痛い、とにかく痛い。胃がちぎれそうになるほど痛い。体をどうしたって押し寄せる波のように痛みが襲ってくる。とにかく痛い。事故の時の痛みに較べたらって思い込もうにも、痛いものは痛い。文字通り七転八倒。
原因は逆流性食道炎。なんで検査もしないでわかるかというと、数年周期のお馴染みさんやから。もっともお馴染みさんだから耐えられるかというと・・・そんなもん耐えられるわけがあらへんやん。とにもかくにも病院に行かんと。
行きさえすれば、とりあえずブスコパンぶち込んで、PPI叩き込めばなんとかなるはずなんや。それはわかってんねんけど、病院までがチト遠い。こういう時にスクーター通勤はかなり辛い。なんとか着替えて走り始めたんやけど、今回の痛みは超弩級。もう乗ってられへん。乗ってたら転びそうや。もう交通事故はコリゴリやし。
とりあえずスクーターから下りよ。下りたところで痛みが軽くなる訳やないけど、もう運転してられへん。痛い、痛い。そや、タクシー呼ぼう。コンチクショウ、電話番号からネットで探さなあかんのか。登録しときゃ良かった、ありゃ、バッテリーも切れそう、もう探す余裕が・・・
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「山本先生じゃ、ありませんか。大丈夫ですか」
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『いや持病の癪が』
『それは大変、ではこちらの薬を飲みなされ』
『助かりました』
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「すみません。タクシー呼んでいただけませんか」
「わかりました」
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「ピ〜ポ〜、ピ〜ポ〜」
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「救急車はいりません。タクシー待ってるだけです」
「私が呼びました。救急部にも連絡済みです。私も同乗させて頂きます」
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「うちの病院でも治療は可能ですからご安心ください」
それでも病院に行かない事には痛みはどうしようもありませんから、不承不承で運び込まれてしまいした。本当言うとユッキーの因縁の病院ですから避けたかったんですが、ここまで来てしまえば仕方がありません。ちょっと大袈裟やけど、ちゃちゃっと処置してもらってサッサと帰ろうと思ったら救急部の出迎えがなんか大変なことに。そんな重症患者がこれから来るのかと思てたら、なんとボクのお出迎え。
あんときは自分の診断に疑問をもったのは白状しておきます。ヒョットしたら余程の重症じゃないかって不安にかられて仕方がありませんでした。医者もこうなると無力やなぁってところです。バタバタと治療が行われ、痛みがなんとか和らいだ時に
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「入院して頂きます」
またもやストレッチャーで有無を言わさず病室に運び込まれてしまいました。でも結果的に入院して良かったと思っています。やっぱりあの痛みは超弩級で、痛み止めが切れる頃にはまたもや七転八倒状態になったからです。
翌日も絶飲食状態でしたが、なんとか痛みも小康状態になりちょっと余裕ができました。そんなところに
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「申し訳ありませんが、院長が少しお話があるので来ていただけませんか」
それやったら運び込まんでも、いや運び込んで弱っているところを寄ってたかって責めるつもり。それは余りにも卑怯だぞ、別に弱ってなくともアウェイで四対一のハンデ・マッチはやり過ぎやないか。てな事を頭がグルグル回っていましたが、いきなり四人が立ち上がり頭を下げ、
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「あの時は本当にすみませんでした」
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「御無理を申し上げて申し訳ありませんが、後三日間入院していて頂けないでしょうか。御勤め先の了解は僭越とは思いましたが、私が取らせて頂きました。これは木村先生のお導きだと思っています」
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「どうぞどうぞ、煮るなり、焼くなり、お好きなように召し上がって下さい」
ユッキーといえばあの病室は前に入院していた時のやん。担ぎ込まれた時には全然余裕が無かったからわからんかったけど、応接室からの帰りにやっと気が付いたわ。病院もそういうつもりってところかな。
・・・病室に帰って時間を過ごしていると入院中のことがどうしたって思い出されます。身動きもままならなかった日々、辛かったリハビリ、ユッキーとやってた漫才、あの退院前の夜のプロポーズ。そしてここはユッキーが最後の日々を送った部屋です。どうして呼んでくれなかったのかな。これは今でも残る疑問ですが、答えは永遠の謎になりそうです。
それにしても三年です。いやまだ三年かもしれません。ちょっと痛い目に合わされましたが、やっぱりユッキーは呼んでくれた気がします。『もう、いいかな』って微笑みながら。
ユッキーが亡くなってからの三年間も色々ありました。振り返ってみるとシオが聞いたユッキーの最後の言葉の通りに動いている気がします。あれも最初に聞いた時には『ユッキー以外に愛せる女なんているはずない』としか思えませんでしたが、結局その通りになっているみたいです。
ユッキーは見ただけなのでしょうか。それとも亡くなってからもボクのために世話を焼いてくれているのでしょうか。これも途中から判らなくなる時があります。ボク自身の感じから言えばユッキーは心の中に確実に生きている気がしています。
この感じが正しければ、ユッキーは新たな恋人をボクに持って欲しいとしか思えません。これはボクの勝手な妄想なのか、ユッキーの本当の意志なのかの区別がもうつかなくなっています。この病室に入ってからはとくにユッキーがそうささやいているとしか思えないのです。
もちろん未だにためらいはあります。あれだけ尽くしてくれたユッキーを差し置いて、他の女と幸せになるなんて許される事とは思えないからです。ボクだけがそんな良い目に合うのはユッキーが余りにも可哀想すぎます。ユッキーに与えてあげられた幸せな時間はあんなに短かったんです。もっと早くユッキーの想いを気付いてあげられれば、もっともっとユッキーを幸せに出来たのにと思うと本当に悔しくなります。自分の鈍さをこの時ばかりは恨めしくなります。
退院の日はユッキーの命日で簡素でしたが心のこもった追悼式が行われました。みんな泣いてたなぁ。まだあんなに慕われてるんだ。あの時のことをたくさんの人に謝られて、ちょっとウンザリしましたが、一方で一つの決着がついた気もしたのは確かです。
そうそうこれは約束だからシオにも連絡しました。
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「だいじょうぶ」
とにかくシオはあの美貌で、あのスタイルですから、言いたくないけどそれだけでコンプレックスがありました。小学校の頃はともかく中学、さらに高校になればそうです。人並みにシオに憧れた時期もありましたが、それこそ鏡を見てあきらめたってところです。
シオが向けてくれる愛情を長い間、そこまで本気だと思ってませんでした。これは今日の今日まで思ってなかったかもしれません。色んな経緯からの同情からの勘違いみたいなものです。どう考えたってあのシオがボクに本気になるとは思えなかったのです。でももう疑う余地はありません。シオの想いに真剣に応える必要があります。
もう一人想いを受けなければならないのがコトリちゃんです。これもシオに負けないぐらいの想いを真っ直ぐに捧げてくれています。コトリちゃんもまたシオ同様に高嶺の花です。そんなコトリちゃんがボクに告白してくれて、プロポーズまで受けてくれています。ユッキーとの心の結婚、さらにはシオとの結果的な二股状況にもまったく変わらず想いを向けくれています。
ユッキーはひょっとして、このままボクがユッキーだけを見て二人を見なければ、ユッキーが耐え続けた悲しみを二人に与えてしまうと思っているのでしょうか。でも、たとえ選んでも一人だけです。一人には悲しみを与えてしまいます。
ここのところがボクにはわかりません。ユッキーがなにか間違えたのでしょうか。ただユッキーの最後の言葉はこういう状況になると予言していたとしか思えません。ユッキーはボクになにをさせようとしているのでしょうか。
これだけ想いを寄せてくれる二人を選ばず、やはりユッキーだけを見るのが正解とする試練を与えているのでしょうか。それもまたどこか違う気がします。ユッキーは間違ってもそんな女じゃありません。それぐらいはボクにもわかります。
もう三年もあの二人には待たせてしまいした。最後に答えを出すのはボクのようです。なにが正解なのか、どれが正しい道なのか。こういう困り果てた状況の時に、憎まれ口を叩きながら問題を颯爽と解決してくれたユッキーはもういないのです。
でも助けて欲しいと願ってるボクがここにいます。今一番書きたい解答はユッキーです。やはりどうしたって忘れられるものではありません。二人とも選ばず、ユッキーだけ愛していくのが解答の気がどうしてもするのです。ユッキーが喜ばせるにはこれ以外にないはずですが、どうもスッキリしないものが残るのは何故だろう。