ツーリング日和20(第13話)まさかの人

 男は一流企業のエリートだったようだ。いわゆる同期の出世頭で、期待のホープとか、次代を背負うとされてたぐらいかな。イメージだけはマナミでも出来る。

「あの頃は出世レースに血道を挙げてたのですが・・・」

 この辺は会社によって変わるのだろうけど、出世とは椅子取りゲームみたいなものだ。だって誰もが座れるわけじゃないもの。たとえばだよ、社長の椅子なんて一つしかないものね。

「出世もある段階からは様々な要素が絡んできます」

 たとえば同期前後に飛びぬけて優秀なのがいたとしたら、そいつが出世の壁になるのか。それだけじゃなく、社内派閥まで出てくるのか。まるで島耕作の世界だな。

「近いと言えば近かったのかもしれません。重役クラスになると社長の座を巡る争いになりますからね」

 だからある時期になると、どの派閥に属するかの選択が迫られるみたいだ。副社長派とか、専務派とか、常務派みたいな色分けなんだろうな。でもこの選択を失敗すれば、

「親カメがこけたら子カメも転ぶの世界になります」

 それはそれでシビアな世界だ。それとどの派閥を選ぶかは、

「それこそ若手の頃にお世話になったとか、大きなプロジェクトを一緒に成し遂げたなんてのはあります」

 人脈ってやつだろうな。トップを目指す連中はそうやって子分を増やして派閥を作るぐらいで良さそうだ。マナミの勤めたてたような小さな会社じゃ想像もしにくいけど、

「色々あったのですが専務の娘と見合いさせられて結婚です」

 出たぁ、政略結婚だ。話には聞くけどその実行者と話すのは初めてかも。でどうだったの、やっぱり愛のない結婚だったとか。

「経緯はともかく温かい家庭を望みました。父親を中学の時に亡くしましたからね」

 えっ、えぇぇぇ、そうなると中学からは母子家庭だよね。

「それでも大学まで進ませてもらって感謝しています」

 頑張ったんだ。

「高校までは部活していたのでバイトで家計も支えなかった親不孝者です。それなのに東京の大学に進学して下宿でしたから、それぐらいは当然です」

 そういうけど特待生になって奨学金で進学して、バイトして生活費も学費もすべて賄っていた苦学生じゃない。

「大学を卒業したらボクが支えてやるって意気込んでいたのですが・・・」

 お母さんは体が弱かったみたいで、

「母には苦労をかけたと思っています。社会人になって間もなく亡くなってしまいました」

 サラッと話してるけどお父さんが亡くなった後は大変だったはず。きっとお母さんは優秀な息子にすべてを懸けてたんじゃないかな。それに応えようとしてこの男も頑張ったで良いはずだ。

 これからと言う時にお母さんも亡くなってしまったけど、その遺志を継いでエリートコースを驀進してたんだろう。底辺からの這い上がり物語みたいなものじゃない。

「まあ、それはありましたね」

 その専務の娘だけど、まず美人は美人だったみたい。ヘチャムクレを押し付けられたわけじゃなかったみたいだけど、

「どうにもヒステリー体質でして・・・」

 聞いていると半端なヒステリーじゃなくて、そこまでなら病気じゃないかな。さらにみたいな話だけど、何かがあれば実家を持ち出してマウントを取ろうとするタイプだったのか。

「随分言われましたよ」

 それ以上は笑って話さなかったけど、

「そうそう子どもがいない話もしましたが、あれも参りました。検査したら種無しだったんですよ」

 そうなるとなおさらみたいな状態に。だからと言って離婚なんてすれば、

「ヘタレだったと笑って下さい。そんな事をすれば出世レースから落伍しますし、良くて閑職に左遷。たいていはクビと言うか自主退職に追い込まれますからね」

 やっぱりそうなるのか。ここまで苦労して這い上がって来たんだものね。出世のために冷え冷えとした家庭を維持してたのだけど、

「あれも計算外みたいなみたいなものです」

 えっ、えっ、あの関空の飛行機事故に専務夫妻が巻き込まれたのか。言われてみれば、そんな会社の重役の名前が出ていた気がする。着陸時のトラブルで機体は炎上して死者が多数出たやつだ。専務の家は資産家だったらしいけど遺産は、

「一人娘である妻が相続しています」

 他に行き場所がないものね。

「後から思えばみたいなものですが、あの頃から妻はさらにおかしくなっていました。両親の突然の死亡のせいだと思ってはいたのですが・・・」

 ある日に倒れたそう。病院に担ぎ込まれたのだけど、

「手の付けようがないぐらいの脳腫瘍でした」

 三か月もたなかったのか。でもそうなると、

「妻の遺産を受け継ぐのはボクだけです。もっとも社内にも居場所が無くなってましたけどね」

 この辺も良くわからないけど、専務の娘と結婚したぐらいだから、この男が専務派の後継者だったのかもしれない。だけどまだ若かったと言うか、

「さすがに次の次の次ぐらいでしょう。もっともそんな先の事は誰にもわかりません」

 結果で言えば専務派はなくなってしまったのか。そうなれば無派閥になるのだけど、無派閥じゃ、

「冷や飯しかありません」

 だから会社を辞めたみたいだ。でも遺産はガッポリじゃない。

「少ないとは言いませんが、短期間に二回も遺産相続をしたものですから・・・」

 ああ、相続税にガッポリ持っていかれてしまうのか。あれも色んな計算があるらしいけど、

「大雑把にいうと一回の相続で半分以上なくなりますから、残ったのは四分の一ぐらいです」

 それでもかなりの額で良さそうだけど、今はどうしてるの。

「ライターです」

 ダンヒルとかカルチェとかデュポンとか、

「そっちじゃなくて書く方です」

 こうやってあちこち見て回りながら、紀行文見たいなものを書いてるのか。なかなか優雅な仕事だな。うん、ちょっと待て。バナナイエローのモンキーに乗ってそういう仕事をしてる有名人を知ってるぞ。まさか、まさかと思うけど、

「よくご存じですね」

 名刺をもらったけど秋野瞬じゃないの。ビックリしたなんてものじゃないよ。こんな有名人と話していたんだ。それにしてもだけど、

「脱サラですよ」

 それはそうだけど脱サラでちょっと成功したってレベルじゃないもの。でも正体がわかってしまうとなんて呼ぼう。やっぱり秋野先生だよね、

「先生なんてやめてください。瞬で良いですよ」

 ちなみにペンネームでなくて本名だって。だけどさ、瞬なんて呼べるわけないじゃないの。そもそも年上だし、こっちは無名のバツイチ女だ。身分が違うよ。身分は変か。住んでる世界が違い過ぎる。

「まあライターの世界も特殊と言えば特殊ですからね」

 そういう意味じゃない。それにしても気さくだな。

「普通のサラリーマンでしたからね」

 どこがだ。ガチガチのエリートサラリーマンだろうが。大会社の社長だって夢じゃなかったぐらいだ。

「あの世界はやっぱり肌に合わなかったと思います。人間模様を書くのは好きですが、その渦中で生きていくのは疲れました」

 それはわかる気がする。政略結婚だってそのままみたいな世界だし、冷え切った夫婦関係だって出世のためには離婚すら許さないものね。この際だから聞いてやれ。再婚は考えていないのかって。

「さすがにね。少なくともあんな結婚生活はもうコリゴリです。それに種無しまでわかってしまいましたから無理でしょう」

 種無しでも秋野瞬ならいくらでも集まって来るって、

「そういうのはもう良いです。それでも、もし再婚するなら、心がホッとするような人が良いですね」

 そうなるだろうね。いずれにしてもマナミの眼は間違っていなかった。まさに飛び切りのイイ男だった。見た目は渋いし、ダンディだし、インテリジェンスも高い。そのうえカネも十分に持っている。

 だって遺産だけでもタップリありそうなのに、売れっ子の小説家でもあるんだよ。言うまでもないけど死別したから独身だし、コブも付いていない。種無しなのもマナミには無関係だ。

 残念なのは飛び切り過ぎたところだ。世の中は釣り合いがどうしてもあるものね。それから神戸までマスツーさせてもらって帰ったんだ。連絡先も交換はさせてもらったけど、これきりだろうな。

 突撃したいけど、さすがにね。こっちだって身の程ぐらいは心得てるつもり。でももったいなかったな。せめて著書にサインでもしてもらったら良かった。とは言うものの、そのために本屋を探して立ち寄るなんて出来なかったもの。