シノブの恋:頼りになる応援団

    「ただいま」
    「おかえり」

 三十階は酒盛りの真っ最中。シノブも飲み足りないから参戦。

    「シノブちゃん、どうや」
    「頼朝は黄瀬川から動いてないとこまで行って、どうしてあの時点で黄瀬川に動いたかで今日はオシマイ」

 これで済ましてくれないよね。

    「その後は?」
    「えっと、帰って来た」
    「なにもせずに?」
    「ええ、真っ直ぐに」

 これを聞いて二人はひっくり返ってた。

    「今晩ぐらいは帰って来ないと思ってた」
    「そやそや、もう五回目やろ。三回目で告白、四回目でチューして、今夜はベッドイン・コースやと思てたのに」

 それは、それで段取り早すぎるだろ。

    「夢前遥でのロスト・バージン・パーティを明日やるつもりだったのに」

 ふんだ、まだ手もつないでませんよ~だ。でも三ノ宮駅までは送ってくれるんだよね。ちゃんとエスコートしてくれるけど、決して体に触れようとしないのよね。

    「まさかと思うけど女に興味がないとか」

 それはないはず。

    「シノブちゃんが好みでないとか」

 それは自信ないけど興味が無けりゃ、五回も会わないだろうし。

    「歳の差があり過ぎて恋愛対象になってないとか」
    「それはあるかもしれへんで、親子ほどじゃないけど、見た目で言うたら一回り以上は差があるって思てるかもしれへん」

 そこは・・・どうだろ。これぐらいの歳の差は男女の仲では十分許容範囲内と思うけど。この調子で酒の肴にばっかりされても敵わないから、ここは反撃を、

    「コトリ先輩もエラそうに言いますけど、山本先生に告白したのは何回目の時ですか!」
    「えっと、えっと・・・十七回目だったかな」
    「それに較べりゃ、まだ五回目です」
    「ほいでも、あの時のコトリは他に付き合ってたのがいたで。一応そっちが正式の彼氏やったし。ほんじゃあ、その男にも彼女おるんか」

 いないって言ってたけど。

    「ライバルが出て来たんじゃない」
    「可能性はあるで。シノブちゃんがモタモタしているうちに、超積極アタックで落ちてたりして」
    「そんなはずは・・・」
    「恋に油断は禁物よ。掌の中に入ってると思ってても、するっと抜け降りることがあるわよ。コトリだって、よく取り逃がしてるし」
    「ユッキーかって、他人のこと言えへんやろ」

 伊集院さんに限ってそんなことは、

    「どうしたって取り逃がす時はあるかもしれんけど、ここは一発初物でガッチリとピン止めしとかんと」

 あのね、シノブのこの身体での初体験を『ピン止め』は言い過ぎじゃない。

    「そうよ。男は初物喜ぶし、感動してくれるわよ。ついでに白い糊で引っ付けたら効果的よ」

 どうして、ここまでアケスケなのよ。ミサキちゃん、頼むから早く復帰して。やっぱりミサキちゃんは三十階の、いや女神の良識の象徴。

    「ユッキー、白い糊も効果的やけど、真紅の印もエエで」
    「そしてすすり泣きね」
    「そやそや、
    『痛かった』
    こう聞くだろうから、
    『だいじょうぶ。うれしかった』
    これが効くんや」

 効くも効かないもないでしょ。そりゃ、記憶の中では二回目になっちゃうけど、まだ二回目だよ。ドキドキのなかで期待してるのに、計算づくでやるのはヤダ。もっとドラマチックに、ロマンチックに・・・ちょっと待った、ちょっと待った、ホントにすすり泣けるのかな。まさか、まさか、

    「シオリさんも凄かったって聞きますし、ミサキちゃんなんてメガトン級らしいですけど、シノブはどうなんですか」
    「そんなもの、すぐに全開になるで。気つけや。初体験から飛んだら、さすがに退かれるかもしれん」
 やっぱりそうか。女神のアレの蓄積経験って、女の極致みたいなものを楽しめる点はメリットが高いんだけど、相手から見ればヤリマンとか、色情狂と勘違いされかねないのよね。シオリさんもそうなりかけたって言ってたし。

 男って本気の女は初心の方がポイント高いし、感じるのだって、その男の胸の中で段々に感じるようになる方が喜ぶもの。だからバージンの価値は高いんだよ。もちろんバージンじゃなければならないわけじゃないけど、シノブはバージンなのよ。

 せっかくのバージンなのに、いきなり全開じゃ価値ないじゃない。注意しないと飛びかねないのもウソじゃない。とくに好きな男、惚れた男、結婚したいとまで思い詰めてる男には感じ過ぎてしまう部分はあるものね。

 結崎忍時代の初体験は女神が宿る前だったけど、ミツルとやったらダイナマイトだったもの。ミツルって、あんなに凄いとあの時は思ってたけど、あれはシノブが感じまくるようになってたんだ。

    「シノブちゃん、女はこういう時は待つのが基本やけど、行くのもありやで」
    「そうよ、いつも待ってるだけの女なんて古いわよ」

 ユッキー社長も良く言うよ。待ち専門のクセして。でも待つだけが能でないのも確か。こちらからなにかアクションを考えても良い時期かもしれない。

    「そうや、イケイケ」
    「女は度胸よ。押し倒せ」
    「一撃ドカン」
 一撃なんて食らわしたら、伊集院さんに当たった死ぬどころか消滅しちゃうし、外れたら壁に大穴が空いちゃうじゃない。床に当たろうものならビルごと崩壊。

 他人事だと思いやがって。これはシノブの恋なんだからね。それにしても伊集院さんはシノブに恋愛感情を持ってくれてるんだろうか。好意を持ってるのは間違いないけど、これが恋愛感情までになっているかと言われれば自信がなくなってきた。

 たまにあるじゃない。恋愛感情だと思ってたら、妹ぐらいに見られていたとか。いや、そんなはずはない。伊集院さんはシノブの約束の男のはず。

    「シノブちゃん、あんまりモタモタしとったら、コトリが手出すよ」
    「許しません。売れ残りの会は引っ込んでいて下さい」
    「じゃあ、わたしが」
    「廃棄処分寸前が手を出してどうするんですか」
 次はなにかあるはず、いや起って欲しい。

シノブの恋:頼朝の目的

 今日はもう五回目の歴史ムック。十日間で相模平定を終えた頼朝が、なぜに黄瀬川に急行したのがポイントだろうは意見が一致した。

    「吾妻鏡は何かを編集しているのは間違いないと思うんだ。まず、単純には富士川の勝利を頼朝の手柄にしたかったのは確実にあると考えてる」

 これは成功してると思う。今だって教科書的には富士川の源氏の御大将は頼朝だし、勝利者も頼朝になってるし。

    「ただし吾妻鏡を崩すのは、それなりに難しい。そりゃ、現場の証人がその辺に転がってるわけじゃないし、玉葉だって限界がある。いや、吾妻鏡が玉葉や平家物語を踏まえてるから難しいとも言える」
    「日本書紀みたいなものですね」
    「政治が絡むと歴史が歪むけど、政治が絡まないと記録が残らないのが歴史の面白さかな」

 スグルさんが注目したのが十月二十一日の記事。この日の頼朝は三島神社に参拝して神領を寄進したとなっています。

    「頼朝の寄進状が社宝として残ってるんだよ」
    「それは凄い」

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 見せてもらったけど崩し字だ。

    「ボクも恥ずかしながら読めないんだけど、御園、川原ヶ里を寄進するって書いてあるそうなんだ。その気で見ると、ほら『三薗川原両所』て読めるだろ」

 でも日付が変。治承四年の八月十九日と言えば、頼朝が蹶起して山木重隆を襲った日の翌々日。寄進するにも所領もないじゃないの。

    「頼朝の残された文章にも偽造説が多くて、さらに十月二十一日の寄進状の記録にも問題が多いの指摘もあるんだよ」
    「山木館襲撃の成功を感謝して、寄進の約束をして十月二十一日に果たしたの見方はどうですか」
    「ボクの調べた範囲では、十月二十一日の寄進状は存在していない可能性が高い」

 そりゃ逆だろう。取っておくのなら十月二十一日の分の気がする。

    「寄進状の真贋鑑定となると手に負えないけど、三島大社に頼朝が参詣した日の自由度が広がると見れるんじゃないかい」

 スグルさんの意図が見えてきた気がする。頼朝の黄瀬川は来る時も百キロを二日だけど、帰る時なんてもっと神業になるのよね。十月二十一日の三島大社参拝だけど、

秉燭の程、御湯殿。三島社に詣でしめ給う。

 火灯し頃に風呂に入り、それから三島大社に参詣したとなってるから、黄瀬川を出発するのは十月二十二日朝になるはずだけど、十月二十三日には相模国府に着いちゃって論功褒賞までやってるんだよ。

    「やはり軸は十月十九日の伊東祐親の詮議ですか」
    「そうなんだよ、頼朝はこれをやるためだけに黄瀬川に急行しトンボ返りしたと見るべきじゃないかと」
 スグルさんの仮説は大胆で、十月十六日に鎌倉を出発したとして、十月十九日に黄瀬川に到着、その日のうちに伊東祐親の詮議を済まし、夜は三島大社に参詣したかもぐらい。十月二十日朝に黄瀬川を出発して、十月二十三日に相模国府に帰ったぐらい。

 これだったら行きは道中三泊で午前中に黄瀬川着とすると一日三十キロ弱ぐらいになるんだよね。帰りは当時相模国府が大磯にあったとすると七十キロぐらいになり、これも道中三泊だから一日二十キロぐらいになり、相模国府に余裕で午前中に到着可能なんだ。これを表にしてみると、


日付 吾妻鏡 スグルさん説
10/16 鎌倉発 100km 鎌倉発 100km
10/17
10/18 黄瀬川着
10/19 伊東祐親詮議 * 黄瀬川着

伊藤祐親詮議
10/20 賀島に 黄瀬川発 70km
10/21 三島大社参詣
10/22 黄瀬川発 70km
10/23 相模国府着 相模国府着
    「帰りはかなりユックリしてますね」
    「相模国内の視察も兼ねてたんじゃないのかなぁ」

 でもこのスケジュールなら、それなりの供回りを連れて黄瀬川に行くのが可能だよね。

    「吾妻鏡でも一日三十五キロぐらいだから、不可能じゃないけど、たとえば千人ぐらい引き連れていたら、これぐらいの日数が欲しいと思うんだよ」

 黄瀬川はまだ頼朝の版図と言えないところだから、不意の襲撃の危険性もあるもの。ん、ん、見えてきた。

    「たとえば行きは吾妻鏡であったとしても、賀島に行ったのはスケジュールをかなり圧迫してますね」
    「そうだろ。たとえば黄瀬川を二泊三日にして、十月二十一日に黄瀬川発なら帰路もそれほど無理がなくなると思うんだよ」

 それが出来なかった理由は玉葉かも。玉葉では十月十九日まで平家軍が富士川にいたのは確実。しかし伊東祐親詮議の十月十九日が動かせなかったとすれば、

    「だから平家物語の十月二十四日説なんて採用しようがなかったとも考えてる。相模国府に帰ってしまってるからね」

 スグルさんも吾妻鏡の往路部分は正しい可能性は残るとして、

    「これは復路は往路より近いですから、その分の黄瀬川滞在日数を引き延ばした操作の跡とか」
    「そう考えてる。この時点で頼朝が相模を留守にして黄瀬川に四泊も留まるのは長過ぎると思うんだ」

 伊東祐親詮議は祐親を鎌倉なり、相模国府に連行せず。黄瀬川まで出向くだけの意義を考えるべきだとスグルさんは主張して、

    「個人的な因縁もあるとは思うけど、伊豆を支配下に置くための政治的なアピールじゃないかと考えてる」

 伊豆の実力者であった伊東祐親が、伊豆の豪族の手に依って捕えられて頼朝の処分を乞う状態であれば、勢力拡張のチャンスだものね。

    「伊豆は小さいから千人も率いて行けばなびくんじゃないかなぁ」

 ここはもうちょっと考えても良さそうな。頼朝の手にしていた情報がどれぐらいなのかよね。たとえば十月十九日の夜に平家軍が撤退していたとして、黄瀬川の頼朝には十月二十日の夕までには届いた可能性はあるよね。問題になるのは勝った武田がどう動くかだけど。

  • 平家軍を追撃する
  • 黄瀬川の頼朝を駆逐する

 どちらも可能性はあると見て良いと思うんだ。黄瀬川に連れてきた兵力で武田と決戦は到底無理だから、十月二十一日に相模に帰ったは十分あり得ると思うのよね。武田とて相模に攻め込むより、駿河平定が優先するはずだし。


日付 シノブ説
10/16 鎌倉発 100km
10/17
10/18 黄瀬川着
10/19 伊東祐親詮議 *
10/20 武田の勝利を知る
10/21 黄瀬川発 70km
10/22 黄瀬川発
10/23 相模国府着

 往路は吾妻鏡。伊東祐親詮議で伊豆支配を進めていた頼朝だけど、富士川の武田勝利を聞いて大慌てで相模に舞い戻ったとの見方なの。

    「それも面白いけど、鎌倉ならともかく、黄瀬川まで来れば平家軍の接近と、富士川で待ち受ける武田軍の情報ぐらい手に入ったんじゃないかな」

 言われてみれば、

    「ボクがトンボ返り説を考えたのは、黄瀬川で平家軍、武田軍の情報を聞いて、必要最小限の祐親詮議だけ済ませて相模に戻ったと考えたからだよ。平家と武田のどっちが勝ったにしても、黄瀬川くんだりなんかにウロウロしていてもメリットはないだろ」
    「すると伊豆を簡単に手中にするつもりで黄瀬川に来てみれば、富士川方面で大変なことが起っているのを知り、祐親詮議だけ見栄張ってやって逃げて帰ったってことになりますね」

 頼朝は十月六日に相模に入り、敵対勢力の排除を十月十六日まで済ましてはいるけど、まだ荒ごなし状態だから、相模をそう簡単に動きたくないはず。ああいうのって、ちょっとでも油断するとお家再興とか、父の仇みたいな連中が湧いてくるのは常識だし。それでも黄瀬川に進出した理由が重大な気がする。

    「ヒントは十月二十三日にある気もしてるんだ」

 その日は相模国府に戻った日だけど、

初めて勲功の賞を行わる

 コトリ先輩に聞いたことがあるけど、源平武者が戦い理由は大きく分けて二つで、

  • 自分の所領を守るため
  • 恩賞のため
 この上に寄子寄親制があるんだって。どんなものかと言えば親分子分の関係。自分より強いところに所領を脅かされたら、親分が他の子分を率いて助けに来てくれるぐらい。当然だけど、他の子分のピンチにも出て行かないと行けないけど、ある種の攻守同盟みたいなものかな。

 寄親の上にさらに大きな寄親がいて、頂点が武家の棟梁って感じ。ただ合戦の規模が大きくなれば、タダ働きってわけにもいかず、手柄に対して恩賞が出されるんだ。これを公平かつ不満をもたさずに出来るかどうかが武家の棟梁の鼎の軽重みたいなもの。

 このシステムは当時の特殊な状況じゃなく、現在でも同じと考えてる。頼朝は見事にそれを成し遂げたんだけど、恩賞配るにしても原資が必要。大庭氏や、波多野氏を叩いたのも、敵対勢力の排除の意味もあるだろうけど、恩賞の原資の確保の意味もあったと思う。とにかくここまでの頼朝は徒手空拳みたいなものだし。

    「十分可能性はあると考えてる。頼朝は大庭氏や波多野氏の所領から恩賞の原資を得てはいたろうけど、当時の頼朝の脆弱な立場からすると、ある程度大盤振舞にせざるを得ないはずなんだ」

 大盤振舞すれば味方は納得するだろうけど、当然だけど頼朝の手元に残るものは少なくなるのよね。

    「理由は一つとは限らないけど、お手軽に伊豆の所領が手に入りそうと考えて飛びついたのもあっても不思議ないと考えてる」

 他には因縁の祐親の詮議もあるし、舅の北条時政の旧領回復の狙いもあったと伊集院さんはしてた。ただ、どれも決定打じゃないんよね。もう少しムックの必要性はありそうだけどこの夜はオシマイ。ムックは楽しかったんだけど、不満がある。

    「ムックしかしていないじゃない」
 伊集院さんと会うのは歴史ムックを楽しむためだけど、伊集院さんと会うのも目的なんだよ。もう五回目だよ。そろそろ何かリアクションしてくれてもイイじゃないの。そりゃ、いきなりホテルは困るけど、食事に誘うとか、昼間のデートに誘うとか。シノブは待ってるんだぞ。

シノブの恋:頼朝の移動ペース

 なんか歴女の血が燃え盛ってる。吾妻鏡には富士川の合戦の頼朝の所在地をかなり詳しく記録してるのよね。シノブもあの辺の土地勘ないから読んでる時はフムフムぐらいだったんだけど、実際に地図にプロットすると相当なもの。

 富士川の合戦に参加したのは平家軍と武田軍と頼朝軍だけど、この三軍の動きもかなりわかってるのよ。東海道を東に進む平家軍、中道往還を南下する武田軍、そして鎌倉から東海道を西に進む頼朝軍。

 頼朝軍が箱根を越えたルートは足柄道なのもわかってるけど、鎌倉から黄瀬川の移動速度がまず相当なものなの。だって十月十六日に鎌倉を出発して十月十八日の夜には黄瀬川に着いちゃってるんだもの。

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 これが地図での概算だけど百キロほどあるのよ。まあ二泊三日だから実質三日間の行程で一日三十キロ強ぐらいにはなるけど、途中には足柄峠だってあるんだよ。そりゃ騎馬だけで駆け抜ければ可能かもしれないけど、二十万騎を引き連れてなんて絶対無理。

 もしこれが事実であれば、頼朝はほんの側近だけを引き連れて鎌倉から黄瀬川に急行したことになる。せいぜい数百人ぐらいで多くて千人ぐらいかな。それ以上になれば主力が到着するのは十月十九日以降になるのが順当。

 これは平家軍と武田軍の動きと較べると良くわかる。頼朝軍も含めて実数はわからないけど、数千人ぐらいはいたはず。だからあれぐらいの進軍速度になってるんじゃなかろうか。

 コトリ先輩は一の谷の後に範頼軍が鎌倉から京都に向かう速度の概算をしたら、おおよそ一日に二十キロぐらいとしてた。頼朝はその一・五倍の速度だから黄瀬川にいた頼朝軍は少なかったはず。ここでの問題はどうして頼朝はそこまで急いだかだと思う。

 通説では平家軍を迎え撃つためとしてるけど、十月十九日に頼朝がやった事と言えば、伊東祐親の詮議。そうなのよ、平家軍を迎え撃つのなら黄瀬川なんかで腰を落ち着けてるのじゃなくて、富士川方面に動くべきだと思うの。十九日に後続の軍勢が到着するのを待っていたと見るのもありだけど、それだったら一緒に来ればイイじゃん。

 ふと思ったのだけど、頼朝はどれだけ平家軍の動きを知っていたかがポイントの気がしてる。これビックリしたんだけど、石橋山の合戦で敗れた頼朝は安房に逃げて再起するんだけど、鎌倉に入ったのは十月六日なの。そこから十日後に黄瀬川に急行してる事になる。

 そんな頼朝の下にどれだけの情報があったかはかなり疑問。武田軍と平家軍の鉢田合戦は十月十四日だけど、これが十月十六日に頼朝の下に届いていたかはもっと疑問。いや絶対に届いていない。当時の武田軍が急使を派遣したとは思えないもの。

 平家軍の情報も怪しい気がしてる。そりゃ、平家軍がいずれ来るぐらいは知っていたとしても、具体的にどの辺にいて、いつぐらいに富士川なりに迫って来るかは知らなかったとしか思えないのよ。そりゃ、吾妻鏡の十月十六日に、

平氏の大将軍小松少将惟盛朝臣、数万騎を率い、去る十三日、駿河の国手越の駅に到着するの由、その告げ有るに依ってなり。

 こうはなってるけど、距離からするとかなりどころでない無理があるもの。知っていて、決戦する気だったら、それこそ本気で二十万騎集めて箱根を越えるだろうし、当たり前だけど、それだけの軍勢を集め、進軍させるからもっと日数が必要になる。つまり、

    『頼朝は駿河の情勢に疎かった』

 こう結論してイイ気がする。そこまで考えてた時に、

    「シノブちゃん、どこまで進んだ?」

 コトリ先輩も気になってるみたい。気になってるのが富士川の合戦か、シノブの相手か微妙だけど、たぶん両方。この場合の『進んだ?』のココロも微妙だけど、

    「頼朝の移動なんですが」
    「早いやろ」

 コトリ先輩は当時の頼朝の意図をポイントにしてた。

    「石橋山の合戦が八月二十三日やから頼朝は一ヶ月半ぐらいで相模に巻き返して来てるんよ。相模に舞い戻った頼朝がまずやることを考えてみいな」
    「打倒平家」
    「そりゃ、全部がそれにつながるようなもんやけど地盤固めやろ」
 石橋山の合戦は伊豆で挙兵した頼朝が相模に進出しようとした戦いと見ても良さそう。伊豆は小さいうえに、親平家の伊東氏の勢力が大きいから、親源氏勢力の大きい相模に根拠地を築こうぐらいの意図かな。

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 もっともはっきり親源氏なのは三浦半島の三浦氏ぐらいで、相模一番の勢力は大庭氏。大庭氏は頼朝の父の義朝の時に大庭御厨事件があり仲が悪いぐらい。大庭氏、三浦氏以外には波多野氏、中村党がいたけど微妙な関係。

 波多野氏は頼朝の兄の朝長の母の家なんだけど、義朝が母の出自の関係で頼朝重視したので反義朝ぐらいのスタンス。中村党は大庭氏と抗争関係にあり、敵の敵は味方で頼朝支持ぐらい。

 問題は相模の真ん中に大庭氏がいて、親頼朝の中村党、三浦氏が東西に分断されている点。頼朝は中村党の支持をアテに石橋山に進出し、三浦氏との挟撃作戦を考えたぐらいだろうとコトリ先輩は見てる。

 結果は大庭氏が機敏に動いて石橋山の頼朝を粉砕。頼朝があっさり負けちゃったので武蔵からの介入軍も大庭氏に同調して三浦氏も敗北。そこから一か月半で巻き返した頼朝がまずやる仕事は、相模の反頼朝勢力の大庭氏、波多野氏の駆除になるのは同意。

 相模に舞い戻った頼朝には上総介広常を始めとする坂東の有力諸豪が付き従っているから、石橋山と逆の展開で大庭氏、波多野氏が覆滅されていったのが十月六日から十日間の出来事だろうとコトリ先輩は見てるし、シノブもこれも同意。

    「波多野氏が敗れたのが十月十七日、大庭氏が駿河に逃げ落ちていったのが十月十八日でエエんちゃうんかな」

 頼朝の相模平定戦は十日間でほぼ完了したと見て良さそう。

    「ここで頼朝が何を考え、何をしようとしていたかが富士川の合戦の謎になると思ってる」

 たしかに謎だ。相模国内の反頼朝勢力を平定したのなら、次にやるのは、

  • 相模の地盤を固める
  • さらなる勢力拡大

 どっちかだけど、もちろん並行させても良い。

    「頼朝に無い物を考えるのも一つの見方やで」
 ここまで話してコトリ先輩は行っちゃいました。それでもとりあえずここまで下調べしたから、次の時にも伊集院さんと歴史ムックは楽しめそう。

シノブの恋:賀島

    『カランカラン』

 今日はシノブが少し遅れちゃった。

    「待った?」
    「ボクも今来たばっかり」

 挨拶もそこそこに歴史談義に。今日の焦点は、吾妻鏡の十月二十日の記載で伊集院さんが注目しているのは、

武衛駿河の国賀島に到らしめ給う

 ここなんだ。前日は伊東祐親の詮議を黄瀬川で行い、黄瀬川から動いていないのは確実だから、頼朝が移動したのは十月二十日の一日のみになるのよね。

    「ボクも探して回ったんだけど、賀島の地名の比定が出来ないんだよ」
    「地名は変わりますから」
    「それにしても無さすぎる気がする。強いて一番近いのは加島だけど・・・」

 加島は現在のJR富士駅あたりになるのだけど、

    「あの辺りは当時の富士川の中洲地帯のはずです」
    「良く知ってるね。そうなんだよ、あそこには平家軍は進んでいた可能性は高いけど、あんなところに頼朝がいたら即合戦だよ」

 武田軍が本格的に渡河したのは、平家軍が撤退した後だろうなのは合意。

    「当時の軍勢の移動も街道に従って動くんだよ。頼朝が加島に進もうとしたら平家越あたりで陣を敷いている武田軍の横を通り抜けないと無理なんだ」

 地形をやっといて良かった。伊集院さんの話がダイレクトにわかるもの。

    「では賀島は?」
    「その前に吾妻鏡の十月二十一日の頼朝の動きだけど、
    『宿を黄瀬河に遷せしめ給う』
    黄瀬川に帰ったとなってる」

 朝には平家軍がいなくなったから帰れるのは帰れると思うけど、

    「その後に奥州から駆けつけた義経と対面するのだけど、

今日、弱冠一人御旅館の砌に佇む。鎌倉殿に謁し奉るべきの由を称す。實平・宗遠・義實等これを怪しみ、執啓すること能わず。刻を移すの処、武衛自らこの事を聞かしめ給う。

    黄瀬川の頼朝館に義経が来て、頼朝に会わせてくれって頼むのだけど、怪しまれてかなり待たされたってところかな」

 いきなり頼朝の弟と名乗られてもニセモノと怪しまれたんだろうな。

    「ただ義経記では少し違う。

九郎御曹司浮島が原に着き給ひ、兵衛佐殿の陣の前三町ばかり引退いて、陣をとり、暫く息を休められける。

    義経が頼朝に会ったのは浮嶋原だとなってるんだ」
    「そこから待たされて、会ったのは黄瀬川って可能性は?」
    「義経記では頼朝が見つけて、そのまま連れて行かれて対面してるんだ、会った場所も、

佐殿御陣と申すは、大幕百八十町引きたりければ、その内は八ヶ国の大名小名のみ居たり。各々敷皮にて有りける。佐殿御座敷には畳一畳敷きたれ共、佐殿も敷皮にぞおはしける。

    どう読んでも黄瀬川の御旅亭じゃないよ」
    「でも義経記の資料性は怪しいんじゃ」

 伊集院さんはグラスを傾けた後に、

    「結崎さん。あなたは素晴らしい。ここまで話が出来る人に初めて会った気がする。義経記の資料性の評価はその通りだが、これぐらいしか頼朝の賀島を推測する材料はないと考えてる」
    「どういうことですか」
    「義経記の成立は吾妻鏡より後なんだ。平家物語が膾炙しているにも関わらず、黄瀬川対面を取っていない点に注目してる」

 言われてみれば源平合戦と言えば平家物語になるものね。それも琵琶法師が全国行脚しているようなもの。義経記は源平合戦から二百年以上後の成立だけど、わざわざ平家物語の黄瀬川対面を外すのは妙と言えば妙だ。

    「結崎さんは良く知ってられるようだから、説明は省くけど、頼朝が黄瀬川から富士川を目指すとすれば東海道になる。この進路上には武田軍が先着して布陣しており、これより前に進んだ可能性どころか、追いついた可能性もないと考えてる」
    「わかった、柏原駅ぐらいまでが精いっぱい」
    「鋭いね。黄瀬川から柏原駅までなら十五キロぐらいだから、移動は距離的に可能だ」

 当時の地名の指し方はわかんないけど、柏原駅も浮嶋原の一部と言えないことないものね。

    「じゃあ、賀島は柏原駅ですか?」
    「可能性はゼロじゃない程度だ。偵察隊程度は送り出した可能性はあるけど、頼朝は黄瀬川から動いていない可能性の方が高いと考えてる」

 伊集院さんはマティーニをオーダーして、

    「今日はここまでにしよう。結崎さんがここまで知っているとはボクが見くびり過ぎてた。今日の予定は富士川の広がりと街道の話にしようと思っていたのだけど、その程度は基礎知識だったんだね。柏原駅と浮嶋原がすぐに結びついたので良くわかるもの」
    「そんなことはないです。富士川の合戦の話をするから予習しただけで・・・」
    「あははは、予習レベルを越えてるよ。武田軍は十月十四日に平家軍と鉢田合戦をやっている。これに勝った武田軍は中道往還を南下してるわけだ。待ち構えたのは中道往還と東海道、さらに根方街道が結ばれる平家越あたりと見て良いはずだ」
 頼朝は富士川の後に大きく勢力を伸ばし、反平家の旗頭的な地位に昇り詰めるけど、この時期だけで言えば、まだまだ源氏の一勢力。甲斐の武田信義とどちらが格上かは微妙。そりゃ、義朝の子だから河内源氏の嫡々だけど、自前の手勢とか所領があるわけじゃないものね。

 でも褒められて嬉しかったな。頑張って調べたかいがあったと思ったもの。それより伊集院さんに褒めてもらったことが、もっと嬉しい感じがする。そう、なにかすっごい楽しい時間を過ごしてるって感じるもの。ここは聞いちゃえ、

    「ところで伊集院さんは、お医者さんだからもてるんでしょうね」
    「もててたら、一人で飲んでないよ。医者であるのはもてるために十分条件かもしれないけど、必要条件がなければ、もてないってこと」
    「でもこれだけ歴史の話が出来るじゃないですか」
    「オタクはもてるためのマイナス条件だよ」

 かもしれない。かもしれないけど、そこを気に入られたら文句なしだよ。これで四回目だけど、優しいのは間違いない、それに誠実なのはよくわかる。スタイルだって抜群じゃないけど悪くない。顔も右に同じ。

    「結崎さんこそもてるんでしょ。こんな男と歴史の話をするより、もっとイイ男がわんさか湧いてきそう」
    「それがサッパリ。やっぱり歴女なのが必要条件のマイナスかも」

 そこで二人で大笑い。後は雑談みたいなものになりましたが、

    「良く飲まれますね」

 やっべえ、三十階の調子で飲んでた。あそこで飲むと感覚狂うのよね。とにかく底なしと大ウワバミの競演だものね。コトリ先輩は女神依存性と言ってたけど、ホントにそう思う。ワイン一本ぐらい食前酒みたいなものだし。

    「結崎さんの歴史知識が素晴らしいから次回はキモ中のキモに入れそうだよ」
    「私なんか・・・」
    「ずっと驚かされっぱなしだよ」
 シノブも楽しい。ムックってこういう事実の積み重ねを楽しむんだって、よくわかったもの。次も頑張って気に入ってもらうんだ。

シノブの恋:見守る二人

    「コトリ、シノブちゃんだけど」
    「うん、面白そうなことやってるで」

 ユッキーも気づいたか。

    「コトリも参加したいんじゃない」
    「今回はやめとく」

 参加したいけど、シノブちゃんの恋路を邪魔するのはアカンやろ。それにしても因縁めいてるよねぇ。あのバーでホワイト・レディを飲んでる時に現れた男が、歴史オタクの医者だって。イヤでもカズ君とのことを思い出してまうやんか。

    「シノブちゃんって、もしかして」
    「らしいよ。宇宙船騒ぎで専務になってもたから、気楽にお付き合いなんて出来へんかったみたい」
    「そりゃ、悪いことしたけど、本当に愛する男だけにするのもロマンチックじゃない」

 あははは、ユッキーらしいわ。今でこそ必ずしもじゃなくなったけど、ユッキーの基本は純情一途のツンデレ愛だもんね。

    「コトリは見たの?」
    「うんにゃ、さすがにまだ」
    「一度コッソリ見てきたら」

 見てみたいけど、あのバーでコッソリは難しいな。つうか、会えばコトリも舞い上がってしまいそうなんや。そりゃ、コトリと歴史ムックを出来るほどの相手なんて、そうそうおらへんし。

    「思い出してるんでしょ」
    「そりゃ、そうや。あん時はユッキーに潰されたし」
    「しょうがないでしょ、呪いの封印があったんだから」

 ユッキーはそれを振り切ったばっかりに、百日の死を甘受してるもんね。あの時はシオリちゃんが勝って良かったとしか言いようがあらへん。悔しいけど。

    「式はどうする」
    「気が早すぎるで。ほいでも、いつかは三十階に来るやろ」
    「その時は問題ね」

 ここは考えたらなアカンとこやねん。シオリちゃんの恋の最大の障壁はエレギオンHDの専務であること。どうしたって男が退いてまう要素になってまうんよね。

    「会社、辞めてもらう?」
    「辞めへんやろ」

 エレギオンへの忠誠心も篤いんや。そうしたって部分もあるけど、前に記憶の継承を求めた時の迫力は凄かったし。

    「肩書増えるって不便だね」
    「でもそれぐらいは乗り切れるって信じてる」

 それでもコトリはホッとしてる。ミサキちゃんもそうやけど、シノブちゃんもまだ宿主代わり二回目やんか。どうしたって前宿主の記憶が残ってまうんやけど、新しい恋に熱中してくれてるやん。女神の最後の生きがいは恋なんや。これがちゃんと出来てるやん。

    「シノブちゃんなら間違わないと思うけど」
    「もし不幸な目に合わせよったら、タダじゃおかへん」
    「あは、さすがに親ね」

 気分だけな。

    「コトリはどうするの」
    「今回の寿命みてから考えるわ」
    「そうだよね、今まで通りだったら、十年ぐらいしか残ってないし」
    「困ったもんや」
 寿命もなんとかならんかな。せわしのうてしょうがないやんか。