ツーリング日和21(第19話)古代ロマン

 玉造温泉から目指すは出雲大社だ。江戸時代の出雲街道は松江が終点だけど、出雲街道の成立は古いはずなんだ。だって出雲はどんだけ古いんだってところなんだもの。記録の上だけでも古事記の神話部分の大和王権のライバルだよ。

 これじゃ、わかりにくいよね。日本で一番古い歴史書は古事記と日本書紀だって瞬に教えてもらったんだ。どっちが古いんだって聞いたら、

「重なってる部分も多いけど、日本書紀は歴代天皇の記録書で、古事記は日本の始まりからの歴史書だよ」

 天皇は神武天皇から始まるけど、神武天皇の前が神代の時代になり、そこまで書かれているのが古事記だってさ。アマテラスとか、スサノオとか、イザナギ、イザナミが活躍する高天原って時代が神代で良いみたいだ。出雲が登場するのはその神代の時代なんだよね。

「出雲は大国主命が天津神に国を譲ったくらい古いんだよ」

 天津神って言うのは高天原の神様で、大国主命はそれとは別系統の国津神ってやつになるんだって。でもそれって、

「マナミはホントに頭が良いよ。神武天皇より前に既に出雲は成立していた事になる」

 ここも現実的な話としては、大和王権が成立していた時には既に出雲王権はあり、大和王権のライバルとして存在していたんだろうって。大和王権も出雲王権も新たなフロンティアの開拓に励んでいて、

「その最前線が接触して争いが起こったんだろうな」

 出雲王権が播磨に進出して、播磨の原型と言うか、ご先祖様と言うか、播磨の国の名前の由来となった針間の国を揖保川沿いに作った話は波賀へのツーリングの時に聞いたけど、出雲王権は揖保川を南に向かって勢力を広げ姫路平野に進出したんだろうって。

 地形的にはそうなりそうだけど、大和王権も西に勢力を広げていたから両勢力が接触するよね。そうなったら争いが起こるのは今だって、古代だって同じってことか。そこで話し合いで平和共存になるなんてあり得ないもの。

 そこでだけど武力的には大和王権が優勢だったんだろうって。優勢だったから国譲り神話が生まれたはず。出雲王権が優勢だったら出雲が国を譲られるもの。

「それで良いと思うけど、実相は少し違うと思うんだ」

 出雲と大和は今だって遠いけど、古代ならもっともっと遠かったはずだって。それはわかるよ、そうだな、日本とハワイより感覚的には遠くたっておかしくない。

「とにかく人口も、交通手段もプアすぎる時代じゃないか」

 古代の人口なんて推測に推測を重ねた末のものに過ぎないけど、神代の時代の日本の人口は百万人程度だってするのも多いんだって。百万人たって、北九州にもけっこういたはずだし、岡山にだって吉備王権があったらしいから、

「大和王権が強かったのは人口が他の王権より多かったからぐらいは推測できるけど、それでも五十万人もいなかったんじゃないかな」

 出雲はそれより小さかったぐらいは言えるかな。戦争になれば兵力が多い方が絶対に有利だけど、いかに大和王権でも出雲まで遠征軍を送り込んで征服する力は無かったと見るのか。だから最前線の接触では勝っても、相手の本拠地を叩き潰すまでには至らない状態ぐらいもあり得るってことか。

「相手の本拠地に近づくほど、相手の動員力が大きくなるからね」

 決戦への動員力は決戦場への距離が大きいのはわかるな。とくに古代は道だって貧弱なんてものじゃなかっただろうしね。

「そんな均衡状態で和平協定が結ばれたのが国譲り神話じゃないかと考えてる」

 戦争すれば人は傷つくし、死ぬ者だっている。さらに戦争に動員されるのはバリバリの若手だ。元の人口がその程度だから、

「それこそ一人死んだだけで、最重要産業の農業に大きな影響を及ぼしたんじゃないかな」

 昔の農業はそれこそすべて人力だものね。不毛の消耗戦はアホらしいと判断しての和平協定か。そっか、そっか、これだけ人口が少ない時代だから、土地を奪っただけではメリットは乏しすぎたんだ。土地とセットで労働人口も奪わないとメリットがないはずだ。それを大和王権も出雲王権も悟ったぐらいかもしれない。

「和平協定の条件は神話から推測するしかないけど・・・」

 こういう時の条件は、お互いの勢力範囲の境界線をどこにするかのはずだよね。国境線と言っても良いはずだ。ここでは戦争による人口の減少もあって、出雲王権側がかなり譲ったのかもしれない。

「わかるはずもないけど、出雲王権側の方がより切実に平和を望んだぐらいはあるかもしれない」

 だから和平協定の中に大和王権の支配下に入るぐらいはあったんだろうって。支配下に入ると言っても植民地みたいなものじゃなく、だいぶ違うけど現在のアメリカと日本ぐらいの関係かな。

 支配下に入ると言ってもとにかく遠いから、二度と敵対しませんぐらいの意味合いで、大和王権側にしたら名を取った部分は大きかったかも。でもさぁ、こういう協定っていくら文書なりにしても実効力が無いと無意味のはずじゃ。

「マナミの言う通りなのだけど、そうだな、戦争状態をやめるのが双方にメリットが大きかったんじゃないかな」

 それぐらい戦争の負担が大きかったって事か。

「マナミがアメリカと日本の関係を持ち出したけど、古代でも似たような状況になったのかもしれない」

 敵対関係が本当の意味での友好関係になったってぐらいか。

「そこでだけど、大和王権側は戦いでなく他の手段で出雲王権に権威を示したのが出雲大社だったとも考えてる」

 出雲大社の創建もまた神代の時代に遡る古さなんだよね。だってだよ、天皇じゃなく天津神が命を下して作らせたとなってるんだもの。ここなんだけど、瞬も最後のところが良くわからないとしてた。

 作ったと言っても貨幣がある時代じゃないから建設予算を出せば済む話じゃないものな。現実的に考えたら、建設資材を調達して運び込んで、神殿を作る職人も送り込むぐらいしか考えらえないもの。

 そうなると和平協定が結ばれてから、出雲と大和の交流が深く、大きくなり、街道も古代なりに整備されてからの話になるものね。ついでに言えば人口の回復もだ。ところで最初の出雲大社ってどれぐらいだったの。

「上古は三十二丈とされてる」

 丈じゃわからんだんだろうが。一丈は十尺だから三メートルらしいけど、三十二丈って・・九十六メートルってどこの高さなんだよ。ポートタワーぐらいあるぞ。

「上古の三十二丈は実在していない説が多いのだけど、出雲大社の後ろに八雲山があるだろ。あそこに建てられていたする説はあるよ」

 なるほど! 八雲山って百メートルぐらいだそうだから、そこに建てれば三十二丈になるし、

「神殿の規模も関係ないからボクは逆に現実味があると考えてる」

 とにかく神代の時代だから山の上に小さな神殿だったのは妙に現実的なのは同意だ。今の出雲大社も大きくて八丈っていうから二十四メートルの高さがあるんだよ。神代の時代からだんだんに大きくなったんだろうな。

「いや逆だ。中古で十六丈だったとされている」

 セコハンで十六丈ってどういう事かと聞いたら日本の時代区分だそうなんだ。中古が平安時代で、上古が奈良時代より前を指すそう。あのね、平安時代にそんなバカでかいものが建てらるわけないじゃないの。

「そんな事はない。マナミも知っているものなら奈良の大仏殿がある」

 今のは、江戸時代の再建だけど奈良時代の創建時はもっと大きかったというものね。技術的には平安時代でも可能だったのか。そしたら瞬は宝物殿に連れて行ってくれた。そこには金輪造営図っていう上古時代の出雲大社の設計図があってそれに基づいた復元模型も置いてあった。

 でもこれって異様過ぎるよ。現在の神殿は高床式ってやつで良いと思うけど、その足がそれこそ天高く伸びて、その神殿に続く階段が延々と伸びてる感じ。そうだな、超巨大な清水の舞台って言えば良いかも。これはさすがに実在しなかっただろ。

「そう思われていたのだけど、境内に金輪造営図と同じ柱の根元が発掘されてるんだ」

 ホントだ。こんなものがホントにあったんだ。それでも存在は疑問視されているようなんだけど、

「出雲大社の神殿は何度も何度もも倒壊した記録も残されてて・・・」

 瞬は十六丈の神殿は技術的に無理があったと考えているようだ。そりゃ、そうだろ、こんなもの地震が来たら一発でアウトだよ。だから、試行錯誤の末に今のサイズになったんじゃないかって。

 今のサイズだって途轍もないんだよ。似たような建物なら伊勢神宮があるし、あれも大きくて立派なんだけど高さは三丈ちょっとらしいのよね。つまり出雲大社の方が伊勢神宮より二倍以上大きいんだ。

 瞬は出雲大社の大きさよりも、それより何度も建て直されて今でも存在する方に興味があるみたいなんだ。古代でも巨大建築物はあったのは知ってる。有名なのはフィロンの世界の七不思議だけど、あの中で現存しているのはギザのピラミッドだけ。

 つまり壊れたら再建されていないのよ。出雲大社にたとえ三十二丈の神殿があったとしても、壊れたら余程の理由がない限り再建しないはずよね。

「ああいう古代の巨大建築物は権力者の権勢の誇示のために作られたで良いはずだ。だからこれは日本の特殊事情だと思うんだ」

 古代で巨大建築物を作ったのは王朝だろうけど、全部跡形もなく滅んじゃってる。だけど日本は出雲大社を作らせた天津神の直系の子孫の天皇家が延々と続き、今だって東京に住んで天皇様やってるものね。

「こんなもの結果論でしか語れないけど、大和王権は出雲に巨大神殿を作り続けることが、統治上の絶対の課題にしていたぐらいしか想像できないよ」

 これこそ今に生きる古代ロマンだ。