ツーリング日和24(第24話)金刀比羅階段地獄

 駐車場からさっきの参道に引き返したのだけど、金毘羅さんって、階段で有名だよね。

「奥の院までやったら千三百段ぐらいやったんちゃうか」

 なんだよそれ。奥の院まで行ったら三時間ぐらいかかるって拷問みたいじゃないか。

「登れば登るほどご利益があるらしいで」

 ここまで来たら登るしかないけど、最初は土産物屋通りみたいな感じだな。うわぁ、階段がきつくなってきた。あそこに見える建物は、

「大門やな」

 ほいでもって大門を見上げるここでまだ二百九十四段かよ。大門を過ぎて三百六十五段を越えたところで桜の馬場ってところか。ちょっと平坦だから息が継げるよ。また鳥居を潜って、えっちら、えっちら登って行くと。あったぞ、本宮に到着だ。

「ここは旭社や。そんでもってここを本宮と勘違いして引き返したんが森の石松や」

 石松の気持ちがわかった。旭社が立派なのもあるけど、階段にウンザリしたんだろう。当時は本宮まで後何段の案内はなかったのかな。

「今より少なかったと思うで」

 それは石松の失敗を教訓にして増えたとか。

「失敗したのは石松ぐらいちゃうか」

 ぎゃふん。当時も旅行案内的なものは出てたけど、

「石松には読めんかったんちゃうかな」

 だったら誰かに聞けば、

「そんなもの神田の生まれだから聞けなかったんだろ」

 違うよ。馬鹿は死ななきゃぁあ治らないからでしょ。

「それも違うだろうけど、天下の次郎長の子分だから聞けなかったんちゃうか」

 それでも六百段を越えたのか。根性出してって言いたいけど、最後になんなのこの石段。殺す気かよ。それでも、なんとか、こここそが本宮のはず。お参りして、石松には勝ったぞ。でも続きの階段があるじゃない。

「奥の院まで五百八十三段ってなってるな」

 死ぬ。でもここまで来たのだから、

「ここで引き返そ。奥の院まで行ったら時間があらへん」

 フェリーターミナルを出発したのが十三時半で、階段を登り始めたのが十五時だったものね。今から下りても、

「バイクに行く頃には十七時になってまうやんか」

 ジャンボフェリーのバカ野郎だ。とはいえ、ここで階段地獄が終わるのは正直なところ嬉しいのが本音だ。だってもう足がガクガクになってるもの。

「階段は下る時の方が危ないからな」

 足がもつれて転んだりしたらタダじゃすまないよ。ただ下る方が息もラクだからコータローと話ぐらいは出来そうだ。登る時はそれどころじゃなくってたものね。本宮にお参りした時に気になったのだけど、金毘羅さんの神様って大国主命にになってたよね。

「ああそうや、千草は、そやのになんで金毘羅さんか聞きたいんやろ」

 金毘羅とはクンビーラらから来たものらしくて、クンビーラとはインドの鰐を神格化したものなんだって。

「千草には難しい話やが・・・」

 仏教ってバラモン教から出た宗教の一派なんだって。

「そやから釈迦かって仏教徒やのうてバラモン教徒のはずや」

 バラモン教徒はヒンドゥー教の先祖でもあるのか。だから、

「ああそうや。仏教も多神教やねん。曼荼羅ぐらい知ってるやろ」

 曼荼羅ってどこかの半グレとか暴走族の名前かって思ったけど、真言宗の世界観を現した神々の配置図みたいなものらしい。仏教ではクンビーラは十二神将筆頭の宮比羅になるらしいけど、ちょっと待ってよ金毘羅さんって神社だよ。

「わからんところが山ほどあるんやが・・・」

 金刀比羅神社があるのは象頭山って言うのだけど、ここは古くから船乗りが信仰していた山だったとか。

「そうなってるねん。つうのもかつてはこの山は海岸線にあって船乗りの目印やったとなってるねん」

 それっていつの時代の話なのよ。こんなところまで海だったなんて、

「この辺は土器川ってのが流れてるんやが、丸亀とか、多度津は土器川が埋め立てて出来たそうやねん。そやから金毘羅さん海に面していたのはそうやと思う」

 金刀比羅神社の創建も古いなんてものじゃないそうで、それこそ神代の時代に遡るとか。あっ、そっか、神代の時代にはまだ仏教が伝来してないから大国主命なのか。

「そういう話なっとるねんけど・・・」

 コータローに言わせると香川と言うか讃岐に大国主命の足跡があるのが妙だって。大国主命は出雲の王だけど、神代の出雲王国は播磨までしか進出していないはずだって。播磨の対岸が讃岐みたいなものだけどそう簡単に渡れないものね。

「瀬戸内海やったら古代吉備王国やろ」

 岡山にも古代王権はあったもの。

「たぶんやが・・・」

 まず航海の目印として象頭山信仰があって、それに因んだ神社がいつしか作られたはずだって。それは理屈としてわかるけど、そこにどうしてバラモンの神なり、十二神将の宮比羅が入り込んだのよ。

「そやからわからんって言うてるやんか。あくまでもオレの仮説やが・・・」

 空海が満濃池の改修をしたのは歴史的事実だけど、この時に金刀比羅神社にも手を出した可能性を考えてるのか。とくに四国では御大師様の御意向は絶大だものね。

「空海が着た頃には象頭山をご神体とした山岳宗教みたいなもんやったと思うねん。そこにもっともらしい装飾を施したぐらいの見方や」

 じゃあ、大国主命はどこから出てきたの?

「こういう神社仏閣は古いほど有難そうに感じるやんか。実際も古そうやん。そやけど由緒を遡らせてまうと宮比羅は日本にまだおらんやん。ついでに言うと、神代の時代も神武天皇が東方遠征するまで天津神はおらへんやんか」

 だから消去法で大国主命か。なんか無理あるけど、そうでも考えないと大国主命を祀る神社なのに宮比羅の名を冠した神社名はおかしいものね。

「妙に辻褄を合わせる知恵者がおってんやろうけど、たぶんやが船乗りたちは大国主命やのうて宮比羅を信仰してると思うで」

 というか出雲の神じゃなくて金毘羅の神を信仰してる気がする。千草もそうだもの。

「それでエエんちゃう。そういう融通無碍なんが日本の宗教や」