千草だって頑張ったところは褒めてもらいたいし、見て欲しい。女ってね、そういうところに力を入れる生き物なのよ。
「髪を切ったとか、髪型を変えたとかやろ」
それは絶対よ。気づかなかったら何が起こるか保証できないぐらいのレベルだ。女が髪を変えるって言うのは、それだけ重要な事なんだから。
「男が暑いから短くするのとは違うんやな」
そんなものと同じにするな!
「そういうけど、女の髪を話題にするのはセクハラやって聞いたぞ」
それはなんでもかんでも、失恋とか、恋人が出来たに結び付けるからだろうが。物事にはTPOってのがあるだろうが。そしたら、今やっと気づいたみたいに、
「前に飲みに来た時とは髪型がちゃうな」
やっとかよ。ずっと待ってんだぞ。
「いや、言うたらアカンと思うて」
違うだろ。髪型の話題になってやっと気づいたのは丸わかりだ。この髪型にするのにどれだけ悩んだのかなんて・・・わからないだろうな。
「オレの服装もやっぱり気になるか?」
気になりまくりだ。コータローは医者だろうが。それにイラストレーターみたいなオシャレな商売もやってるだろ。もっと単純に言えばオシャレに費やせるカネがあるだろうが。なのにそのヨレヨレじゃないか。
「何言うてんねん。何回も洗濯ししてやっと皺が寄らんようになったのに」
それをヨレヨレって言うのよ。
「そうなんか。ここまでになってくれるのに二年ぐらいかかってるんやが」
買い替えろ! 何年着てるんだ。それだって普段着と言うか部屋着ならまだ許そう。でも今夜は千草と飲みに来てるのだぞ。コータローが一人で勝手に恥をかくのは勝手だけど、今夜なら一緒の千草も巻き添えになるのがわからんのか。それでも腕時計はロレックスじゃない。
「ああこれか。親父の遺品や」
コータローが自分で買うはずもないか。それでもロレックスが良いものぐらいは知ってるよね。
「バカにするな。アホみたいに高いのに百均のデジタルより狂う時計や」
サジ投げた。コータローなら百均の腕時計でも平気で付けていそうだ。物の価値の判断基準が別次元なんだろうな。男だってファッションとかに女顔負けで凝る人だっているけど、なんとなくそうじゃない人の方が多い気がする。
だってさ、子どもの時は親が選んだ服を着て、結婚したら奥さんが選んだ服しか着ない男は多いじゃない。あれって服を自分で選んで買うの自体が苦痛としか思えないもの。ぶっちゃけ、そういう方面に関心が極めて薄いってことだ。
男が結婚する理由って、それこそ色々あるだろうけど、こういう身の回りをキチンと整えてくれる人が必要なのもある気がしてきた。これは女が家のことに専念するのとは少し違うな。
人生のパートナーでもある夫をまともに見えるようにする役割だ。社会人になれば地位と肩書に相応しい身なりが求めれられるんだよ。でもコータローみたいなタイプの人間は、そういうものが求められるぐらいは知っていても、無頓着というか、やろうと思っても出来ないと思う。
それでも必要ぐらいはどこかで感じてるから、それが出来て助けてくれる人をどこかで求めてるぐらいはあるはずだ。コータローだってコータローなりには努力はしてると思う。それでもこのザマだ。
言っとくが、コータローだってだらしないって訳じゃない。ツーリングもデートみたいなものだけど、ちゃんとエスコートしてくれるし、外食だってちゃんと考えて店を選んでくれてる。
美的センスだってある。これはあるなんてものじゃなく、売れっ子の人気イラストレターだ。千草とはレベルが違うなんてものじゃない。致命的に無いのはどう身だしなみを整えるかのセンスだ。
コータローにはそれが出来るだけのカネは持ってるけど、それを自分の身だしなみに使う気が極めて低い意識の人なんだ。だからこれをなんとかする人がコータローには必要だ。
「それやったら千草がしてくてへんか。千草やったら気が合うし、オレのこともよう知ってるやんか」
気が合うのは認める。それなりにだがよく知っているのも認める。コータローを見てるとなんとかしたくなるのも認める。だけどね、それをどういう立場で千草にさせる気なんだよ。まさかだけどメイドとして雇おうなんて思ってないよね。
「千草にメイド服は似合わんやろ」
頭から水をぶっかけたいけど否定できないのが辛すぎる。さすがにこの歳なのもあるけど、それ以前に顔とスタイルに無理がありすぎる。だったら家政婦なのか。
「これでも掃除や洗濯かってやるし、料理だって作れるで。独身も長いからな」
ホントかな。なんとなくコータローの部屋ならゴミ屋敷になってる気もするけど。
「アホか。さっきも言うたやろ。クライアントとの打ち合わせを家でやるのも多いからや」
そっちか。コータローが言いたいのは、家政婦が意味する家事全般の手助けは不要って意味だろうな。でもだぞ、そんな手助けをさせたいなら、千草をどう扱おうって言うんだよ。そりゃ、服選びぐらいなら付き合ってあげても良いけど。
「そういう一時のものやったら無理ないか」
そういうところはわかってるのか。服装だってトータルコーディネイトが必要だけど、コータローならたとえ千草がひとそろい選んでも、それを延々と着倒して終わってしまいそうだ。だから常に傍にいて身だしなみ全般を整えて欲しいって事だろうな。
だけどだぞ、そこまでやろうと思ったらセフレでも無理だぞ。セフレと言われても決まった男とやる女ぐらいしかイメージが湧かないけど、要は深い関係の恋人の一種だろ。恋人でも身だしなみに口を出せるけど、恋人と言う立場は相手の身だしなみを評価する立場じゃないかな。
だって、だって、彼女になるかならないか、なってもどれぐらい関係を深めるかのにも、相手の身だしなみの良し悪しも重要な評価基準になるもの。そこの評価が悪いだけで関係が終わってしまう事だって珍しい話じゃないものね。
そうなるとだな、そんなだらしない身だしなみの相手でも愛する人だって認め、認めた上で自分の意見に従わせる立場にならなといけなくなる。自分で言いながら、それってどういう立場なんだよ。
「これでもオレにも好みはあるねん。そやけどこういうもんは、ある程度、相手の趣味を丸のみせんとあかんはずや」
ちゃんとわかってるじゃない。そこのところで喧嘩になったら話にならないものね、
「だから千草がエエねん。千草の意見やったら素直に聞けそうやんか」
というか、千草に頼っといて文句を並べやがったらゴミ箱に放り捨ててやる。
「そやから頼むわ」
言いたい事はわかったけど、問題は同じところで回ってるだけじゃない。コータローの身だしなみをなんとかしたいと思ってるのは本当だし、それを千草がやってあげても良いとも思ってるよ。
でもそれを本気でやるには千草にそれが出来るだけの地位が必要じゃない。地位と言うのも変だけど立場でも良い。そうなるためには・・・それって、それって、えっと、えっと、ちょっと待ってよ、セフレじゃなくて愛人になれって事なの。
愛人ならあれの相手はもちろんだし、恋人よりさらに踏み込んだ関係になるはずだから、身だしなみ全般の手助けだって出来るのは出来る。でもさ、愛人って二号さんとか、三号さんと言われるぐらいだから千草を囲うつもり。
いやいやいや、愛人をマンションなりに囲うのは、いわゆる本宅に正式の妻がいるかだよね。コータローは独身じゃない。わざわざ愛人を別宅に囲わなくても良いはずだ。コータローはカネこそ持ってるけど、そういう無駄は好きじゃないのぐらいわかってるつもりだ。
そうなると愛人になった千草はコータローと一緒に住むことになってしまう。それって同棲じゃないの。でも普通の意味の同棲じゃない。同棲って多かれ少なかれ結婚が前提だけど、その気がまったくない同棲になるじゃないの。そんな女と男の同棲関係ってなんて言うんだっけ。あれは、えっと、えっと、そうだ内縁の妻だ。
いやいや、内縁の妻にはやはりしないと思う。どうやったら内縁の妻になれるかとか、ましてや法律的な事は良く知らないけど、内縁の妻になってしまうと男には厄介なものになるって聞いた事がある。
なんか権利的には正式の妻に近いものが発生して、遺産相続とかも影響するとかなんとか。さすがに遺産相続まではまだ遠いから置いとくとして、別れたりしたら財産分与とか、慰謝料が発生するとかしないとか。
そんな面倒そうなものをコータローは望むはずもないだろうから、やはり愛人としての同棲だ。この辺の境目がわからないけど、いくら同棲を長くして、結局のところ結婚しなくても慰謝料なんてものは発生しないはず。
そこまで関係が長くて深くてもあくまでも恋愛関係だって扱いで良いはずだ。恋人より愛人の方が関係も深そうに見えても、実質としては恋人扱いのはずなんだ。それでも違いはあるか。
恋人なら将来に結婚もあるけど、愛人ならそれが無いぐらいだ。それこそ気持ちだけは疑似夫婦で、夜の営みもするし、男の身の回りの世話とか、家事もやるだろうけど、どこまで行っても疑似で単なる同棲となんら変わらない関係ぐらいだよ。
たしかにそれなら、セフレの役割も果たせるし、コータローの身だしなみだってなんとか出来るとは思う。でも、でも、でもだよ。愛人とか、内縁の妻って日陰の存在じゃないの。どうしてそんな立場に千草が甘んじないといけないの。
千草ならそれでも贅沢だとか言われそうだけど、こっちだって女として、人としての矜持があるんだよ。もうコータローを好きになってしまっているのは認めるよ。琴平の夜だって求められたら受け入れてた。それを了解済みでお泊りにツーリングに出かけたんだもの。
でもね、千草は、千草は・・・ダメだ。そこが千草には無理なんだよ。そんな事はわかってるよ。わかってるけど、コータローが余計なことを言うから、望んでもどうしようもない夢を見たくなるじゃない。
「なに一人で呪文を唱えてるんや」
この野郎、人の気も知らないで。