歴と功績が紹介されています。

 小山社長は葬儀だけではなく四十九日、百か日の法要もキチンとされ、遺骨は亡夫の墓に埋葬されました。シオリ先生の旦那さんは直接に会うことは出来なかったのですが、夫婦仲は本当に良かったらしく、旦那さんが亡くなった時にはシオリ先生が一度はカメラを置くぐらいであったのは知っています。シオリ先生は、

    「サトル、五年かかったけど、やっと会いにいけるわ。浮気してなきゃイイけど」

 四十九日の法要が済む頃には一段落だったのですが、オフィス加納にポッカリと大きな穴が空いています。あの快活なシオリ先生の声が今日も聞こえる気がします。スタッフも悲しみと寂しさに必死で耐えているのがヒシヒシと感じます。ボクだってそうです。スタッフからは、

    「最後にシオリ先生にお別れの挨拶がしたかった」
 こう言われましたが、シオリ先生が小山社長とああいう葬儀の段取りを決め、ボクも了承したことを伝えると、段々と納得してくれるようになりました。そこからはとにかく仕事に専念しました。

 そうなんです。今のオフィス加納を背負ってるのは名実ともにボクなんです。ボクの働きがオフィス加納の将来を決めます。シオリ先生から託されたオフィス加納を守るのがボクの仕事です。