ツーリング日和21(第1話)プロローグ

 大会社の社長さえ狙えた元エリート社員であり、今は人気作家であり、ダンディで、ジェントルメンで、インテリジェンスも高い瞬さんに告白され結ばれたのが武田尾の夜だ。まさに感動と試練の夜だった。

 試練はすべて克服されて恋人同士になれた。今でも信じられない気持ちで一杯だし、あの夜一回限りでも、セフレでも余裕で十分なんだけど、そうじゃなくて恋人、それも結婚まで考えてくれてるのはわかる。

 結婚と言ってもマナミはバツイチだし、瞬さんは前の奥さんと死別してる。だからお互い再婚になる。二人の家庭環境もそれなりに似ていて、両親を亡くしていて、お互い一人っ子だ。瞬さんにコブはいないし、マナミの息子は離婚した時に夜逃げしやがった元クソ姑と元クソ夫に連れ去られ行方不明のまま。

 結果で言えばなんかお互い綺麗サッパリの家庭環境なのよね。結婚となると家族が良い意味でも悪い意味でも口を挟むのだけど、それが消えてなくなってるから、それこそ当人同士の合意さえあればいつでもOK状態ではある。

 それでもやっぱり疑問と言うか、不安と言うか、謎がある。それが何かって? そんなものマナミがブサイクチビのアラフォーのバツイチ、子豚体型の子宮も失った女だからだよ。瞬さんは、

「チビっていうけど、小柄なぐらいだし、大柄の女の人がとくに好みじゃない」

 身長にはさすがにそれほどコンプレックスはないけど、

「アラフォーって言うけど、ボクなんてもう四十路にカウントダウン状態だよ」

 瞬さんは四歳上なんだよね。だから年齢の釣り合いだけなら無難ぐらいは言えなくもない。

「体型は男も女も誤解があると思うよ」

 それもどこかで聞いた事はある。男が理想とするのはマッチョだって。女だってだらしなく肥え太った男は嫌だけど、だからと言ってマッチョなら飛びつくかと言えば微妙だ。もちろんマッチョ好きな女は少なからずいる。

 だけど何事も過ぎたるはなんとやらで、筋肉ムキムキに引くのは少数派とは言えないと思う。理想を言えば引き締まった筋肉質の細マッチョぐらいだろう。もうちょっと具体的には水泳選手の逆三角形。

 女にも格闘技好きは案外多いから相撲体型も好きなのはいるけど、あれだってアンコ型よりソップ型だろ。もちろんアンコ型が好きなのもいるけど、とくにアンコ型の重量級とやっているのを想像するのも大変だ。

 だってあの体重と体格だよ。あんなのが圧し掛かってくるんだよ。どうやったらペシャンコにされないんだろう。それに腹だってあの腹じゃない。届くかどうかも疑問だ。やるとしたら女が跨るぐらいだろうけど初夜からそうだとか。まったくわからん。

「痩せて細い女だって似たようなものだよ」

 瞬さんの亡くなった前妻はスリムだったそうだけど、

「あそこまで細いとさすがにね」

 アバラ骨まで数えられるぐらいだったそう。言ってしまえば鶏ガラ体型だったみたいなんだ。この辺はそれだけじゃなく、夫婦の夜の営みの相性も悪かったみたいで、

「男だってポッチャリ型が好きなのは女が思うより多いんだよ」

 それも聞いた事はあるよな。スリム体型の女を好む男が多いのは瞬さんも否定しなかった。だから女は常にそれを頭に置いている。シンプルに言えばダイエットだ。これもガチで取り組んでいる者から、

『今日は食べ過ぎちゃったから、明日から気を付けないと』

 その明日からだけど何もしないよ。そう口だけ。それでもそうするべきだぐらいは常に考えてると言うか、そういう意識とプレッシャーの中に女はいると思っても良いと思う。だけどスリム体型の女しか恋を出来ない訳じゃない。

「その辺はポッチャリ好きなんて言うと、男でも色んな事を言うのが多いからね」

 ああそれも見たことがある。なんか趣味が悪いとか、ブサ専とか陰口どころか面と向かって言うのもいるのよね。あれはポッチャリ好きの男にも堪えると思うけど、それを耳にしたポッチャリ女にも突き刺さるんだ。

 少数派でもポッチャリ型が好きな男はいるのは認めよう。現実はどう考えたって惚れられているのは否定できないのよね。だけどだよ、顔だってブサイクなのよ。それもこれ以上は崩しようのない一円ブスじゃないの。

「顔だって好みの差は大きいよ」

 これも前妻との夫婦生活の影響はあると思う。前妻は美人ではあったみたいだけど、モロみたいな政略結婚で、だからとまで言わないけど底冷えするような夫婦生活だったらしい。その反動みたいなもので体型も合わせて前妻タイプは徹底的に忌避してる感じがあるのよね。

「マナミさんが子宮を失ったのは同情しか出来ないけど、ボクだって種無しだから辛うじてぐらいはバランスが取れるじゃないか」

 マナミが子宮を失ったのは妊娠した時の前置なんたらのせい。死ぬ一歩手前まで行ってたらしいけど、結果で言えば母子ともに生き残れた。命と引き換えのようなものだから、文句を言っても始まらないのよね。

 バランスとするには妙なところがあるけど、もし瞬さんが再婚して子どもが欲しかったら、最初からマナミのような子宮レス女は頭から除外されてたはずだけど、幸か不幸か瞬さんは種無しなのがわかってしまってる。

 子宮までレスなのはあれだけど、マナミが子どもを作れないのはハンデにならないどころか、瞬さんにとっては負い目にならないぐらいのメリットになってるぐらいは言えなくもない。

 ついでに言えば子宮レスでもやれた。理由なんてわからないけど、下手すると子宮があった時より良いんじゃないか思うぐらいだった。子宮レスになると出来なくなる女は多そうだったから、これだけはラッキーだったとしみじみ思った。


 それでもバランスの悪さはある。瞬さんはタダの人じゃない。エリートサラリーマン時代はカマイタチの異名を取ったほどの切れ者なんだよ。カマイタチの異名の由来は、

『カミソリより切れる』

 瞬さんの義父、つまり自分の娘と瞬さんを政略結婚させた人は雛形商事の専務で次期社長の最有力候補だった人で、カミソリのように切れる人だったらしい。そんなカミソリ専務よりさらに切れるからカマイタチだ。

 その切れ味はいつ切られたかどころか、切られた事さえわからないとされるほど。その一端ぐらいはマナミも見たことがあるけど寒気がするぐらいの切れ味として良いと思う。そんな切れ者と三流高校からせいぜいDラン大学出身者じゃ釣り合いがどう考えても悪すぎる。

「頭の良さの評価は学校の成績がすべてじゃない」

 そう言うけどさ、

「学校の成績は記憶力とその記憶への応用力みたいなものだ」

 それがすべてじゃない。そしたら瞬さんは苦笑いしながら、

「すべてじゃないのは社会人になったからわかってるはず」

 社会人は学生の延長にあるみたいなところはある。だからだと思うけど学生時代の成績をそのまま反映して活躍してる人だって多いけど、そうでない人もいるのは知ってるのよね。妙に細かい知識とか、聞いた事がないような小難しい理屈を並べるけど、

「ビジネスマンとして低能なのはいるだろう」

 い、いる。さらに逆なのもいる。マナミが勤めてる会社は殆どが名の通った有名大学の出身者なんだけど、そうでない人も多くはないけどいるのよね。そういう人は転職とか、それこそヘッドハンティングされて入ってるはずなんだ。だってだよ、今の部署の部長なんて高卒なんだよ。

「さぞ優秀なんだろうな」

 部下の面倒見が良くて、みんなから慕われてる。苦労人のイメージが強い人だけど仕事だって出来る。いや、出来るなんてものじゃない。

「そういう能力が社会人として求められるのだよ」

 と言われても。

「実戦で求められるのは分厚い経験と、経験から引き出される応用力だ」

 それって学生時代に求められる能力と同じじゃない。

「似てるから学生時代の成績のままに活躍する人は少なくない。だけどね、学生時代に求められる答えは一つなんだよ」

 あっ、そういうことか。学校時代の評価はテストだけど、あれって見ようによっては一つの答えを探し出すもので良いと思う。それを探せるだけの材料が問題文に散りばめてあって、学生は必ずあるはずの答えをひたすら探し求めるぐらいかな。

 けれども社会人が直面する問題の答えは一つじゃない。一つの事もあるけど、難度が上がるほどそうじゃなくなる。そもそも答えなんかあるかさえ途方に暮れる問題だっていくらでもあるものね。

「付け加えておくと解答へのヒントも不十分なんてものじゃない。その限られた情報で相手が欲しい回答をどれだけ出せるかがビジネス能力だ」

 あるはずの解答を探し出そうとするのが学生で、あるかも知れない解答を模索するのが社会人だよね。

「そういうことだ。そのためには常に頭を柔らかくしておかないと話にならないだろ。発想の基礎に分厚い経験は必要だが、実戦ではそれさえ飛躍することもごくごく普通に求められる。それがどれだけ出来るかが頭の良さだ」

 そうなのはわかるけど、

「それがわかるだけでもすごい事なんだよ。多くの者はそれさえわかっていない」

 そう言うけど、これだって瞬さんに教えてもらったからで、

「ボクも後輩の育成を手掛けたことがあるけど、それを実践出来たのは少ないよ。無知は必ずしも罪じゃない。本当に欲しいのは知っている事じゃなく、今教えられたことを即座に理解して吸収し、それを武器に変えられる能力になる」

 瞬さんに指導された後輩は大変だったと思うな。それこそ一を聞いて十を知るぐらいを当たり前のように要求されそうだもの。

「それは反省しているところはある。どうしてそれぐらいわからないのかってね。その辺の指導の呼吸を覚えるのも仕事の一つだったな」

 でもマナミはおバカだよ。

「だから無知は罪じゃないんだって。マナミさんの良いところは無知を素直に受け入れてるところなんだ。だから新たな知識はすぐに受け入れるし、受け入れた途端に次々に発想が広がるじゃないか。そういう人こそ頭が良いって言うんだよ」

 そうなのかな。

「成功体験は人に自信を与える。ボクもそうだった。けどね、成功体験に固執してしまうと弊害が大きくなる。発想の幅が狭くなるだけでなく、成功体験で出来たプライドが新たな知識の受け入れを拒んでしまうことも良く起こる」

 なんとなくわかるけど、

「プライドは聞く耳を塞ぐってことだ。とくに目下の意見を聞き辛くする。わかるだろ、無知であることを受け入れられないのだよ。そうだな、小学生ぐらいなら先生の教えてくれることを素直に聞き入れるし、聞いて覚えた瞬間から、その知識をなんのこだわりもなく自由に使えるってことだ」

 こりゃ、求めてるレベルが高すぎるよ。

「学生と社会人では別世界だ。社会人の世界は学生より桁違いに広い。言い切ってしまえば学生時代の知識ぐらいじゃ話にならない世界だ。常に新しい知識を貪欲に吸収し、それを即座に応用活用出来るかどうかかが評価のすべてだ」

 言ってることは間違いじゃないし、それが出来る人が出世していくのもわかるけど、そこまで出来る人なんて殆どいないのじゃないかな。もっともそれが出来たからエリートビジネスマンの世界でもカマイタチと畏怖されてたんだろうけどね。

「マナミさんの美点はそれだけじゃない。一緒にいるだけで、これだけ楽しい気分にさせてくれる人なんて初めてなんだ。こんな素晴らしい人を恋人に出来るなんて、どれだけ幸せ者なんだろうっていつも思ってる」

 サヤカも同じような事を言ってたけど、そこのところがよくわからないな。