コンビニの駐車場で待ち合わせをして、
「さあ行くよ」
六甲山トンネル越えか。あそこは小型バイクでは厳しいところだけど、先輩たちのバイクの方が速い気がするな。腕の差かな、それとも何かカスタムしてるとか。
「それもあるかも知れんけど、純粋に体重差ちゃうか」
そっちは大きいかもだ。先輩たちより十キロは確実に重いものね。
「下手したら二十キロや」
二十キロは行ってないはずだけど十五キロはあるかも。なんとか付いて行って六甲山トンネルを越え、六甲北有料道路を走り抜けフラワータウンだ。
「あれっ、左に曲がるぞ」
ここは直進だと思っていたら、片側二車線の道に入り、
「こんなんあったんや」
高速並みだぞこれは。ニュータウンが終ると対面の二車線になったのだけど、
「こうなってるんか」
踏切を渡って走って行くと、へぇ、こんなところから国道一七六号に入れるのか。さすがはバイク女子だ。そこからは篠山に続く快走路。
「道端に丹波の森街道って出てるけど、どこまで行くんやろ」
ボクに聞くな。篠山には行った事あるけど、バイクで行ったのは一回しかないんだから。もっとも今日は篠山へのツーリングじゃなく、古市で左折のはずだ。
「あそこって国道三七二号やねんけど、かなり昔から街道としてあったと先輩たちは言ってたな」
遅くとも室町時代中期には巡礼道になってたはず。札所の順としては中山寺から播州清水寺、法華山一乗寺、書写山円教寺を繋ぐ道になるそうだ。でも始まりはもっと古いはず。
「義経も通ってるもんな」
京都からの古代山陽道は、篠山盆地から鐘ヶ坂峠を越え、さらに遠坂峠に向かってる。これはバリバリの官道で義経もこの道で篠山まで来て、古市から小野原に向かったはずだ。古市は篠山盆地から南に抜ける谷間みたいなものなんだよな。
完全な谷じゃないけど、他の所より低くて通りやすくなってるぐらい。江戸時代の初期ぐらいまで有馬温泉に向かい、そこから船坂を越えて宝塚に行き、さらには西国街道に合流するルートだったらしい。だから義経の時代でも古市から播磨に向かう道はあったはずで、それこそ古代からあったんじゃないかな。
「見ようによっては、但馬から、京都から、播磨から荷物が集まるところやから市が立ってたから古市ってなってるんやろか」
そうこう話してる間に古市の交差点を曲がり、踏切を渡って西へ。こっちに行くと立杭焼の方のはず。あそこも古いところだから古市で陶器を売ってたのかもだ。でも今日行くのは三草山のはず。
「いや立杭焼の方に行ったで」
そしたらすぐにバイクを停めて、
「カノン、この辺よね」
「距離的にはそんなものだよ」
どう見たって田舎の集落だけど。
「源氏が集結した小野原ってこの辺のはずなんだ」
「源平両軍の間は三里ってなってるけど、この辺で三草山から十二キロぐらいなんだよ」
当時はこの辺も田んぼじゃなくて草むらだったとか。
「それも可能性はあるけど、集落があって民家があったからじゃないかな」
新暦なら二月四日は三月の下旬になるから、まだまだ寒さが残る季節だろうな。源氏軍は一月二十六日から順次京都を出発してるから、小野原には一月二十八日ぐらいから集結が始まったはず。とはいえ御大将の義経が来たのは二月四日だ。そうなると一週間ぐらいは待つ必要があるから、
「野宿は辛いから民家をアテにしていたと考えてる」
住民には傍迷惑な話だけど、野宿より雨露や寒さが凌げる家の方が良いよな。
「でね、義経は驚きの情報を知ることになったはず」
「なんと三草山に平家軍がいるのを知ったのよ」
はぁ、それも承知で小野原に来たはずじゃ。
「いたら来ないよ」
「三草山には平家はいないのが源氏の作戦だったはずじゃない」
はぁ、えっと思ったけど、史実では夜襲で平家を蹴散らしてるけど、あれは結果的なラッキーと見るのか。
「だって二月七日が矢合わせじゃない」
「ここで合戦となれば、勝つか負けるかだって時の運の要素が入るじゃない」
一夜で快勝して突破する作戦なんか立てないか。そうなると京都にいる段階では三草山には平家軍がいなくて、小野原を二月五日の朝に立ち、二月七日の卯の刻に西に木戸に到着する予定だったことになる。距離と時間からして可能だと思うけど、三草山に平家軍がいなかった根拠は、
「そうだと延慶本に書いてある」
えっ、と思ったけど、
『平家これを聞て、三草山の西の山口を、大将軍は新三位中将資盛、同じく少々有盛、備中守師盛、さぶらひには平内兵衛尉清家、恵美次郎盛方を先として、七千余騎にて三草山へぞ向ひける』
ここに『これを聞て』を源氏軍が小野原に集結したからと取るのか。
「平家だって無能の集団じゃないってこと。源氏が三草山ルートを取る可能性がゼロじゃないと見てたんじゃないかな。だから源氏軍の小野原集結の情報を重視した結果だと思う」
小野原に源氏軍が集結し始めたのは一月二十八日からのはずだから、それが一の谷に送られ、それに反応して軍勢を送り込んで来たぐらいか。この辺は源氏が三草山から播磨に進出すれば勢力圏に置いていた播磨を失うとか、
「それもあったんじゃないかな。平家は海路を握ってたけど、海路はとにかく不安定だもの」
戦略的にも一の谷の背後を脅かされると判断したのもあるぐらいか。たしかに日程的には間に合いそう。
「現実にも間に合ってるよ」
でもそうなると平家だって三草山に来たばかりになるじゃないか。
「だから義経の夜襲が成功したんじゃないかな」
待った、待った。三草山の合戦は準備万端で平家軍が待ち受けていたイメージだったけど。そうじゃなくて源氏が来てから平家も出て来たところの決戦って事になるぞ。
「そう書いてるじゃない」
そうなんだけど。だったら、義経は小野原に到着した時に初めて平家軍の存在を知り、即断で夜襲を決めた事になるけど、
「そうしないと二月七日の矢合わせに間に合わなくなるじゃない」
「昆陽野の範頼と状況変化による打ち合わせなんかやる手段なんてないよ。義経の夜襲は必然みたいなもの」
スマホどころか電話も無線も無い時代だよな。連絡を取るには人が往復するしかないものな。そうなると果敢な決断というより、大元の挟み撃ち作戦を遂行するための必然だったのか。
「義経にとってはイチかバチかの賭けだったぐらいかな」
「三草山に行く前に一つ寄ってくよ」