ツーリング日和21(第21話)存在価値への疑問

 出雲大社から帰路についたのだけど遠かった。それも、

「行きの時に見落としてるところもあったから・・・」

 行きの時ほどじゃないけど、宿場町をちょこちょこ見ながら往復ツーリングだったんだよ。帰りは湯原温泉だったのは嬉しかったけど、湯原温泉から神戸まではさすがに遠かった。遊びじゃなくて取材ツーリングだから文句も言えないけど、神戸にたどり着いたらグッタリだったもの。

 それでなんだけど、神戸に帰ってからツーリングを思い返していたんだ。あのツーリングは瞬の仕事のための取材ツーリングじゃない。マナミも瞬の取材の手助けをしようと張り切ってたんだよ。

 だけどさ、それが出来たかと言われれば、まったくと言っても良いほど出来ていない。ツーリングそのものは楽しませてもらったけど、あれって瞬が仕事の合間にマナミを楽しませていただけじゃないのかって。

 ここなんだけど最近の不安なんだよ。マナミは容姿にコンプレックスを抱えまくってるけど、そんなマナミでも瞬が愛してくれているのはわかったつもり。これだって謎が多すぎるけど、言葉でも、態度でも、体でもあれだけ示してもらえたら、そうだと信じるしかないものね。

 同棲生活だってこれ以上はないぐらい快適なんだ。とにかく瞬の気配りとか心遣いは驚嘆するしかないんだもの。たとえば、なにか瞬にしてもらいたい事が出来るとするじゃない。たいした事じゃないよ。なんとなくブタマン食べたいぐらい。

 そうしたらね、それを察して買って来てくれるんだよ。もちろんマナミが欲しそうだとかなんて絶対に言わなくて、

「なんかさ、ブタマンが急に食べたくなって」

 それだけで十分に嬉しいのだけど、そこにさらに紙一重ぐらいの上乗せがあるんだ。マナミはコンビニのブタマンで十分なんだけど、瞬は三宮一貫楼のブタマンを買って来るんだよ。ここも絶妙で、551でもなくて老詳記でもないのに参っちゃうんだ。

 一事が万事でそんな調子。あれだってそうだ。マナミが欲しいと思った日は情熱的に求めてくれるし、今夜は出来たら避けたいなって思ってたら、欲しがる素振りさえも見せないんだ。

 それだけじゃない。欲しい時だって段階とか、程度があるじゃない。そりゃ、始まってしまえば昇天一直線みたいなものだけど、それでもアッサリ気味にしたいとか、濃厚コッテリが欲しいとか、

 それがわかるだけでも信じられないけど、瞬のレベルはそんなもんじゃない。とにかく瞬には感じまくるから、もう限界って感じに追い込まれるけど、限界と思ってからもすべてを見抜いてしまうんだよ。それもだよ、

『もうダメ、耐えられない』

 これを聞いてのものじゃない。こう口にするときは限界状態ではあるけど、本当にもうやめてくれの時と、口ではそう言いながら、その先を感じたい時があるの。どうやってマナミの望みを見抜いてるかは・・・カマイタチだものな。ほんのささいな口ぶり、身振りからすべてを察しているのだろうな。

 だから同棲生活は快適を通り過ぎて極楽世界じゃないかと思い始めてるぐらい。マナミのして欲しいこと、こうなって欲しいことが、ごくごく自然に、まるで当たり前のように整ってしまうんだもの。

 同棲ってね、一緒に暮らして、これで問題が無さそうだったら、結婚に進むかどうかを決める最終試験みたいなところだと思ってる。ごく単純には同棲生活をこのまま結婚生活に移行させても良いかの見切りだ。

 もっとも見切ったつもりでも、いざ結婚生活に入ったり、子どもが出来たりすれば豹変するのはいくらでいるのは言うまでもない。それでも瞬との同棲生活は合格どころか、満開の桜ぐらいの花丸合格としか言いようが無い。

 もしマナミが初婚なら、いつプロポーズをしてくれて、いつ結婚式を挙げられて、いつ新婚生活に入れるかでワクワクしまくってると思う。それ以外に考えることがないものね。でもね、マナミはバツイチなんだよ。

 同棲生活は夫婦生活と似てるけど同じじゃない。たとえば瞬と結婚を目指さないセフレであればこれ以上の快適世界はこの世にないと言っても良い。だけどね、夫婦って違うんだ。夫婦とは二人で家庭を築くものなんだよ。

 良く夫婦はお互いに支え合いって言うけど、あれは真理を突いてる部分はあると思うんだ。夫婦生活って二人一組でするものなんだよ。具体的に言うと役割分担だ。夫婦がそれぞれどの役割を担うかがあるだけじゃなく、お互いに任せた役割を頼り合って暮らすもののはずだ。

 具体的に言うと古典的な夫婦がわかりやすいかもしれない。夫は外に働きに出て生活費を稼いでくる役割を果たし、妻は夫が稼いできた生活費で家庭を守るぐらいだ。もちろん夫婦がどの役割分担を担うかは夫婦によってすべて異なるよ。

 でも担うべき役割があるからこそ存在価値があるし、その存在価値を認めあえるから夫婦生活が成立するとマナミは思ってる。でもさぁ、でもさぁ、この同棲生活でマナミが担ってる役割が思いつかないのよ。

 開き直って見れば瞬の生活にマナミは不要だ。家事だって、仕事だって、マナミがいるばっかりに負担になってるだけじゃない。マナミが唯一出来てるのは夜のあれだけ。あれはたしかにマナミじゃないと一人では出来ないけど、あれを夫婦としての存在価値と言われると違うんだよね。

 もちろんあれだって夫婦の大事な営みだ。だけどさ、まずマナミは営みの結果を生み出すことが出来ない。そりゃ、子宮レス女だからね。この辺は瞬も種無し男だからお互い様ではあるのだけど、子育てってステージが無いのだけは間違いない。

 マナミはペットを飼ったことがないし、飼う趣味もない。だけどペット愛好家ってどんなものかぐらいは知ってる。ペットには躾もするだろうけど、それよりひたすら愛情を注ぎ込むんだよね。

 まず食住は完全保証だ。衣まで着せるのがいるのは置いとく。後はペット喜ばせるだけに専念して、ペットが喜んでくれるのを無上の楽しみにするぐらいで良いだろ。それ以上は飼ったことがないからわからん。

 ペット側からしたら、飼い主が喜ばせてくれた尻尾を振って応えるのが仕事かな。この辺も犬派と猫派で相違あるみたいだけど、ようわからん。ペットはそういう役割を果たすことで家族の役割を果たし存在価値を持っているはずなんだ。

 でさぁ、マナミの置かれてる地位ってペットじゃないかと思い始めてるんだ。だってトコトン大切にされて、ひたすら喜ばされてるし、喜ばされるマナミをみて瞬も嬉しそうにしてくれてる。

 そうそうペットってなにかすればご褒美を上げるじゃない。ペットの場合は食べ物だけど、マナミの場合は夜の営みじゃないだろうかって。でもって気が向けば散歩代わりにツーリングに連れて行ってもらうとか。

 ペットの気持ちなんかわかるはずないけど、なんとなくそんな上げ膳据え膳生活に慣れて、楽しいのかもしれない。じゃあ、マナミはどうかと言われれば、どっぷり浸りきっている。まさかと思うけど瞬がマナミに求めてる妻の役割はペットだとか。

 ペットだって家族としての役割はあるし、存在価値だってあると思うけど、それは夫婦の役割分担と存在価値とやっぱり違うと思う。ペット愛好家の人から怒られるかもしれないけど、ペットって家族同然とよく言うけど、同然だから本当の家族じゃないだろ。ましてやペットを妻同様に思ってるやつは・・・いるかもしれないけど、そこまで行ったら奇人変人だ。


 じゃあじゃあって話になるのだけど、マナミはどうしたら良いかだ。ペット扱いに怒ってサヨナラはある。そんな簡単に別れられるかと言えば、微塵も自信はないけど、最後の選択肢としてあるのはある。

 夫婦の役割って自然に決まることが多い気がするけど、そうじゃない場合だってある。家事分担なんかで、なんだかんだとやりたがらない夫の首根っこをつかんで教え込みやらせた妻の話は聞くものね。

 他に夫が逃げやすいのは育児だ。たしかに家事に比べたら入りにくいところはあるのはそれなりに認めるけど、育児ってそりゃ大変だから、その時に逃げた夫は一緒恨まれるよ。その時の怨念が高じて離婚も良く聞く話だ。これは瞬とは関係ないけどね。

 マナミの場合は特殊過ぎるけど、ここは自然に与えられると思うのは捨てよう。そうだよ、自分で見つけて勝ち取るぐらいの気構えでちょうど良いかもしれない。だって、このままペット扱いに馴染まされてしまったら本物のペットになってしまうもの。