ツーリング日和24(第28話)悩む女

 帰ってから、あれで良かったのか悩んじゃったのよね。あの階段地獄の後の筋肉痛でやらずに済んだのは良かったとは思う。あれって足に力が入るじゃない。なんていうか、寝転んでるけど踏ん張るって状態。

 誰だってそうなるとは思うけど、あの筋肉痛状態で変に踏ん張ったら絶対に足が攣ってたよ。それも足が攣りそうなのは、どう考えたって入ってからだ。足なんて攣っちゃうと我慢なんて出来ないから、あれだって中断どころか中止にせざるを得ないじゃない。

 そこまでの状態になってるのに突然の中止は良くないよ。女だってそうだけど、男ならそこまでになっていたらフィニッシュするしか考えてないはずじゃない。そこでお預けされたら絶対に辛いはず。

 だからやらなくて良かったとは思ってるけど、どう考えたってコータローはやりたかったはず。やりたかったからあそこまでのシチュエーションを整えたはずだもの。それぐらいは千草だってわかるよ。

 もちろんあのシチュエーションであっても女は断れるよ。やるやらないは本人同士の同意は絶対だし、それを破ればなんたら罪って法律も出来てるもの。けどさ、やるやらないは契約書とか同意書にサインして決めるものじゃないのよね。

 あくまでも阿吽の呼吸で決めるものだ。その点ではコータローはきっちり過ぎるぐらい手順を踏んでたと思う。再会してかつての友情を確認し、ツーリングを重ねることで二人の距離を詰めてたもの。

 日帰りツーリングの限界がわかって来たから、ステップとしてお泊りにツーリングに進むのはバイク乗りなら自然だ。二人のツーリングはその段階が必要になってたし、千草だってそこまで進みたいからマスツー相手を求めてたのはどこかにある。

 だからコータローがお泊りツーリングの提案をしてきたのは唐突でも不自然でもないのよ。もっとも、これはバイク乗りがツーリングをもっと楽しみたいからの観点だけどね。だって新たな道を走るには行動半径を広げるしかないもの。

 問題はアラフォーが忍び寄ってるとは言え、独身の女と男の組み合わせだったことになる。ツーリングと考えると別物と思いそうだけど、ただのお泊りツーリングとは意味が全然違うのよね。

 たとえばだよ、これがバイクじゃなくてクルマならわかるでしょ。男がドライブで女を旅行に誘ったら目的は一つしかないじゃない。これを男と行くただの旅行としか考えない女なんてこの世にいるものか。

 だから男からのお泊りツーリングを受けるか受けないかは、イコールでやるかやらないかの返事を求められてるのと同じだってこと。あれへの拒否権を発動するのならそこになるのよ。ここだって断ってからと言って二人の友だち関係が終わるとは限らない。

 この点は微妙と言うかケースバイケースが多すぎるのだけど、そうだなお泊りツーリングのお断りは恋人関係になる事へのNOであって、友だち関係は続けるとの意思表示ぐらい。それで二人の関係が終わってしまう事もあるのが女と男かな。

 でもさ、千草は受けてしまってるのよね。千草がイエスの回答をしたとコータローが受け取ったから、あそこまでの準備を整えてくれたってこと。千草だってお泊りツーリングを了承した時に求められたら受け入れる覚悟ぐらいしたもの。

 もっともだけどコータローだって手抜かりはあったと思うよ。まず出来なかった直接の原因である金毘羅羅参りだ。あの階段地獄がなければやってたはずだもの。ここは言い出すと千草にも責任はある。だって千草も香川に行くのなら金毘羅羅参りをしたいって言ったものね。

 それより問題は、コータローは手順こそしっかり踏んでるけど、一つ重大なステップをジャンプしてるのはある。やるにはやるだけの関係を作る必要があるってことだ。そんなに難しい話じゃない、やるまでに告白して恋人状態になっておくことだ。

 ここについてはあえてコータローはジャンプした気がする。なぜかって? そんなもの照れくさ過ぎるんだよ。あまりにも関係が長すぎて、今さら感がテンコモリだ。その辺の呼吸は千草もわかる気がする。

 だから告白から結ばれるまでを一挙に進もうとしたはず。だからその点については千草もそんなに不満はなかったし、そういう手順であるのも納得してたかな。コータローだって、そのためにゴージャスな琴平の宿を用意したはずなんだ。


 千草とコータローの組み合わせは類型的には幼馴染カップルであり、同級生が同窓会で再会して火が着いたカップルだと思うんだよ。そういう出会いで出来上がるカップルはいくらでもいるはずだ。

 だから出会いもカップルになるのも不自然でもなんでもないのだけど、今の千草は同級生より幼馴染カップルの比重が重いかな。そりゃ、あれだけツーリングで昔話をしたら思い出すじゃない。

 思い出すと言っても三歳とか四歳時代だから断片的も良いところなんだけど、とにかくよく遊んでいた。他にも近所の子どもがいたはずだけど、覚えているのはコータローと遊んだ記憶ばかりだもの。

 あの頃のコータローの印象だけどさすがに幼恋の対象じゃなかったよ。というかそれ以前に異性であるとの意識すらなかったもの。でもさ、記憶は美化されるって言うけど、とにかく楽しかったのは覚えてる。

 その辺は千草の両親が冷戦状態で家の空気が悪すぎたのもあったとは思うけど、どこかでコータローの家の子になれたらなんて思ってた記憶があるぐらい。だからじゃないけど、コータローの家にお泊りした事だってあるもの。

 お昼ご飯どころか、晩御飯だって何回も食べたぐらいだ。お風呂だって一緒に入った事だってある。だから一日遊んで家に帰る時だって、

「明日も遊ぼ♪」

 こうやって別れを惜しんだものね。あの頃は永遠にこんな日が続くって信じてたかな。あれって、コータローが引っ越さないか、地元に戻って来た時にせめて同じ小学校の校区だったら幼恋に発展してた気がするぐらい。

 幼馴染から幼恋に進むって、お互いが異性であることを意識してからって言うじゃない。そうなりそうな下地があの頃にあったはずだ。そうならなかったのはお互いが異性であると意識する前に離れ離れになってしまったからのはずだよ。

 だから異性であると意識して再び出会うのが中三まで飛ぶのよね。そこまで飛ぶと幼恋を意識する年代は飛び越えてしまって、思春期の青い恋の時代の真っ只中だ。クラス替えでコータローがいるのはすぐに意識したけど、だからと言って四歳からの続きなんて出来るものか。

 まだ中学生とは言えコータローは男だし、千草だって女だ。とくに千草は意識してしまった気がする。それより何より千草にはコンプレックスがあった。そんなもの毎日鏡を見てるから嫌でもあった。どこをどう見たってブサイクだし、スタイルだって良くない。

 コータローだってあの頃はマメタンだったけど、ブサイク同士だからってそこに恋愛感情が芽生えるなんてあるものか。ブサイクな女だってイケメンに憧れるし、ブサイクな男だって綺麗な子、可愛い子に恋するもの。それがこの世の、とくに青い時代の恋の鉄則だ。同窓会で再会してからコータローに聞かれたよ。あの頃に千草が誰を好きだったかって。

『へぇ、中林やったんか。なるほど』

 中林君はサッカー部のキャプテン。リーダーシップもあったし、

『やんちゃやったぞ』

 そうだった。やんちゃと言ってもヤンキーとか不良じゃなくて、クラスの仲間を集めて強めの悪ふざけをするぐらい。強いて言えば不良っぽい空気ぐらいあったけど、あの頃の女子って、

『ああいうタイプはモテたわな。そう言えば中林は県工やったよな・・・』

 県工は当時のサッカーの強豪校の一つだった。もっとも全国に行くとなると私立の強豪校がいたから遠かったけど、

『大学もセレクションやったらしいな』

 そのはずだよ。言ったら悪いけど県工からじゃあんな大学なんて無理だもの。とはいえセレクションと言っても、

『オレもだいぶ後に知ったようなもんやけど』

 大学の運動部となると高校とはまったく違うのよね。高校までは原則として希望すれば誰でもどの部活にでも入れるけど、大学となるとスポーツエリートしか入れなくなり、それを選ぶのがセレクションになる。

『セレクションもランクがあるねんてな』

 モロみたいで有名強豪大学に入部するには全国大会に出場するぐらいが求められるとかなんとか。中林君も関東の大学には入ったけど、

『二部リーグの二軍やったって聞いてるわ』

 サッカーの場合は国内の頂点がJリーグになるけど、大学の二部の二軍じゃ無理よね。

『サッカーは野球なんかと比べたらプロの裾野は広いみたいやけど、どこでもそうやが下に行くほど給料は激安や。そこまで頑張らんでも、エエとこ就職してるやないか。体育会系の就職はエエってホンマやな』

 体育会系のOBの結束はそれはそれは強いらしいし、企業も体育会系の体力と根性を学力以上に評価するとかなんとか。中林君とは同窓会でも会えたし、昔の面影こそあったけど、

『相変わらずおもろいやっちゃ』

 そうなんだけど、あの頃の輝きを知ってるとちょっとだけ辛かったかな。中林君のことはともかく、コータローはマメタンからイケメンに変身し、医者になってるだけでも凄いのに人気イラストレーター水鳥透でもあるんだよ。

 だから同窓会の日からずるずると交友関係を続けてるのだけど、どうにもこうにもコータローのイメージが四歳時代とダブっちゃうんだよ。そこから立派に成長してるのはそうだけど、どこか意識が異性なんて意識も無かった四歳時代の友だち感覚なんだ。

 だから友情レベルは復活した。だけど愛情レベルにするには違和感がどこかにある。これって千草だけなのかな。他の幼馴染カップルってどうなんだろ。立派に成長した男についに抱かれて嬉しいになるのだろうか。

 なる女はなるんだろうな。だってさ、幼馴染カップルの関係が友情から愛情に変わる時って、相手が女であるとか男であるのを意識した時から始まるって言うものね。それを言えば千草だってそうなるのだけど、なんか違う気がするんだよ。

 もしかしたら幼馴染ラブというより同級生ラブからなのかもしれないな。男と女は対等であるのが当然の大原則じゃない。千草は別にフェミじゃないけど、同級生ならとくに対等の意識は普通にあるもの。

 同窓会だってそうじゃない。十八年も経ったら、そりゃ、もうって感じで変わってる子は変わってる。容姿もそうだけど、社会的な地位もそうよ。もしあれが同窓会じゃなく、見知らぬ社会人として会っていたら、タメ口なんて絶対に出来ないのだっているもの。

 中林君だってそうだけど、コータローなんてそれ以上だ。だって医者だけでも立派過ぎるのにあの水鳥透だよ。ファンだったら崇めてサインをもらいに行くぐらいの地位と立場じゃない。

 でも同級生だからなんのこだわりもなくタメ口だ。これは同級生として対等の意識が刷り込まてるからのはず。だけど恋愛になるとその対等意識がどこかで邪魔してるように思うのよね。

 恋愛だって男女対等のはずだけど、女ってやっぱり受け身だと思う。だってそうでしょうが、キスだって奪う奪われるって言うし、処女だって捧げるとか言うでしょ。たとえ童貞と処女が初体験をやったって、女が男の童貞を奪ったって言わないじゃない。

 だからじゃないかな。この世のカップルの多くは男が年上なのは。女と男として対等でも、年齢が年上の分だけ女は下の地位にいるって感覚。下ってのもおかしいけど、年上を立てるならどうだ。

 初体験の一回しかないから大きなことを言えないけど、女が初めてをやり遂げるには半端じゃない覚悟がいるのだけはわかる。そりゃ、人によって変わるだろうけど、あんなもの痛くて辛いだけじゃない。

 あれを初体験で感じまくって昇天して、この世の快楽の極致だって溺れ込む女なんていないと思う。そんなのがいるのはエロビデオとか、エロ小説の中だけのはずだ。それでも望まれれば初体験に臨むのが女だけど、あれって男が対等だって意識があるとハードルが上がる気してしまう。

 だってさ、だってさ、あれの時ってすべてを許すって言い方をするし、実際だってそうじゃないの。全部脱がないと始まらないし、始まったら始まったですべてやらさければならいのがあれじゃない。

 同級生じゃなくてもどれだけ恥ずかしいものかは経験したけど、それを対等感覚の同級生相手にやるのよ。想像しただけで頭がクラクラする。高校の同級生同士でカップルにななりやってたのも知ってるけど、どんな思いだったんだろうね。


 でもさ、でもさ、やったら女と男の関係が変わるのも経験したのよね。千草の場合はその直後に黒歴史になったけど、終わった直後の感覚は違ったもの。あれはあれで、また対等と言うか、女と男の新たな関係のステージなったって感じだった。

 コータローと結ばれてもそうなるのだろうか。つうか、それも期待してお泊りツーリングをOKしたのも白状しておく。それを言えばもうコータローとはそこまでの関係になってるはず。それでもやり捨てとか、セフレはやっぱり嫌だな。千草がいくらブサイクでも女のプライドは捨ててないからね。