浦島夜想曲:プロローグ

 共益同盟のナルメルとの対決に備えて、加納さんに主女神が宿っていると告げたのはもう十四年前のウィーンの夜になります。加納さんも大変驚かれていましたし、お二人が加納さんに、あそこまで話すとは思ってもいませんでした。

 あの時に日本での再会を約束していたのですが、加納さんもバリバリの現役でしたし、こちらも長すぎるバカンス中に溜まっていた仕事をこなすのに忙しく、ずっと延び延びになっています。まあ、お互い神戸に住んでいますから、いつでも会えると、高を括っていた部分も多かったと反省しています。

 延び延びになった理由はもう一つあって、この際だから五女神そろっての旅行にしようというのもありました。ユッキー社長は温泉旅行が好きですからね。ディナーぐらいなら予定を合わせるのはまだしもなんですが、旅行、それもエレギオン側の四女神がそろってになると、これまた調整が難航し、ようやく話がまとまったのが十年前。ところが、この時に第二次宇宙船団騒ぎが起りまたもや延期。六年前にやっと話がまとまったと思ったら、飛び込んできたニュースが、

    『山本先生が入院』
 山本先生も七十四歳でしたが精密検査の結果、癌が見つかったのです。幸い手術で摘出できましたが、この時の加納さんには本当にビックリさせられました。いきなり引退を発表されオフィス加納も閉めてしまわれ看病に専念されたのです。

 先生は手術から回復されてしばらくはお元気で、シノブ専務と喜寿のお祝いもさせてもらったりもしましたが、二年前の正月に再発。ここからは早かった。その年の五月に亡くなられました。ミサキもシノブ専務も何度かお見舞いに伺わせてもらっていますが、行くたびに山本先生が痩せ衰える様子を見るのは大変つらいものがありました。


 そんな山本先生が亡くなる少し前に加納さんとこんな会話をされたそうです。

    『シオ、一つ謝っとかなアカンことがある』
    『また何かやらかしたの』
    『シオは綺麗や、そのうえ何故か歳もとらへん。ボクには過ぎた奥さんや。結婚してくれてホントに感謝してる。でもな、ここまできてもやっぱりユッキーのことを忘れ切れへんかった。悪かったと思ってる』
    『なに言ってるのよ。ユッキーはカズ君の最初の奥様じゃない。忘れなくて当然だし、忘れたらわたしが怒るよ』
    『そう言ってくれてホッとした。もうすぐユッキーに会いに行けるわ。シオはゆっくりおいでね』
    『イイエ、すぐ追いかけるわ。そうしないとまたユッキーに取られちゃう。コトリちゃんだっているのよ』
    『天国でもシオを選ぶって』

 そこからユッキーさんの思い出話になったそうですが、

    『でも、もう一回会いたかったな。とにかくユッキーの奴、倒れてからボクの事をシャットアウトしやがったから、最後はなんにも話が出来へんかった』

 これを聞いた加納さんは社長に会いに来られました。木村由紀恵のユッキーとして最後に山本先生に会って欲しいと。この時はミサキも同席していたのですが、あのユッキー社長の顔に動揺がアリアリと浮かんでいるのがミサキにもわかりました。

    「わたしは行けない・・・」
 それだけ言うと部屋から飛びされてしまったのです。その時にミサキにはわかった気がします。ユッキー社長は小山恵になって復活はされましたが、未だに独身ですし、男の噂さえありません。そりゃ、時々コトリ副社長と男遊びをされますが、あれはあくまでも遊びであって本気の恋も結婚もされていないのです。

 未だに山本先生のことを大切に想っておられるのに違いありません。木村由紀恵は亡くなりましたが、山本先生が生きている限り一途を貫いておられるのだと。コトリ副社長から何度もユッキー社長は『一途』だと聞かされていましたが、これ程とは正直驚きました。

 ミサキはコトリ副社長に連絡を急いで取りました。こういう時にどうすれば良いかを知っているのはコトリ副社長しかいないからです。

    「ユッキーのやつ、そんなこと言うたんか」

 どうも二人は長いこと話をされていたようです。何日もしてからユッキー社長はコトリ副社長の言葉に折れたのか、山本先生のお見舞いに行くと言いだされたのでした。ミサキも同行したのですか、マンションに着いてみると、

    『忌中』

 間に合わなかったのです。挨拶に出た喪服姿の加納さんは、

    「遅かった・・・」

 帰り道でユッキー社長は、

    「コトリにしばらく任せるって伝えといて」

 それだけ言うと姿を消してしまわれました。コトリ副社長は、

    「心配せんでエエ、ユッキーは帰ってくる」
 一ヶ月ほどしてから社長は姿を現し、何事もなかったかのように仕事に戻られ、コトリ副社長も何事もなかったかのように接していました。ただ五女神の旅行の話は完全に棚上げ状態になっています。


 さて今日は三十階仮眠室に四女神が集まる日です。ユッキー社長とコトリ副社長はいつものように張り切って準備されています。この四女神が集まる日には、それこそエレギオンHDのトップ・フォーが顔をそろえますから、業務上の話もするときも少なくありませんが、単なるパーティの日も多くあります。

    「コトリ副社長、なに読んでるのですか?」
    「うん、日本書紀の雄略記」

 副社長は歴女。小島知江時代にクレイエールに正式サークルの歴女の会を作り上げたぐらいです。

    「なにかおもしろい発見でもあったのですか」
    「まだわからんけど、浦島太郎」

 日本書紀と浦島太郎になんの関係が、

    「前にアラに聞いた話が妙に気になってもて」

 アラの話が浦島太郎と日本書紀にどうして関係するのだろう。そうそう、

    「コトリ副社長、前に仰られていたウサギの餅つき計画はその後どうなってますか」

 これはコードネームで、エレギオン・グループの宇宙開発参加計画です。

    「あれか? とにかくゼニかかるからな。月で餅つきやるとなると、杵やら臼やら持ってかなあかんし、ウサギのコスプレ宇宙服も必要やんか。技術的にも月で餅米蒸すには・・・」
    「コトリ副社長!」

 本来はコードネームだったのですが、コトリ副社長はどこをどう考えたら、そういう発想に行きつくのかわかりませんが、コードネーム通りに本気で月で餅をつく実現性の方に熱中されてしまっています。そこにユッキー社長が、

    「ミサキちゃん、話は変わるけどシオリの事だけど・・・」
    「そういえば、山本先生の三回忌ですね」
    「一つの区切りだと思うし、今年は是が非でも行きたいわ」
    「でも山本先生の最後の時のシコリは」
    「あると思うけど、シオリと話が出来る時間はそんなに残っていないのよ」
    「見えるのですか?」

 ユッキー社長は遠くを見ているようでしたが、

    「見えないけど、シオリも今年で八十歳なの。百歳まで生きるかもしれないけど、もういつ何が起っても不思議ないじゃない」
    「留守番は」
    「マリーに任せる。一週間ぐらいなら、なんとかなると思うわ」

 プリンセス・オブ・セブン・シーズで出会ったマリーは、ユッキー社長の手配で、パリのルナのところに勉強に出され、第二次宇宙船騒動の翌年にエレギオンHDに就職しています。あれから九年、ユッキー社長の見込み通りにマリーは成長し、HDの実質的なナンバー・ファイブ、人としてのトップに立っています。

    「ミサキちゃん、お願い、たとえ一泊二日でも構わないから」