エレギオンの特番から始まったエレギオン・ブームは続いています。天城教授も相本准教授もお忙しそうで、テレビや講演会に引っ張り凧状態のようです。とくに相本准教授は今やアイドル扱いみたいになっていて『ファン』もたくさんおられます。
コトリ専務のエレギオンでの行動は撮影も禁止され、行動記録も残されていないというか、コトリ専務が調査隊に要請してそうしてもらってるのですが、これだけのブームになると口まで塞ぎきれず段々に広がってるようです。とくにコトリ専務が現地で歌われたのは隊員たちにとっても余程印象的みたいだったみたいです。
印象的だったのは隊員たちもそうですが、テレビクルーにとってもそうみたいで、是非もう一度聴きたいの声が出ています。調査隊員にとってはあの時の歌声をもう一度の懐かしさなんですが、テレビ局側はこれをネタに番組を作りたいとの狙いです。コトリ専務は、
-
「ミサキちゃん、断っといてね」
-
『歌う姿に女神を見た』
-
「天城教授は現地で小島専務の歌声を聴かれたのですね」
「はい、そうです」
「何回、聴かれました」
「四回です」
-
「どんな歌い方でした」
「すくっと立ち上がられて、まさに朗々と歌い上げる感じです」
「直立不動ですか?」
「直立不動ではありません。すくっと自然に立ち上がっているとしか言いようがありません。その立ち姿は本当に美しい、いやそんなものでなく神々しいものでした」
-
「身振りとか、手振りとかは」
「ありません」
-
「では六時間ぐらいずっと小島専務は立ったまま見守っていたのですか」
「そうです。身じろぎもせずに、ただ微笑みを浮かべながら」
-
「歌声はどんな印象を持たれましたか」
「大地に響き渡り、天空に舞い踊り、人の心を震わし癒します。誰もが跪き、まともに見続けることは困難な感じです」
-
「天城教授、もう一度聴きたいですか」
「もちろんです。聴けるものなら是非です」
「いや、話を聞いているだけで聴きたくて仕方がありません」
-
「でも社長、小島専務にはそういう要請を断るように命じられています」
「香坂君、それは私も聞いている」
「まさか業務命令を出されるつもりだとか」
「そんなもので歌ってくれるなら、とっくの昔に出してるよ」
-
「小島専務の歌が単に素晴らしいだけではなく、不思議な力を持っているのは間違いないと思う」
-
「私が小島専務の歌を野次馬根性で聴きたい面があるのは白状する。ただし、天城教授の話を聞いて、そんな扱いにするのは許されない事もわかったつもりだ。小島専務が安易な要請に応じないのもそのためだろう」
-
「実はな・・・」
-
「最後の化学療法の結果を見た医者にあきらめてくれって言われたんだ。でも浩一は喜んだよ。あの苦しい治療が終りって聞いてね。後は死を待つだけになった時にゲームソフトが欲しいって言うんだよ」
「ゲームソフトですか?」
「そうだ、当時大人気のゲームでどこに行っても売り切れ状態。もう必死になって探したよ。あの時は会社の同僚も協力してくれて、やっと見つけて浩一のところに持っていったんだ。浩一は喜んだなぁ」
-
「大喜びでゲームをやって、
-
『疲れたから、今日はここまでにしとく。つづきはまた明日』
そう言って眠ったんだ」
-
「最後だった・・・」
-
「今は昔より治療は進歩していると思うが、辛くて、苦しいのは同じだと思う。私はそんな子どもたちに小島専務の歌を聴かせてあげたいと思ってる。たとえ、その場だけであっても苦しみを忘れる時間を作ってあげたいんだ」
-
「私が話してみます」
-
「私も・・・」
-
「いや、君たちの気持ちはありがたいが、これは私が誠心誠意頼んでみる。それが社長、いや私の浩一のための仕事だ。君たちには後のサポートをお願いしたい」
-
「マスコミはシャットアウトでお願い。それでも嗅ぎ付けてくるのがいるかもしれないから、警備員も手配しといてくれる。時刻は土曜の午後で交渉してね。それと悪いけど、会場の下見や設定はミサキちゃんに任せたわ」
-
「マイクとかは」
「いらないよ。伴奏はコトリが手配しておくけど、ピアノを一台用意してくれる。これもグランド・ピアノが必要」
「ピアノですか」
「うん、出来るだけ良いのがイイな。失礼がないようにしたいから。準備が整ったら連絡ちょうだい。コトリも会場を見に行くから」
-
「私が寄付する」
-
「ミサキちゃん、ピアノの調律は」
「やってますが」
「前日に伴奏を頼んだ方が来られるからミサキちゃん案内してあげてね」
「誰が来られるのですか」
「冬月先輩よ。頼んだら快くOKしてくれた」
「冬月って、もしかして、あのピアノの貴公子の冬月進ですか」
「コトリの一年先輩なの」
金曜日の午後に病院で待っていると冬月さんが来られました。挨拶もそこそこにピアノの確認を始められました。専属の調律師がおられて、冬月さんの細かい注文に応じて調整を進められます。こういうところを初めて見るのですが、一流のプロともなるとここまでの準備が必要なんだとひたすら感心してました。そんな冬月さんに話を聞いたのですが、
-
「小島君かい。一学年下の天使のコトリだよ。でも、小島君が歌うなんて知らなかったな。でも、小島君が歌うためにボクを呼んだのなら、プロのプライドにかけて精いっぱいの演奏をするよ」
-
「小島君からボクがメインでやって欲しいと言われてる。プログラムは聞いてるだろ。その通りに、それからアンコールは・・・」
当日はミサキが司会役になり、まず綾瀬社長からピアノの贈呈が行われました。引き続きこけら落しとして冬月さんのピアノ演奏です。プログラムは子どもでも馴染みやすい曲が選ばれてましたが、これぞプロってのが本当によくわかりました。ミサキもピアノを子供の時に習っていたので、良くわかります。
そしてコトリ専務が登場してきたのですが、見てビックリです。純白の衣裳なんですが、あれはウールなんでしょうか。どう言えば良いか、古代ギリシャ・ローマ時代の服のような感じです。あっ、そうだ、あれはエレギオン土産のプラチナ・プレートに描かれていた女神の服装と同じです。
コトリ専務はピアノの横に立たれましたが、天城教授が仰ったように自然でありながら見事な立ち姿です。もう立ってるだけで神々しい感じがします。しんと静まり返る会場でしたが、やがて小島専務が歌い始めました。その声の美しいこと、声量の豊かなこと、たしかにマイクなんて不要です。
かなりキーの高いところもありましたが、コトリ専務はまったく力むことなく、余裕でのびやかに発生されます。いや、そんな技術的なことは超越しています。これは歌ではありますが、祈りであり、人に恵みを授ける力とヒシヒシと感じるしかありません。間違っても子供向きの歌ではないはずですが、子どもたちも聴き惚れています。親御さんや病院職員の方は一人また一人と床に跪いていきます。ミサキも気づくとそうしていました。天城教授が仰っていた、
-
『歌う姿に女神を見た』
会場は静まり返り声一つ出ません。誰もが一生懸命に子どもの病気が治るように祈っているように感じました。そこに一人の子どもが進み出て、握手を求めました。コトリ専務は穏やかな微笑みをたたえながら、そっと手を差し伸べられたのです。そこから、次の歌が始まったのですが、コトリ専務は歌いながら会場を回り、子ども一人一人に手を差し伸べていきます。手を握られた子どもは本当に幸せそうな笑顔になります。
歌い終わったコトリ専務は会場の皆さまの拝跪を受けるような状態になり、こぼれるような笑顔をされると振り向いて去って行かれました。ミサキも茫然としていましたが、コトリ専務が見えなくなったあたりでようやく我に返りました。ここで冬月さんなり、コトリ専務がアンコールを受ける予定でしたが、そんな状態ではなく、
-
「皆さま、本日は・・・」
-
「今日はチャリティだから要らないよ。その代りに夜は小島君を招待している。久しぶりに話をしようかと思って。そうそう、香坂君も来てくれるかい」