鞍馬街道

 あれこれ調べては見たのですが、最後のところがはっきりしなかったので、その程度の話と思って下さい。

 街道って目的地を街道名にすることが多いので、鞍馬街道も京都から鞍馬山というか鞍馬寺とか貴船神社への参詣のための道が始まりではないかと考えています。京都で鞍馬山って聖域の一つぐらいの扱いだったはずだからです。

 ただし鞍馬寺が終点ではなく北へ伸びています。これが凄いところを通ってまして、酷道477号を経由して花脊、広河原、さらに佐々里峠を越えて美山に至ります。

 もちろん今でもクルマでも走れますし、サイクリストの人もよく走られ、京都市内からの日帰りツーリングルートとして楽しまれてる方もおられます。動画も見ましたが、バイクならまだしもクルマではあんまり嬉しくなさそうな道でした。

 この鞍馬街道ですが江戸時代には西の鯖街道でもありました。ルート的にはかやぶきの里の前を走って行くと国道162号に合流します。国道162号は周山街道になりますが、北上すれば堀越峠を越えて小浜に至ります。

 歴史的にはどうも周山街道より鞍馬街道の方が成立が古そうなのですが、大昔の鞍馬街道はどこまで指していたのだろうは私の疑問です。というのも鞍馬街道の始まりは鞍馬口ともされますが出雲口ともされるからです。

 出雲は島根県ですが律令時代でも古代山陰道、江戸時代でも出雲街道を使いそうなものです。今なら国道9号です。他にも出雲に行くには西国街道で姫路に向かい、古代なら美作道、江戸時代なら出雲街道を進むルートもあります。

 ですが鞍馬街道は出雲口なのです。そこで出て来る疑問は鞍馬街道からどうやって出雲に向かったのだろうです。考えられるのは小浜に出て海岸線沿いに西に進んだのか、美山かやぶき由良里街道を通り、国道27号から綾部、さらに西舞鶴に進むルートです。

 ここでなんですが古代ロマンが一つあります。丹後(丹波も含みます)王権が宮津を中心に栄えていたと言うものです。大和王権は出雲を征服する前段階に丹後王権を支配下に置いたとする説があります。

 大和王権が丹後王権に侵攻したのなら、まず宮津に向かうルートを確立したはずです。古代鞍馬街道はそのために成立した道ゃじゃなかろうかです。

 さらにの話があって、古代山陰道は篠山から宮津に向かう丹後支道がありましたが、丹後支道の与謝辺りからさらに但馬に向かう支道も存在していました。これは延喜式にも記録があるそうです。

 さらに言えば古代山陰道は遠坂峠を越えて和田山の方に進みますが、和田山辺りから但馬国府と言うか、豊岡盆地に進む官道はなく、あるのは加悦谷から但馬国府、さらに神鍋高原を越えて村岡に進むルートになります。

 想像の古代ロマンですが原初の出雲へのルートは大和から宮津に向かい、加悦谷から出石を目指していた可能性を考えたりしています。だから鞍馬街道は出雲口だったと。

 てなことを考えながら加悦谷から岩屋峠を越えて出石に皿そばを食べに行くツーリングをやってみました。岩屋峠は古代の官道が通っていたルートです。歴史街道ロマンを楽しもうぐらいです。

 出石がちょうどお城祭りだったもので市街地が交通規制でエライ目に遭いました。どうしたかって? 小型バイクのメリットを発揮させてバイクを押して行きました。でもって、久しぶりの皿そばを堪能させて頂きました。

 新蕎麦が嬉しかったですが、また来れるかどうかは不安な歳になってしまいました。それと若いころほど食べられなったのも寂しかったです。