戦前から戦後の混乱期に活躍した三木武吉の小説を読んだことがありますが、そこでも野次の話は出てきます。三木武吉自身が若い頃は野次将軍と呼ばれていたそうです。三木武吉を褒める小説なので野次も絶妙ぐらいの表現でした。
その小説を読んだ頃は国会中継なんかニュースで断片的に見たことがあるぐらいで、イメージとして国会の野次って歌舞伎の大向こうみたいなものぐらいと勝手に思ってました。
それから幾星霜、このブログでも国会質疑を取り上げた時期があり、文字起こしてましたから、じっくりと国会中継を見ることになったのですが、国会の野次って歌舞伎の大向こうとは全くの別物であるのが良くわかりました。
あれは静かなところを切り裂くように野次が飛ぶのではなくて、常に野次というか、地鳴りのようなざわめきがあり、その地鳴りをさらに上回る声量の野次が質問者とか、答弁者の発言内容とか、話す間(ま)に関係なくぶち込まれる感じです。
地鳴りと野次がひたすら飛び交いますから、発言者もそれに負けない声量でマイクに怒鳴るぐらいと言えば良いのでしょうか。昨今では記者会見での記者のマナーが話題になったりしますが、あれさえも国会の野次とか騒々しさと較べると大人しいと感じるほどです。
おそらくですが、国会の野次は日本で国会が始まった頃ぐらいから存在しそうな気がします。ですから政党も新人議員が入って来ると、先輩議員から延々と受け継がれた野次の伝授をされ、新人議員もこれを身に着けてこそ一人前の道だと精進に勤められてる気がします。
野次と言うものは国会では不規則発言であり、原則としては禁じられてるものになります。それでも存在するのは少数派が意見をアピールする手段として慣例として認められたと勝手に解釈しています。
もし野次に存在価値があるとすれば、質問者なり、答弁者が不適切過ぎるものである時に、ピシャリと釘を刺すところぐらいじゃないかと勝手に考えています。そうそう、今回の野次問題で小学校の学級会との比較が出ていました。
そうなるべきだの意見に反対する理由はありませんが、そうなったらそうなったで、活気がないとか、昔はもっと熱気があったの意見が出そうな気がします。これもだいぶん前の話ですが台湾の議会だったと思います。
発言者に襲いかかるみたいな議会風景が紹介されて、あれぐらいの活気が日本にも欲しいなんて声が出ていたぐらいですからね。わたしは他の国の話ぐらいでネタとして見てましたが、あんなのが日本でも・・・ああ、やってるか。
強行採決の時の茶番のような乱闘劇です。強行採決がそもそも悪いと言う意見もわかりますが、賛成派と反対派が真っ向対立している状態で、そもそも双方が納得できる採決などあり得るのだろうかの疑問です。
そこは審議日程とか、それこそ個々の事例で異なる部分があり置いときます。ただ男女平等の観点からやめた方が良い気がします。理由は女と男では乱闘になると体力差があり過ぎます。
あんな乱闘状態で男と互角に張り合えるような女性は・・・吉田沙保里氏クラスが議員になっても、果たしてどうかぐらいになる気がするからです。
国会も明治から百年以上の慣習があれこれありますが、それを墨守するのでなく、時代に応じてのアップデートが求められると考えています。良きものは残すべきですが、悪しきものは改めるです。
それが民意の気もしていますが、野次の地鳴りとか、乱闘国会を支持する議員も多そうです。その辺は思想信条の自由ですかねぇ。