女神伝説第4部:コトリの懊悩

    『カランカラン』
 天城教授、相本准教授と別れた後にコトリ専務のお気に入りのバーに連れて行かれました。料亭の時から気になっていたのですが、どうにもコトリ専務が寂しそうというか、虚しそうな雰囲気があります。バーに入ってからも、ひたすら静かにグラスを傾けられておられます。
    「コトリ専務、今日はおかしいですよ」
    「うん、まあ、ね」
 思い切って聞いてみました。
    「行きたいんじゃないですか」
    「うん、まあ、ね」
 やはり。でも行きたいんだろうなぁ。コトリ専務の故郷みたいなものですし、宿主を選ぶ時に港都大の考古学の学生を選ぼうとした話も丸きりウソではないと思っています。前回の時も、帰って来てから土産話を活き活きと話されていたのを覚えています。思えば、小島知江時代で楽しい思い出の最後の時間だったかもしれません。
    「行けば良いじゃ、ありませんか。ミサキはもちろんですが、きっとシノブ常務も応援してくれます」
    「うん、まあ、ね」
 どうにもコトリ専務らしくない歯切れの悪い反応です。でも明らかに悩まれています。たしかに専務の重職にあるものが、ホイホイとそんな長期間休めるかと言えば、それが難しいのはミサキにもわかります。小島知江時代にイタリアに行った時も、エレギオンに行った時もコトリ専務は作戦を立てて業務にしています。それぐらい、長期で会社を休むのが難しい立場にあるのは理解しています。

 それでもコトリ専務にとってエレギオンの地は特別です。そうそう行くチャンスもあるわけじゃありません。そりゃ、パック旅行で気楽に行けるようなところじゃないからです。今回のチャンスを逃すと次がいつになるか、わからないぐらいのところです。

 それにしても変です。コトリ専務は知恵の女神であり、もし本当に行きたければ、行けるように知恵を巡らすはずです。今夜だって、天城教授や相本准教授の目的を見透かすようにエレギオンの地図まで用意されていました。そこまで予測していて、他に何もせずに悩んでいるのは妙過ぎます。

    「どうして行かれないのですが」
    「うん、まあ、ね」
    「さっきから、そればっかりじゃないですか」
    「ああ、うん、そうだね」
 判断の早いコトリ専務のこういう姿を見るのは初めての気がします。
    「お仕事が休みにくのは承知していますが、エレギオンに行くチャンスなんて、そうそうはないじゃありませんか。何をそんなに悩まれているのですか」
    「うん、まあ、ね」
    「もう、コトリ専務、ホントらしくないですよ」
    「ああ、うん、そうだね」
    「コトリ専務!」
 完全に上の空になっているのは見ただけでわかります。コトリ専務のグラスはとっくに空になっているのに、空のグラスを何度も口に持って行かれています。よし、こうなったらあの手を使ってみよう。
    「あれっ、あそこにイイ男が」
    「えっ、えっ、どこどこ♪」
 どうしてあれだけ深刻な表情してたのに、こんなに反応が良いのやらと呆れてたら、偶然ですが、
    『カランカラン』
 お客さんが入って来られて、
    「あれっ、香坂さん。お久しぶり」
    「御無沙汰してました。加納さんは」
    「シオは台湾行ってるわ」
 わぁお、こんなタイミングで山本先生が。まあ、この店はコトリ専務のお気に入りですが、もともとは山本先生の行きつけのバーですし、出会ってもおかしくないのですが、なんとも微妙なタイミングです。そしたらコトリ専務がいきなり、
    「カズ君、エエとこに来てくれたわ。ちょっと悩みごとがあるんやけど、相談に乗ってくれる」
 あちゃ、あかん。コトリ専務はここまで上の空になってる。ここはなんとか取り繕わないと、
    「えっと、えっと、山本先生、こちらは立花小鳥さんです」
    「香坂さんの同僚?」
    「いえ、大先輩です」
 しまった、ミサキもやっちゃった。どうしよう、どうしよう、
    「大先輩ってどういうこと?」
    「いえ、その、新入社員です」
    「香坂さんの部下?」
    「えっと、えっと・・・」
 あちゃちゃちゃちゃ、社内や業界では『小島専務 = 立花専務』ですが、山本先生にはいきなりそんな説明は突拍子もなさすぎます。完全にテンパってしまったところで可愛い声が、
    「相談に乗ってあげるよコトリ」
    「あれ、ユッキーの方が都合がエエわ」
    「ところで今回もコトリでイイの」
    「うん、立花小鳥になったから、今回もコトリよ」
 ユッキーさん感謝します。さすがは首座の女神です。
    「エレギオンに行ける話が出てきてん」
 やっぱりエレギオン行きで悩んでたんだ。
    「う〜ん、それは問題ね」
    「そう思うやろ、悩んでんねん」
    「次は私も自信ないわ」
    「コトリも・・・でも行きたい」
 何の自信がないんだろう。
    「冷静に考えれば避けるべきかもしれないけど、割り切れないんでしょ」
    「そうやねん」
    「わかるよ、その気持ち。私だって飛んでいきたいぐらい」
    「そうなるよね・・・」
 どうもエレギオンに行くのは基本的に避けるべきで二人の意見は一致しているみたいだけど、どうして避けなきゃいけないんだろ。
    「コトリ、未練はないんでしょ」
    「そんなもの、何千年も前になくなってるよ」
    「ウソばっかり。未練がなければ、クレイエールになんかに戻るはずないじゃないの」
    「そこ言われると辛いけど、それでも長くて五十年ぐらいやんか」
    「そこまで待つ?」
    「冷静に考えればね」
    「でも、出来ないんでしょ」
 コトリ専務はようやくグラスが空になっているのに気づいてオーダーをされ、
    「ユッキーと一緒じゃないと意味がない」
    「イイよ、私が面倒見るから」
    「そうはいかない。一人になんかにさせるものか」
    「コトリは、そう言いながら、命を弄ぶんだから信用できないわ」
    「ゴメン、でもあの時は・・・」
    「わかってるって、これでも心配してたんだから。ちゃんと次の宿主に乗り移るかどうかも含めてね。毎度毎度ハラハラさせられるんだもの」
    「それもゴメン。でも終りにするなら・・・」
 突然、コトリ専務が泣きだしました。
    「つらい、寂しい、ユッキーお願い」
    「毎回毎回、もう数えきれないわ。私たち女神は宿主の体を借りて生きさせてもらってるのよ。だから、借りた体は大事大事に使うことで恩返しするのが義務よ」
    「わかってる。わかってるけど・・・」
    「こうなると知恵の女神も形無しね。さがしといて。私の好みは知ってるでしょ」
    「さがしとく」
    「それと帰りなさい。今日のコトリじゃカズ坊と話をしない方が良いわ」
    「わかった」
 そのまま席を立ち、なにも言わずに店からコトリ専務は出て行きます。
    「香坂さん、悪いけど払っといてね。それと今夜はコトリを一人にしてあげて。ああなるのは持病みたいなものだけど、選りによってエレギオンとはねぇ。そりゃ、私だって誘惑に負けそうになるもの」
 それだけ言って消えられました。