ツーリング日和22(第10話)初鹿野君

 初鹿野君の新人教育はボクがやったんだ。あの頃はまだ場末のビルだったから、新人教育をするにもボクしかいなかったのもあった。ボクも経験者と聞いていたから、即戦力にしたくて、今の初鹿野君程じゃないけど、それなりにスパルタだったかな。とにかく戦力が一人でも欲しかったんだ。

 始めてみると優秀さに舌をひたすら巻かされた。基本業務ぐらいはあっという間に習得したし、社会人としての礼儀作法、ビジネスマナーについてはまさに完璧だった。ここまで出来るのならと、新人教育としてはどうかと思ったけど次のステップにも踏み込んでみた。

 あははは、何にも教えることはなかった。あれは既に知っていたよ。知っているどころのレベルじゃなく。そうだな、茶道で言えば表千家と裏千家の達人がすり合わせしているような感覚と言えば良いのかな。だってだよ、時々出る、

「なるほど、こういう時にはこうなのですか・・・」

 なんかボクの営業技術の裏を読まれている気しかしなかったもの。ただ不思議な点は多々あった。ロクに使える戦力が乏しいから、少しでも厄介な仕事になると初鹿野君と組むことも多かったのだけど、

「こうされれば・・・」

 おいおい、そんな手を知っているのかと驚かされた。だけどその手は当時の星雷社では使えないんだよな。

「申し訳ありません。わたしとしたことが・・・」

 この辺の感覚をわかってもらうのが難しいのだけど、あれは相当な規模の会社の営業、それもトップクラスの経験が無いと知りようがないし、使いようのない手法なんだ。当時は初鹿野君もその辺のギャップが出ていたとは思う。

 その辺もあの頃は、そんなものぐらいにしか思っていなかったけど、こうやって初鹿野君とヒョンな事からプライベートのつながりが出来てしまったから、妙に気になって来てる。そんな事をどうして初鹿野君は知っているかだ。

 初鹿野君には前職がある、だから中途入社なのだけど、それが磯辺商事なんだ。はっきり言えばボクも知らない無名の会社だ。そこが倒産したから星雷社に転職したのもわかるのはわかる。

 磯辺商事は実在してたし、そこが倒産しているのも確認した。企業規模としては当時の星雷社とドッコイドッコイぐらいだから、同規模の会社に転職したのも筋は通るのは通る。これは転職の一つの側面みたいなものだ。

 一昔、いや二昔前は就職と言えばイコールで終身雇用が当たり前の時代もあったが、今はキャリアを積み上げて転職をするのも増えて来てる。ヘッドハンティングもその類型の一つとして良いだろう。

 この転職のキャリア評価だが、当たり前だが前職の評価になる。どんな会社にいて、どんなポジションを占め、どんな業績を上げていたかだ。だから初鹿野君には悪いが、無名の磯辺商事で働いていただけでは横滑りの規模の会社に転職するのは妥当の見方だ。

 初鹿野君は磯辺商事に新卒で就職していた事になるのだが、初鹿野君は港都大卒なんだ。もちろん港都大卒と言っても必ずしも名の通った一流会社に就職できるわけではないのだが、いくらなんでも磯辺商事の気持ちは正直なところある。

 それより何より初鹿野君の持つ優秀さの基礎になっているのは豊富で分厚い経験だ。さらにその豊富な経験を実戦に即座に応用できる能力に秀でているのは、一緒に働けばよくわかる。

 だがな、あんな経験を磯辺商事で積める訳が無いんだよ。あれだけの経験を積むには相当な規模の会社で無いと絶対に無理だ。少なくともボクの前職ぐらい会社で無いと不可能なのはボクならわかる。

 そうなると経歴詐称疑惑が出て来る。先に断っておくと別にそれが問題になるわけじゃないぞ。会社が欲しいのは正しい経歴じゃなく、その優秀な能力だ。初鹿野君はケチの付けようのない赫々たる実績を積み上げているからな。

 経歴詐称だが、詐称までいかなくとも、それなりに経歴を盛るぐらいはやっているのは多いはずだ。それで転職活動を少しでも有利にしたいぐらいだ。職を得るのはそれぐらい大変だからな。

 だが初鹿野君がやったのは経歴をあえて落としているとしか思えない。だがここも謎が多すぎる。ボクが見るところ、初鹿野君は前職でもトップビジネスマンだったはずだ。なんらかの理由で転職をするにしても、場末の星雷社になぜ来たんだ。もっと良いところをいくらでも選べたはずなんだ。

 そうなると初鹿野君はわざと経歴を低くし、あえて場末の星雷社に転職したことになってしまうじゃないか。それはどうしてだの疑問が渦巻いてしまうことになる。誰が好き好んでそんな事をするかって話だ。


 とにかく謎の多い初鹿野君だが、女としての評価はどうかになる。独身で年齢は三十歳を過ぎている。いわゆるアラサーと呼ばれる年齢だが、この晩婚の時代だから余裕で若いとして良いと思う。

 だが浮いた噂の一つもない。これはボクと同様、下手するとボク以上にプライベートの付き合いをシャットアウトしてるのは確実にある。たとえば主任としてよくある、上司として部下を飲みに連れて行くなど、想像するのも難しいからな。

 そりゃ、誘われたら断ることなど不可能だろうけど、そういう素振りも見せないと言うより、誘う姿さえあり得るとは社内の誰一人考えもしないだろう。そこで楽しく飲ミニケーションなんて・・・天地がひっくり返ってもありえないのが初鹿野君だ。

 スタイルはどうかだけど、これはごく素直に悪くないとして良いと思う。細身の方だが華奢じゃない。あれは引き締まったナイスバディぐらいは言えるとは思う。ただ歩く姿にはクセがある。

 背筋をピンと伸ばしているのは良いのだけど、やや肩を揺らして歩くんだ。威風堂々ともいえるけど、口の悪い連中はノッシノッシだと言ってたな。そうなるのはガニ股の時が多いはずなんだが、そうは到底見えないからクセなんだろうな。

 顔はあまり言いたくない。ホントに言いたくない。少なくとも万人受けする美人ではない。これも口の悪い連中は、

「忍者ハットリ君」

 初鹿野君には悪いが良く特徴を捉えているとは思う。これは営業では威力を発揮している。笑うとなんとも言えない愛嬌になるのは知ってるからな。だけど、職場ではとにかくニコリともしないから凄みになるんだよ。この世であんなに恐ろしい忍者ハットリ君がいるかと思うぐらいだ。

 少し色恋の話に戻すけど、初鹿野君はとにかく怖がられてはいるけど、一方で非常に慕われてる不思議なキャラなんだ。その慕われようも崇拝レベルじゃないかと思うぐらいなんだ。

 あれだけ慕う者がいれば、誰か一人ぐらい崇拝が愛情に変わるのも出そうなものだと思うけど、噂にも聞かないな。もっともあの忍者ハットリ君で凄まれたら、そこにどうやったら恋愛感情なんて生まれるんだと言われればそれまでなんだが。


 ざっと初鹿野君のイメージを並べてみたけど、仕事ぶりはとにかく献身的だ。ボクと組んだ時だって、ここまでするかってぐらい働いてくれる。だから初鹿野君と一緒に仕事をするのは楽しいぐらいだ。

 だけどな、自分の手柄への関心が薄いところがある。誇らないどころか、いともあっさり人に譲ってしまうんだ。これでも言い足りないな。どうしても他人に譲りようがないものだけ、嫌々って感じで自分の業績にすると言えば良いのだろうか。

 これも不思議すぎるところで、誰だって自分の業績を積み上げて昇給なり、出世にしたいのがビジネスマンだ。そのために働いているとしても言い過ぎじゃないだろう。なのにあれだけ働いてるのに無関心と見えて仕方がない。

 だからって事になってしまうが、いわゆる勤務評定は目立って高くなっていない。そりゃ、そうだろ、あれだけ譲ればそうなるよ。けどな、ボクだって節穴じゃない。だから主任になってもらった。

 それに対する反発は皆無だったし、それでも評価が足りないぐらいにされてたで良いと思う。つうか、誰が初鹿野君の上に立って仕事などしたいと思うものか。もっとも初鹿野君はまったく嬉しそうじゃなかったけどな。とにかく不思議なところがあれこれあるのが初鹿野君だ。