ツーリング日和24(第4話)ご近所ツーリング

 今日はどこ行くの。

「モンキーにピッタリのコースや」

 どうも北区を中心にツーリングするみたいだけど、あの辺は千草も良く知ってるんだぞ。

「知っとったらゴメンや」

 まずは新神戸トンネルか。神戸からモンキーで郊外に出ようとすれば実質的に三択なんだよな。新神戸トンネルか、六甲山トンネルか、山麓バイパスだ。どれも有料道路なのがネックなのだけど、

「一番高い新神戸トンネルでも五十円やからな」

 ちなみにクルマだったら、

 ETC・・・五百円
 現金車・・・六百円

 これは中型以上のバイクも同じのはず。つまり往復で千円なんだよ。これは地味に財布に応えるのよね。学生の時もそうだったし、社会人でもだ。千円もあれば、

「昼飯が食べられるやんか」

 学生の時には高速も使ってツーリングもしたけど、なんか高速料金を払うツーリングをしてる気分になったぐらい。高速料金をバイト料金で換算したらウンザリさせられた。もちろん高速を使えば距離が伸ばせるし、時間だって短く出来るメリットはあるけど、

「財布も涼しくなるわ」

 細かいことを言えば燃費だってモンキーは化け物級。ツーリングなら余裕で六十キロを上回るもの。

「ガソリンもレギュラーやしな」

 モロモロの維持費だってモンキーは安いのよね。その代わりもまた幾らでもあるけど、それは長くなるから置いとくとして、箕谷からは呑吐ダムの方に行くしかないよな。ここは直進と言う事で岩谷峠はパスか。そうなると御坂の交差点まで行くけどここは左折か。そうなると、

「志染小学校のとこは右や」

 この辺はこれぐらいしか走りようがないよね。そうなると谷口の交差点に突き当たるけど、

「右に行くで」

 へぇ、ここを右か。いつも千草は左に行って豊地の交差点に出るけど、こっちは行ったことがないよ。ほぉ、これはこれで良い感じの道じゃない。

「あそこを左に入るで」

 あそこか。これはV字の曲がり角じゃない。そこから峠と言うか丘越えみたいな道だけど、これは気持ちが良い道じゃない。こんなところで山道風のルートを楽しめるなんて思いもしなかった。これもやがて突き当たって左か。

 口吉川小学校があるってことは、あの辺りだろうけど、真っすぐ行けば三木に行くだけだけど、この道は、

「ああ東条湖に行く道や」

 地元から一番近い遊園地だったものね。

「あの信号を右に行くで」

 ここを曲がるのか。これも走ったことがない道だ。ところでさぁ、前から気になってたんだけどあの交差点の地名はなんて読むの。桾って感じは習ったことがないじゃない。

「あれは『くぬぎはら』って読むんやけど、漢字の方は『さるがき』って読むねん」

 そんなもの読めるか! もっともコータローは歩く国語辞典って呼ばれたからさすがだ。それだけじゃなく、コータローはとにかく頭が良かったんだ。そりゃ、明文館に行くぐらいだからそうだけど、なんて言うか物知りだし、人が思いつかないような突飛な発想が出来たかな。

「それ褒めてるんか、貶しとるんか」

 たぶん褒めてる。でもあの頃で良かったかもしれない。

「みたいやな。今どきの学校はとにかく堅苦しいらしいもんな。今の絶対評価やったら明文館なんか行けへんかった」

 相対評価と絶対評価のどちらが良いかは千草には言い切れないけど、一つだけ言えるのは学校の絶対評価なら教師に気に入られるか、そうでないかの差は大きすぎる気がする。だってさ、生徒を主観で絶対評価するのは教師だもの。

「あの頃でもあったで。美術でエライ目に遭うたもん」

 美術って言うけどコータローは今やプロじゃないの。

「今はな。そやけどあの頃は教師の評価しかあらへんやん。あの美術の先生とはトコトン合わんかった」

 たとえば絵だけど、やっぱりデッサンが良くて、色塗りが丁寧なのが評価も高かったよね。

「ああそうやった。それも中間色を使うのが評価されたんよ。そやけどな、あんなもんじゃ売れるか! そやから片田舎の美術教師なんかやってたんや」

 コータローに言わせると絵画の世界のクラシックというかオーソドックスな評価の仕方だって。要は小綺麗で、上手に見える絵なんだけど、

「あんな絵で商売になる訳ないやろ。プロに求められるのは綺麗な絵やのうて売れる絵や。どれだけ他人と違う絵が描けるかがすべての世界やねん」

 言わんとするところはわかるけど、

「芸術を教科として採点し、内申点に使うなんて無理があり過ぎじゃ」

 かもね。それはともかく、この道も気持ちが良いな。なんか絵に描いたような田舎道って感じがするもの。なによりも空いてるのが嬉しい。まだこんな道がこの辺にあったなんて嬉しいよ。

「この手の道も混んでるとこは混んでるねん。そやけどな、ここはたいしたとこを結んでる道やあらへんねん。地元の人しか通らんと思うで」

 たしかに。三木から東条湖に行く道は子どもの頃から何度も走ってるし、リターンライダー女子になってからもそうだ。桾原の交差点も読めないから知ってるけど、そこをわざわざ曲がって入ろうなんて思いもしなかった。でもこういう道こそ隠れたツーリングコースだとするのは同意だ。

「そやろ、そやろ。こういう道でも突っ込めるのがモンキーのエエとこや」

 適度なアップダウンと緩やかなワインディングを楽しめた。長閑な田園地帯と言うのも良いよ。この辺は高い山がないから視界が狭くならないのもプラスポイントだ。橋を渡り、中国道を潜ったぐらいで突き当りの交差点になり、信号の隣のコンビニでコーヒーブレークだ。コンビニの前の道はどこに通じてるの。

「左に行ったら社で、右に行ったら東条や」

 そんなところなのか。ところで何を見てるの。あるのは小学校だけど。米田小学校ってなってたけど。

「あの小学校って丘の上になるやんか。その西側ぐらいに上久米陣屋があったそうなんや」

 陣屋って、江戸時代の藩がこの辺にもあったの?

「いんや。陣屋って言うけど江戸時代の陣屋ないんよ」

 別所氏が健在の時点って戦国時代じゃない。その時にここに陣屋が置かれていたって、言うの。

「大石信直ってのが城主で、家老が石田正雄、他には三好小太郎ってのもおったって記録されてるらしい」

 こんなところまで別所氏の領地だったの?

「別所氏の直轄領やったか、別所氏の臣下やったかはわからんけど」

 余談みたいに教えてくれたけど、別所氏は地元では二十七万石って言われてる。でも二十七万石が別所氏の領地じゃないってコータローは言うのよ。

「あれは守護代としての支配領域や」

 別所氏の先祖が守護の赤松氏に大手柄を立てた時があって、その時に播磨の東半分の八郡の守護代に任じられたんだって。守護代ってなんだなんだけど、

「守護は播磨全体の支配者で、守護の下で支配地を任せられる人ぐらいで理解しとき」

 ここで腰を抜かしそうになったのだけど、別所氏が守護代として支配を任せられた領域が市川まであったって言うのよ。市川って姫路だよ。

「その名残が今でもあるやんか」

 今でも行政区域として東播はあるのよね。スポーツの地区大会の区切りなんかもそうかな。地理的に加古川で東西を分けそうなものだけど高砂は東播なのよ。その始まりがそうなのか。

「ほな、行こか」