ツーリング日和22(第34話)塩田温泉

 やっと美玖の神輿が上がってくれて帰路に。鳥取市から若桜、戸倉峠を越えて引原川のリバーサードを南下して山崎に。山崎から東に進路を変えて安富から夢前だ。その道中で、部長と主任がそろって有給休暇を取るのは気にならないかと聞いてみた。

「そうですね。仏とアンゴルモアの恐怖の大王との仲を邪推するとか」

 う~ん、う~ん、どっちも色恋に一番縁が遠そうな組み合わせだものな。

「そんなわけないじゃありませんか。剛紀はモテるのですよ」

 はぁ? ボクがか。これでも独身だけどあの中では完全にオッサン扱いだぞ。

「女から見たら余裕で射程範囲内です。部長狙いはわりといますよ」

 冗談だろ。

「キャラは仏だし、部長だからカネ持ってると思われてるし、スタイルだって逞しいじゃないですか。ある種の玉の輿です。あれだけプライベートの付き合いをシャットアウトしてなかったら誰かが突撃してます」

 実感ないな。

「たく人の心も知らないで、どれだけヒヤヒヤしていたことか」

 美玖の思い過ごしじゃないかな。昔から言うじゃないか。女房思うほど亭主モテもせずって。そんな下らない話をしながら夢前から南下して塩田温泉に。ここが女流王将戦の舞台にもなる夢乃井か。これは思ってたより立派だな。ところで塩田温泉って夢乃井だけなのか?

「塩田温泉は三百年前からの歴史はあり、西国巡礼の時にも利用されたとはされています。ただ本格的に開発されたのは明治に入ってからで、最盛期には五軒の温泉宿があったそうです」

 最盛期で五軒か。今は、

「夢乃井を含めて二軒です」

 ささやかな温泉郷だな。なんとなく夢乃井が一人勝ちした気もするけど、これだけ立派な旅館が建てられてるから経営手腕が凄かったんだろうな。部屋に案内されたらまず風呂だよな。

「美人になって剛紀を誘惑します」

 美人か・・・美玖は最高の女だけど、無理やり力づくで、強引に欠点を上げると忍者ハットリ君だ。あれだってとっくの昔に愛おし過ぎるものになってるけど、あれがもし美人になったら死ぬな。

 すぐに死なないまでも寿命は確実に削られる。昨夜だってそれこそ命も魂も完全燃焼して真っ白になって燃え尽きたもの。そこまでになっても朝は止めようもなかった。でもそれで良い、今夜死んでもなんの後悔も残るものか。

 そんな事はともかく、塩田温泉なんてと思っていたけど、さすが女流王将戦の舞台になるだけあって立派なものだ。あれかな、美玖も吉岡温泉があまりにも風情にあふれ過ぎていたから、二人の初夜のやり直しをしたいのかも。

 ここの温泉も気持ちよいな。ここの露天風呂は満天星となってるけど、夜は夜景を楽しめる趣向の気がする。景色は悪いとは言わないけど、絶景とは言いにくいかな。ツーリングで温泉宿に泊まるのは贅沢だけど、ツーリングの疲れを癒すには最高だ。風呂でサッパリしたら腹が減ってきた。


 ここもお食事処システムか。旅館と言えば部屋食が定番と言うか常識みたいなところがあったけど、どうもぐらいだけどお食事処システムが増えてる気がする。そうなっている理由の一つとして効率化はあるだろうな。

 部屋食にするには各部屋への配膳が必要になるけど、食事時刻なんてだいだい同じだから運ぶ手間が半端ないはずだ。厨房はそういう仕事だから頑張らないと仕方ないだろうけど、運ぶ距離と時間の負担は半端ない。

「料理の味の向上も期待できます」

 それもあると思う。料理の味を決める要素の中に熱いものは熱く、冷たいものは冷たくはある。温度も味の重要な要素だ。ここも単純に言えば出来立ての方が美味しい。けれど部屋食になると配膳時間がどうしたって長くなるから、熱いものは醒め、冷たいものは温くなるのは避けられない。

「旅館の天ぷらが冷たいのは定番みたいなものでしたよね」

 だから旅館のメニューにわざわざ入れるなって意見もあったぐらい。これがお食事処システムになれば、料理屋に近い配膳時間に近づけるから改善が期待できるのはわかる。

「客の方のトレンドも変わっているのもあるそうです」

 部屋食となれば仲居さんが配膳するのだけど、当たり前だけど部屋に入り込んで配膳する。配膳中に仲居さんとおしゃべりするのも旅行の楽しみの一つでもあるけど、これを迷惑に思う人も増えてるのか。

「部屋でのプライベートを大事にしたいでしょうか」

 なるほどね。仲居さんと言えども他人だから、入り込んでる間は余計な気遣いをするのが鬱陶しいぐらいだろうか。そういう人も増えてるのだろうな。

「演出的な側面もあるかと思います」

 それは思った。お食事処システムは昔もあったけど、多いのは大きな座敷に集められてが多かった気がする。良く言えば大食堂、悪く言えば学校で給食を食べてる気さえした。あれだったら部屋でノンビリ食べたいと思ったけど、お食事処の質が上がれば、そこに食べに行く楽しみが出来るとも言えるよな。

 この旅館のお食事処も個室になってるんだよ。そうだな、料理屋の個室風とすれば良いと思う。窓から外の風景も見えるし、個室として区切られてるからプライバシーも確保されてるぐらいだ。

「布団を敷く時間の考え方も変わったのじゃないでしょうか」

 そこか。旅館の宿泊の流れとして部屋食なら、食事が終われば布団が敷かれるのだけど、その間にお土産物売り場に行くのはあった。これはお土産を買うのも目的だけど、布団を敷いてる時間に部屋にいたくないのもあった。旅館側としてお土産を買ってもらう時間のメリットもあったとは思うけど、

「お食事処からお土産物売り場に流させれば同じですし、客側にしても食事が終われば布団が敷いてあるのは良いはずです」

 布団を敷く時間帯が早くなるから、従業員が帰れる時刻を早く出来るもあるかもしれない。ついでに言うならインバウンドをどこも意識してるから、ホテル風の要素を取り入れてるのかもな。

 もちろん宿の性質でサービスの方向性は変わるから一律でお食事処にはならないだろうけど、全体の流れとしてお食事処システムは増えるかも。ざっと考えてデメリットはなさそうだけど、

「お一人様には辛いですよ」

 ああ、それはあるかも。部屋食なら一人で気楽に出来るとか、仲居さんとの会話も楽しめるのもあるとは思うけど、一人でお食事処に出て行って食べるのは気まずい人は多いはず。お一人様って、そうなるのは宿命みたいなものだけど、

「そうでなくなって嬉しいです」

 美玖もお一人様は好きじゃないものな。ボクもそうだから嬉しいよ。旅行に相棒、それも愛する人と一緒は最高のペアだよ。

「見ていて羨ましくて、羨ましくて」

 それはあった。出張でも一人でメシを食うのは味気なかったもの。いくら仕事だと割り切っていても、どうしてもな。

「昨夜は剛紀の一穴にならせて頂きました」

 美玖が一穴って口にするのはあきらめたけど、ホント、他に言い方ないのかよ。どうにも生々しくて良くないよ。とくに今は食事中だぞ。

「それでも不満はあるかと存じます」

 無いよ。無いから美玖を選んだのじゃないか。どっちかと言わなくても選ばれた気がするけど、結果は同じだ。美玖は良い女だ。頭のテッペンから足のツマ先まで愛してる。美玖と結ばれた事になんの後悔も不満もない。

「でもあるでしょう」

 無いって言ってるだろ、しつこいな。美玖ほどの女なんてそうはいるものか。

「ここまで我慢させて本当に申し訳ありませんでした」

 そこまで我慢してないぞ。タイミング的にも良いぐらいだと思うけど。

「明日から戻ります」

 美玖は何を言ってるんだ。あれかな、罠に嵌めてまで一泊延長させた事なのかな。そりゃ、ボクも仕事は気になるけど、本音で言えば嬉しかったから気にしなくて良いよ。ボクだって今夜も美玖は欲しいもの。