三十年来の幼馴染であり中学の同級生でもあるコータローと結婚した千草だよ。でさぁ、夫婦になったからコータローをどう呼ぼうかと考えてたんだ。だから、
「あなた」
こう呼んでみたんだ。そしたらコータローは、
「千草が家を建ててくれるんか」
あのなぁ、なんちゅうわかりにくいボケなのよ。それって小坂明子のむっちゃくちゃ古い歌じゃないの。そんなものがすぐに頭に浮かぶ方がおかしいだろうが。それもだぞ、あの歌はあくまでも、
『もしも・・・』
じゃないの。あくまでも仮定の話で、実際に家を建てる話じゃないだろうが。そりゃ、千草の収入で仮にでも家を建てるなら小さな家にしかならないにしろだ。
「それってユーチューブとかで出て来る狭小住宅ってやつか」
それって、こんな狭い敷地にとか、こんな変形の敷地にこれだけの家が建ってますってやつだろ。
「家賃激安のコンテナハウスみたいなのもあったぞ」
うるさいわ。コータローは庭付き一戸建てが欲しいのか!
「オレは今のマンションでエエわ。一軒家なんか持ったら草引きがかなわん。無駄に広い家はもう飽きた」
この辺は田舎者の上に、なんだかんだでボンボンと社長令嬢の夫婦だから実家が広いのよね。田舎って土地が安いし、
「単位が一反やもんな」
一反は三百坪になるけど、要するに田んぼ一枚が基本単位で、これを一枚にするか半分にするかみたいなところは確実にある。というか、コータローの実家も千草の実家も田んぼ一枚に家を建ててるからね。
「爺さんの実家は二枚か三枚ぐらいあったで」
うん。今から思えば、どんだけってぐらいあったもの。もっともフラットじゃなくて庭に谷があるようなものだっだけどね。それはともかく庭付き一戸建てのメリットとして、
「犬とか猫を飼うのもあるけど、千草は欲しいのか」
犬や猫も時々見るのなら良いけど飼うとなれば面倒なのよね。散歩とかエサやりを欠かせないし、旅行に行く時だって困るもの。だから今のマンションで十分だよ。
「気が合うな」
だからじゃないけど、お互いを呼ぶときは、
「コータロー」
「千草」
こうなってる。他のところは知らないけど、同級生の友だち意識があるから、これが自然なんだよね。それにさ、妻が夫を呼ぶときに『あなた』は良いとしても、夫が妻を呼ぶときはどうなんだの謎もある。まさか、
『おい』
こんな呼び方しやがったら、冷たい土に埋めてやる。
「上には石の重石か?」
無駄カネは使いたくないから、なんだっけ、細長い木の札に謎の記号を書いてるやつ。
「卒塔婆やろ。謎の記号は梵字や」
そうそう卒塔婆。あれならホームセンターに行って板と筆ペン買って来れば一丁上がりだ。それとコータローの収入なら専業主婦だって可能は可能だけど、
「千草を専業主婦にして何がおもろいねん」
おもしろいとか、おもしろくないの話じゃないけど、千草が専業主婦になるのは頭からNOだった。そんな事を考えすらしてなかったで良いと思う。共働きになると家事分担をどうするのかは出て来る。
ここでコータローの仕事のスケジュール的な話になるけど、二足のワラジを履いてるから病院へ仕事に行く日がある。最近ならイラストレーターの方が少し多くなってるみたいで週に二~三回ぐらいかな。
その日は千草が主に家事担当になるけど、問題は残りの日だ。休日も含めてコータローがすべて家事を担当してしまってる。それはそれで有難いけど、どうしたって気になるじゃない。だってさ、千草だって働いてるけど一円も生活費を払わせてくれないんだもの。
「当たり前や。それぐらいの甲斐性がのうて千草を嫁に迎えられるか!」
コータローが千草を余裕で養えるぐらい稼いでるのは知ってるよ。けどさぁ、けどさぁ、それもってのがあるじゃない。これだって千草のお給料を二人の将来のために共同貯蓄にするってのはアリだと思う。なのにだよ、
「オレはこんな最高の女を嫁に出来たんや。これだけでどれだけ借りがあると思うてんねん。それにオレのワガママで仕事にも行ってもろうてるやんか。そやのに千草は文句ひとつ言わへんやん。その上で千草のお給料まで手を出したら鬼畜の所業や」
だったら休日の家事分担は千草がするって頑張っても、
「アホ抜かせ。休日は休むためにあるんや」
それはコータローもだろうが。どうもコータロー的には麻酔科医の仕事に行っている日だけでも千草が家事をしてくれるだけで満足してるどころか、感謝しても、感謝しても足りないぐらいの気みたいなんだよ。
「それが夫婦ちゅうもんや」
それがおかしいって思うけど、そうさせられてしまってる。そんなコータローの暮らしぶりだけどとにかくケチだ。
「それは千草の誤解や。オレは無駄遣いが嫌いなだけや」
ケチも無駄遣いが嫌いも同じだろうと言いたいけど、こればっかりはコータローの方が正しいかも。とにかく何か買う時はこれでもかの吟味をするのよね。そこまでするかってぐらい吟味を重ね尽くした上でようやく買うのだけど、あれって値段さえ度外視してる気さえする。
高い安いよりその品物にどれだけの値打ちがあり、使う時にどれだけ役に立つか考え抜かれたものなんだ。だから安く立って気にもしない。ただし、高いものはまず買わない。まずどころか見たことがない。
「あんな高いもんが買えるわけあらへんやろうが。あんなもんのうてもなんも困らん」
だからかもしれないけど、コータローが結婚前に持ってた物はとにかく実用重視ものばかりだったのよね。これじゃ、ケチ臭すぎて一緒に暮らしていたら息が詰まりそうに思うかもしれないけど何事にも例外がある。
千草だって女だし、仕事にも行ってるから、やっぱり、あの、その、ブランド品みたいなものが欲しくなる時はあるのよ。コータローの普段のケチぶりは見せつけられてるから、千草のお給料で買った事があるのよね。これだったら文句を言わせないつもりだったのだけど、
「オレをバカにしとるんか!」
あんだけ怒ったコータローを見たのは初めてだった。いや、コータローが怒ったのを見たのが初めてだったかも。これだって黙って贅沢したのを怒っているのかと最初は思ったんだ。だってケチのコータローじゃない。
「夫婦やぞ。欲しいのやったらなんで言わへんねん。そやのに千草の給料から払いやがって。オレはそんなに頼りないんか。千草にとってオレはそんなもんなんか」
コータローは最後に泣いてたもの。
「こんなに情けない思いをさせられると思わんかったわ。二度とするな。わかったか!」
要するに買う前にコータローに相談しろって意味だと解釈したのだけど、そんな甘いものじゃなかったんだ。だってだよ、それから千草が少しで欲しそうな仕草を見せようものなら、
「これでエエか」
すぐに買って来るんだもの。そうなんだよ、千草が欲しがるものはホイホイ買ってくれるんだ。欲しいなんて言おうものなら、夜中でも店に行きそうになるぐらい。だからと言って贅沢三昧してるなんて思わないでね。
コータローの余りの勢いにビビっちゃって、どうやったら千草の欲しいものがコータローに知られないようにするのかで大変なんだよ。だから欲しいものがあっても、それはもう吟味して、吟味して、考えに考え抜いて頼む様にしてる。なんか夫婦って似るものかと思ったもの。
これってさ、ラブラブ夫婦と言うより愛妻家、いや嫁さんラブに熱中してるとしか思えないじゃない。嫁さんラブに熱中してくれるのが悪いわけじゃないけど、さすがに度が過ぎてる気がする。夫婦って初めてやるけど、お互いに支え合うものって言うじゃない。
「千草にあれだけ支えてもらっとるのに、オレはなんにも出来てへんようなもんや。そやから少しでも千草に返そうと頑張ってるつもりやねん。まだ足らんのは反省しとる」
こんな臭いセリフを真顔で並べ立てやがるんだ。ふと思ったよ。これって普通の夫婦なんだろうかってね。どう考えたって違うだろ。どこかじゃなくて、コータローがおかし過ぎる。
「愛し合って結婚して夫婦になってんから当たり前やろ」
それはそうだけど、ここまで愛されるほど価値のある女じゃ千草はないぞ。