なんとか転ばずに階段地獄から下りて来られた。平地ってこんなに嬉しいものだと思ったよ。もう足だってパンパンだ。ところで宿は、
「近いで」
それは助かる。ここから一時間なんて事故しちゃいそう。駐車場から橋を渡って川沿いの道を走って行ったら、
「あそこが駐車場みたいや。嬉しいな、屋根付きのバイク置き場もあるやんか」
ホントだ。ところで琴平花壇ってなってるけど、元は花屋さんだったの。
「何言うてるねん。明石にも人丸花壇ってあるやんか」
言われてみればそうだ。
「箱根にも強羅花壇があるで。琴平花壇も江戸時代からあるそうやが、この名前になったんは明治になってからやそうや。ようわからんけど、その頃は花壇って付けるのがなんかオシャレで高級感があったんちゃうか」
それはあるかも。その手の語感というか言葉からのイメージは変わるものね。間違っても公園の花壇を見ながら思いついたものじゃないはず。旅館には道向かいの階段を上がるのか。また階段ってちょっとウンザリした。
さてどんな宿かな、ちゃちな宿だったら承知しないぞ・・・て、本当にこの宿なの。間違えたのじゃないの。
「ここでエエはずや。たぶんやが似たような名前の宿はないはずや」
そ、それはそうだけど、それにしてもじゃないの。フロントでも予約が通ったみたいだから、ここみたい。そこから部屋に案内されたけど、どうして庭に出るかと思ったら、ここって離れじゃないの!
「気に入ってくれたか?」
気に入るも何も、気でも狂ったの。どこをどう見たって超高級旅館のしかも離れだよ。中に案内されても目が回りそうだ。
「千草と一緒に泊まるなんて、そうそうはあらへんやろ」
中学の修学旅行以来だ。それにしたって、
「こういうとこ好きやろ」
好きだよ、いつの日にか泊まってみたいと夢見てたよ。だけど、だけど、いくらなんでも・・・そもそもだけど、いくらするって言うのよ。こんなところの宿泊費なんて千草は払えないよ。
「それは心配せんでもエエ。これぐらい経費で落ちる」
経費って言うけど、遊びに来てるだけじゃない。そんなものが経費で落とせるものか。
「そうでもないねん。医者やったら落ちんけど、イラストレーターもやってるやんか。そやから取材のための経費や」
そっちの方の経費か。たしかにイラストレーターなら取材は仕事だし、
「金毘羅様参りも、こういう宿に泊まるのも取材の一環や」
そんなものなのか。でもさぁ、でもさぁ、コータローは仕事になるかもしれないけど千草は関係ないじゃないの。
「あるに決まっとるやんか。イラストにはモデルが必要や」
千草がモデル? ああ、なるほど。イラストに描く時は美少女になるから、そこに誰であっても女がいれば良いぐらいか。マネキンだって人形だって良いのだろうけど、生身の人間の方がイメージしやすいぐらいかも。
「まず風呂に行こうや」
それ賛成。ツーリングってひたすら風を浴びてるようなものだから汚れるし、今日はトドメに金刀比羅神社の階段地獄だった。
「貸切風呂も使えるけど・・・」
あのね。そしたら混浴になるじゃないの。まだそんな関係じゃないだろうが。ここは温泉なのが嬉しいけど、昔からの温泉じゃなくて二十世紀の終わりごろにボーリングして掘り出したものとか。
でも筋肉痛に気持ち良いぞ。露天風呂もあるのか。ノンビリ浸かりながら考えてたのだけど、コータローは本気で千草と間違いをやろうとしてる。だってさ、こんだけのシチュエーションを整えられてしまってるんだもの。いくらかかっていると言うんだよ。
ここも誤解を招きそうだな。援助交際でもパパ活でも売春でもないから、いくらカネを積まれたってやる義理はない。当たり前の話だ。そうじゃなくて、千草はコータローの好意を受け入れてしまってるって事なんだ。
好意たってピンキリで、それこそ休憩の時のジュースを奢る程度もある。それぐらいなら大したことないけど、コータローは今回のお泊りツーリング代をすべて奢るつもりだ。というか、こんな超が付きそうな高級旅館の宿代なんて払えないよ。
ここもわかりにくいか。お泊りツーリングを受け入れた時点で、こうなる可能性もあったんだよ。だからその点にあらかじめ釘を刺しとくとか、そもそもお泊りツーリングに行かない選択も千草にはあったってこと。
でも、のこのこ出かけて来てるし、結果としてコータローの好意を受け取ってしまってる。受け取ったからには代償を払う必要が出て来るのよね。代償が何になるかだけど、女と男がこんな良い宿に二人で泊まったら一つしかない。
そうなるかもしれないのに、ここまで来てしまったのが今だ。そりゃ、今からでも断れるし、そこを無理やりコータローが襲えば犯罪だ。けどさ、ここまでされたら逃げられるものか。そうなると今夜だからせめてしっかり洗っておくか。
風呂から上がって部屋に戻ったら夕食だ。うひょぉ、これは御馳走だ。海に近いから瀬戸内海の海の幸は当然として、
「讃岐三畜って言うらしいけど・・・」
讃岐牛に、オリーブ豚に、讃岐コーチンなのか。これも美味しい。讃岐グルメのオンパレードだよこれ。食べながら逃げ場はどこにもないと覚悟した。これだけの好意を受け取ってしまったものね。けどね、けどね、
「千草も運動不足やで」
うぅぅぅ。バイクには乗るけど普段はあんまり歩かないからな。あの階段地獄はあまりにもきつかった。本宮に着いた時に完全にヘタレこんじゃったもの。ここまで来てるから奥の院も行きたかったけど、あそこで引き返してくれて助かったと思ったぐらい。
「ひょっとして生理か?」
夕食中にデリカシーが無さすぎだ。そんなものはちゃんと調整して来てるわい。女を舐めるな。これはやるためじゃないぞ。旅行でガッチャンしたら悲惨だからだ。男には死ぬまでわからんないだろうけどね。
食事が終わり、片付けとお布団敷く間にガーデンラウンジでもう一杯。でもさぁ、それだけ歩くだけで足が筋肉痛の悲鳴を挙げまくってる。でも部屋に戻るよね。中に入るとぴっちり合わせて布団が敷いてある。そ、そうなるか。この歳のカップルだからそう見るよね。
次はコータローが求めてくるはず。つうかさ、ここまでになって求められない方が女の恥だろ。そこの覚悟はなんとか出来たけど、この足の状態でやったら辛すぎる。だってさ、やってる最中に足が攣りそうじゃないの。
「ホンマに痛そうやな」
シャレにならないぐらいだ。これって明日の方がもっと辛いよね。
「明後日の方が辛かったらオバハンや」
うるさいわ。
「明日もあるから寝よか」
えっ、えっ、えっ、寝るって睡眠の意味なの。
「千草も疲れたやろ。帰りもあるからちゃんと休まんとあかん。オレかってくたびれたし」
それは有難いけど、コータローはそれで良いの。これをするためにここまで来て、これだけのセットアップをしたのでしょ。
「なんかやりたいんか?」
いや、あの、そうじゃないけど、そうでしょ。
「アホ言うな。千草は大事な大事な幼馴染や。今夜は寝るで」
助かったと思う反面。あれだけ覚悟を決めたのがアホみたいじゃないの。でも寝よう。体が悲鳴を上げてるのは間違いないものね。