ツーリング日和12(第7話)ドカとの再会

 島後の北部のメインスポットがローソク島。海上にあるのだけど本当にローソクみたいな形をしてるのよ。ここには遊覧船も出てるけど、

「夕日をバックにするとローソクに灯がともるように見えるインスタスポットや」

 見たかったけど、こんなところで夕日を見てたら西郷に戻れなくなるから、ローソク島展望台でお茶を濁させてもらった。白鳥崎展望台、浄土が浦、黒島展望台と足早に訪れて、西郷を目指した。

 隠岐のツーリングは快適だ。こんなところだから殆ど信号もないしクルマも少ないからね。とくに今回は山越えの道を走らなかったからかもしれない。見える風景は、そうだね日本の原風景で良いのじゃない。

 平地があれば田んぼになってるし、山は森が深い。海岸線は荒々しい岩が景観を作り上げてるけど、きついワインディングの連続で困るって程のものじゃない。

「バイクもそうやけど、クルマで来るのも少ないんやろ」

 そんな気がする。京阪神からでも近いとは言えないものね。隠岐も見どころが多いけど、

「出雲まで来たら他の観光地が優先されるやろ」

 この辺はクルマで観光するにも、バイクでツーリングするにも名所がたくさんあるからね。たとえば程度でも、松江、宍道湖、出雲大社、大山、蒜山・・・この辺だって一日で回るには手に余るところがあるぐらいだもの。その辺をまず終わらせて次かと言えば、

「そうでもあらへんわ」

 さらに西へ流れて萩とか津和野とか、秋吉台や秋芳洞に向かうものね。言い方は悪いけど中国地方の他の観光地をすべて回って、その次ぐらいに位置してしまうのが隠岐かもしれない。

「あれやろな。出雲まででもエエ加減遠いのに、そこからさらに二時間半のフェリーやからな」

 フェリーを使う旅はテンション高めるけど、その二時間半があればあれこれ観光できるというのはわかるのよね。だって移動時間だけなら大阪から東京に行けてしまうもの。ついでに言えばフェリーは片道だけじゃなく往復だ。

「こんなん較べるようなもんやあらへんけど・・・」

 隠岐空港から伊丹までなら一時間かからないよね。羽田からだって出雲空港経由になるけど三時間半なのよ。

「それとやけど目玉の見どころがあらへん」

 これも誤解されそうだけど見どころは多いのよ。だけど、死ぬまでに一度は見ておきたいクラスの有名なスポットはないのよ。人はね、見どころにもブランドが欲しいのよ。島後ならローソク島があるけど、

「言うたら悪いが自慢にならん」

 知る人ぞ知る過ぎるかな。ローソク島を見るために、ここまでの手間ひまをかけたいかになるぐらいのお話だ。それだったら松江城とか、出雲大社が優先度が桁が二つぐらい高い。

「最後はファミリー向きやないな。子どもやったら退屈するわ」

 大人と子どもは感性も楽しみ方も別なのよね。端的には海と奇岩が織りなす絶景を見ても、子どもなら、

『海と岩だけやん』

 こう感じてしまうぐらい。この辺は大人だって差は大きいけど、大人と子どもの感性の差はもっともっと大きいもの。子ども目線で興奮させてくれるものがどれだけあるかは考え込んでしまうかな。

「そやけどツーリングやったら聖地認定してもエエ気がする」

 同意。とにかく走っていて気持ちが良い。移り変わる景色は目を楽しませてくれるし、信号がなく、クルマの少ない道は走っていて快適そのもの。観光スポットもガラガラだからバイク乗りにしたらそれも嬉しいのよね。

 隠岐の観光を貶してるように聞こえるけど、観光客は来てるはずなのよ。そうじゃなければ西郷だけであれだけの立派なホテルがあるはずがない。

「宿泊客数はおおよそ十万人ぐらいや」

 季節変動はあるはずだけど一か月に一万人弱程度か。なんとも微妙なところだ。月に一万人は多そうにも見えるけど一日平均にしたら三百人ぐらいだものね。もちろん週末とか連休に偏るだろうし、言うまでもなく冬は少ないはず。

 そんなことをコトリと話しているうちに西郷に戻ってきた。島後一周ツーリングの完成だ。さて今日の宿は、

「ここや」

 コトリだねぇ。やっぱりホテルを選ばずに民宿か。これは昭和の建築だろうな。あの頃のチープさが外壁に出てるもの。中も・・・あははは、なかなかの貫禄じゃない。いかにも昭和の民宿って感じがプンプンしてる。

 ちゃんと掃除してあるのは好感持てるけど、こういう建物っていくら掃除しても綺麗というか清潔感が出にくいのよね。廊下もウグイス張りだ。お風呂もなかなだね。このドアのガタピシ感がなんともだ。

「これも風情やろ」

 この世はすべて値段なりの部分はある。こういうことでも、

『値段の割には・・・』

 これを求めるのは人情だけど、それを設備に求めてしまう勘違いもこの世には多いのよね。こういう宿の最大の売りは、

「安いこっちゃ」

 まずこのメリットを最大限に感じなくっちゃいけないのよ。設備の充実が欲しいならカネ払えだ。そうだねこの三倍ぐらい払えばデラックス・ホテルに泊まれるはずだよ。そこなら豪華な設備にありつけるんだよ。

「メリットの感じ方やろな」

 こういう宿は家族経営で人手も少ないところが多いのよ。フロントだって常時いるわけじゃない。宿に入って声をかけたって、なかなか出てこない事だってある。その分の人件費を安くあげてるのが宿代の安さにつながってるってこと。

「そやけど生き残ってるとこは安かろう、悪かろうじゃあらへんで」

 いくら安くても、悪かろうだけじゃ潰れるよ。なにを頑張ってるかだけどサービスだよ。このサービスだって勘違いしてるのは多くて、

「コンシェルジェとちゃうからな」

 こういう宿の方が宿が客を選ぶのだよ。前提はね、値段なりの設備に納得していること。そこに不満を言う客など二度と来ないから、宿だってそれなりの塩対応にしてしまうんだよね。

「こういう宿のサービスは気分一つで天と地ほど変わるからな。マニュアルでガチガチのとことは根本的にちゃう」

 上手く使えば料金外のサービスが『好意』であれこれ出て来るってこと。あくまでも『好意』だから、気に入らない客には何も出てこないってこと。

「その辺の機微を勘違いしとるんが多いわ」

 さてだけど、ここも夕食はお食事処。そう言えばだけど、いたよね。

「ああ、まさかやった。こんな宿にあのドカが泊ってるとはな」

 隠岐ツーリングをするのなら、西郷で泊まって翌朝のフェリーに乗るのが定番だけど、ドカにこの民宿は合わないよ。

「それは言い過ぎやけど意外やった」

 今日の泊りはわたしたちを含めて二組だからお食事処で会うはず。食事に呼ばれて行ってみるとドカの女がいた。まさかと思ったけど女のソロツーなのか。女がソロツーしたってなんにも悪くないのだけど、いくら日本の治安が良いと言ってもやっぱりね。

 お食事処と言っても座敷に座卓を置いてるだけだから隣合わせだ。やっぱり気になるけどサングラスとスカーフを取ったドカの女って・・・コトリが如才なく声をかけてくれた。

「ソロツーですか」
「ええ、そちろは女二人のマスツーですか?」

 コトリも感づいたみたいだ。これは驚かされる。まさかこんなところ、それもこんな宿で会うなんてね。さてここからどうするかだ。サングラスもスカーフも変装だろうし、ホテルを避けたのも意味があるとすれば気づかないフリがベターなのかもしれない。コトリはどうする、

「今日は三人だけやから御一緒しましょうや」

 なるほど同じ食卓を囲もうってことね。バイク乗りなら不自然な流れじゃないもの。さて今日の夕食だけど、

「さすがやな」

 これはこれでなかなかじゃない。ドカンとタイの尾頭付きの塩焼きがあって、ヒオウギ貝にサザエ、白ミル貝とは嬉しいよ。

「これはアメフラシやって」

 隠岐ではベコと呼ばれてて普通に食べるそう。

「岩ガキもたまらんな」

 隠岐にも地酒があって隠岐誉っていうのだけど食事によく合ってるよ。お酒も入ったところで、

「朝のフェリーに乗ってられまへんでしたか」

 切り出して行ったか。

「目立ちますものね」
「ドカも目立ちましたけど、それよりあなたがもっとでっせ」

 さてどう反応するかだ。知らん顔するのだったら、あえて触れてあげない方が良いはず。そりゃ、人にはあれこれ浮世の事情があるもの。でも応えてくれそうな気がする。だって隠岐に女一人、それもソロツーは不自然過ぎる。そんな事を考えていたら、ドカの女は面白そうに笑って、

「まだ覚えてもらっているとは光栄です」

ツーリング日和12(第6話)島後観光

 下船準備のアナウンスがあり、車両甲板デッキに。待つうちにランプウェイが開き、係員の誘導に従って、

『ガタンガタン』

 フェリーを使ったツーリングでランプウェイから下りた瞬間が好き。ついに上陸したぞの感動と、これから始まる冒険にわくわくしてくるもの。ここが西郷港のターミナルビルなのか。七類港も立派だったけど、ここも負けず劣らずだ。道路の正面に見えているのは隠岐ビューホテルか。なかなか立派なホテルじゃない。

「まずメシや」

 西郷の町内は鄙びてはいるけどちゃんと街だ。

「そりゃそうや。島後は全島が隠岐の島町やけど、一万五千人ぐらい住んどるからな」

 コトリが選んだ店は民芸風と言うか蔵風と言うか、

「味乃蔵丼と隠岐そば」

 店内には有名人の色紙がたくさん貼ってあるから、フェリーからも近いから御用達みたいな店かもしれない。味乃蔵丼は海鮮丼の事だけど、ビッシリって感じで刺身で埋まってるよ。

「隠岐の海鮮を食べてるって感じがエエな」

初っ端がこれならテンションあがるよ。お蕎麦の方は・・・う~ん、これは、

「十割蕎麦やからな」

 蕎麦にはグルテンが含まれていないから麺にするのは難しいのよね。やたらと十割蕎麦を崇める人もいるけど、どうしたってぶつ切れ感が出てしまう。素直に小麦粉と合わせる方が良いと思うけど、

「隠岐の名物になっとるからな」

 これも隠岐で食べたというのが重要なグルメよね。それなりに満足して出発。西郷の街から西郷大橋を渡る。隠岐にも空港があるのか。

「六便ぐらい飛んでて、伊丹にも羽田にも福岡にも行けるで」

 なかなか便利じゃない。空港が目的じゃなくてその先にある西郷岬灯台に。あっちに見えるのが島前だ。さすがの眺望だよ。見終わると引き返して玉若酢神社へ。

「これが八百杉か」

 隠岐の三大杉の一つで八百比丘尼が参拝した時に植えた伝説が残ってるとか。随神門と本殿は茅葺なんだ。ここは隠岐の総社とされてるけど聞きなれない神様だな。

「景行天皇の息子の大酢別命が隠岐に遣わされて、その息子が玉若酢命やそうや。国造になったんやろうが、玉若酢命の子孫が億岐家で、今でもこの神社の神主や」

 それは古いよ。日前宮の紀家とか、出雲大社の千家とか北島家に匹敵そうな家柄だよね。この若玉酢神社があるのは甲野原と言うらしいけど、これは『国府の原』が訛ったそうで、この辺が古代の隠岐の中心だったそう。

 そこからコトリの趣味で寄り道。北に上がって隠岐国分寺。現在の建物は二十一世紀の再建だけど、コトリの興味は後醍醐天皇の行在所。隠岐国分寺が行在所とされる理由は増鏡に、

『海づらよりは少し入りたる国分寺といふ寺を、よろしくさまにとりしひておはしまさむ所にさたむ』

 こうあるのが最大の根拠かな。だけど島前の西ノ島にも後醍醐天皇の行在所して黒木御所跡があって争奪戦をやってるのよね。

「コトリはどっちも行在所やったと思うてる」

 隠岐の守護は佐々木氏で、後醍醐天皇が隠岐に遠流された時が清高なんだ。この清高は執権の北条高時が烏帽子親で『高』は高塒からもらった諱になる。清高は幕府の引付衆にもなるのだけど、

「引付衆は評定衆に昇進できるエリートコースみたいなもんや」

 評定衆は幕府の内閣みたいなものと思えば良いかな。つまりって程じゃないけど清高は幕府のエリートだったことになり、隠岐守護ではあるけど隠岐に在任しているわけじゃなかったのよ。元弘の変で後醍醐天皇が隠岐に遠流されるのだけど、

「ここが微妙ではっきりせんとこがあるんやが」

 どうも後醍醐天皇が先に隠岐に着いて、それを追いかけるように清高が隠岐に監視のためにやって来たで良さそうなのよ。二人の到着時間にどれぐらいの差があったかは不明だけど、当初隠岐国分寺を行在所にしていたのを、

「西ノ島の黒木御所に遷したと見とるわ」

 これが清高が隠岐に来てから黒木御所が建てられ始めたのか、後醍醐天皇の遠流が決定された時点で作られ始めたのかも不明だけど、引付衆の清高がわざわざ派遣されるぐらいだから、

「隠岐での後醍醐天皇の処遇の変更の命も清高は受けてたんちゃうか」

 後醍醐天皇にとっては隠岐国分寺から黒木御所に遷されたのは冷遇だったかもしれないけど、

「結果として隠岐脱出のチャンスを得たかもしれんな」

 来てみると良くわかるのだけど、島後と島前は遠いのよね。今だってフェリーで一時間以上かかるんだもの。当時の手漕ぎ船なり帆掛け船だったら半日仕事の気がする。

「清高がどこにおったかで変わるんやが」

 コトリは島後にいた可能性が高いと見てるの。今も昔も隠岐の中心は島後だからね。もし清高が西ノ島に手勢を率いて後醍醐天皇を監視していたら脱出どころか、本州からの秘密の連絡さえ取れないはずだもの。

「清高も、そもそも隠岐から逃げ出すのは不可能と見とったんちゃうやろか」

 これは後醍醐天皇がたとえ隠岐を脱出しても対岸の出雲守護が塩冶高貞だったからというのもありそう。高貞も清高の同族で、さらに清高は高貞を信用していたのはある。だって後醍醐天皇脱出後の追捕の協力を要請しているぐらい。

「塩冶高貞が脱出のキーやってんやろな」

 後醍醐天皇脱出の手引きをしたのは高貞だろうって。後醍醐天皇だって隠岐を脱出しても出雲で捕まったら意味ないものね。出雲に味方がいるから脱出したはずだもの。

「計画通りにはいかんかったけど、結果オーライや」

 出雲を目指した後醍醐天皇が着いたのは伯耆。だけどそこで名和長年の全面協力が得られて船上山の合戦で追いかけて来た清高を撃退し、これが鎌倉幕府滅亡につながっていくんだものね。

「なんで殺さへんかってんやろ」

 コトリが言うには後醍醐天皇を隠岐に遠流しただけじゃなく引付衆の清高を送り込んだのは後醍醐天皇処分の密命もあったはずだって。その前段階が隠岐国分寺から黒木御所への移送で、これは同じ島後にいたら天皇殺しの疑いをかけれるからぐらいかもだって、

「その辺は政治や。あくまでも自然死に仕立てなアカンぐらいや。もっとも清高も自分の手を汚したあらへんかったから、冷遇の末のホンマの自然死を待つつもりやったんかもしれん」

 歴史には常に『if』があるのだけど、あの時に清高が後醍醐天皇をさっさと殺していたら、

「どっちにしてもグダグダの太平記の時代になるのだけは変わらんやろ」

 コトリはホントに南北朝時代は好きじゃないのよね。隠岐国分寺から屋那の松原に。ここも舟屋が有名みたいだけど伊根の舟屋のように住居と一体じゃなく、舟用の納屋が並んでる感じか、

「貸ガレージが並んどる感じやな」

 島後のツーリングだけど制限がある。制限と言っても時間的制限で、これはコトリも頭を悩ましてた。神戸からだって隠岐は遠いのだけど、高速を使えば一日で行けるのよね。そうだね朝の三時ぐらいに出発すれば七類港の九時のフェリーに間に合うのよ。

 ただね七類港の九時のフェリーがある意味ネックなのよね。島後の西郷に昼前に着くのだけど、到着した日は半日しかツーリングに使えない。隠岐に来たら島後だけじゃなくて島前にも渡りたいと誰でも考えるけど、

「翌日の七時半のフェリーやねんよな」

 西郷を七時半だから、西郷に泊るしかない。つまり島後の観光に使える時間は一泊してるのに半日しかない事になる。ここでもう一つの選択がある。境港を十四時半に出航するフェリーだ。

 これに乗れば西郷は十六時半到着だから、そのまま泊るしかないけど、翌日はフルにツーリングに使える。それだけあれば島後はほぼ回れるはず。

「その代わりに島後に二泊になる」

 わたしたちは下道専科のツーリングだから、奥津温泉から十四時半のフェリーに乗ろうと思えば、ひたすら走るツーリングにしないといけない。そう、蒜山も大山も走り抜けるだけになっちゃうのよ。

「蒜山も大山も寄りたいやん」

 隠岐を重視すれば蒜山も大山も吹っ飛ばすのはありだけど、ここまで来てるのに通り抜けるだけはもったいないぐらいかな。

「半日でもけっこう回れるで」

 島後の観光スポットは海岸沿いだけでなく山の中にもある。いくら島でも両方を半日でカバーできないから、

「海岸線を一周や」

 壇鏡の滝は割愛して次に訪れたのは油井の池。油井ってなってるから石油でも噴き出しているのかと思ったけど、

「ほとんど草で埋まってるな」

 丸い池なんだけど、どうしてこんなくぼみになってるのか議論があるそう。シンプルには噴火口の跡だけど、隕石が激突したんじゃないかの説もあるそう。油井の池から次に目指したのが水若酢神社。

「隠岐一之宮や」

 総社と一之宮の関係だけど、律令時代に国司として赴任すれば、その国の神社を順番に参拝する仕事があったそうなんだ。その一番目が一之宮で、当時は二之宮以下が序列化されてたはずなんだ。

 これは国の広さにもよるけど、交通手段がプアな時代だから時間もかかるし面倒だってなったみたいで、国府の近くに各地の神社の祭神の分祀を集めた神社を作り、そこに参拝すればOKみたいにしたのが総社だそう。

「今かってあちこちにあるやんか。八十八か所とか、西国三十三か所とか」

 発想的にはそっちか。この水若酢神社も古いなんてものじゃなく、古すぎて祭神である水若酢命が何者かもよくわからないぐらい。この辺は戦火で資料や記録が焼失したのもあるそうだけど、

「この辺は古墳群もあるさかい、古代から神聖地帯やったんかもしれん」

 玉若酢神社が島後の南方の中心なら、水若酢神社は北方の中心ぐらいかな。

「どっちも若酢が付いとるから同類なんやと思うけどな」

 玉若酢命は景行天皇の皇子の末裔になってたけど、それこそ古代では若酢族みたいなのが支配権を持ってたのかもしれない。

「出雲系の天八現津彦命の子孫から隠岐を奪ったんかもしれんけどな」

 玉若酢は景行天皇の息子だからそうなるかも。こんな絶海の孤島で古代の支配権争いがあったのかもしれないけど、今となっては伝承すら残っていないのよね。

「隠岐風土記でも残っとったら良かってんけど」

 全国で作られたはずの風土記も殆ど残ってないのよね。残っていて有名なのが播磨風土記と出雲風土記だけど、それ以外になると断片とか逸文でもあれば良い方で、隠岐風土記になると存在していたかどうかも不明の代物だものね。

「あったはずやねんけどな」

 最低でも国府と朝廷の二部は作られてたと思うけど、紙は燃えるし、虫にも喰われるから、隠岐風土記みたいなマイナーなものを筆写する酔狂な人はあんまりいなかったんだろうな。

ツーリング日和12(第5話)ドカの女

 ここは二階の船尾にあるオープンデッキの椅子席。出航風景を見送ろうぐらい。電車もそうだけどフェリーも乗っている間は退屈なところがあるのよね。観光旅行なら風景を楽しめるけどビジネス、たとえば東京までの電車になるとウンザリする時はある。

「そやからパソコン持ち込んで仕事してるやつが多いわ」

 出来るアピールの人もいるかもしれないけど、良く言えば時間の有効活用、悪く言えばヒマ潰しのとこもあるのよね。他にも本を読んでたり、雑誌を買い込んで読んでたりもあるし、

「スマホゲームが多いやん」

 その中で昔からポピュラーで今でも多いのが寝るなのよね。わたしたちも寝たって良いのだけどまだ起きたばかりだし、旅への高揚感があるからコトリとダベってる。これは二人旅だから出来る楽しい時間。

「ドカがおったな」

 ドカとはドカッティのこと。ドカッティもバイク乗りの憧れのバイク。クルマで無理やり例えればフェラーリとかランボルギーニかな。日本でも見かける事さえ少ないから存在するだけでバイク乗りなら目を引かれちゃう。

 ドカッテイと言えばパニガーレみたいなスーパースポーツが思い浮かぶと思う。フルカウルのガチガチのレーサータイプ。色も派手めな感じ。だけどフェリーで見かけたのを一目見てドカッテイと気づけたら、ちょっとした通かな。

「スクランブラーやもんな」

 スクランブラーはクラシックなヨーロピアン・スタイルで良いと思う。コンセプトとしてはカフェ・レーサーだ。

「スクランブラーかって、アーバン・モタードみたいな派手なカラーリングもあるけどナイトシフトやんか」

 都会の夜に溶け込むのがコンセプトだったかな。だからカラーもグレーが基調になった渋いもの。だから車体に書いてあるDUCATIの文字を読むまでどこのメーカーなのかわからなかった人も少なくなかったはず・

「あんなもん滅多に見いひんからな」

 わたしも実際に走っているのを見るのは初めてだもの。スペック的には800CCの七十三馬力だからムチャクチャ速いわけじゃない。これも誤解を招くな。ドカのイメージ的にスーパースポーツだから、それに比べたら程度のもの。普通には余裕で速いよ。

「速度を競うモデルやあらへんからな」

 ゆったりと言うより悠然と走るモデルかな。だから日本ではあまり見かけないのかもしれない。そういう需要はあるけど、ドカなら速く走れないと意味がないがあるぐらいかも。ブランドのイメージってあるものね。

「それもあるけど高いわ」

 百四十万円ぐらいだったかな。百四十万円は素直に高いけど、それでも普通の軽自動車程度とも言えないことも無い。だけどね、バイクにしたら高すぎる感覚があるものね。

「この辺はバイクの特徴や。セカンドカーになるわけやないからな」

 軽自動車ならセカンドカーとして使用用途は広いのよね。だけど大型バイクはとにかく日常ユースに使いにくい。どれだけ大きくとも二人乗りだし、荷物だって乗らないし、天候の影響はモロ。

「趣味としてバイクを走らせたい人に存在してるようなもんや」

 だからフェラーリとかランボルギーニの例えが出ちゃうのよね。だから走っているだけで注目されるし、持ってる人にバイク乗りが憧れのまなざしを向けてしまうのは確実にある。

「ベルスタッフやな」

 これはドカに乗ってる女のライディング・ウェア。一九二四年創業のイギリスの老舗ブランド。あのドカに良く合ってた。歳の頃は、そうだね、

「どやろ四十ぐらいちゃうか」

 四十歳とコトリは言ったけどおばさんではない。スタイルに崩れたところなんてないし、身のこなしもスマートだ。肌だって、

「ああ、あれは相当に手を入れとるわ。それだけやのうてあのメイクは素人には見えん」

 女なら誰でも化粧はするけど、その巧拙は確実にある。とくに玄人の化粧は違うのよね。玄人と言ってもあれこれいるけど、

「モデルとか女優のメイクの感じがするわ。夜の蝶ならもっと濃いやろ」

 女なら四十ぐらいって気づくけど、男からならもっと若く見えるはず。いわゆる美魔女って感じで良いかな。

「綺麗かどうかはわからんけどな」

 まず大きなレイバンのサングラスをしている。それだけじゃなく、スカーフで口許を覆ってるから顔が見えないのよ。バイク乗りがそういう格好をしているのはおかしくはないのだけど、あれじゃ美人かどうかは確認出来ないのはコトリの言う通り。

「あれって日焼け対策だけやない気がする」

 そんな感じはあった。さてだけど、これから向かう隠岐だけど歴史はそれこそで古い。だってだよ応神天皇の時に、天八現津彦命の後裔が意岐国造に任命されて始まったとなっている。

「応神天皇は神功皇后の息子やもんな。そやけど隠岐まで国造を派遣するほど勢力範囲が広かったかは疑問や」

 これは播磨風土記になるけど、応神天皇の足跡は加古川の東部に留まる感じのとこもあるのよね。それを言いだしたら神功皇后の三韓征伐なんてどうやって行ったかになるのだけど、

「古代でも寄子寄親関係やったんちゃうか。あれは古代ローマからあるやんか」

 パトローネスとクリエンティスね。神功皇后の時代は大親分みたいに君臨してたけど、応神天皇はそこまでなかったか、代替わりの混乱を修復して回っていたのか。そんなもの確かめようもないものね。

「天八現津彦命もはっきりせんとこがあるやんか」

 つうかわたしは知らないもの。通説では大国主命の一族とされてるけど、

「一説では建御名方神の一族つうのもある」

 建御名方神も大国主命の息子ないし孫って説があるぐらいだから出雲系で良いでしょ。もうこの辺になると完全に神話の世界で定かではないぐらいにしか言えないよ。

「そやけど隠岐最古の古墳は四世紀まで遡るし、四百基以上あるとされとるで」

 卑弥呼が三世紀の人だから、その百年後には古墳を作るぐらいの文化と勢力が隠岐にはあったことになる。

「そうとも言えるけど、古墳時代にはヤマト文化圏に入っとったも言えるで」

 だからだと思うけど令制国として最初からあるし、延々と明治維新まで続いてるものね。

「あれやろな半島や大陸から出雲に渡るのに中継点として使われたんやろな」

 半島からなら対馬、壱岐から北九州だろうけど、もし北九州を避けたいと思えば隠岐経由のルートがあったはずだもの。隠岐は小さいけど水は豊富だし、少ないながら平地もあって、

「江戸時代には一万三千石や」

 今だって二万人ぐらいは住んでるのよ。地理的には絶海の孤島だけど、見ようによっては、

「隠岐で自活は可能や」

 この辺は想像の世界だけど日本列島を目指していた渡来人が隠岐で定着してしまったのが始まりかもしれないね。この辺は船が壊れたりもあったと思うよ。

「そやから文化も高かったんやろ」

 律令政府との関係もしっかりあって、延喜式にも隠岐の鮑は何度も書かれ、当時の最高級品として扱われているのがわかるのよ。

「貢納品として鮑の量は律令時代は全国一となっとるぐらいや」

 もちろん鮑だけが貢納品じゃないけど、当時の貴族は鮑と言えば隠岐みたいなブランド品だった気がする。

「長崎の俵物にもされたからな」

 俵物とは出島での輸出品。隠岐からは干鮑、煎海鼠、干イカがかき集められて送られてるものね。今でも鮑は、

「もちろん取れるで。そやけど昔みたいなプレミアはあらへんかな」

 この辺は輸送が発達して隠岐の海産物が不利になったぐらいかもしれない。鮑も生から調理をするのが主流だから、大消費地から隠岐は遠いのよね。それでも古代貴族が愛した鮑を食べるのは楽しみだな。

「コトリもや。味は変わらんはずやからな」

 まだ見ぬ隠岐で何に出会えるだろう。

ツーリング日和12(第4話)渡海

 大山寺から県道二十四号で米子に向かう。道は良いし、向うに米子市内が見えて良い感じ。今日は宿に向かうだけだけど、皆生にしたのかな。

「それでも良かったんやが、近い方が明日に便利やろ」

 皆生も立派な温泉だけど、松江出張で温泉を利用しようとすれば皆生か玉造の二択みたいなところがあるものね。県道二十四号から国道四三一号に入り、見えて来たのがお菓子の寿城。あれは米子城の天守閣を模して作ったって聞いたけど、

「あれもおもしろうて本丸に四重櫓もあってんよ」

 四重櫓? 三重櫓ならあちこちにあるけど、天守閣以外で四重櫓は珍しいな。それも本丸にでしょ。連立とかじゃなかったの?

「四重櫓は吉川広家が天守閣として作ったんやが、後で城主になった中村一忠が別に天守閣を作ったそうや」

 その時に吉川広家の天守閣も残しちゃったから四重櫓として明治まで残っていたんだって。なんか無駄遣いにしか思えないけど、前城主の権威を凌ごうとしたんだろうな。もう一つ気になるのがどうして米子城が江戸期に存在してるのよ。

 米子は伯耆なんだけど、因幡と伯耆はどちらも鳥取藩で、因州池田氏の所領なんだよね。ごく簡単には今の鳥取県が因州池田氏の領地だったんだよ。それだったら一国一城令で廃城になるはずじゃない。

「一国一城令やけど、大名が複数の令制国を持っとる場合は、各令制国ごとに一城はありやったんや」

 この辺も原則と例外は多々あるそうだけど、取り合えず因州池田氏は因幡と伯耆を領有してるから因幡の鳥取城の他に伯耆に米子城が持つのは可能なのか。

「まあそうや。プラスアルファで言うたら池田氏は織田、豊臣、徳川の時代をこれ以上はないぐらい上手に立ち回ってるやんか。因州池田氏で言うたら、鳥取城、米子城の他に倉吉城も許されとるわ」

 なるほどね。最優秀の戦国サバイバーの成果って訳か。そりゃ池田氏は因州もあるけど、備前岡山にもあるものね。国道四三一号は皆生大橋を渡り、弓ヶ浜沿いを北上。弓ヶ浜は中海の西側の浜だよ。あれは自衛隊じゃない。

「ああ陸自の米子駐屯地や」

 こんなとこにあるのか。この道は中央分離帯に植栽があって、左右にも断続的に並木がある整備された道だけど、都市の道だから景色は良くないし、信号も普通にある。

「米子と境港を結ぶ幹線道路やからそんなもんやろ」

 そうなんだけどツーリングにはツマラナイよ。文句言ってもどうしようもないけどね。あくまでもちなみにだけど米子市は鳥取県で、その北側の境港市も鳥取県。弓ヶ浜あるところを弓ヶ浜半島とも呼ぶらしいけど、この半島は鳥取県なんだ。島根県は弓ヶ浜半島の根っ子の米子の西隣の安来市からになる。

「米子空港は鳥取県になるんやが、ここには空自の美保基地もあるやんか。この美保は美保関から来とるはずやが、美保関は島根県になるねん」

 どうして米子基地とか境基地にしなかったのかは不明だって。

「海軍が最初から美保海軍航空基地と名付けて建設しとるからな」

 境港市内に入って一番北側まで抜けると、これはイイじゃない。

「境水道や」

 海側が漁船の船着き場になってるみたいで、対岸の島根半島が良く見えて気持ちが良い道だ。

「あそこのサイロみたいなものがあるビルの手前を左に入るで」

 あれはフェリーターミナルだって。

「突き当たったら左や」

 この道は水木しげるロードになっていて、妖怪の銅像とかモニュメントが並んでいるそう。そんなものがあるのは水木しげるが境港市出身だから。それでもって今日の宿だけど、まるでマンションみたいだな。

「これでも温泉付きや」

 そうなんだ。入ってみると見た目通りにホテルだな。ちょっとこじゃれたビジホぐらいに言えば良いかもしれない。部屋はおもしろいな、

「畳敷きにベッドや」

 大浴場は十二階にあって露天風呂付。境港市内が一望なのは良いところかな。食事はレストランでのバイキング。さすがに魚は美味しいな。今日も良く走ったから熟睡。朝風呂に入ってから朝食バイキング。

「朝食が七時からでバイキングなのは嬉しいな」

 それはある。旅行中の朝の出発は宿の朝食時間に縛られるのよね。八時ぐらいからが多いけど、そうなると出発は早くて八時半ぐらいになっちゃうもの。それとツーリングは体力を使うから朝はしっかり食べときたいじゃない。

「別に朝だけやないやろ」

 コトリもだろうが。乗るのは昨日見たフェリーターミナルなの?

「境港から出る便は十四時十分やから七類港の九時の便に乗る」

 このホテルから十五分ぐらいだそうだけど、例の通り一時間前に行く必要があるから七時半に出発。境港から美保関に渡るには境水道大橋を渡るのだけど、たしかこの辺に有名な橋があったはず。

「ベタ踏み坂やろ。あれは境港から中海の江島に渡る江島大橋や」

 ちょっと残念だけど境水道大橋からの眺めは良いよ。境水道と境港の街が一望だものね。橋を渡り切ると島根になるのは良いのだけど、

「松江市も広すぎやろ」

 同意。美保関まで全部松江市ってなんだと思うもの。道は境水道の北岸を西に向かい、

「あの信号を右やな」

 らじゃ。港まで後三キロだけど山越えだな。けっこ長いトンネルを抜けたら下りになった。

「峠道のはずやけど、あっさりしとったな」

 ほぼ直線みたいな道だったものね。道案内もしっかりあるから、それに従っていくと港だ、海だ、日本海だ。向うに見える変なモニュメントが見える建物は、

「メテオプラザや」

 なんじゃそれ。コトリによるとフェリーターミナルでもあるけど、そこに健康ランドみたいな入浴施設と、展示場を併設した複合施設みたいなものだそう。なにが展示してあるかだけど、

「ひらっべたいモニュメントが美保隕石らしいわ」

 隕石の展示もやってるのか。見れるよね、

「九時からや」

 八時からにしやがれ、意味ないやろうが。それはそうと七類港も天然の良港みたいなとこだから北前船の時代は繁栄したはずだよね。

「どやろ。チイとはしたやろうけど、位置づけは風待ち港とか避難港やった気がするわ」

 北前船は大きく分けると松前まで目指す船と、秋田県の酒田あたりを目指すのがいたそう。途中で港にも寄るけど、

「船はどの港に入っても構わへんやんか。そやけどどうせ寄るんやったら商いが出来る港に寄りたがる」

 商いの大小は各港の購買力で決まるから、鄙びた七類に寄ったところで取引は高が知れてるってことか。

「さらに江戸も後期に向かうほど航海術も発達して地乗りから沖乗りがメインになると余計に寄らんようになったはずや」

 陸地の街道の宿場町とは違うものね。だから港ごとに船の誘致合戦まであったそうだもの。そんな事をコトリと話しているうちに乗船が始まった。バイクを停めて船室に上がったんだけど、

「これも割り切りやな」

 二時間半ほどのフェリーだから食堂設備がないのは良いとして、

「船内が雑魚寝部屋オンリーとはな」

 いわゆる椅子席がないのよね。無いこともなくて、二階の船尾側にあるのだけど、これがオープンデッキなのよ。海が荒れた時はもちろんだけど、寒くなっても使えたもんじゃない。

「等級分けが細かいけど、二等、特別二等、一等まで絨毯敷きの雑魚寝部屋やもんな」

 特等以上になってようやく個室でベッド付きだものね。見ようによっては、

「ひたすら寝るに特化やな」

 乗りなれてる人は、トットとスペースを確保して寝ようとしてぐらい。観光客より日常の足に重きを置いてるんだろうな。だから経営が成り立ってるとも言えるかも。

ツーリング日和12(第3話)蒜山から大山

 朝はこの宿のもう一つの名物風呂である立湯に。これは鍵湯より湯船は小さいけど、

「なるほど座って入れんな」

 ここも湯船の底から温泉が湧いて来るお風呂なのだけど深いのよ。百二十センチとなってたからプール並。

「昭和の銭湯並みに深いな」

 昭和やそれ以前の銭湯は深かったのよね。あれも理由があって、入浴客を早く帰らすためだとか。座り込まれると長風呂になるからだと聞いたことがある。それぐらい繁盛していた傍証にもなるけどね。

 朝食は八時半から。これは旅館の朝食のデラックス版よね。もう一回念を押しておくけど料理は美味しいよ。この地域のキャラが立ってなかったのが惜しかった。出発はノンビリ九時半も回ってから。

「昼飯の関係や」

 まずは国道百七十九号を北上。これがそのまま国道四八二号になる。道はやがて西に向いていく。この辺が人形峠か。ここには日本唯一のウラン鉱山があったのよね。ウランの発掘量は八十四トンだったらしいけど、輸入ウランとの競合に負けて閉山。

「日本で無理して掘らんでもエエぐらいやろ」

 そんな感じかな。ウラン採掘は環境汚染とセットみたいなものだし、人形峠も後始末が大変だったみたい。

「あそこの真庭市って書いてあるとこ右に入るで」

 この辺は県境が入り混じってるところで、人形峠のあたりでいったん鳥取県に入り、ここで岡山県に入り直した事になるから、岡山県の看板も立ってるよ。この辺はもう高原気分の道路だね。

「ああそうや。気持ちエエやんか」

 曲がった道は県道三二五号だけど再び国道四八二号と合流。ちょっと近道した感じ。ちょっと狭めだったけど走りやすい道だった。国道に戻ると道路案内が出て来た。道の駅蒜山高原、蒜山ジャージーランド、塩釜の冷泉、蒜山郷土博物館。この道を真っすぐでOKだ。

「ちょっとストップ」

 どうしたの。間違いようが無いところじゃない。

「いや・・・」

 なるほどコトリは国道じゃなく県道四二二号を走りたのか。でもさぁ、ナビにある道はなかったような。

「いや、これもナビの罠やで。その手前の道のはずや」

 そう言えばあったけど。引き返して入ったらセンターラインのない道。間違ったんじゃないの?

「いや蒜山高原スポーツ公園があるから正解や」

 そうみたい。急に二車線になったものね。向うに見えるのは大山だ!

「あれは蒜山やろ」

 大山と蒜山はお隣さん同士みたいな位置関係なんだよね。

「お隣さんというか一体やろ。大山の南にある上蒜山、中蒜山、下蒜山の麓に広がっとるんが蒜山高原や」

 あの辺の山がそうなんだろ。だったら大山はあの向こうだな。それにしても気持ちが良すぎる道じゃない。高原のなだらかな起伏があって、左右は開けて、雄大な山が見えるんだもの。

「岡山でも屈指のツーリングコースになってるわ」

 コトリがこの道にこだわったのは良くわかる。こんなところが関西にもあったんだね。

「北海道と較べたらあかんで。あそこは桁外れや」

 まあね。それでも西の軽井沢とするのはわかる気がする。

「軽井沢いうよりキャベツロードやないか」

 嬬恋ね。キャベツが植わってたらそう見えそう。それにしても左右に広がってるのは牧草地かな、それ以前の原野みたいなのもあるけど、適当に木が生えているのが内地の道かもね。

「その内地いうのはやめた方がエエぞ」

 たしかに。いつの時代の人間かと思われちゃいそう。

「ジャージーランド入るで」

 らじゃ。着いた、着いた。なかなかオシャレじゃないの。ジャージーランドとしているのは、蒜山高原が日本一のジャージー牛の飼育をしてるから。

「ホルスタインやったら北海道やろ」

 たぶんね。ジャージー牛はホルスタインに較べて搾乳量は三分の二程度だけど、その代わりに濃いってなってるかな。それに日本の乳牛は百四十万頭ぐらいるのだけど、ジャージー牛は一万頭ぐらいしかいなくて、そのうち二千頭が蒜山高原にいるのだそう。

「朝ソフトや」

 それは無理があるって。とか言いながら蒜山ジャージー百%プレミアムソフトクリームをさっそく。色から違うよ。

「白やのうてうっすらやけど黄色や」

 蒜山高原で食べてるのを差し引いても美味しいよ。

「あれも食べとかなあかんで」

 蒜山やきそばだ! これの特徴は、

「タレやろな」

 蒜山高原では味噌だれベースのタレが作るのが昭和三十年代にブームになり、ジンギスカンにも使われていたんだけど、焼きそばにも使われたみたいなんだ。ますや食堂ってところで、このタレを使って売り出したのが蒜山やきそばの始まりになってる。

「高原キャベツと親鳥のかしわが特徴やそうや」

 さらに横手の焼そばを参考に目玉焼きを乗せ、福神漬けを添えたあさぜん焼きそばだとか、スパイシーなよるぜん焼きそばも登場したのだとか。とりあえず屋台で、

「目玉焼きが乗っとるから、あさぜん焼きそばやな」

 さすがB級グルメの雄だな。ここから土産物だ。蒜山のプリン、チーズ、パンナコッタ、レアイチーズケーキ、ヨーグルトにバター。全部ジャージーだからレアもののはず。

「そろそろ行けるで」

 朝を遅めに出て、ここで時間を潰していたのはレストランの開店待ちのため。食べたのは、

「チーズフォンデュ・プレミアムコース」

 二人前からだからコトリと二人で楽しんだ。蒜山の雄大な景色も楽しんで出発だ。目指すは蒜山大山スカイラインだ。この道も中国地方で屈指のツーリングコースとされてるところなんだ。

 ここもかつては有料道路だったのだけど一九八三年に無料になってる。おりこう、おりこう。全長は十一・六キロだけど、このカーブの度にある減速帯が玉にキズだ。かつては走り屋が多かったか、

「ガードレールに突っ込むやつが多かってんやろな」

 ジャージー牧場から十五分もしないうちに鬼女台展望所。ここからは蒜山高原が見下ろせるのと、

「あれが大山や」

 大山は標高一七二九メートルで中国地方の最高峰。別名伯耆富士とも呼ばれるけど、特徴としては山頂部付近に木が生えていない禿山になってるとこかな。蒜山が千百~千二百メートルぐらいだから頭一つ抜け出してる感じだ。

 ちなみに蒜山高原は標高五百から六百メートルぐらいで、高さで言えば丹生山とか帝釈山ぐらいだよ。

「そんなマイナーな山を比較に出してもわかるか!」

 だったら生駒山ぐらいをたとえに出しとく。この鬼女台展望所で標高八百メートルぐらいで、スカイラインの終点で九百メートルぐらいだって。蒜山高原からの標高差にして五百メートルぐらいだから厳しい峠道というより、なだらかに登って行くイメージが強いかな。

「そんなにヘアピンもないもんな」

 蒜山大山スカイラインはそのまま大山環状道路に接続しているんだよね。この道路はその名の通り大山をグルっと一周回る道だけど、

「一周回るのはパスや」

 コトリが調べた限りでは見晴らしがイマイチらしい。そのせいか左に曲がって鍵掛峠へ。ここから見える大山も素晴らしいじゃない。

「一番のビュースポットともされとるらしいわ」

 大山も見る角度によって表情が変わるそうだけど、南壁では最良のスポットらしい。大山の雄姿を堪能してから出発。十五分ぐらいで大山寺橋を渡ると今度は石畳みの道。これは参道よね。

「そや、大山寺の門前町や」

 大山も信仰の山だけどその中心地がこの大山寺になるそう。開基は養老二年となってるから西暦なら七一八年で奈良時代になるのか。古いのは古いけど神代って訳じゃないんだな。門前町も宿坊があったりしてそれなりに賑わってるけど、そうだね、金毘羅さんに較べると寂しいかな。

「清水寺の見過ぎじゃ」

 あははは。門前町と言うとあのクラスが頭に浮かぶのが関西人だものね。この大山寺だけど神仏習合も良いところのお寺で、天台宗とはなってるけど、大山権現が御本尊なんだよね。

 大山寺から七百メートルぐらい石段を登り詰めると大神山神社奥宮。ここは明治の神仏分離で独立した格好になってるけど、こっちはこっちで本家を名乗っているのは微笑ましいかな。

 主祭神は大己貴神、つまりは大国主命。国引き神話の時に縄をかけたのが大山とされてるそう。奥宮は本殿・幣殿・拝殿が一体化していて、それに長廊がT字型に付く変わった形だ。内部はデラックス。東照宮風と言えばイメージできるかな。