ツーリング日和6(第20話)鶴の湯

 今日は八甲田から八幡平に行くのが基本やってんけど、どこに泊まるかはいくつか候補があってんよ。八幡平も秘湯の宝庫みたいなとこで、後生掛温泉とか、蒸ノ湯温泉とか、玉川温泉とか、藤七温泉とかも出したんやけど、

「ここは譲らない。乳頭温泉郷 鶴の湯一択」

 ユッキーの希望やから聞くしかあらへんねんけど、後生掛温泉や蒸ノ湯温泉は八幡平の北側つうか山の上になるけど、乳頭温泉郷は南の麓側になるからチト遠くなる。そやから奥入瀬はショートカットで我慢したぐらいや。

 ほいでもユッキーが鶴の湯に泊まりたいのはわかるんよ。この温泉はユッキーの理想が詰まったようなとこやからな。温泉は泉質が様々やし、ユッキーはどんな泉質でも喜ぶねん。そやけど強いてとなると硫黄泉になる。そう白濁したお湯や。

 理由は単純で関西ではあらへんからや。ひょっとしたらあるかもしれんが、コトリは知らん。近場にあらへんから白濁したお湯にはどうしても憧れてまうとこがある。その点はコトリも似たようなもんや。

 それと歴史ある温泉が好きや。ボーリングして最近できた温泉を否定するわけやないけど、昔から続く温泉やから名湯って呼ばれるやんか。どうせ入るんなら歴史情緒に溢れた名湯とか秘湯にしたいのは人情や。

 宿にもこだわりがある。一軒宿がユッキーは好きやし、コトリもそうや。大温泉街も楽しいとこがあるけど、そういうとこのゴージャスな宿は避けたいところがある。

「出張で温泉に行けても、そんなとこばっかりだし」

 そういうこっちゃ。さらに建物にもこだわりはある。チープな宿であっても平気やねんけど、理想は風格のあるやっちゃ。そこに歴史ロマンでもあれば言うこと無しぐらいかな。鶴の湯は秋田藩主が湯治に来てるんよ。

「一回じゃないと思ってるけど」

 というのも今でも秋田の二代目藩主の佐竹義隆の警護の侍が詰めた長屋が残っていて、宿として使われてるんよね。茅葺屋根の立派なもんで国の有形文化財登録で今でも本陣と呼ばれとる。

「これとは別に藩主が泊まった宿舎もあったはずよね」

 警護でこれぐらい立派な長屋やから、殿様が泊まったのはなおさらやろ。そんな立派なもんを一回限りとは思えへんもんな。殿様は一回やったかもしれんけど、息子とか、奥さんとかが何回か訪れとってもおかしあらへんもん。

「記録に残っていないお忍びもあったかもね」

 泊まるのはやっぱり江戸時代から残っとる本陣や。へぇ、上がり框があってランプか。

「鶴の湯も昭和の頃はランプの宿としても有名だったけど、今は本陣だけみたいね」

 鶴の湯も大人気温泉宿やから、あれこれ建て増しして、ちゃんと電気も通っとる。そやけど本陣だけはランプでテレビもあらへん。部屋の入り口は引き戸やけどカギも無うてつっかい棒や。

「今はガラス窓だけど、江戸時代は押し上げ窓で、床だって板間だものね」

 それぐらいの改善はせんと現代人やったら泊まれんやろ。ついでに言うたらランプさえあらへんから行灯や。行灯も油が高かったから冬やったら囲炉裏の火だけやろ。併用なんて贅沢すぎるからな。

「やっと混浴よ」

 東北ツーリングの楽しみやってんけど、谷地温泉でもあらへんかったもんな。あれも浴室を作り変える時に混浴の許可が下りへんかったそうやねん。混浴も滅びゆく文化やわ。谷地温泉の事はさておき、まず行くんやったら、

「混浴露天風呂しかないじゃない」

 こりゃ豪快やわ。脱衣場は東屋みたいなもんで、脱衣棚のある方だけ板壁みたいなのがあるだけで男女共用や。つまりは入浴者から丸見えってことや。若い女の子にはハードル高いやろな。コトリもユッキーもそんなん気にもならへんから、

「やっと入れた」
「この露天風呂は底から湯が湧いてるねんてな」

 ユッキーの目がトロンとしてるで。広々してるし気持ちエエわ。こういうのが温泉の原型かもしれんし、人気が高いのはようわかる。風呂あがったら夕食やけど、

「部屋食は初めてじゃない」

 下風呂温泉も部屋食やったやろが。ほぅ、お膳で出て来るんか。山菜尽くしやな。いぶり大根にいぶり人参と、こっちはこまち団子言うんか。囲炉裏にかかってる鍋は、

「山の芋鍋だって」

 団子鍋の一種やろけど、これは美味いわ。岩魚も串に刺して囲炉裏で焼いてくれるのは嬉しいやんか。これだけの御馳走になると、

「昔なら殿様料理じゃない。ここに詰めていた警護の侍はお鍋だけだったかもね」

 さすがにご飯に焼味噌だけやったら可哀想か。晩御飯が済んだら二人で黒湯に入りに行ってん。

「どうしてコトリも来たのよ。ここは子宝の湯だよ」
「うるさいわ」

 部屋に帰って飲んどってんけど。

「おったな」
「あの野獣のマットはそうは走ってないものね」

 並んで止まっとったんは瑠璃堂香凛のバイクや。

「旅先の恋が実ったのかな」
「実っても不思議あらへんけど、どないする気やろ」

 余計な心配かもしれんが、香凛に惚れるのはわかる。あの美貌に惚れん男の方が珍しいやろ。そやけどあの女は華仙流の孫娘やねんよな。

「ここで泊まってるとなると明後日のフェリーだよね」

 フェリーで来とるからフェリーで帰るはずやねんけど、これが秋田港発の朝の八時三十五分やねん。ここからじゃ絶対に乗れん。そんなフェリーに乗るんやったら明日は秋田市内に泊まらんと無理や。

 そうなると美女と野獣のコンビは明日は田沢湖ぐらいに立ち寄って秋田市内観光ぐらいが妥当やろ。コトリらも秋田に泊まるけど、

「アスピーテラインを走らないと八幡平に来た意味がない」

 コトリらは秋田市内観光はパスやから、土産物を買う時間と、

「きりたんぽ鍋と比内地鶏」

 これを外したら秋田に来た意味がなくなる。鍋の〆に稲庭うどんが出来たら言うことなしや。ユッキーと明日の予定をあれこれ話とってけんど、扉の方から、

『コンコン』

 あれ、酒はもう頼んでないはずやねんけど、なんの用事やろ。誰やねん、もしかしたらナンパか。

「あのねぇ、こんな時刻からナンパはないよ。あるとしたら夜這いよ」

 それもそうや。夜這いなんか久しぶりやな。そやけどこっちは二人やんか。

「だから相手もそうじゃない」

 なるほど、相手にとって不足なしや。その気やったら朝まで相手したるで。子宝の湯も入ったから準備万全や。

「そっちは関係ないでしょ」
「うるさいわ」

 期待に胸を高ぶらせて扉を開けたんやけど、さすがのコトリも息が止まりそうになってもた。