ツーリング日和21(第18話)今夜も温泉だ

 米子宿はあんまり残っていないらしくてパスして次は安来宿だ。ちなみに米子までが鳥取県で、安来市からは、なんとなんと島根県だ。安来市と言えば、

「刃物だろ」

 えっ、安来節じゃないの。ドジョウすくいってやつ。今はさすがに見なくなってる気がするけど宴会芸の定番だったと聞いた事があるもの。安来って刃物も有名だったのか。安来にも宿場はあったのだけど、それらしいところを通り過ぎてオシマイで、

「出雲郷宿も殆ど残っていないんだ」

 ここもそれっぽいところを走り抜けるだけだと思ったけど神社に寄ったな。どこにでもあるような神社だけどまず名前が変わってる。阿太加夜神社ってなんだよこれ。日本語なのか?

「あだかや神社だよ」

 言われてみればそう読めない事はないけど無理があり過ぎるぞ。ほぉ、境内に船が飾ってあるのが珍しいな。

「ホーラエンヤと言って十年に一度行われるお祭りに使われるんだ」

 なんか沖縄のお祭りの名前みたいだな。聞く限りマナミの地元でもやってる神幸祭のスタイルみたいだ。神幸祭は普段お祀りしている神様を御旅所にお連れして一泊二日のツアーを楽しんで頂くものだが、

「ホーラエンヤは松江城の城山稲荷神社の御神霊をこの阿太加夜神社に船に乗せてお迎えして一週間過ごしてもらうものだよ」

 長期ツアーになってるのか。稲荷神社って事はここもお稲荷さんなのか。

「いや阿太加夜神社の主祭神は阿陀加夜奴志多岐喜比賣命だ」

 な、なんだって。その長ったらしい名前は。なんの神様だよ、お稲荷様の一族か?

「神話では大国主命の娘となってるから、稲荷の宇迦之御魂神とは関係ないと思うのだけど」

 なんだよ、その舌を噛みそうな名前の神様は。でもなんとなく無関係そうなのはわかった。ここのウダなんたら姫は出雲の神様の一族で、お稲荷さんのウガなんたらは高天原の神様だから別系統ってことだろ。

 松江の殿様が凶作の時に祈願のために始めたそうだけど、ここで気になるのはウダなんたら姫が女で、お稲荷さんのウガなんたらは男であることだ。男が女の下に行く目的は古代なら夜這いしかないだろ。

「マナミらしいな。松江の殿様は城内のお稲荷さんが欲求不満で凶作をもたらしたと考えて女神のところでそれを発散させようとしたとか」

 他に考えようがないだろうが。一週間でやりまくって満足して翌年は豊作になったんだろ、男のお殿様が考えそうなことだ。

「逆もないかな。お姫様が欲求不満になって凶作をもたらしたから、男の神様を派遣して満たしてやったとか」

 女を舐めるな。女だって性欲はあるし、男が欲しい時もあるけど、男みたいに女なら見境も無く欲情する生き物じゃない。いきなり送り込まれた男とやるものか!

「出会ってみたら良かったはあるかもしれないよ。結果オーライだから祭りは続いてるし」

 うぐぐぐ。女と男が出会えば何が起こるかわからないのは悔しいけど同意だ。それにしても性欲の薄い神様だな。会う期間は一週間とはいえ十年に一度だぞ。十年間も禁欲生活させられたら気が狂いそうだ。

 そんな事はさておいて、米子宿を過ぎてからの間隔も近いな。そうだそうだ、松江藩の大名行列も出発してから再編成したのだろうけど、出雲郷宿とか、安来宿でやったんだろうな。米子宿になると鳥取藩領に入るから安来宿ぐらいの気がするけどね。


 それにしてもくたびれた。これはさすがに米子からは都市部の道だからなのはまずある。同じ距離を走っても田舎道を快走するのと、都市部の信号ロードを走るのじゃ、へばり方が全然違うのよね。

 それより何より今日も良く走った。朝はまだ岡山県にいたのに、ここは鳥取県も通り過ぎて島根県なんだもの。今日はどこに泊まるのかな。出雲街道の旅だから終点の松江だろうな・・・と思ったけど、松江城の周辺だけバイクで流しただけ。松江城は行きたかったよ。津山城に引き続いて心残りだもの。宿は松江市内じゃないのかな。

「それもありだけど、やっぱり温泉が良いだろ」

 もちろんだ。けどこんなところに温泉なんかあるの?

「そんなに遠くないから安心して」

 国道九号に入り西に。右手に見えるのは宍道湖のはず。思えば本当に遠くまで来たものだ。それもクルマでもなく、電車でもなく、飛行機でもなく、大型や中型バイクでもなく、モンキーでだぞ。ちょっと信じられない気持ちはあるもの。

 こんなところまでソロツーでは絶対に来れないよな。お一人様、それもバイク旅なんてマナミには出来ないよ。やってるバイク女子もいるのは知ってるけど尊敬するよ。こんな旅が出来るのも瞬のお蔭だ。

 ずっと先導してくれてるけど、瞬の背中を見てるだけで何があってもだいじょうぶって思っちゃうのよね。もっとも実際に見えてるのは瞬のリュックだけどね。

「次の信号を左だぞ」

 うん、玉造温泉って書いてある。そこなら聞いた事あるけど、こんなところにあったのか。この辺は郊外って感じだな。

「この信号を左ね」

 美肌・姫神の湯、玉造温泉って看板が出てるぞ。後二キロなのか。住宅街みたいになってるけど、ひたすら真っすぐの道だ。おっと久しぶりのカーブだけど、橋を渡ったら右だな。後四百メートルか。

 えっ、また右に曲がるの。そうなってるからそうなんだろうけど、こっちは狭いな。センターラインの無い一車線半の道だよこれ・・・と思ってたら見えて来たぞ。あれは温泉宿だ。どれも立派だな。まるで有馬とか城崎並みだよこれ。

 どうもだけど川の両岸に宿が軒を並べてる感じで良さそうだ。問題はバイク女子のマナミにどの宿を瞬が選んでくれたかだ。どこに泊まってもゴージャスそうだけど、この橋を渡るってことは、この三角屋根の宿か。やっぱりそうなるよな。

 それでも周りに比べたらこじんまりしてるかな・・・ちょっと待った、三角屋根の宿に入るのじゃなくてこっちの鉄筋の方なの。

「バイクはここに停めさせてもらおう」

 荷物を抱えて玄関に入るとやっぱりゴージャスだ。へぇ、三角屋根の方も一緒の宿なのか。こっちが新館って感じかな。受付で瞬は、

「頼んでおいた料理はだいじょうぶか」
「はい、承っております」

 そこから部屋に案内されたけど、広いよこれ。それにシックで落ち着く。とにもかくにも風呂だけど、

「大浴場は朝にしよう」

 連れて行かれたのは貸切風呂だよ。そういうお風呂がこの世にあるとは聞いてたけど本当に入れるとは感動だ。浴室は檜風呂だけど、縁側もあってそこにも可愛い風呂桶があるじゃない。これは焼きものだよね。もちろんどっちも入ったけど大満足だ。この宿を選んだのはやっぱりエリートビジネスマン時代に来たことあるから?

「見抜かれてたか。接待だったよ。でもそれだけじゃないよ」

 玉造温泉も美肌の湯だけど、温泉効果がより高いのはかけ流しだって。かけ流しってなんだって聞いたら、温泉の湯をそのまま注いでるものらしい。

「その方がより美肌効果が高まるらしいんだ。またマナミが綺麗になって困るかも」

 そんなもの綺麗になるに決まってる。美しくなるとは、その前の段階よりが前提なんだよ。学校のテストと同じで、九十点の人が十点良くするのは死に物狂いの努力が必要だけど、零点の人が十点になるのは簡単だってこと。そういう意味ならマナミには無限の可能性が広がってる。

「そうなったら目が潰れるな」

 潰れるはずがないだろうが。たかが一円ブスが二円ブスになるだけだ。てな事を話しながら温泉を満喫させてもらった。これこそ贅沢の極みみたいなもんだ。瞬と二人で入る温泉だもの。

 ここも部屋食じゃなくお食事処みたいだ。さて今夜は何が食べられるのかな。なんか紙に包んだ魚料理が鎮座してるけど。

「スズキの奉書焼だよ。前に食べたいって言ってたじゃないか」

 それって波賀ツーリングの時。そんな話をしてたけど覚えていてくれたんだ。奉書焼の起源も古いなんてものじゃないらしくて、国譲り神話の宴会料理にも出て来たって古事記にも書いてあるらしい。

「それは怪しすぎるよ。神代に奉書があるはずないじゃないか」

 そりゃそうだ。定説は松江のお殿様に焚火の灰で蒸し焼きにしたスズキを所望された時、灰が付いたままではお粗末と言うか失礼として奉書に包んで出したのが始まりだとか。

「それからお殿様料理になって庶民は口に出来なかったとなってるよ」

 奉書焼はなくともスズキの蒸し焼き料理はこの辺では食べられてたんだろうな。奉書じゃなくても他のもので包めば中身は一緒のはず。

「後はついでだからそろえてもらった」

 こっちはシラウオか美味しい美味しい、こっちは、

「鯉の糸造りと言って、鯉を糸のように細く切り、塩茹でした腹子と和え、それを煎り酒に付けて食べるものだよ。煎り酒と言っても醤油とかも入ってちゃんと味付けされてる」

 これもたまんない。こっちはウナギで、海老の素揚げもあるぞ。へぇ、海老は殻まで食べられるのか。七輪で炙って食べるのがアマサギで、なんとなんとシジミご飯じゃないの。これらってもしかして、

「宍道湖七珍だよ。スズキの奉書焼だけだったらマナミが怒ると思って」

 怒るはずないでしょ。宍道湖まで連れてきてもらってるし、湯郷だって、玉造だって目を剥くぐらいのゴージャスな温泉旅館に泊まらせてもらって、夜は食べたことのないようなデラックス料理じゃない。

 もうどれだけ嬉しいか、どれほど感動してることか。夢の世界にいるってこの事としか思えないもの。それより何より美味しいこと、美味しいこと。宍道湖の周りに住む人は幸せだな。大国主命も食べてたんだろうな。

「そうだな。奉書焼はなくても古事記を信じればスズキ料理はあったはずだし、シラウオも食べられたと思う。海老は焼いてたと思うけど、シジミも食べてたはずだ。アマサギもそうだと思うけど、ウナギはどうしてたんだろう」

 ウナギと言えば蒲焼だけど、あれって室町時代に発明されたらしいんだ。それも将軍義満の頃って言うから、一休さんも活躍していた時期になるぐらいかな。ただ広まったのは江戸時代になってからで、

「広がり過ぎて蒲焼以外のウナギの食べ方は消えたんじゃないかな」

 そんな気がする。あるはずだけどマナミも思いつかないもの。

「ウナギを食べていた記録は万葉集にも出てるし、当時も精力剤的な位置づけだったぐらいはわかるんだよ」

 すごい脂だものね。そのうえヌルヌルしてるから、あの手のものって精力が付くものだと昔からされてるし、今だってそうだもの。でも蒲焼以前はどうやって食べるのがポピュラーだったんだろ。

 焼き魚にするか茹でるしかないよね。ウナギ鍋にでもしてたのかな。ウナギの炊き込みご飯はなんてあったのかな。とりあえず姿焼きはみたくない。あれが一匹出て来たら食欲が失せそうだ。

 良く食べたけど、夜の瞬は凄かった。今日だって疲れてるはずだけど、なんだあれってぐらいパワフルだった。あそこまで瞬がパワフルだったのは、やっぱり宍道湖のウナギパワーの気がする。スズキの奉書焼であれだけのパワーが出るとは思えないもの。