ツーリング日和22(第20話)同志愛

 それでも初鹿野君がボクに惚れた理由がわかってきた。過去の栄光ってやつでよいだろ。初鹿野君には悪いが剛腕藤崎はヴァージンロードちょっと待った事件で死んだよ。だから成仏して仏になったのは間違いとは言えないかも。

 それにしても良く知ってるな。剛腕藤崎の名前ぐらいは磯辺商事でも知ることは出来たかもしれないけど、あの事件の詳細をそこまで知ってるって事は、もしかして同じ会社に勤めていたとか。

 大きな会社だったから知らない女性社員がいてもおかしくはないけど、営業の人間なら覚えていないはずないんだけどなぁ、

「同じではありませんが、七洋物産でしたから」

 あそこにいたのか。待てよ、七洋物産にも切れ者の女性営業部員がいたはずだ。会った事こそないが、名前は確か、えっと、えっと、

「諸角でしょ」

 そうだそうだ諸角君だ。敵に回したくないものだと思ってたからね。とにかく辣腕で夜叉の諸角なんて呼んでるのもいたぐらいだ。夜叉は辣腕の意味もあったけど、空恐ろしいほどの美人って噂されていた。

「そこまで美人ではありません」

 そうなのか。一度ぐらい会ってみたかったな。その諸角君だけど、元気にしているのかな。

「なんとか元気です。ただ今は諸角じゃありません」

 結婚して姓が変わったのか。

「いえ今は母方の姓を名乗って初鹿野です」

 そっか今は初鹿野・・・待て、待て、それって、

「どうですか七洋の夜叉に会われたご感想は」

 道理で優秀なわけだ。七洋の夜叉ならこれぐらい朝飯前ぐらいだろ。それはやっとわかったけど、どうして七洋物産を辞めたんだ。これほどの人材をそうは簡単に手放すとは思えないのだが、

「部長と同じですよ。七洋の夜叉だって女だから恋をするのです」

 まさか捨てられたのか。

「部長よりマシで、ヴァージンロードを歩いてる最中に、祭壇から新郎が逃げ出したりはありませんでした」

 さすがにそれはないだろう。あるとしたら、女が突然乱入してきて祭壇の前の新郎をかっ攫うぐらいにはなるけど、

「マンガや小説ですらないかと思います。わたしの場合は式場で待ちぼうけを喰らわされただけです」

 あちゃ、そこまで行ってたのか。ボクより直接のショックは少ないかもしれないけど、ダメージは同じぐらいだろう。理由は、

「こんなものどこで起こっても、誰が相手でも同じです」

 他にないものな。後も似たようなものか。興味本位の陰口、悪口に耐え切れなくなって自主退職に追い込まれてしまったのか。

「そんなところです。夜叉相手に結婚式前日までよく耐えられたぐらいはいくらでも」

 未練は?

「そりゃ、ありましたが。部長と同じ結論に達しています。あんなハズレ男と結婚しなくて良かったかと」

 サラッと言ってるが辛いなんてものじゃなかったはず。苗字まで母方の姓を名乗っているもそうだろ。どれだけ辛辣な陰口、悪口を言われたか考えただけでも寒気がするぐらいだ。

「どうしても女同士の方が陰湿で陰険です」

 らしい。惚れた理由に同志愛もあったのか。

「無いとは言いません。だって悔しいと言うよりアホらしいじゃないですか。トンずらしやがった野郎は真実の愛を経験するのに勤しんでいるのに、トンずらされて取り残された方はひたすら世間の片隅で肩身を狭くして生きて行くのって」

 そこなんだよな。加害者である由衣なんて、ウェディングドレスのままで真昼間から初夜をやらかしているはずだもの。そう考えただけでも腹が立つ。そしたら初鹿野君は怖いほどの真顔になり、

「剛腕藤崎に憧れていたのも、同志愛としてシンパシーを感じていたのも否定はしません。ですが好きになったのはあくまでも今の部長です」

 あの人生の長期休暇で見た目がマシになったからか。

「それもあるのも否定はしません。ですが、惚れたのは仏の部長です」

 仏って結婚できるのだっけ。それ以前に女はタブーなんじゃ。

「わたしのすべてを見た出張の夜を覚えてますよね」

 それをネタに脅迫されてるのもよく覚えているぞ。

「あの時ですけど、部長は不自然に感じませんでしたか?」

 はて、あれはアクシデントだったろ。

「ええ、アクシデントです。三つぐらいありましたけどね」

 三つもあったかな。先方が無理難題を出しやがったのを含めると・・・

「まず出張の手配をしたのはわたしです」

 そうだったけど・・・それこそちょっと待っただ。まさか、まさか、

「いくらハイシーズンでもビジホのシングル二つぐらい取れるに決まってるじゃないですか。人気観光地じゃあるまいに」

 ならばあの時も、

「チャンスだと思いシャワーを使い、ベッドに潜り込む予定でした。ところがあんなタイミングで目を覚まされてしまったものだから困ったのです」

 あの時は、

「部長も疲れて頭が回ってなかったのでしょうが、わたしが立っていたのはベッドとベッドの間で、ちょうど部長を見下ろす位置です。あそこで最後の覚悟を決めてバスタオルを解きかけていたのです」

 ボクはまず初鹿野君と目が合ってしまっていてそこまで観察出来てなかったけど、あれはボクと目が合ってしまった動揺でバスタオルが落ちたのじゃなく、解きかけていたバスタオルが落ちただけだったのか。

「そうじゃなきゃ、おかしいでしょ。あんな時にバスタオルが落ちたりしたら、かがむに決まってるじゃないですか」

 そ、そうするはず。それも悲鳴の一つもあげながらだ。それどころか、初鹿野君は素っ裸のまま見下ろしてたものな。だから、初鹿野君のすべてがここまで脳裏に焼き付いてしまったもの。

「最後の誤算は。あの出張がシビア過ぎたことです」

 そうだった。笑ったらいけないが剛腕と夜叉がコンビを組んでもあれだけ苦労させられたぐらいだ。初鹿野君のすべてをあんな近距離で拝ませてもらったのに、それより明日をどうするかで頭が一杯で、

「ホントに部長って据膳に手を出さないものだと感心しました」

 それは褒めてるかどうか微妙だぞ。あの時の舞台裏はやっとわかったけど、その時からにしたら、えらい時間がかかっているけど、

「これも白状しておきます。結婚式まで行った女ですが一人しか知りません。あんな状況になってしまい怖くなってしまったのです。仕切り直しをするにもなかなかチャンスがなくて・・・」

 なるほど。プライベートの接触は基本的にシャットダウンしているようなものだから、なかなか近づけるチャンスがなかったのは同意だ。

「平荘湖での出会いは千載一遇のチャンスと直感しました。これを逃せば次はありません。なんとかマスツー仲間に持ち込むことに成功して部長のあれこれを知ることが出来ました」

 そこで本気で惚れたのか。なるほど、決して一目惚れじゃなく、初鹿野君なりにステップを踏んで愛してくれるようになったのはよくわかった。そうなると気になるのは初鹿野君があそこで事実上の告白とOK宣言出した決定打はなんだったんだ。

「部長の人柄に惚れてぐらいでお茶を濁しても良いのですが、剛腕の前にそれは通用しないでしょう」

 だから今は成仏して仏だって。

「いいえ仏の顔だけした剛腕です。残業無しをニンジンにして、どれだけ部下をこき使っている事か」

 バレてたか。それはともかく、

「部長もそうですがわたしも土壇場で逃げられた女です。だから部長が一穴主義とわかって、この人しかいないと思い、なにがあっても自分のものにしたかったのです」

 やっぱり七洋の夜叉だな。そこまで見抜いていたか。

「どうですか。夜叉を部長の一穴にしてくれませんか」

 初鹿野君の優秀さはボクを凌ぐところは多々ある。まともにやり合ったら勝敗はそれこそ時の運だろう。ただ完全無欠な人間ではない。これは逃げ出すような新郎を選んでしまったのもあるけど、その点ではボクも互角だ。

 それより肝心なところでの言葉の選択に難がある。これも肝心なところに持って行く話の運びは完璧に近いのだけど最後の決め台詞に、

『一穴』

 これはないだろうが。こんな決め台詞を了承したくても出来ないじゃないか。じゃあ、男がプロポーズのセリフに、

『どうかオレの一穴になってくれ』

 こんなもの聞かされたらOKなんかするか?

「論外に却下です」

 だったら一穴を口にするな!