ツーリング日和22(第6話)石峯寺

 初鹿野君からは連絡はあった。あのマスツー話は座興ではなく本気であったと判断するしかない。マスツーとなればインカムが必要だけどこれも調達してみた。何をやってるんだろうの疑問もあったけど、押し切られたとは言え了解しているからしょうがない。

 どこにマスツーしたいかと聞いたのだけど、少々意外だったかな。最初だからもあったとは思うけど、ほんのご近所ツーリングだった。別に不満があった訳じゃないから、これも一興と思い指定されたコンビニの駐車場に。

「今日はよろしくお願いします」

 これもタマタマなんだけど二人のモンキーは赤だ。あそこに行くとなるとまずは新神戸トンネルだが、ここも無料ナビならしばしば弾かれるルートになる。というのも、今は阪神道路公団の管理になっているからだと思う。

 阪神道路公団は阪神高速の経営を行ってるところだから、新神戸トンネルも阪神高速と同様ぐらいにナビは判断してる気がしてる。だけど小型バイクなら五十円で通れる。もっともクルマの流れは非常に速い。それこそここは阪神高速じゃないぞと毒づきたくなるぐらい。

 新神戸トンネルを抜けると箕谷になり、ここから呑吐ダムの方に走って行く。箕谷付近を過ぎるとカントリーロ―ドになって嬉しい道だよ。山田を過ぎると谷間の道に入り、見えてくるのが呑吐ダムだ。

「部長、その言い方っておかしくありませんか?」

 仕方ないだろ。正確には呑吐ダムのダム湖が見えて来てるのだけど、この湖の名前の決着は付いたのかな。

「神戸市は衝原湖にしてますが」

 このダム湖の殆どは神戸市にある。だけどダム本体は三木市にあるんだよな。だからダムが存在する三木市は命名権があるとして、たしか、

「三木湖だったはずです」

 冴えんネーミングだな。だけどこの調整が難航したはずなんだよな。こういう時には妥協案とか、折衷案で決着しそうなものなんだが、

「呑吐湖でも良かったのに」

 それも語呂が良くないぞ。もっとも語呂なんて言い出したらどうして呑吐ダムなんだになってしまうけど、誰が命名したのだろ。とにかく最初で揉めたものだから、衝原湖もそれほど定着したとは言いにくい。

 だからボクぐらいならダムも湖もひっくるめて呑吐ダムと言うのが多いのが現状で良いと思う。メジャーとは言いにくいダム湖だから、そんなもので誰も困っていないけどね。道は湖畔を走り抜け呑吐ダムのパーキングの横を通り抜け、

「ここも何か出来ると思ってましたけど」

 だよな。今あるのは駐車場とちょっとした公園とベンチスペース、後は自販機がある程度なんだけど、広さはかなりある。さらに言えば隣接して空き地もあるんだ。おそらくだけど当初構想として、空き地のところに飲食店も含む施設を誘致するはずだった気がしてる。

 だからだと思うけど、このパーキングにはトイレもない。これはそっちの施設に作る予定だったと考えてる。ちょうどダムも見えるロケーションだから位置的にあっても不思議はない施設のはずだ。

「今だって誰かが手を挙げても良さそうなのに」

 そうだな。休日は割と賑わってるからな。とは言うものの賑わってる原因は、

「マイナーですがライダーの聖地」

 そこまでは言い過ぎだとは思うけどバイクが多い。それも呑吐ダムへのツーリングじゃなく岩谷峠の道を楽しむライダーが拠点としているで良いはず。

「反対側は淡河の道の駅でしょうか」

 あっちの休日は混んでるだろうから、こっちにライダーが集まりがちになっている気もするよ。そんな事を話しているうちに丘越えの道になり三木市に入る。まずは最初の目的地に行くために右に入る。

 少し荒れた道を登って行くとあそこか。ダムの管理事務所が見えてきた。呑吐ダムはダムの上を渡れるダムなんだ。予想通り誰もいないな。ダムの途中でバイクを停めて、

「こうなってるのですか・・・」

 実はボクも初めてなんだけど、ダムの向こうはこうなってたのか。一度は来ようと思ってはいたけど、いつでも行けると思って後回しにしてたものな。これは一度ぐらいは見ても良いぐらいの価値は認める。ダムから引き返して三木方面に。やがて道は突き当りになり、

「御坂神社は行ったことがありますか?」

 ここもないな。横目で見てるだけだ。神社のところの信号を今日は右折。

「こっちが秀吉の作った湯の山街道ですよね」

 そうなるけど、よく知ってるな。湯の山街道は三木と有馬温泉を結ぶ街道で、一般的には有馬温泉に向かう街道を指す。秀吉が湯の山街道を作った目的は三木合戦の負傷者を有馬温泉で湯治させたともあるけど、

「行かせただけじゃなく、有馬の湯を運び込んだともされていますが」

 それはどうだろう。湯は重いし運びにくいじゃないか。それだったら負傷者を有馬に運び込んだ方が効率的な気がする。その辺の真偽はわからないとして、当時の湯の山街道は丹生山の南側の山田を通るルートだったはずなんだ。

「どうして丹生山の北側の淡河を通るルートを切り開いたのですか?」

 三木合戦は長期の籠城戦だけど、そうなると困るのは兵站線だ。当初の構想は摂津経由だったはずだけど、摂津の荒木村重の反乱が起こってしまい使えなくなってしまう。

「そうは言いますが丹生山の明要寺の僧兵や、淡河氏は三木の別所方ですが」

 それも明要寺を焼き討ちし、淡河城を落として解消してる。秀吉が淡河を通る湯の山街道を作らせたのはその後だろう。

「淡河城が落ちたのが天正七年六月、三木が開城したは天正八年一月ですから、淡河ルートの湯の山街道は三木合戦に間に合わなかったのでは」

 そこまで調べていたとは驚いた。淡河ルートの湯の山街道の狙いは有馬温泉じゃなく三田で良いはず。三田と言うより丹波ルートの確保だろう。八上城も天正七年六月に落ちているから、

「山陰道経由で京に連絡できたのか・・・」

 三田から篠山に出られればそうなる。これは兵站路だけでなく安土の信長との連絡路としても重要だろう。秀吉に命じられている任務は播磨平定ではなく毛利攻略だからな。

「豊助饅頭は好きですか?」

 嫌いじゃないけど、最近は甘いものはちょっとだ。そこからしばらく走ると、あそこだな。あの好徳小前の信号を左に曲がるぞ。

「こういう名前の小学校は由緒があるのですよね」

 そのはずだけどなぁ。悪いが調べたことがない。そこからは田舎道だ。どうもだけど植木屋さんが多いみたいだな。ここも初めて走る道なんだ、わぉ、結構な坂道だな。三速でもアップアップになるのがモンキーだ。

 ここを左に行くとなってるけど、こりゃキツイわ。なんとか登りきると、へぇ、山門が残っているのか。さらに進むと左側にあるのは塔頭寺院じゃないのかな。その先には石垣もある立派なお寺だ。

「これは立派ですねぇ」

 ここに石峯寺があるのは知ってたけど、ここまで立派だとは予想外の嬉しさだ。石段を登って右手にあった石碑に初鹿野君は目を止めたみたいだけど、

「孝徳天皇勅願所ってマジですか!」

 思ってた以上の歴女だ。まず孝徳天皇のようなマイナーな天皇を知っているのが素晴らしいし、それがどの時代の天皇かもわかってるじゃないか。

「それぐらい知ってますよ。乙巳の変で皇極天皇の後を受け、大化の改新を始めた天皇じゃないですか」

 乙巳の変まで知っているのか。この変自体は日本史では有名で、中大兄皇子による蘇我入鹿暗殺事件のことだ。だがそれを乙巳の変と呼ぶのを知っているのに驚かされる。ボクの頃の歴史教育とは変わったのかな。

「でもどうして孝徳天皇は飛鳥から難波京に遷都したのでしょうか」

 色んな説はあるけど、豪族連合政治から中国式の律令体制への大改革だから人心一新の意味もあったのだろうけど、

「天智天皇が志賀京に都を置いたのも合わせて考えると興味深いと思っています」

 本物の歴女だ。

「こっちの本堂じゃなくて、こちらの薬師堂が重要文化財みたいですね」

 みたいだな。ここも法道上人開基となってるな。六世紀に播磨で活躍した謎の怪人物みたいなもので摩耶山天上寺、法華山一乗寺、朝光寺、光明寺、播州清水寺も法道上人開基だったはず。

「陰陽師の元祖みたいな人でもありますよ」

 よく知ってるな。陰陽師で一番有名なのは安倍晴明だけど、その最大のライバルが蘆屋道満になる。安倍晴明と蘆屋道満の陰陽道が同系列かどうかわからんが、蘆屋道満は法道上人の系列の陰陽師だとどこかで読んだことがある。

「この三重塔も立派です」

 重要文化財の三重塔で一番高いのか。こんなものが、こんなところにあるなんて。石峯寺も全盛時には七十余りの塔頭寺院があったとされてるけど、

「その手の話は真偽不明のものが多いですが、江戸時代でも十八か所あったとなっています」

 おいおいそこまで調べてるのかよ。おそらく山門から続く道の両側にも建ち並んでいたんだろうな。

「そうだったみたいですが、この本山の規模はこれぐらいだったみたいです」

 境内の規模が基本的に変わっていないのは御意だな。どう見たって、昔は広大だったと言いにくし、この地形だったらそうなるよ。でもそんなに興味があったならもっと前に来ていても、

「良いところって一人じゃなくて、誰かと来たかっただけです。部長とマスツー出来てやっと来れました」

 だったら誰かとマスツーで来たら良いだけと思ったけど、ボクまで動員しないと相手が見つからないのに同情した。