ツーリング日和22(第18話)迷いの夜

 初鹿野君が張り切っているのは職場の様子でもボクならわかる。と言うかボクしかわからいだろうな。ベースのアンゴルモアの恐怖の大王は同じなんだけど、ボクと目が合った一瞬だけ表情がほんのわずかに緩むんだよ。あれも微笑んでいると言うより、

「逃げたら許さない」

 そっちの方が強そうにも思うけど気のせいかな。初鹿野君の勢いなら翌週にも出かけそうな勢いだったけど、バイクの弱点が歯止めになっている気がする。バイクの魅力に風を感じるは常套句なんだけど、風にもあれこれある。

 夏の熱風だって、冬の寒風だって感じさせられる風ってこと。そんなものをものともせずに走るのもいるけど、暑いものは暑いし、寒いものは寒い。だから真夏と真冬はツーリングをお休みにするバイク乗りはごく普通にいる。ボクもそうだ。

 夏の暑さや冬の寒さも蹴散らす猛者連中でも苦手どころか天敵とするのが雨風だ。レインウェアも進歩はしてるけど、雨が好きなバイク乗りなんていないのじゃないかな。雨の日でも走っているのは通勤通学で他に代替手段が無い者ぐらいで、雨でもツーリングに勇んで出かけるのは奇人変人だと思うぞ。

 この頃の天気予報は精度も良くなっているけど、それでも二週間先どころか一週間先でも怪しくなる。それぐらい天気の予測って難しいのだと思う。当日の天気予報だって・・・これはボクも経験したけど神戸の天気予報が晴れでツーリングに出かけたんだよ。

 それが北に向かうにつれて怪しくなり、ついには雨になった。尻尾を巻いて逃げ帰ったのだけど南に行くほど天気が良くなり、その日の神戸の天気はずっと晴れだったみたいなんだ。それからは行き先の天気予報も確認するようにしてる。

 雨も日帰りツーリングなら怪しそうなら無理しないで済む話なのだけど、お泊りが付くと手強い相手になる。泊りとなると宿の確保もセットになるのだけど、予約をいつ入れるかの問題は出て来る。

 クルマだって雨の日の旅行は台無し気分になるけど、それでも行くことは出来る。その代わり楽しさは半減以下になる。これがバイクになると半減どころかマイナスに振り切れる。雨の日のバイクなんか難行苦行の権化だからな。

 この天気なんだけど、ここのところ一週間サイクルになっているで良さそうだ、それも週末に決まって雨が降るのだよ。こういう状況になると宿の予約を入れるタイミングが難しくなる。

 宿によって変わるけど、おおよそで言えば一週間前ぐらいからキャンセル料が発生してくる。これは予約当日に近づくほど高くなるぐらいは誰でも知ってる。ならばツーリングに近い日、それこそ前日とか、前々日に予約するのは手としてはある。

 だけどそうなると、宿の選択肢が狭まってくる。これも雨露が凌げてご飯にありつける程度の基準なら良いのだけど、今回のツーリングはそういう宿に初鹿野君はしたくないはずだ。そんな宿で初めて肌を合わせたくないだろ。


 という訳じゃないけど雨の土曜だ。日曜も雨が残るって予報になっている。今週もお泊りツーリングは順延なのだけど、初鹿野君から、

「ご一緒に夕食はいかがですか?」

 このメッセージが入ってきた。これも考えどころだな。これまで初鹿野君とは昼間には会ってるけど夜には会っていない。ここまで親しくなれば夜に会うことは不自然な流れではないけど、昼に会うのと夜に会うのとでは距離感が変わってくる。

 初鹿野君とは実質的に告白されたも同然だし、ボクもお泊りツーリングを了承した事で告白を受け入れた格好になってしまっている。本当にそういう関係になってしまうかどうかの悩みはボクにはあるけど、ここまでそういう流れで来てしまってる。

 その答えはお泊りツーリングの夜に出さないといけないのだけど、夜の誘いって初鹿野君がシビレを切らした可能性はあるんだよ。初鹿野君の目的はボクとお泊りツーリングをしたいと、ツーリングのに結ばれたいで良いはずだ。

 このうちどっちが重いかは後者だろう。前者が軽いわけじゃないけど、今回は後者で良いはず。それが延々と仕切り直し状態だから、二つの目的を切り離すことにしたんじゃないかと思うんだ。

 男と女の関係になるだけなら、ツーリングの夜にこだわる必要はないものな。さらに言えば先に男と女の関係になってもお泊りツーリングには影響はないと言えば無い。むしろそういう関係になって出かける方が良いぐらいだろ。

 というか、男と女の関係になったから泊りの旅行にステップアップするのが多い気がする。そうしないとならないものじゃないだろうけど、順番と言うか、段階的には自然な気がするんだよな。

 ただそれは初鹿野君の都合であってボクは困る。まだどうするかの最終判断が付いていないんだよ。なら断るかになるのだけど、心はかなり初鹿野君に傾いてしまっている。それにボクが欲しい情報は初鹿野君の真意だ。

 初鹿野君はボクと男と女の関係になってしまうのをどう考えているかだ。とにかくボクは一穴主義だから、結ばれたからには目指すものは一つしかない。そういう想いが初鹿野君にあるかどうかなんだ。

 もっと言えば、どうしてボクなんだの疑問もある。人を好きになるのに理由は無いとは言え、初鹿野君の距離の詰め方は強引過ぎるところがある。マスツー仲間になったのはともかく、唐突みたいにお泊りツーリングだぞ。

 ここはもう少し時間をかけるものじゃないのか。今夜に逢いたいもそうで、これだって手順前後だろう。昼間のマスツーで親しくなったら、次のステップで夜の会食じゃないのか。三十歳も越えた大人同士なんだからな。

 夜の会食になればお酒も入るから流れでラブホの可能性もあるとはいえ、いきなりラブホも普通は無いと考えるだろ。楽しく食べて、楽しく飲んで、お酒も入ってリラックスしたところで相手の本当の想いをあれこれ聞き出すぐらいのステップになるはずだ。

 今夜の誘いにボクが困惑しているのは、既に男と女の関係を結ぶのが既定事項にされてしまってることなんだ。これもおかしいと言えば、おかしい状態で、こういうものって、告白から交際、それが深まってドッキングだろ。

 もちろん告白から即ドッキングが無いとは言わない。ただそういうケースは、蓋を開けてみれば、これでもかの両想い状態ぐらいが前提になるはず。ボクは初鹿野君に好意を持っていたのは否定しないが、ロイホの時では、まさか、まさかで泡食ったぐらいの状態だったもの。

 ドッキングのタイミングだって、通常は予定ドッキングなんてそうそうなく、それこその阿吽の呼吸で今日こそ、今夜こその機運が昂ってのものだと思うんだ。旅行での初ドッキングにしたって、その時点で想いは一つになってるはずだろ。

 今回のは言わば宣言ドッキングみたいなものじゃないか。それも一方的に宣言されてのものだ。それも、宣言実行日が延々と順延状態になってしまってる。どう考えても妙過ぎる。そんな状態で夜に逢うのにどんな意図が込められているかは嫌でも考えてしまう。

 だいぶ悩んだのだけど誘いは受けることにした。これは関係を結ぶ決断をしたのじゃないぞ。手順こそ前後してるけど、初鹿野君をより良く知るチャンスと考えてのものだ。とにかく逢って話さないと初鹿野君の真意など探りようがないからな。


 店は初鹿野君が手配してくれた。三宮駅でなく元町駅で待ち合わせだったのが意外だったけど、これは三宮駅だと会社の誰かに鉢合わせしたり、偶然に見かけられてしまうリスクを少しでも減らしたかったのかもしれない。

 待つほどもなく初鹿野君がやって来たけど、これは気合入ってるわ。というか、プライベートでマスツーしているとは言え、ライディングファッションで会ってるから、なんと言うか初鹿野君のデートファッションの見るのが初めてだからかもしれない。

 思うんだけど、会社の誰かが見たって初鹿野君だと気づかないのじゃないのかな。どう言えば良いのかな、華やかではあるけど浮わつかず、むしろシックで上品ぐらいに言えば良いのだろうか。冷静そうに言ってるけど、度肝を抜かれそうになった。

 元町駅から鯉川筋を上がり生田新道を越えたところで路地に入っていった。この辺はあんまり来たことがないな。初鹿野君は手慣れた様子で案内してくれて小じんまりした店に入って行った。

 カウンターだけの店だけど、ワインバーで良さそうだ。洋風居酒屋でも良いと思うけど、なかなかオシャレな店だな。あれこれ頼んでワインで、

『カンパ~イ』

 こういう店は嫌いじゃない。それとボクもお酒は好きなんだけどビールはあまり飲まず、ワインの方が好きなんだよな。そんな好みまで初鹿野君が知っているとは思えないけど、

「わたしはワインが好きでして・・・」

 聞いてみると初鹿野君もビールよりワインとか日本酒の方が好きなのか。好みが合うな。お酒の嗜好も案外ポイントで、まずまったく飲めない相手になると辛い時は辛い気がする。だから不合格なわけじゃないけど、飲まない人を相手に飲むのは気を遣うのだよ。

「いける口です」

 それとお酒は飲めてもビール党の人も多いんだよ。ビールって便利な酒で、あれだけで和食から洋食までカバーしてしまうところはあるけど、それしか飲めないのもちょっとなところはあるにはある。

 まったく飲めないより遥かに良いのだけど、この辺はボクの好みがワインとかの洋酒や日本酒に寄ってるのはあるのだよ。ボクだってビールは飲むけど、ビールだけはシンドイ時があるからね。

「部長の方が珍しいです」

 初鹿野君もそうだろうが。こういう相性も酒席をともにしてやっとわかる事だ。ひとしきりお酒の話題で盛り上がった。ボクも良い加減に酔って来たし、初鹿野君もそんな感じで良さそうだ。

 それにしても不思議すぎる感覚だ。ここまでくれば誰がどう見てもデートだ。そこまで踏み込むのに不満はないけど、このシチュエーションならまだ交際を申し込んでお互いの仲を良く知る段階のはずだろうが。

 何を目指してるかと言われたら男と女の関係を結びたいだけど、女である初鹿野君から告白されたのはともかく、告白と同時にOK宣言までされてるんだぞ。たとえば、ここでボクがラブホに誘ったら付いてくるかだ。正直なところ来る確率は高いとしか思えない。

 やっぱりステップをかなり飛ばし過ぎてる。妙な言い方だけど、ステップの先に進んでしまってる初鹿野君に追いつかないといけないはず。そのためには、今夜はどうしても聞いておきたいことがある。そのチャンスが与えられた夜なのかもしれない。

 でも大変な作業になりそうだ。ほろ酔い加減になってるはずの初鹿野君がこれでもかぐらいに色っぽくなってしまってる。まさに触れるだけで落ちそうにしか見えないもの。本音で言えば、小理屈なんか吹っ飛ばしてベッドに行きたくて仕方がない。

 さっきからその思いがボクの中でマグマのように渦巻いてしまってる。情けないと言われればそれまでだけど、完全に初鹿野君に酔わされてしまってる。初鹿野君はこういう時でも明瞭な戦略と、それを達成させる巧妙な戦術を駆使してくるのはわかってる。

 その戦術に溺れて、戦略目標を達成させてしまうのもありだと悪魔が囁いているけど、それでも今夜は避けたい。それを試されてる夜の気がしてならないよ。