ツーリング日和24(第9話)巡礼道

 上荘橋を渡ると平荘町で、その次が志方町になる。道はずっと県道六十五号で、この道って実は姫路城まで続いてるような道になるのよね。

「あれこれ探したけど、稲美でツーリングに使えそうな道はこれだけやと思うで」

 それは言い過ぎだろ。稲美町だってもっと慣れたら印南野台地のツーリングを・・・

「楽しみたいか?」

 遠慮しとく。志方町を越えると峠と言うより丘越えの道があって、それを下ってしばらく行くと、

「あの橋を渡った次の信号を右や」

 国道三七二号ね。マップには社街道ともなってるけど、歴史的には丹波道とも呼ばれてるみたいなんだ。

「全部ひっくるめて巡礼道でもあるで」

 巡礼道とは四国八十八か所の遍路道みたいなものになるけど、

「西国巡礼、三十三か所参りの道や」

 この道を西に走れば二十七番書写山円教寺だし、東に走れば二十六番法華山一乗寺。とりあえず法華山一乗寺に向かうのが今日の予定。国道三七二号は巡礼道の近くに作られたバイパスみたいな道で、旧街道はあっちの集落の方だよね。

「あの信号を右やで」

 あそこか。それは良いのだけど、なんて不親切なのよ。道路案内には高砂って書いてあるだけで、他にも法華山一乗寺の案内が一つも無いじゃないの。西国札所だぞ。もうちょっと観光のためにも案内を出すものだろうが。

「オレにボヤくな」

 そりゃそうだけど、法華山一乗寺ってそんなにマイナーなの。

「あくまでも印象やし、四国八十八か所は行ったことあらへんから知らんけど、西国の方が寺は立派やし、観光地化されてる気がするわ」

 千草もそう思うもの。てな事を話してるうちに法華山一乗寺に到着だ。バイクを適当に停めて、参拝料を払って見学だ。へぇ、ちゃんとしたお寺じゃない。立派な本堂もあるし、三重塔もあるもの。

「三重塔やったら県内で唯一の国宝や。ついでに言うたら、県内の西国札所で国宝の建物があるのはここだけや」

 そうなんだ。そう聞くと余計にありがたく感じるな。休憩所で一休みしながら雑談だ。まずだけど来た道って、途中からお寺の方に曲がって入ったよね。巡礼道は札所を回る道だから昔はまっすぐの道はなかったとか。

「わからんな。社街道っていうぐらいやから、姫路から社に行く道やんか。丹波道でも篠山とかに行く道やんか。巡礼道言うても後から出来たようなもんちゃうか」

 そう考えるのか。この辺も昔から人が住んでいてそうだから、まず自然発生的に姫路から社に行く道があって、あんなところに法華山一乗寺があるものだから、そこへの寄り道ルートが巡礼道として出来たと考えるのか。

「播州清水寺かってそんな感じやんか」

 たしかに。じゃあだけど、巡礼道も街道でしょ。街道なら宿場町があるはずじゃない。そりゃ、時代の流れで無くなったところも多いだろうけど、この辺にそれらしいところは聞いた事もないじゃないの。

「エラいこと聞いて来るな」

 答えたコータローも話をいきなり広げ過ぎじゃないか。まず西国巡礼をなぜに西国って言うかからだよ。そんなもの西国にあるからじゃないと思ったのだけど、

「江戸時代に西国巡礼をしたんは東国の人が多かったらいしんや。さっき、お伊勢参りを世界旅行に例えたけど、お伊勢参りは海外旅行のそやなハワイ旅行ぐらいで、西国巡礼は世界一周ぐらいの感覚やったと思うねん」

 三か月ぐらいはかかったらしいし、和歌山の那智山から日本海までぐるっと回り、琵琶湖を渡って美濃まで行くのもね。当時の世界一周旅行スケールと言われたらわかる気がする。

「それとやけど、西国巡礼言うても三十三か所だけやない」

 他も行ってたの。

「ああそうや。東国からやから、事実上の出発点は伊勢神宮やった」

 東国から東海道で来たらそうなるよね。西国巡礼だからって伊勢神宮をパスする理由もないか・・・えっ、そうなると、

「那智山に行く時かって新宮ぐらいは参拝するやろし、東国からの西国巡礼のゴールは三十三番の谷汲山華厳寺やのうて善光寺やってんて」

 善光寺って長野だよ。それもかなり北の方じゃない。そこまで回れば当時の世界旅行だ。そうなると、

「三十三か所以外でも有名な神社仏閣、さらに名所旧跡は立ち寄ったはずやねん。日本人やったら宗派どころか、神道も仏教も関係あらへんからな」

 たとえばみたいな話だけど、二十四番の中山寺は宝塚にあるけど、そこからオプショナルツアーみたいなものもあったそう。それがなんと西宮に立ち寄ったそうだけど、それってえべっさんにお参りするためなの。

「えべっさんも行ったやろうけど、瀬戸内海を渡って讃岐に行き、金毘羅さんにお参りしたそうや」

 ちょっと寄り道なんて規模じゃないよ。金毘羅さんに行くだけで森の石松が三十石船で鮨食いねえをやり、帰りに殺されちゃうじゃないの。

「ここまで来たら、それこそのついでやし、次があるわけじゃないからちゃうか」

 それはそうだけど、

「中山寺かって、絶対に清荒神も参ってるはずや」

 そのはずだよね。コータローが言うには人気寺院には門前町があったり、宿坊もあったはずだって。門前町には参詣者のための宿屋があっても不思議ないのか。

「たとえば社や。あそこはなんで社って言うか知ってるやろ?」

 知らないけど。

「社には佐保神社があるねんよ。ここも人気のあった神社で、門前町も出来てて、そやから地名も社になってるんよ」

 そうだったんだ。巡礼者はそういうところを繋ぎ合わせてたのか。法華山一乗寺も、

「あったんちゃうかな。なんか石垣だけ積んでるところがあるけんど、あれはかつての塔頭寺院もあってんやろうけど、そこに宿坊もあった気がするで。ついでに宿屋の一軒や二軒ぐらいもあったかもしれん」

 それでも書写山円教寺から次までは、

「そこまで行ったら研究者ぐらいしか知らんやろ。とりあえず塩田温泉には泊ってたらしいわ」

 巡礼道としては夢前川を北上して福崎に出て、そこから生野街道を北上して和田山から福知山に向かったらしいけど、

「それこそ、それなりに点在してたんやろ」

 そうじゃなきゃ、野宿しないといけなくなるものね。需要があれば供給が出て来るのが世の中だ。

「そんな感じやってんやろ。歩いてる方は果たしもない旅やったかもしれんけど、それはそれでおもろかったんちゃうか」

 そんな気がする。旅と言うより、今の感覚なら冒険に近いけど、次に何が見れるかのワクワク感は高かったはずだ。天橋立なんか見たら感動したかも。

「そうやと思うで。円教寺から何日かかったか知らんけど、天下の名勝、天橋立が待ってると思うたら頑張れたんちゃうか」

 いつかそんな旅行がしたいな。

「したらエエやん」

 簡単に言うな。