ツーリング日和25(第25話)帰り道

 二段ベッド部屋に帰ってから寝た。なんだかんだでくたびれたもの。もちろん本当の意味で寝たよ。だってこんだけ狭いと無理あるし、

「壁かって頼んない」

 防音壁と思えないものね。南港には六時着なんだけど朝食はどうなるのかと思ったらちゃんとあった。レストランは五時半から営業だった。洋食セットだったけど、

「なんか学校の給食を思い出すな」

 あれより豪華だよ。食べ終わるとすぐに着岸で下船だ。南港だけど小型バイクにはとにかく不便なところなんだ。南港から神戸に帰ろうと思ってパッと思いつくのは、北側にある咲洲に渡り、そこから夢洲、舞洲と渡って国道四十三号に行こうってルートが目に付くのよね。

「咲洲は小型バイクにとっては袋小路なんよな」

 咲洲に渡れるのだけど、咲洲からの夢洲トンネルが自動車専用道で通れないんだ。だったらと咲洲から東に向かって海遊館の前を通るルートがあるけど、

「咲洲トンネルも自動車専用道やねん」

 なんやねんと言いたくなる。仕方がないからフェリーターミナルから南港通を東に進んで玉出に出るルートを取るしかないんだよね。それでも時間帯が時間帯だから、それなりにスムーズに帰れて助かった。

 それでもさ、こういう帰路ってなんか寂しいのよね。旅に出るって一種の興奮状態にいると思うのよ。まだ見ぬ道、まだ見ぬ風景、ひょっとしたらの出会いなんかも求めるのが旅じゃない。

「出会いが欲しかったんか」

 混ぜっ返すな。男はコータローだけで必要にして十分だ。コータローこそ、ツムギちゃんに魅かれただろうが、

「趣味やない」

 コータローの女の趣味も謎なんだ。どうにもまともじゃないところがある。今だってブス専疑惑が残ってるぐらい。

「千草のことか」

 そんなに離婚したいのか。そりゃ、ブサイクだって自覚は烙印のように刻み込まてるけど、

「これ以上、どうせい言うねん」

 うぐぐぐ。惚れたのはコータロー、口説き落としたのもコータロー、プロポーズをしたのもコータロー、結婚してくれたのもコータロー、夫婦になってからだってひたすら愛してくれて、大切にしてくれるのもコータローだ。

「それでエエやん」

 それにしてもツムギちゃんどうなるのだろう。

「そやから雲の上の世界の人の話や。オレらのような地べたに住んでる人間では手も足も出んわ」

 そうなるのよね。ツムギちゃんイイ子だったけど、やっぱり感覚が別次元だと思ったもの。金銭感覚はそこまでじゃなかったけど、

「人として、いや女としての感覚がどっかで違うわ」

 そんな感じ。だいたいだよ、家のコマにされてる自覚まであるのに、それをあれだけしゃ~しゃ~と受け入れてるのが信じられないよ。

「それは千草かってそうやんか。なんやかんやと見合い話を受けてるやん」

 そ、それは、ああいう状況だったし、相手がいなかったし、歳の頃なら悪くないと思ったし、見合いなら親だって賛成するし、

「あん時に誰かに気に入られていたら結婚しとったやろ」

 なんて答えにくい質問をするのよ。そりゃ、見合い話を受けてるし、見合いの席にまで出てるじゃない。千草からすれば相手が男だったらそうは贅沢は言えないし。

「それがちょっと重いだけやろ」

 ちょっとじゃないよ、重いよ、重すぎるよ。でもさ、それが当たり前の世界で育てばそうなるのだろうな。あの時の見合いが上手く行ってたら、こうやってコータローとマスツーしてなかっただろうな。

「それはわからんで。千草はエエやっちゃけど、必ずしも万人に合うわけやあらへん。そやから離婚しとる可能性もあるやんか」

 コータローは千草の不幸を願うって言うの。それでも幼馴染か、同級生か。

「そんなもん離婚してくれへんかったら結婚出来へんやんか」

 コータロー・・そこまで千草のことを、

「そこまでも、ここまでもあるかい」

 なんかさ、千草って本当の意味の恋人付き合いをしたことないのよね。というか、恋人として愛された事がないんだよ。だから愛されるってここまで言ってくれて、ここまでしてくれるのに戸惑ってる部分は正直なところあるんだ。

 そう言えばツムギちゃんはコータローとの仲を本当に羨ましがってた。田舎のセレブもどきの家と真宮寺家じゃ違い過ぎるけど、本当の意味での恋愛結婚が出来て、周囲も素直に祝福してくれて、なおかつラブラブ夫婦に見えたはず。

「違うんかい」

 違わないよ。そんな恋への憧れがツムギちゃんにもあって、ああなりたいと思ったはずなんだ。こんなもの誰だってそうだろ。

「千草は違うで」

 どこが違うって言うのよ!

「もうそうなってる見本や」

 あははは。そうかもね。なんとなく感じたのだけど、ツムギちゃんの理想形みたいな夫婦に見えた気がしてる。千草なんか田舎のセレブもどきの娘に過ぎないけど、そういう枠内でちゃんとした恋愛結婚してるようなものだものね。

「シチュエーションは全然ちゃうけど、本当の恋のあり方を覚えたぐらいかもな」

 なにが本当かなんて言い出したらキリがないけど、結婚って前提として二人の恋があるもんなんだ。けどさぁ、政略結婚で求められるのは二人の背景の組み合わせだけで行われるもののはず。

「結婚とはそんなものやと信じ込んどったんやろな」

 そこは違うと思うよ。そっちこそが本当の結婚ぐらいは知識としては知っていても、手の届かない夢ぐらいに扱ってたはずなんだ。

「千草もそうやったんか」

 答えにくい質問をするな。根本的には千草のブサイクのせいだけど、結婚したいって相手が見つからなかったのはまずある。でもね、それでもの気配ぐらいはあるにはあったんだ。あれだって千草の妄想かもしれないのは置いとく。

 けどさ、そこに踏み込めなかったはある。もう学生じゃないから踏み込んだ先には結婚を意識するじゃない。意識した時に実家との関係が頭に浮かんでしまったのは無いとは言えない。この相手を親に紹介したらどうなるんだろうって。

 千草の家なんか真宮寺家と比べたら吹けば飛ぶような代物だけど、知らず知らずのうちに刷り込まれていたんだろうな。真宮寺家の娘として純粋培養されたツムギちゃんならなおさらのはずだ。

 これは決められた枠から出る事の怖さと言い換えても良い。その枠内に留まれば、少なくとも経済的には死ぬまで不自由する事はない。でも枠外に出てしまえば荒野の感覚とすれば良いだろうか。

「庶民は荒野に住んでるんやけど」

 そうだけど、その荒野をヌクヌクとした部屋から眺めながら育つのがセレブだ。わざわざ荒野に飛び出したいとは思わないだろ。

「その枠内での夢を見ていたんやろな」

 それで良いと思う。だけど相手は完全なるハズレ野郎だ。そこにコマとしてだけ使われる自分にさすがに嫌気が差したからプチみたいな家出をしたのだと思う。ツムギちゃんにしたら精いっぱいの反逆のパフォーマンスだよ。

「オレらに会うたんが良かったんか、悪かったんか」

 どっちで見てたかになると思う。枠内での理想が存在すると受け取ったか、もう一歩を踏み出して枠内に留まる事の虚しさまであったかぐらいだろ。

「オレらの結婚は政略結婚やないのをどこまで見たかもありやろな」

 それはあるよ。家同士の釣り合いだけが取れてるだけで利害関係はないものね。たまたま恋に落ちた二人の家の釣り合いが取れてただけみたいなもの。

「オレが医者の家でものうて、医者でも無かったら千草はどうやったんや」

 だ か ら、答えにくい質問をするなよな。う~ん、やっぱり結婚してた。

「そこまで見てたかどうかの話やないか」

 かもね。いずれにしても最後はツムギちゃんが決めることになる。これは千草たちの手の届かない雲の上の世界の住人であるのもあるけど、そうでなくても自分の運命は、自分の責任、自分の判断でしか切り開かれないはずなんだ。