ツーリング日和20(第16話)波賀城

 あれからも何度も秋野先生はツーリングに連れて行ってくれたんだ。秋野先生って呼び方も嫌がられて、嫌がられて今では、

「瞬さん」

 こう呼ばせてもらってる。なんが慣れないところもまだあるけど、名前呼びするだけで距離が縮まった気がしてる。言っとくけど何も起こってないからね。マナミにその気はテンコモリあるけど、そんなものは夢であるぐらいは知ってるから。

 今日は回数も重ねたからロングツーリングだ。まずは山麓バイパスで西に向かう。それから国道一七五号バイパスで北上だ。三木、小野を過ぎ、加東市に入ってから国道三七二号、さらに県道三七一号、県道二十四号と走り、加西市内で県道二十三号に入る。あっさり書いてるけど加西を抜ける道に国道が無いからややこしいんだ。

 県道二十三号は福崎で市川を渡り、夢前で夢前川を渡り、揖保川を渡って山崎だ。山崎から揖保川沿いに国道二十九号で北上。一宮を越えて、波賀まで行く。この一宮だけど播磨一之宮である伊和神社があるのだけど、素朴な疑問があるんだよ。

 一之宮は日本各地にあるけど、その謂れは国司なりが赴任したら一番に参詣する神社って意味もあるそうなんだ、簡単に言えばその国で一番格式が高い神社であるで良いと思う。神社だから国の中心部になくても良いようなものだけど、それにしてもハズレ過ぎないかな。

 播磨の国府は姫路の飾磨にあったのは瞬さんに教えてもらったけど、それでも遠いよ。今だって遠いけど、昔なら何日かかるのだろうって思うぐらい遠いもの。それとこれは歴史的変遷があるだろうからなんとも言えないけど、現代の播州人でも播磨一之宮である伊和神社は有名とは言えないところがあるじゃない。

「その話になると神話レベルの話になりますね」

 播磨の国名の由来は播磨風土記に書いてあったはずだけど失われているそうなんだ。だけど昔は播磨じゃなく針間であったのはあるそうなんだ。なんかみみっちい名前だな。

「これは国の地形を表しているとされています」

 どこがだ。播磨と言えば姫路平野でしょうが。小学校の社会で覚えたぞ。あれだけ広々してるのに針の間なんかにどうやったら見えるんだよ。

「だから神話レベルですって」

 出雲が古代の先進地域だったぐらいは知ってるよ。今だって出雲大社があるし、国引き神話だってあるもの。宍道湖のスズキの奉書焼は一度ぐらい食べてみたい。

「そのうち一緒に食べに行きましょう」

 やったぁ、でもどこまで本気かな。さすがに松江まで行くとなるとモンキーでは厳しいな。そうなるとクルマか飛行機になるけど、日帰りじゃもったいないから・・・泊りになるじゃないの。泊ったりしたら過ちが起るかもしれないじゃない。そりゃ、望まれたら応じるけど、望まれなかったら複雑だぁ。

「その出雲の勢力ですが播磨まで伸びて来ていたようなのです」

 へぇ、こんなとこまで伸びてきていたのか。

「その播磨に入った出雲勢力ですが、どうも揖保川に沿って南下したと考えられています」

 古代の交通ルートがどうなってかなんてわからないけど、鳥取あたりから南下してきたとすれば、佐用ぐらいから千種川を南下しそうな気がするけど。

「そこもわかりませんが、ひょっとしたら千種川流域には吉備勢力が先に入り込んでいたのかもしれません」

 吉備団子の吉備か。吉備も古代王権があったぐらいは知ってるから可能性はあるかも。揖保川沿いに勢力を広げた出雲勢力はそこを国だとしたぐらいって話か。

「これも想像の世界ですが千種川流域の吉備勢力は負けて追い出されたのかもしれません」

 出雲だとか吉備だとか、ホントに神話の世界だな。それでも播磨の国の成立を考えると揖保川から始まると考えるのはありかもしれない。だって揖保川は龍野から網干に流れていくから、そこから播磨平野に進出だ。

「そんな簡単な話じゃないと思います。その頃だって主要産業は農業で稲作のはずです」

 だから揖保川の水を使って、

「そうは簡単じゃありません」

 稲作は日本に伝わってから弥生文明を興し、広い意味で今に至るみたいなところはある。稲作をするには豊富な水が必要で、だから大きな川があった方が。

「水は下から上に流れないのです。ですから稲作で利用されたのは揖保川の水ではなく、揖保川に流れ込む小川の水になるはずです」

 さらに大きな川になると洪水が起こりやすいのか。とくに河口部に近いほど起こりやすいし大規模になるはずだから、

「姫路平野は揖保川、夢前川、市川、さらに加古川ぐらいが流れ込んでいますが、流れ込んだ川が作った平野が、いつ頃にどれぐらい出来上がっていたかぐらいまで話は遡ると考えています」

 こりゃ壮大過ぎる話だ。瞬さんは揖保川流域に進出してきた出雲勢力は揖保川支流を開墾しながら南下していき、山崎ぐらいまでまず進出したのじゃないかと考えてるよう。理屈はわかるけど、なんだか細長い国だなぁ。

「だから針間の国って呼ばれたのではないでしょうか。もっとも景行天皇の頃には加古川まで広がっていた可能性はあります」

 そこの話は長くなりそうだから置いといて、そんな針間の国の守り神として伊和神社があるぐらいで良さそうだ。そんなことを話しているうちに波賀についたぞ。お城はこっちに入るみたいだ。

 案内表示に従って走って行ったのだけど、なんじゃこれ。こんなところ大型のワゴン車だったらどうするつもりだって道じゃないか。こっちは小型バイクだから問題ないけどね。そこから山道をクネクネと登ったら駐車場だ。

 駐車場は広々してるな。ここだけ見てると途中の道が大変だったなんて想像も出来ないかも。バイクを停めてここから歩きだ。へぇ、石垣もあるぞ。道の両方が石垣だから門でもあったのかな。

 さらに進むとちゃんとトイレまで整備されてるじゃないか。それもかなり立派な気がする。そこに木戸みたいなものがあるから、この先が城内って事かもしれない。城内と言うより本丸って感じかな。

 一度下ってから登るのだけどこの木製の階段の先にあるみたいだ。それにしても立派な階段だよ。えっちらえっちら登ってるとお城が見えてきた。えっ、ウソでしょう。こんなところに本物のお城があるじゃないの。

 元気が出てきた。よっしゃ頂上に着いたぞ。これは間違いなくお城だ。二階建てで小さいけど天守閣で良いはずだ。こんなものがこんなところにあるなんて初めて知った。連れてきてもらって感謝だよ。ウソでしょ。中にも入れるなんて。でもこれって、

「最近出来たものです」

 再建でもすごい。

「う~ん、再建と言うより模擬天守、いや模擬櫓で良いと思います」

 それでもちゃんと二階まで上がれるんだ。改めて外から見てたのだけど、なんか違和感があるな。形はお城の櫓で間違いないけどあの屋根って、

「桧皮葺きでしょうか」

 それって神社とかにあるやつだけど瓦じゃないのよね。

「この辺は林業が盛んみたいですからそのアピールもあると思います」

 そう言えば麓にあった神社も妙に立派そうだったものね。でも模擬櫓ってことは石垣も模擬だよね。

「それはここを読めばわかります」

 なになに、石垣は本物なのか。なんか古い積み方みたいで、特徴は角が丸いのか。言われてみれば、お城の石垣の角ってビシッと折り目が付いてるものね。それでも、ここまでこれだけの石を運び上げてるなんてたいしたものじゃない。

「それですが、下から運び上げたのではなく、山の上にあったと思います。登って来る途中にもゴロゴロありましたからね」

 たしかにそうだった。それとどうもだけど石垣をこれだけ積んでるのは門みたいなところと櫓のあるここだけの気がするけど。

「石垣を積むのは大変ですからね。とくに櫓のところは外から見えるところですから、これだけの守りがあるぞのアピールの意味の気がします」

 この城も良くわからないところが多いみたいだけど、播磨を制した秀吉が因幡とかに攻め込む拠点になってた可能性があるんだって。石垣もその時に積まれたで良さそうだけど、それだったら櫓だってあったかもしれないじゃない。

「技術的には安土城もありましたし、秀吉時代の姫路城にも三層の天守閣はあったとなっています。ですから石垣の感じから櫓はあっても不思議ない気はしますが、本当はどうであったかの資料はないようです」

 もしあったら物凄い宣伝効果になった気がするし、秀吉ならやらかしそうな気がするけどね。

「ここも当時の交通の重要拠点ではあったようですが、史実として反撃されて争奪戦にはなっていないで良さそうです。秀吉が鳥取城を攻めた時の補給拠点ではあったでしょうが、さすがに櫓まで予算をかけて作るのはしなかったのではないでしょうか」

 構想ぐらいはあったかもしれないけど、石垣が出来た時点ぐらいで、そこまで予算をかける意味が無くなったのかもしれないな。でもあったら嬉しいな。