メモリアル・デイ

 子どもの頃は特別な日でしたが、今や冥途への一里塚になってしまいました。ちなみに4年前は胃カメラの検査をしてました。大腸癌の術前検査の一環でしたが、少しでも早く帰りたかったのでawakeをチョイス。結果的に失敗で二度とawakeではやるまいと心に誓いました。終わった後に思ったのは、

    こんなメモリアル・デイとはね・・・
 それでもあの時には癌なんて大病はこれだけだろうと根拠なく思ってました。そりゃ、複数回の癌になる人はいますが、そっちの方が少ないはずです。今年もメモリアル・デイが来れば4年ですから、なんとか癌サバイバーになるはずぐらいと年の初めは思っていたものです。

 人生甘くないですね。来てほしくもない二度目の癌の襲来で、大腸癌以上の大手術を受けケモ中にこの日を迎えるととはです。メモリアル・デイと言っても誰も祝ってくれないようなものですから、現実的には術後ケモの1クール目の終盤戦です。

 嘔気と食欲不振と体重減少に苦しみながら日々の仕事をこなしています。自分で言うのもなんですが、これで良くぶっ倒れないものだと感心しています。1クール目の結果を受けて2クール目をどうするかは、休薬期間の様子を見て決めます。まったく難儀な病気です。

 せめて自分で自分への御褒美も考えはしたのですが、あははは、体を支えるのが精いっぱいでそんな余力さえ無い悲しさです。シンド過ぎて物欲も枯れてる感じです。祝杯なんてトンデモない状態ですものね。

 改めて思ったのはメモリアル・デイは還暦を迎えてから生存記念日になってしまいした。仮に膵癌を生き延びられても60代は常に再発に怯える日々が確定してしまったからです。これもまた人生としか言いようがありません。もし生き延びられてもその時は、

    古希だ♪
 今だって爺ですが、もっと爺になってるってことです。そういう節目の日も過ぎてしまいした。来年も迎えられるのかな。

故郷の祭

 何回か取り上げてるのでパスしようかと思ったのですが徒然に。誰だって故郷の祭に思い入れがある訳で、祭自慢となると鼻についてしまうものです。そりゃ自分のところこそ一番と思ってる人は多いはずです。それでも鄙びた街の割には盛大なものだと思っています。

 祭のクライマックスは宮入りになるのですが、故郷では石段登りになります。神社特有の急階段で、なおかつかなり傷んでいます。たぶんですが私の子どもの頃から改修とか大規模補修なんて行われていない気がします。この年の、この体では登るだけで目が眩むものです。

 この石段が八十五段です。ですが故郷の人間なら知っていますが、石段下のところが改修されコンクリートのスロープ状になっています。その時に下の二段が埋められて、本来は八十七段のはずです。というのもかつては一の鳥居に二段あって、合わせて八十九段で、

    厄(やく)を踏み抜く
 こう言われていたと聞いた事があるからです。こんな話もどこまで伝承されているのか不安になりますけどね。故郷も神幸祭スタイルで宵宮と昼宮があるのですが、宵宮に七台、昼宮に八台が宮入りします。これもかつては宵宮が六台、昼宮が八台(言い出せば宵宮が七台、昼宮が九台時代も知っているのが爺です}でした。

 台数が違うのは昼宮の最後の屋台が宵宮に来ないからです。ならば宵宮の日にはどうしているかと言えば他の神社に宮入りしています。その他の神社が禰御門神社になるのですが、あははは、地元なのに行った事がありません。

 メインが大宮神社になるのですが、きっと二つの神社には密接な関係と言うか、神話レベルの関係があるはずですが、これが調べても出て来ません。禰御門神社は「ねのみかどじんじゃ」と読むのですが「禰」とは「子」のはずで、「子」とは方角の「北」になるはずです。

 北の「御門」の神社って名称ですから、大宮神社の北の守護的な位置付けの神社じゃないかと推測していますが、こんなもの故郷の誰に聞いても謂れなんて知らないだろうな。祭りには熱狂する土地柄ですが、歴史的な興味となると薄いですからね。

 とにもかくにも昼宮だけ宮入りするのですが、ここの宮入が祭のクライマックスになります。私も何度も見ていますが、なかなか動画で紹介するのに良いものがありませんでした。実際に行ってみるとわかるのですが、とにかく撮りにくいのですよね。でもこれは良かったと思います。

 石段の急さが良くわかってもらえると思います。ここの宮入がクライマックスとされる理由は最後の宮入なのもありますが、まず石段登りの最中に一度も落とさずに登り切っています。この動画だけならすんなり登っているように思われるかもしれませんが、どことは言いませんが、何度も何度も落として、ホンマに宮入出来るのかいなってとこもありますからね。あくまでもちなにみですが、

 ここが石段登りで毎年のように苦戦するのは故郷の人間なら誰でも知っている事で、原因としては一番重い事と、それと・・・これは自粛しておきます。もちろん一度も落とさずに登るのは最後のとこだけではないのですが、他のところは命綱と呼ばれる引き綱が付けられます。ですが、ここは命綱無しで登ります。危険と言うことで昔にあれこれあったそうですが、

    一度でも落としたら命綱を付ける
 そんな話があったとか、なかったとか。なんか歌いながら登っていますが、あれは祇園囃子で、かつてはここだけが歌っていたはずです。今は広まってどこも歌ってますけどね。まあ、故郷の人間ならあの祇園囃子を聞きながら宮入するのを見て、祭りに来た、祭りを見たって満足をするぐらいです。

 ちなみにですが石段を登って宮入りすれば、宮出は石段を下ります。あれは登りよりラクと言えばラクですが、恐怖感が半端ありません。あんなものが落っこちて来たら死にますからね。もう担ぐことなんてあり得ない歳になりましたが、雰囲気だけ味わって来ました。

爺の思い出話

 術後ケモの状態は一進一退の綱渡り状態で、先週もフルタイムで仕事こそこなしましたが土曜日の午後に撃沈。夕食も摂れずにバタンQです。どうも体力の限界がその辺に来るようです。この辺は元の体力自体が手術から回復過程なのも関連しているで良さそうです。

 そんな状況をエントリーに書く余力さえなかったのですが、今日は気分転換で思い出話です。モンキーを気に入っているのは小型軽量があるのですが、私はバイクだけでなくクルマも好きです。そういうクルマの原点みたいなものが初代ミラターボです。

 初代ミラは1980年の発売で同時期のクルマならホンダなら初代シティ、トヨタなら86、日産なら鉄仮面ってところでしょうか。ミラを選んだ理由はあれこれありますが、ぶっちゃけで言えば値段とターボであることぐらいで良い気がします。あの頃はターボブームでしたからね。

 とにかく40年ぐらい前の話ですから記憶は美化され切っているのですが、軽自動車も今とはだいぶ様相が違います。そりゃ、規格から550CC時代ですからね。それだけでなく実用車の色合いがかなり濃かった時代です。

 と言うのも見た目は乗用車なのですが、中身は4ナンバーの商用車です。乗用車版はミラ・クォーレでしたっけ。商用車仕様になっているとどうなるかですが、荷物室が広くなります。そこは悪くないのですが、前部座席と後部座席の感覚がバーターとして狭くなります。そのために後部座席に人を乗せるのは難しくなるぐらいです。

 短時間なら無理やり乗せる事は出来ましたが、前部座席もかなり前に詰めないと後部座席の人は足の置き場さえなかったですからね。もっともさして不便だとは思わなかったかな。そもそも3人も4人も乗せる事なんて少ないですし、そんなに乗せたら走らなかったのがあります。

 当時はターボブームでハイパワー競争の幕開け時代の様相でしたが、初代ミラ・ターボは41馬力です。ノンターボの軽より3割ぐらいパワーアップしてますが、それでも正直なところ非力でした。平坦地はちゃんと走るのですが、峠道では苦戦させられました。

 西名阪の五条坂とか、六甲山になると泣きそうになりましたからね。走らせている実感としてパワーゾーンが狭いんですよ。五条坂なら遅い車に引っかかったり、六甲山ならヘアピンで減速して回転数が落ちたらどうしようもなくなったのを今でも覚えています。ギアチェンジで頑張ってもどうしようもなかったのをよく覚えています。

 内装もプアだったな。それでもシートは赤と黒のツートンだったり、ハンドルやシフトノブがナルディの演出はありましたが、フルトリムでなくピラーのところは鉄板でした。あれだってマグネットが使えると喜んでましたけどね。

 さらに今の軽ならあれこれと収納の工夫が凝らされているはずですが、グローブボックス以外になんも無かった気がします。その辺は人が乗る予定がない後部座席を活用してなんとかなりまたけど。

 作りもチャチだった。ドアだって閉まる時は「バシャン」で、ペラペラも良いところです。その代わり軽量で、ノンターボ版の重量しかわかりませんでしたが車体重量は550kgです。ターボ版はもう少し重いはずですが、それでもそれぐらいの軽量です。

 当然のようにサイドウインドウは手動、ドアミラーではありましたがこれも手動。カーステも後付けでした。もっとも当時的には「そんなもの」ぐらいでしたけどね。そうそう夏のエアコンは効かなかった。とくに市街地走行は我慢比べみたいでしたっけ。

 でも面白かった。この辺は青春の思い出が詰め込まれていまして、そんなクルマであちこちにドライブに出かけたのが不滅の輝きを今も放っているぐらいです。近畿のドライブガイドに書かれていたところは根こそぎぐらい訪れてますからね。

 たぶんですがあのクルマが私の小型軽量好きの原点の気がしています。限られたパワーを振り絞って走る感じが楽しいってやつです。あれからハイパワー車も乗ったことがありますし、あれはあれで楽しかったですが、やはり原点に戻りたがるぐらいです。

 もっとも懐かしんでもまた乗るかと言われたら・・・すぐにウンザリしそうです。そりゃ、120キロなんて出そうものなら車内で話も出来なくなりますし、クルマのあちこちが悲鳴を上げてる感じがしてきます。そうそう、エアコンの効きも悪かったですが、エアコンをかけるとガタンとパワーダウンするんですよね。

 あれはあの年代に、あの若さで乗っていたから楽しかっただけです。ですが小型軽量好きだけは刻まれて今に至るぐらいです。だからモンキーは原点回帰かもぐらいです。膵癌になっていなくても人生は黄昏時に驀進しています。あんな時間は二度と訪れないのも人生か・・・

修羅場日記 制吐剤のお勉強

 化学療法の副作用と言えば嘔気なんですが、それに直面してる次第です。吐き気には制吐剤なのですが、まずは化学療法に対する制吐剤の歴史みたいなものから入ります。私が20世紀に小児腫瘍に従事していたころはプリンペランだけでした。あれもどんだけ効いてるのか疑問でしたが、あれしかやれる事はなかったぐらいのはずです。

 そんなところに登場したのがカイトリル(グラニセトロン)です。怪しい記憶ですが治験もやった気がします。ここは自信が無くてG-CSFの治験はやっていますが、カイトリルはどうだったかは・・・遠い記憶の彼方になってしまいました。

 でもって化学療法の制吐剤の知見はそこで止まったままです。小児科で腫瘍治療に従事するなんてゴッチゴチのサブスベになりますから、離れてしまえば無縁の存在になりますからね。このカイトリルなんですが第一世代の5-HT3拮抗薬に分類され、他にオンダンセトロン、ラモセトロンもあるのだとか。

 ここから知らないんですよね。商品名としてオンダンセトロンはゾフラン、ラモセトロンはイリボーなのですが・・・ちょっと待った、ちょっと待った、イリボーって過敏性腸炎に使うイリボーじゃないですか。へぇ、あれが化学療法の制吐剤に使われるって初めて知りました。

 5-HT3拮抗薬に続いて開発されたのがNK1拮抗薬ってやつらしく、代表的なものとしてイメンド(アプレピタント)、プロイメンド(ホスアプレピタント)、アロカリス(ホスネツピタント)だとはなっていますが、あははは聞いたこともありません。

 さらに5-HT3拮抗薬も第2世代が開発されアロキシ(パラノセトロン)も登場しています。そう言えばXelox療法の時にケモ室の担当看護師にカイトリルを使った事がある話をしたら、

    懐かしいですねぇ
 こう答えられましたから5-HT3拮抗薬も完全に世代交代してるようです。これらの制吐剤の基本的な用法ですが、化学療法開始直後の嘔気に対して用いられます。レジメによりバリエーションは多いようですが基本的には、
    5-HT3拮抗薬 + NK1拮抗薬 + デカドロン
 基本と言うかフルコースならぐらいみたいなようです。この辺は用いられる化学療法剤によって変わるはずです。たとえば今回のようにS-1単独療法ならなんも無しです。でもって、さらなる使いオプションみたいな手法もあります。それがオランザピンです。

 オランザピンは抗鬱剤ぐらいのはずですが、併用すると制吐効果がアップすると治験で確かめられてるそうです。だからXelox療法の時に使ったんだ。もっともオランザピンは一服飲んだらぶっ倒れましたから私には封じ手です。この辺も調べてみたのですが、私に出たような副作用はレアケースみたいですが、出たものは仕方ありません。あれはもう二度と服用したくありません。


 ダイジェスト版みたいなものですが、これぐらいがケモに対する制吐剤の概要ぐらいになります。殆どが聞いた事すらない薬剤で、現在のレジメ、症状にどれが効きそうなのかはさっぱりわかりません。こればっかりは実戦経験が欠かせないないからです。

 それとですが、制吐剤の多くは点滴薬が多くなっています。今回なら内服が必要ですが、えっと、えっと、どれが内服だったっけ。イリボーなんて良さそうな気もしますが、これは担当医に相談するのが一番良さそうです。

修羅場日記 副作用に苦戦中

 術後ケモはひたすらS-1内服なのですが、術前ケモで経験していたので高を括ってスタートしています。ですが術前と術後で大違いなのに苦戦しています。とりあえずケモとは関係ありませんが、術後痛はかなり軽快してくれています。これならもう1週間ぐらいでロキソニンが切れそうです。

 一方でここまで無かった下痢がありました。薬剤性下痢はXelox療法で経験があるので直ちにロペミンで対応しています。これがなかなか効果的で2回の内服でピタッとおさまってくれました。問題はここからでゼローダ下痢の悪夢がひたすらフラッシュバックします。

 ゼローダ下痢もロペミンで止まるのですが、飲み続ければ今度は便秘になり、ロペミンを中止すれば下痢に襲われました。お蔭でマッチポンプをやってるような下痢対応を余儀なくされました。安定って状態にならなかったですからね。

 今回は1日便通がなかっただけで普通便になったのですが、その翌日にヤバい感じになっています。すかさずロペミンですが、ロペミンの効き方はゼローダより良いようです。1回服用すれば反応してくれそうです。ゼローダ下痢の時は通常量の3倍なんてムチャやりましたからね。

 それでもこれぐらいならってところですが、後はこれからどう推移するかです。ケモが続くと増悪するのか、それとも横ばいなのかです。こればっかりは経過を見るしかありません。どうか悪化しないように祈るばかりです。


 トラウマの下痢の現状はこれぐらいですが、食思不振が深刻です。とにかく食べられません。小腹程度は空くのですが、食べ始めると嘔気が出て来ます。術後の食事量は落ちていましたが、その半分も食べられない有様です。とりあえずプリンペランを投与していますが、効果のほどは「???」程度です。

 これもどう考えたって薬剤性なのですが、化学療法剤に対する内服の制吐剤ってないのかな。筋注剤や点滴薬はあるのですが、Xelox療法の時も出なかったよな。あの時に出て来たのがオランザピンでしたが、あれがこれでもかってぐらい合わなかったっですよね。一服飲んだらぶっ倒れました。

 やっぱり再建された胃腸は術前と別物のようです。大手術による体力の衰えがこれに加味されているぐらいかな。これだって日にち薬で元通りまでいかなくても、それなりのレベルに回復しそうな実感があるのですが、待ってはくれないのが術後ケモってところです。

 食思不振も薬剤性ですからどうしようもないのですが、食わなきゃまた体力が落ちます。これだって治療に専念していているのならまだしもですが、食うために仕事をフルタイムで再開してしまっています。こっちはこっちで綱渡り状態も良いところです。

 シーズン的にfluの予防接種が多いですし、それをアテにして仕事復帰をしたのはあるのですが、シンドイものはシンドイ。別にこんな状態でなくてもシンドイのになおさらみたいなものです。倒れないのが不思議なぐらいです。これで食べられないとなると先行き不安がテンコモリです。

 一つだけ救いなのがレジメが4週内服2週休薬でなく、2週内服1週休薬の点です。今日で1週間ですが、もう1週間耐え忍べば休薬になります。もっともこのコースを8回もやらないとならないので、どこまで持つかの問題は・・・とにかく相手は膵癌ですからね。こっちはこっちで手が抜けません。

 後出しジャンケンも良いところですが、早期の術後ケモ開始は膵癌治療のためには効果的なはずですが、これを受ける側の体制が不十分だったかもです。とはいえ、こんなものはやってみないとわからない訳で、始めてしまったものは仕方ありません。

 なんか右を向いても、左を向いても手が抜けないと言うか逃げ場がない気分です。出来そうなことは休薬期間の延長ぐらいですが、それをやるかどうかです。とりあえず現時点では減量はしたくないのですよね。さてどうしよう、いくら考えても解決策がないのがシンドイな。正解なんて無い世界ですからね。

 化学療法が甘くないのは覚悟してましたが、いきなりこの状態はさすがにシビアです。なるほど仕事復帰が半年とか、1年先って話があるのが良く分かったぐらいです。化学療法も続けて行けば、化学療法剤への慣れが出て来る話もありますが、慣れる前にぶっ倒れそうですもの。なんか、

    斃れて後休む
 なんて言葉が頭に浮かんでしまっています。今日もどうなることやらです。気合だけでは長期戦はどうにもなりませんからね。どこかで減量も考えておかないといけませんが、せめて2クール、出来れば4クールまではフルで行きたいのですが、それもこれも後半戦の1週間でどうなるかになりそうです。