千草がお泊りツーリングにOKを出したらコータローは嬉しそうだったな。どこに行くかだけど、お互いにフェリーは初めてだから近いところにしようとなったんだ。神戸からになると小豆島もあるけど、コータローの希望もあって香川にした。
小豆島も香川だけど高松というか、四国の香川県ね。これも小型バイクの悔しいところだけど、橋を渡って行けないんだよね。だからフェリーになるのだけど、神戸からならジャンボフェリーになるそうだ。
「これもダイヤが変更になってもたから・・・」
コータローも高松へのツーリングは考えてたそうだけど、使おうと思ってたのはジャンボフェリーの二便なんだって。これは最近まで、
平日・・・六時発 → 十時四十五分着
休日・・・八時半発 → 十三時十五分着
一便になると一時発になるし高松が五時十五分着になる。高松からさらにロングツーリングを考えるのならアリだけど、
「そやな。徳島回って室戸岬どころか高知でも余裕で行けるんちゃうか」
そういうツーリングも魅力的ではあるけど、そんなに走ったら一泊二日では帰って来れなくなるのよね。さらに言えば今回のツーリングで目指すのは四国と言うより四国の香川県だ。だから平日の二便で十時四十五分に着くのを考えていたそうだけど、
「全部八時半発になってもた」
そうなると高松着が十三時十五分着になるのだけど、
「ツーリングをやるには中途半端やねん」
だよね。でもその条件でなんとかするのはコータローの仕事だ。この高松に行くジャンボフェリーって三宮からでも出るのも初めて知った。
「税関の奥のとこや」
今どき税関じゃわからんのがおるやろが。フラワーロードの突き当りと言えよな。それと八時半発だけど八時半に港に行けば良いものじゃないみたいなんだ。
「あれは出航が八時半の意味やぞ。三十分前には着いとかなあかんってなっとるわ」
電車じゃなく飛行機の感覚に近いかもだ。フェリーだから乗客だけじゃなくクルマやトラックの乗り込み時間だって必要ってことか。だから朝の待ち合わせも七時にした。
「まずモーニングや」
コメダは七時からだってこと。三宮のフェリーターミナルには八時前には着いたけど、ここって、こうなってるのか。なんか係員の人がいたから高松に行くって言ったら行き先を書かれてる札を渡されて、あそこに並んだら良いみたいだ。
これがジャンボフェリーか。フェリーなんか、たこフェリーに乗ったのが最後だな。明石大橋が出来る前は淡路に行くフェリーが何本もあったと親父に聞いた事があるけど、たこフェリーも無くなってしまったもの。それにしても神戸から高松の航路なんて良く生き残ってるものだ。
「瀬戸大橋はちょっと遠いからやろ」
いくら高速を使っても岡山まではかなりあるものね。たぶんだけど高速料金と比べても割安にしてるはずだ。そうこうしているうちに乗り込みが始まった。千草たちの順番も来てランプウェイからいざ船内に。
なかにも誘導の人がいて、ここに停めろってことだな。停める時もニュートラルじゃなくてローにしとくのか。バイクを停めたらいざ船室に。なかなか綺麗だよ。
「デッキに行こか」
海から見る神戸って初めてかも。神戸に住んでいても港町って感じが、
「それ以前にあんまり海が見えへんわ」
そうなのよね。だけど常に海は意識しているところがって、
「大丸に行っても、平気で海側、山側ってなってるものな」
北が山側で、南が海側だけど、あれを南北って言わないのが神戸の人かな。出航の時はちゃんと汽笛が鳴るんだ。なんかこの感じ良いよね。
「千草もそうか。高松に行くって知っとっても、なんかまだ見ぬフロンティアに旅立っとる気がするねん」
と言うか高松は初めてなんだよ。高松と言うか香川県は海を挟んだお隣さんだけど、なかなか足が向かないところなんだよね。理由はあれこれあるだろうけど、ぶっちゃで言うとわざわざ行きたいところが無いぐらいかもしれない。
「悪いとこやないと思うねんけど、どうしても行きたいって目玉がない感じや」
目玉観光地の存在ってバカに出来なくて、そういうところがあれば、そこに行っただけでも満足するし、
「ついでのセットであれこれ回るもんな」
そこに新たな魅力を発見する感じかな。でもさぁ、でもさぁ、それでも江戸時代の西国巡礼は香川もオプションで行ったのよね。
「金毘羅参りや」
とくに有名なのが森の石松だけど、あれって、そもそもどうして金毘羅参りに行ったの?
「講談によるとやな・・・」
清水の次郎長には長兵衛という恩人がいたんだけど、これが罠にはまって捕まって牢屋で死んだのか。その長兵衛の敵討ちを次郎長が果たすのだけど、
「そん時に金毘羅さんに願をかけたから、そのお礼参りやねん」
だったら金毘羅さんって戦いの神なの。
「一般的には海の神で船乗りの信仰を集めたとなっとるけど、江戸時代に伊勢の御師みたなのが活躍して色んな効能を追加したみたいやで」
なるほど、なるほど、だから金毘羅参りだけでも庶民の憧れになり、西国巡礼のオプションにもなり、森の石松も行ったのか。ところでだけど、森の石松が寿司食いねえをやったのはどこなの。
「あれは講談やったら淀川の三十石船になっとるけど、あれは金毘羅参りの帰りやねん」
そうだったのか。千草はてっきり桑名から宮の船の上だと思ってた。そこで疑問があるのだけど、あの時の寿司ってどんな寿司だったの。イメージとしては握り寿司だけど、あの頃に関西で握り寿司なんてなかったんじゃない。
「あれだけ神田の生まれを強調してるから握り寿司のイメージが強いんやけど、あの頃の関西の寿司は押し寿司なんは千草の言う通りや。講談師が作った話やから真相もクソもないんやけど・・・」
その謎を追いかけた人もいるのがおもしろいね。この話は二代目広沢虎造のが有名だそうだけど、なんとそこに答えがあるのだとか。森の石松は三十石船に乗る前に大阪で押し寿司を買う下りがあるんだって。
「こんなもん後だしジャンケンやねんけど・・・」
あの有名な掛け合いだけど、石松は寿司を勧めるじゃない。だけど、あれが握り寿司だったらネタによる高い安いがあるはずだから、
「そうやねんよ、高いネタを食いやがってみたいなくすぐりを絶対入れるはずやんか」
それありそうだ。あれ食いやがってとかの話が入るとおもしろそうだもの。だけど食べてるのが押し寿司だから、どこを食べても変わらないから入れようがなかったのかもね。この二便のジャンボフェリーだけど小豆島に寄ってから高松に行くんだよ。だから五時間近くかかる。
「昼はフェリーでうどんや」
というか、うどんしか無い。
「高松行くフェリーやから、しゃ~ないんやんか」
そういうけど高松から神戸にも来るじゃない。もうちょっとバラエティがあっても、
「それぐらいしゃ~ないやろが。天下のうどん県やねんから」
まあ、いっか。きつねうどんにしたけど、さすがに美味しかったもの。