ツーリング日和23(第1話)美作道

 今日は引っ越し。美玖と同棲を始めた時の愛の巣から新居にやっと移れた。

「こんな立派なところに・・・」

 タワマンだから景色も良いよ。広さは4LDKにウォークインクローゼットだから美玖も満足してくれて嬉しい。ちょっと贅沢な気もするけど、愛する美玖のためだ。それにこれぐらいは出来るようにもなってくれている。

 星雷社も順調に大きくなり、ついに部課制に移行した。これは上場も睨んでの社内体制の構築の意味もある。それに伴って美玖は営業部長に昇進して、

「あのね、剛紀は取締役専務です」

 専務と部長だからこれぐらいの新居に住めるぐらいかな。新婚生活は順調だ。同棲の時からわかっていたけど、美玖はとにかく働き者なんだ。職場はそうだけど家でもあの勢いのままとして良い。

 家での美玖は優しい、笑顔を絶やさない可愛い奥様ではあるけど、家事になるとしばしばアンゴルモアの恐怖の大王になる。美玖が望む家事がボクに出来るようになるまでシゴキ倒された。

「シゴクなんて滅相もありません」

 新人教育を受けた連中の気持ちが良く分かった。服を畳むのだって、それこそミリ単位の精度を要求されたし、それが出来るようになるまで、

「はい、やり直し」

 洗濯や掃除、食器洗いとなる徹底的にチェックが入り、美玖のお気に召さない部分が少しでもあると、

「はい、やり直し」

 美玖には出来ないとか、無理そうだからこれぐらいは辞書にはなくて、完璧に出来るようになるまで、果てしなくやり直しさせられる。ただ美玖でもあきらめたのは、

「これはセンスが必要です」

 つうかさ、これは美玖の求めるレベルが高すぎた。魚を三枚に下ろす程度は基礎技術だものな。だから家事分担と言っても炊事だけは美玖担当で、その他の掃除や洗濯、食器洗いがボク担当に落ち着いた。


 引っ越しとかもあってバタバタしてたけど、二人の共通の趣味としてツーリングはある。そもそも二人がプライベートで出会ったのもそうだし、二人の愛を育んだのもツーリングだ。新婚生活も落ち着いて来たから、そろそろって気分にはなって来てる。


これも二人の共通の趣味だけど、歴史好きもあるんだ。ツーリングは風を感じて走るのが醍醐味なのだけど、二人ともただ走るだけで満足するタイプじゃないぐらいかな。これじゃあ、わかりにくいよな。

 走るのは楽しいけど、それ以外の楽しみも合わせて楽しみたいのも共通してる。それが歴史趣味も合わせて楽しみたいになる。歴史趣味も満喫したいとなると、事前の下調べも必要になるけど、この時間も楽しいのだよな。

「美作道を考えるなら美作の成立理由まで考えるべきです」

 美作、備前、備中、備後は古代吉備王権が分割された令制国だけど、一番最後に出来たのが美作だ。美作が出来た理由として古代吉備王権分割統治の最終段階とする意見もあるけど、

「それもあるとは思いますが、既に和銅六年になっています」

 和銅六年がいつぐらいになるかだけど、和銅三年に藤原京から平城京に遷都し、和銅五年に古事記が完成した頃になる。時代的には大和王権による律令国家が完成してしまったとも言えるよな。

「古代吉備王権の政治的解体は備前、備中、備後と三分割された時点で終わったと見たいところです」

 これはボクも同意する。ならどうして美作が備前から分離されたになるけど、

「鉄だと思います」

 弥生時代から半島や中国から輸入された鉄の加工技術はあったけど、製鉄技術が日本にもたらされたのは六世紀前半ぐらいとされてるんだよ。どうしてそんなに遅かったかの理由もあれこれはあるけど、

「日本の製鉄の特殊性だと考えています」

 製鉄技術は大陸なら千年も先行しているけど、大陸の製鉄技術は鉄鉱石を使うものなんだ。だが日本の鉄鉱石資源は乏しいから砂鉄からのものになる。大陸だって砂鉄の利用をしただろうけど鉄鉱石があれば効率の悪い砂鉄は使わなくなるはず。

 技術応用の話になるけど、なんだかんだで、日本に砂鉄からの製鉄技術が広まったのは六世紀前半だと考えられている。砂鉄からの製鉄技術なんだけど中国地方なら吉備、出雲、播磨になるけど、

「吉備が先行して、十一世紀ごろに出雲や播磨に広まったとするのが定説です」

 今回の歴史ムックで初めて知ったのだけど、美作は相当な製鉄国であったんだ。

「物部氏の軍事力の基になったともされていたはずです」

 鉄は農業技術の向上のために欠かせないものであり、軍事は言うまでもない。美作の鉄を握った物部氏が大きな権力を握ったのもうなづける。その美作の鉄の支配をより強化するために美作を備前から分離させたの説は説得力があると思う。

「六世紀前半から美作の鉄を大和に運ぶルートが出来ていたと見るべきです」

 これが美作支道として播磨国府から美作国府への官道に格上げ整備されたのは八世紀に入ってからにしても、それ以前から鉄を運ぶルートとしてあったのは同意だ。なら出雲街道の成立は、

「鉄と言う面からだけですが、出雲の製鉄は十一世紀か盛んになるのが定説です。美作と出雲を結ぶ街道が成立したのは遅かったのではないかと」

 ボクもそんな気がする。なんか美作まで官道が整備されたから、そこへの連絡路として後から作られたのじゃないな。なら因幡街道は、

「同様と考えたいところです」

 でも国司が赴任する時に佐用経由の因幡街道を通った記録が残されてるぞ。

「出雲街道と同様の理由で。それとやはり雪かと」

 美作道が官道になれば因幡から接続を考えようとするのはあるよな。そうなると最短距離は佐用を目指すルートになる。もう一つの山崎経由の因幡街道になると、あの街道は山崎から揖保川をなぜか南下せず、安富に回って林田川を南下するルートになる。

 さらに国司は四年ないし六年任期で交代するのが原則だけど、新しい国司の任命は県召除目で一月の十一から十三日の間にされたらしい。新しく任命された国司は辞令が出てから百二十日以内に国司を引き継がないといけないのだけど、季節的には雪だよな。

 山陰道も山崎経由の因幡街道にしても雪の影響は大きい。だから佐用からの因幡街道が国司交代の時のルートになり、国司が通るからそれなりに整備されたのは十分に考えられる。もっとも、

「あくまでもそれは街道的な整備をされた時期の話で、杣道程度の成立になると歴史の彼方です」

 そこまで行くと古代出雲王権と古代吉備王権の交流レベルの話にまで遡ってしまうのは御意だ。あれこれ美玖とムックしたけど、結論は今までと同じで、まず美作道が成立して、そこに接続するように出雲街道、さらに因幡街道が成立したのだろう。その割に美作はあまり栄えなかったような気もするけど、

「製鉄は富をもたらしたかもしれませんが、一方で荒廃も引き起こしたのでないかと」

 鉄を作るには砂鉄を溶かして鉄塊にするのだけど、鉄を溶かすには火力が必要で、古代なら薪や炭になる。火力からすると炭の気もするけど、炭を作るだけでも多量の薪が必要になる。つまりは大量の木を切らなければならなくなる。炭の使用量も莫大で十トンの鉄を得るためには十二トンの炭が必要とされたらしい。

 製鉄のために禿山を作れば土砂崩れも起こすだろうし、生活のための薪に入手も困難になる。製鉄でもたらす富で農業の損失をすべてカバーするには早すぎる時代としか言いようがない。ましてや交易品ではなく税として取り立てられたらだよな。

「鉄資源も無尽蔵ではありませんから、砂鉄を取り尽くしたら製鉄集団は新天地を目指して去って行ったのかもしれません」

 そういう言えば播磨風土記の讃容郡のところに、

『山の四面には十二の谷があり、鐵が産出する。難波豊前於朝庭に初めて献上した。これを見つけたのは別部犬で、その孫らが最初に奉った』

 難波豊前於朝庭とは孝徳天皇時代の難波宮のことだけど、この時代に佐用にも製鉄技術が伝わったと見ても良い気がする。播磨ではとくに千種川の流域に広がり千種鉄として有名だったらしいけど、

「ワクワクします」

 ボクもだ。何が見れて、何を感じれるのだろう。それも最愛至上の妻である美玖とマスツー出来るのだぞ。人生の幸せがここにありだ。