竹原からも国道一八五号で海岸線沿いを東へ、東へ。三十分ほどで三原に着き、さらに東に。道は国道一八五号か国道二号にいつしか変わり、竹原から一時間ちょっとで尾道だ。
「あそこやねんけど右に入られへんから、次の信号でターンするで」
ちょうど宿の前ぐらいから中央分離帯付きの四車線になってるのよね。チェックインを済ませて部屋に。千草たちはダブルだけどツムギちゃんはシングルにした。ここって尾道のどのあたりなの。
「尾道駅に近いとこや」
とりあえず荷物を部屋に置いてロビーでツムギちゃんと合流だ。今日は寄り道も多かったからお腹が空いたぞ。それもここは尾道だ。尾道と言えば、
「尾道ラーメンに決まってるやろ」
コータローはラーメンが好きだものね。
「千草もやろが」
尾道駅前に人気のラーメン店があるらしいから歩いて行った。ところでさ、尾道ラーメンってどんなラーメンなの。
「調べた範囲に過ぎんけど」
尾道は造船の街として栄えた時代があったんだって。今でも名残はあるそうだけど、当時は工員さんたちがわんさかいたそう。そういう工員さん相手に生まれたのが始まりで、豚骨と牛骨からの、
「イメージとしては九州の豚骨ラーメンみたいなもんやと思うで」
なるほどね。千草は播州ラーメンが好きだけど、播州ラーメンの特徴と言えば甘さなんだ。あれだけ甘い理由は播州織の女子工員のためにあそこまで甘くなったとか。造船所の工員さん相手ならコッテリ系になるはずよね。
「そやけどそれは先祖であるけど元祖やないねん」
先祖も元祖も同じと思うけど、今の尾道ラーメンはコッテリスープじゃなく、小魚から取ったスープがベースになってるのか。なるほど先祖とは別物だ。どうしてそうなったの?
「この辺は推測も入るけど・・・」
まず造船業が衰えて工員さんが減ったのはあるようだ。そうなるとコッテリ系が敬遠されるようになったとするのが定説らしい。
「大筋ではそれでエエと思うんやけど・・・」
コータローの推理なんだけど、その先祖的な尾道ラーメンはコッテリなだけじゃなく、お味も問題があったんじゃないかとしてた。造船所の工員さんだから汗をかきまくるじゃない。その塩分を補給するためにかなり塩辛かった可能性があるとしてた。
そこにコッテリで塩辛いのアンチテーゼとして、あっさり系のスープのラーメンに人気が集まり、これが尾道ラーメンの元祖として今に至っているぐらいか。でもさぁ、あっさり系のラーメンじゃ特徴がないじゃないの。
「先祖の面影だけは残ってるねん」
なんとミンチの背脂を加えるのが特徴だとか。タダのあっさりラーメンとはそこで一線を画してるみたいだ。そんな話をしているうちに駅前の店に到着。さて何にしようかな。
「オレは唐揚げスペシャル」
「わたしは半チャン定食で」
千草も半チャン定食にした。これは醤油ラーメンだよね。平打ち麺とは面白いな。
「麺も元祖からかもしれん」
平打ち麺の方がスープに絡みにくいって言うものね。理屈はともあれ、これは美味しいよ。旅先で当地の名物を食べるのが旅の楽しみだし、バイク乗りなら、
「B級グルメや」
勝手に決めつけるなと言いたいけど、そうする傾向はあるとは思う。やっぱりバイク乗りは懐が寂しいのが多いし、ウエアだってシャレた店に入るにはTPOが気になるもの。その点でラーメン屋はピッタリだ。帰りにコンビニでビールとポテチを買い込んで部屋で酒盛りしてから寝たよ。
朝はホテルでビュッフェスタイルの朝食を優雅に楽しんでから出発。尾道も大林監督の映画の舞台だけど、
「千光寺公園に上がるで」
あそこってロープーウェイで上がれたはずだけど、コータローがホテルの人に聞いたら、乗り場はバイクさえも停められないところなんだって。千草もストリートビューで見たけど、こんな路地の奥みたいなところに乗り場があるって感じだもの。
だからぐるりと回って千光寺山にバイクで登ることにした見たい。バイクを停めて歩いていくと、尾道の街がまさに一望だ。尾道と言えば大林監督も有名だけど、
「なんと言っても林芙美子の放浪記です」
うぐぐぐ、読んでない。ツムギちゃんはさすがだな。
「オレかって読んでるぞ」
奇跡だ。
「ほっとけ」
放浪記は読んでないけどあの一節だけは知ってるぞ、
『海が見える。
海が見える。
五年振りに見る、旅の古里の海!』
こうなんだけど、あれって千光寺山から見た尾道よね。
「千光寺山ではありません。あれはこう続きます。
『汽車が尾道の海へさしかゝると、煤けた小さい町の屋根が、提灯のように拡がって来る』
つまりは汽車の窓からの風景になります」
そうだったのか。でも考えてみればそうよね。あそこの一節って東京から故郷の尾道に帰った時の描写だったはず。当時のことだから東京からは汽車になるはずだ。今だって新幹線だろ。
「有名なフレーズですが、あれって本当に海を見えたのかと思っています」
当時の線路がどうだったとか、街がどうだったかはわからないけど、
「まず目に飛び込んで来たのは向島の気がするのです」
尾道は海に面した街だけど、神戸と違うのは目の前に島がある事なんだ。その島と尾道の間にあるのが尾道水道だけど、あれは海と言うより大きな川って感じがするのよね。汽車からだって海は見えたかもしれないけど、
「向島が見えて、海の方は想像の部分もあった気がするのです。尾道の人の海のイメージは向島とセットのはずです」
なるほど! 向島が見えただけで海がセットで思い浮かんだのはあり得る気がする。放浪記は名作とされ、大林監督も影響を受けてるよね。
「そうだとする記事を読んだことがありますが。たぶんあのフレーズでないかと」
尾道に帰ってからの主人公の感想みたいなものだけど、
『何もかも懐しい姿だ。少女の頃に吸った空気、泳いだ海、恋をした山の寺、何もかも、逆もどりしているような気がする』
こんなのがあるんだって。どうでも良いけどツムギちゃんもよく覚えてるものだ。ツムギちゃんの異常な記憶力はともかく、恋をした山寺は、
「さびしんぼうに使われています」
主人公の家がお寺だったはず。あの映画で印象的に使われていたショパンの別れの曲は大林監督が好きだったそうだけど、
「少女の頃に吸った空気もどこかにありそうです」
なにもかも逆もどりしているような気がするは時をかける少女だとか、
「あれは筒井康隆の原作そうだからでしょう。ですから転校生の気がします」
それにしてもあんな古い映画を見てる方が驚かされる。本物のセレブの御令嬢は教養のために見るのかな。というかさ、そんなDVDとかのライブラリがレンタルビデオ屋さんも真っ青みたいなレベルで家にありそうな気がする。
それとあの大林監督作品は御当地映画って事にもなるのだろうけど、なんか羨ましいな。あの三部作が尾道を舞台にしたのは大林監督の思い入れだけだもの。千草たちの故郷が舞台になる可能性だって、
「無理あるで」
それを言われると辛いな。でもさぁ、現実に見る風景と映像は別物じゃない。誰かが有名な映画監督になって、思い入れたっぷりで撮ってくれないかな。
「おらんもんはしゃ~ないわ。そやけど千草の話には一理あると思うで。オレらには見慣れた風景でも、撮り方によっては変わるもんな」
上の丸の駅とか、ナメラ商店街とか、美嚢川鉄橋とか、
「下町とか芝町あたりでも撮りようで変わるはずや」
千草もコータローも故郷を離れたような人間だけど、今だって、
「神戸電鉄が緑ヶ丘の坂を登り出したらいよいよ故郷やと思うし、志染からの坂を下って行くと帰って来たって感じがするで」
千草もだ。城跡に登る石段とか、あそこのお稲荷さんとか、
「上の丸公園もたまに行くと懐かしいもんな」
もっとも寂れているのはどうしようもないのよね。あの寂しさってかつてはもっと人がいて賑わっていたとの記憶との裏返しだもの。まあ日本中どこにでもある少子高齢化の進んだ街なんだけど、
「故郷は遠くにありて思うものや」
どうしてもね。それでもコータローと幼い頃に遊んだ場所は千草にとって永遠だよ。