ワインバーでの食事が終わると次に向かったのはバーだ。初鹿野君もそうなのか。こういう時に次にハシゴするとなると若い時ならカラオケもあるだろうけど、この歳になればスナックは多いはず。
「スナックは好きじゃありません」
ボクもそうだ。そうそうこれもまた不思議と言えば不思議な状態でもあるんだよな。バーに行くのが不思議じゃなくて、こうやって並んで歩いてることだ。それ以外にどうやって二人で歩くのだと言われそうだけど、告白こそ受け入れてるけどまだキスどころか手も繋いだことがないんだよ。
告白をされ受け入れてるだけでなく、ドッキング宣言まで了承させられているんだから、手はもちろんだけど、腕ぐらい組むのはありそうじゃないか。そうして欲しい・・・されたら理性がどこまで保たれるかわからないからラッキーだけど。
今夜だって週末の雨続きがなければ既に関係が結ばれた状態であったかもしれないんだぞ。男と女の交際のやり方にマナーはあってもルールはないとはいえ、いくらなんでもの状態と思わないでもない。こういう交際法が初鹿野君は好きなのだろうか。
バーでロングカクテルを楽しんでいるのだけど、もう聞いても良いはずだ。これを聞かずに二人の関係を進めるのは良くない。そもそも、どうして初鹿野君はボクを気に入ったんだ。初鹿野君は悪戯っぽく笑いながら、
「まさか部長がいるとは思いませんでした。これも最初は本当に部長かどうかわかりませんでした」
なんか謎々みたいだけど、それってボクを知ってたって事なのか、
「話にだけです。わたしの知ってる部長は営業二課長でした」
なんだって! それは社長しか知らないはずだぞ。
「まさか仏の部長が営業二課長だったとわかるまでは時間がかかりました」
知ってる方がビックリだ。どうやって確認を、
「わかりますって。この業界だって広いようで狭いものです。新人教育を誰がされたと思ってるのですか」
う~ん、わかる人にはわかるのか。
「イメージのギャップを埋めるのは大変でした。だってあの営業二課長なのです」
あの頃のボクは、
「わたしのことをアンゴルモアの恐怖の大王と呼ばれてることぐらい知っています。ですが当時の部長になると地獄の獄卒、剛腕藤崎じゃないですか」
耳が痛い。そこまで知っていたのか。剛腕はボクの名前の剛紀からもあるけど、
「どんな難題でも正面からゴリゴリとブチ砕く剛腕です」
あの頃はな。なら、まさかだけど、あの話も知っているのか。
「知ってないはずないじゃないですか。それに名越由衣はわたしの後輩でもあります」
由衣も港都大だったけど学生時代を知っているのか。年齢的には知っている先輩後輩にはなると思うけど、学部は一緒だったっけ。
「わたしは経済学部ですが名越由衣は違います」
由衣は英文だったはず。じゃあ、サークルで一緒だったとか。
「個人的な交流はまったくありませんでしたが、学内ナンバーワンの美人とされる有名人でした」
そうだった。由衣はミス港都大だった。
「ですが名越由衣はすべてをぶち壊しました」
それも知っているのか。由衣の父親は名越本部長だったのだけど、あの頃は次期社長の椅子のレースが始まっていた。社長レースだけど長崎常務が先行してた。長崎常務は堅実の評価はあったけど、一方で古臭いの評判もあったんだ。
社長として会社のかじ取りをするのを不安視する声も出かけていたから、名越本部長を推す声がだんだんと大きくなっていたぐらいの状況で良いと思う。ボクは名越本部長の子飼いみたいなところもあったから、縁談の話が出た時にホイホイと乗ったのはある。
ボクも長崎常務の手腕に不安を覚えていたし、次期社長は名越本部長の方が相応しいと思っていた。それ以前に子飼いだし、他に選択肢はないようなものじゃないか。それにお見合いで引き合わされた由衣はミス港都大の美人だ。
だが結果はあのザマだ。ボクはあれで廃人寸前にまで追い込まれたけど、あれは由衣が逃げやがっただけじゃない。由衣があれだけの不祥事を起こしやがったものだから、長崎常務派の激しい攻撃があったんだよ。
攻撃を受けた名越本部長だけど、娘の不祥事にすっかり憔悴して気力も覇気も無くしていた。愛娘だったからショックだったんだろうな。そのためで良いと思うのだけど、名越本部長は左遷されてしまったんだよ。
名越本部長が左遷されるといわゆる名越派は壊滅状態になっただけでなく、長崎派の残党狩りに追われる状況になってしまった。ボクなんか格好のターゲットだから四面楚歌の袋叩き状態にされたってこと。
嫌な事を思い出させるな。そうだよ、ボクはヴァージンロードまで歩いて来てた花嫁に逃げられた情けない男だってことだ。そんな男を・・・ふと見ると初鹿野君の目が怖くなってるぞ。
「同棲はしていましたか」
お見合いなのもあり、直属の上司の愛娘でもあっただろ。それより由衣が気乗りしてなさそうだからしてないよ。
「処女でしたか」
そうじゃないはず。自慢出来るほどの女性経験はないが処女は知ってるから明らかに反応が違った。あれは男を知っているで間違いない。
「婚前交渉はいつまでありましたか?」
えらい事を聞くな。ちょうど大きなプロジェクト抱えていて、海外出張も多かったから、たしか結婚式の三か月前ぐらいが最後だったはず。おいおい初鹿野君の目が細くなってるじゃないか。あの目をした時が最高に怖いのだが、
「式の前夜はどう過ごされましたか?」
ボクは実家で家族水いらずだったけど、由衣は友人たちと独身最後の夜を過ごすとか言ってたはずだ。
「アホな女だ」
そこで一人で結論を出すな! でもそれで良い気がする。でもそれって最初からそうだったのだろうか。それならそれで、
「そこまでじゃないでしょう。一度は切ったはずです。お見合いとはいえエリートコースを約束された部長との結婚に同意したはずです」
そのはずなんだ。たしかに最初は迷ってるところはあったとは思う。だけど途中で手応えを感じてた。そもそもあの見合いは名越本部長も押しつけではなかったはず。名越本部長にとっても愛娘だし、あくまでもボクを見込んでの結婚話のニュアンスは何度も強調はしていた。
さらに言えば名越本部長も娘の男関係までは知らなかったはずだ。ああいうものは、そうは簡単に親には話さないだろ。そうなると由衣はボクとあの男をお見合い初期は天秤にかけボクを選んだはずだ。
「底なしのアホ女です」
あのプロジェクトは名越本部長の肝煎りだった。ココロは大きな手柄を挙げさせ、さらにその手柄をテコして昇進させて結婚祝いにするぐらいで良かったはず。それぐらいは由衣も聞かされていたはずだ。
「聞かされていない方があり得ないでしょう」
それでも由衣はボクを捨てた。理由は定番の『寂しかったから』ぐらいだろ。でもそうなった理由は自分の父親が花婿に贈ろうとしたものだし、そういうものだと知っての上だって話になる。ボクにすれば、なんだよそれ状態だった。
あの男とのヨリを戻したキッカケが『寂しかったから』なら最後に逃げ出したのはマリッジブルーか。おそらく最後の決断を下したのは式前夜だろ。そうじゃなければ、結婚式の前に婚約解消の話が出ていたはずだ。こんなもの想像するだけでウンザリしか出ないが、
「ベッドで真実の愛を見つけやがったアホ女です」
そうなるものな。悔しいがよっぽどあれの相性が良かったんだろ。卓上打算機はボクを答えにしていたのだろうけど、それより体が求める真実の愛を最後に選んだのだろうな。そこを言えば、ボクでは真実の愛に達しなかったんだよ。
経験一人じゃ限界があったんだろ。それに比べてあの男は由衣を真実の愛に溺れさせたに違いない。悔しいがボクよりイケメンだったし、逞しくもあった。ボクは呆然として立ち尽くしていたけど、たとえ取り戻しに駆けつけてもぶっ飛ばされてた気がする。
「そんなに惜しがる価値などありません。反吐が出そうな二股女じゃないですか」
そうなる。婚約までしてるのに他の男と真実の愛をベッドで探しまくってた女だもの。そこまで冷静に見れるようになるまで、ここまで時間はかかったけどね。たとえ、あのまま結婚していたとしても、その手の女はどこかで真実の愛に走ると思うよ。そんな女に逃げられたのは良かったよ。
由衣との事はそれぐらいで良いとは思うけど、それでもどうしてボクなんだ。間男に真実の愛をベッドで争い完敗した男だぞ。それだけじゃない、そんなアホ女に捨てられたことで鬱病になった情けない男でもあるんだぞ。
「部長は自分の価値がわかっていません。剛腕藤崎の名は轟いていました。相手にすれば手強いなんてものじゃありませんが、その活躍に憧れていた女はわたしだけじゃありません」
そうだったのか。気づかなかったけど、
「そんな剛腕藤崎が仏になって現れたのですよ」
あのなぁ、もうちょっと表現を考えてくれ。それじゃあ、まるでボクが成仏しているみたいじゃないか。