ツーリング日和21(第15話)湯郷温泉

 さすがに疲れてきたな。瞬の取材に付き合うのは妻予定者として当然のことだし、それぐらい出来なくて小説家の妻になんかなれるはずがないのだけど、ここは岡山県だぞ。岡山県には土居宿の時点で入ってるけど、さすがに遠いわ。

「それはマナミ姫様、お気遣いも出来ずに申し訳ありません。今宵の宿に案内仕ります」

 あのね、瞬はマナミの爺やかよ。でも泊まるとなると津山かな。だって勝間田宿の次は津山宿でしょ。出雲街道を巡る取材ツーリングだからそうなるはず。

「宿場町の順番からはそうなるけど、ここはやっぱり温泉だよ」

 えっ、温泉♪ それ良い、絶対良い。この瞬間に疲れが吹っ飛んだ。温泉のためならまだ百キロぐらいは走れるぞ。で、どこの温泉なの。

「美作の名湯、湯郷温泉でございます」

 それ聞いた事ある。こんなところにあったのか。国道百七十九号から県道三六一号に入り南下だ。これはなかなか快適な県道だ。だいぶ山の中に入って来たから、そろそろじゃないかな。おらぁ、ワクワクするぞ。どんな温泉なんだろ。マナミだって聞いたことがあるぐらい有名だから立派な温泉のはず。

 うちの親はあんまり旅行に行かなかったのよね。そんなに余裕のある家でもなかったのはあったけど、親父があんまり好きじゃなかったかな。お袋もあんまり変わらんか。学生時代もなんだかんだで、あんまり旅行には行けてないのよね。

 社会人になり元クソ夫が恋人になってからもそうだった。あいつは旅行よりやる方にひたすら熱中してたもんな。まあお互い安月給だったから仕方なかったけどね。そう言えば新婚旅行も有馬だったもの。

 あれはカネがなかったのもあったけど、それより腹ボテの妊婦だったからもあった。ツワリも酷かったし。その後は地獄の新婚生活だったから当然無し。武田尾温泉に泊まったのは本当に久しぶりの旅行だったのよね。

 なんだか並木道になってるからもうすぐじゃないかな。市営湯郷駐車場ってあるから、この辺のはずだけど、ほら、湯郷温泉街まで〇・五キロってなってるじゃない。湯郷温泉には温泉街もあるみたいだ。

「左に曲がりますね」

 アイアイサー。うわぁ、こっちなのか。こんなひっついて曲がり角が二つもあるからビックリした。おぉ、これは温泉宿だ。どこかな、どこかな、

「次の次の信号を左です」

 次じゃないのかと思ったら進入禁止になってるじゃないか。だったらこれか?

「すみません。次の信号のない角です」

 そうだと案内看板も出てるものね。

「突き当たって右です」

 ボーリング場はあるし道だって石畳じゃない。この辺が温泉街みたいだ。右手にシックそうな宿が見えるけど、あそこじゃないよな。あんな宿がバイク女子に似合うものか。

「ここに入ります」

 えっ、ここなの。いや、そうじゃないはず。きっと瞬さんも道に迷ったんだ。だからバイクを停めてナビを確認するとか、ここの宿の人に聞くつもりのはず。ほら、瞬さんは聞きに入ったじゃない。

「バイクはあの辺りに停めて欲しいみたいだよ」

 えっ、ここなの。嬉しいけどウェアがちょっとこの宿には・・・瞬さんが選んでくれた宿だ。文句なんか言ったら罰が当たる。夫にしたくて切望にしている人が選んだ宿に不満なんてあるわけない。

 城崎の時も、いや武田尾の時もそうだったけど瞬さんは立派な宿を選ぶんだよね。それ自体は嬉しいのだけど、どうしてもTPOが気になっちゃう。でもいつもじゃないのよ、ツーリング中のご飯屋さんだって、休憩するところだってバイク女子にピッタリだもの。

 外食にも何度も連れて行ってもらってるけど、チープじゃないけど気軽そうなお店ばっかり。ファミレスだって当たり前のように利用するもの。なのにお泊りとなると選択基準が変わるみたいなんだ。

 それになにか理由があるのかわからないけど、とにもかくにも荷物を抱えて宿の中に。受付を済ませて部屋に案内されたのだけど、ゴ、ゴ、ゴージャスだ。ビックリしたのは部屋に露天風呂まで付いてるじゃないの。そういう部屋があるって噂で聞いてたけど本当に泊まれるなんて夢みたいだ。

 浴衣に着替えたら温泉だ、女性用の大浴場は紅梅の湯ってなってるけど、浴室は・・・ふぇ、大きなガラス窓になってるじゃない。そこからお庭が見える趣向みたいだ。へぇ、露天風呂もあるのか。ああ、気持ち良いぞ。

 宿のゴージャスさはともかく、ツーリングの後に温泉があるのは贅沢だけど嬉しいよ。なんかここに入るために走って来たって感じがするもの。それにさ、たいていの温泉って美人の湯のはずなんだ。

 そんなものキャッチフレーズだけって言われそうだけど、それでも肌は綺麗になる気はする。サヤカまでとは言わないけど、もうちょっとだけでも美人に生まれたかったな。女を美醜だけで評価するのは許せないって息巻くフェミは多いけど、ブサイクで生まれ育ってみろっていつも思ってる。

 この世の現実は見た目九割だ。ドラマだって、映画だって、お芝居だって主役は美人に決まってるだろ。ブサイクも出るけど、誰がどう見たって引き立て役とか、同情され役じゃないか。主役であるとしたらサプライズの逆転劇。

 それでも、そうであるべきぐらいはあきらめてる。だってだよ、前に見に行った映画なんて、なんじゃこれの世界だったもの。主人公がブサイク男なのよ。それは良いんだ、そういう映画だから見に行ったようなもんだからね。

 けどさぁ、ブサイク男が主人公になるには、主人公になるだけの設定がなされるもんだろうが。あんなこと、こんなことがあった末にヒーローになるってやつ。マナミのようなブサイクに取っては、どんな逆転劇が見れるかを楽しみにして行ってるってこと。

 なのにだよ、ブサイク男は最初からヒーローで、なんの説明もなく女にモテまくり、颯爽と大活躍して人々の称賛を浴びてる。あれはひたすら違和感しかなかった。その設定が通用するのは見ただけで説明不要のイケメンが主役だから出来るもんだろうが。

 それがブサイク男だったから、ひたすらウンザリさせられた。あんなブサイク男に誰がトキメクかって話だ。そりゃ、美醜だけで人を区別とか、差別をしたらいけないのはわかるけど、だからと言ってブサイク男を主役しても誰がキャーキャーなんていうものかって話だ。

 そんな心の持ちようが差別を助長するって頑張るのがポリコレってやつだと思うけど、映画って娯楽だよ、夢と希望を見に行くところじゃないの。あんなものいくら見せられたって、イケメンでもブサイク男でも公平にトキメクようになるわけないだろうが。

 あの映画の世界が目指すものって考えれば怖すぎるんだよ。世に美醜の基準がなくなれば残るのは生物学的な男と女の世界になるじゃないの。そんな世界の基準は女であるか、男であるかだけになってしまうのよ。

 男は女でさえあれば、美人であろうがブサイクであろうと誰彼無しにトキメキ、女だって以下同文だ。それだったら恋人だって、結婚だってくじ引きで選べば良い世界になっちまうだろうが。そんな世界はマナミにはゴメンだ。

 ブサイクだってね、憧れて恋するのはイケメンなんだよ。ブサイクだからブサイク男にトキメクはずないだろうが。ブサイクだから美人より妥協に妥協を重ねまくる現実はさておきとしただ。

 ブサイクにも人権はあるけどイケメンだって美人にだって人権はある。あたり前だけどイケメンだって美人に恋したいだろうし、美人だってイケメンが欲しい。イケメンがブサイクにトキメク話は好きだけど、あれはね、そういう事が現実には滅多に起こらないから飛びつくんだよ。

 マナミだってなんかの奇跡が起きて突然美人になればイケメンを選ぶに決まってるだろうが。はぁ、はぁ、はぁ、しょうもない事に怒るのはやめよう。美肌を求めすぎて湯当たりしたら何をしているかわからないから、そろそろ上がろう。ちょっとは美人になったかな。


 温泉から上がったら夕食だけど、ここもお食事処なのか。旅館と言えば部屋食のイメージだけど、お食事処も悪くないと思い出してる。ここのお食事処は庭を眺めながら食事を楽しめる趣向になってるのか。テーブルとテーブルが離れているのが広々して良さげだ。

 さて何が出て来るかな。こりゃ、見た目も綺麗し、美味しそうだ。日本料理は見た目も楽しむが良くわかる気がする。まずはビールで、

「カンパ~イ」

 温泉上がりのビールが美味い。ところで勝間田宿には本陣が二つもあったけど、松江藩のはわかるけど、津山藩のは不思議だったんだ、だって津山の次が勝間田宿だよ。いくら大名行列でも近すぎないか。

「大名行列も一日に三十~三十五キロ歩いた記録が残されてるんだ」

 ふへぇ、それって庶民の旅人とあんまり変わらないじゃないの。でもそうよね、宿場一つ分しか歩けなかったら、東海道なんて五十三次もあるものね。だったら、

「おそらくだけど・・・」

 大名行列も出発時とか江戸到着時と、旅行の途中では編成が変わるのか。出発時は領民に権威を誇示し、江戸到着時は見栄だろうな。でもそれが終わればフル編成は終わりで、道中用の少人数編成に変わるみたいだ。

 そうすれば行列の速度を上げて日数の短縮も出来るし宿泊費も節約できるものね。江戸時代の大名はどこも財政が苦しかったらしいから、そういうやり繰りは出ても不思議ないよ。

「それとあんまり江戸に連れて行くと藩士の調節も大変なのもあったかもです」

 連れて行ったらそのまま江戸に居させるか、帰ってもらうしかないものね。というか一年おきの往復だけど、大名行列の主力ってやはり国元組なのか。

「そこまでは調べていませんけど、そんな感じがします」

 あんまり連れて行くと国元に藩士がいなくなりそうだものね。そこのところは良くわからないけど、

「津山藩の場合は、勝間田宿で不要な人数を返したんじゃないでしょうか」

 午前中に出発して、勝間田宿で不要な人数はトンボ返りか。でもって、二日目からピッチをあげて江戸を目指す感じか。だったらさ、だったらさ、ついでだから湯郷温泉にも寄ったとかないのかな。

 行きは無理でも帰りの時だって、勝間田宿で津山から家来を呼んでお国入り用の行列を編成するのでしょ。その時に一日ぐらい湯郷温泉に寄っても良いじゃない。もうすぐ津山なんだから。

「それはないでしょ。そうなれば湯郷温泉にも殿様の湯の伝承が残るはずです」

 そこか! お殿様が温泉に入ろうと思えば、お殿様の宿泊施設から、お殿様専用の浴室まで用意しないといけなくなるってか。お殿様って不便な商売だよな。だってだよ平安貴族なんか城崎まで来て温泉に入っているし、それも女だぞ。

「平安貴族の女性の地位は・・・」

 それは長くなりそうだからやめる。