シオリの冒険:コトリ副社長の寿命

 五女神そろっての温泉旅行から、加納さんが写真への意欲を取り戻されたのが三年前のことです。熊野古道で知り合った星野君の才能に惚れこみ、その年にオフィス加納を復活させ、星野君を弟子にしています。

 あの時には女神の仕事となった浦島騒ぎもありましたが、二年後には一応の解決を見ています。話はその翌年、ミサキがクレイエールに入社して四十六年目、エレギオンHDに移って二十一年目、六十八歳になる年のものです。

    『カランカラン』

 老マスターは未だに健在でシェーカーを振っています。今日はシノブ専務と二人連れ。シノブ専務も七十三歳です。

    「ミサキちゃん、ついに五十三歳だよ」

 これはコトリ副社長の年齢。副社長は自らの五千年の経験から長寿はないと仰ってます。おおよそ五十歳だそうですが、まだ立花小鳥として健在です。

    「今回は例外的に長い可能性もあるのではないでしょうか」
    「そうなら嬉しいけど、今度こそ、ちゃんと準備して迎えないと」

 前回の宿主代わりの時のことが思い出されます。重役会議で倒れられ、担ぎ込まれた病院からの突然の失踪、そして花時計の前で唐突に発見された遺体。十二月の冷たい雨の中での葬儀は良く覚えています。そこからコトリ副社長の復帰を待ちわびた四年間の日々・・・

    「今はユッキー社長がおられますから」
    「そうなんだけど、あのお二人は信用できるけど、信用できないところがあるじゃない」
    「いいえ、信用できなそうだけど、最後は絶対に信用できると考えています」
    「それは、そうなんだけど・・・」

 二人の心配は宿主代わりした後に、どうやってエレギオンHDにコトリ副社長を迎え入れるかです。クレイエール再入社の時は、故綾瀬元社長が強引ともいえるやり方で専務に即復帰させましたが、エレギオンHDの場合は直接入社すら出来ないのです。

    「まともにやれば、クレイエールなりのグループ会社に入社して頭角を現し、選ばれてエレギオンHDに入社じゃない」
    「コトリ副社長なら余裕で可能です」
    「それはわかってるけど、時間がかかるじゃない」

 これまで一番早かったのはおそらくマリーで六年です。

    「前の時のように大学生から始められたとしたら十年ぐらいかかってしまうのよ。ミサキちゃんはまだだいじょうぶかもしれないけど、私はその時には八十三歳だよ」
    「ミサキだって七十八歳ですから、だいじょうぶとは言えません」
    「私やミサキちゃんの記憶の継承だって、やってみなければわからない訳だし」

 ミサキとシノブ専務の記憶の継承は六年前に首座の女神であるユッキー社長と、次座の女神であるコトリ副社長に頼み込んで、過去の記憶の復活こそしないものの、現在からの記憶を継承させてもらうことで承諾を得てます。

    「とにかく神の言葉だし、お二人が出来れば、そうはさせたくないのも知ってるじゃない。口先だけの可能性も十分に残ってる」

 この懸念はミサキにもあります。とにかく自分ではどうしようもないもので、お二人の胸先三寸で決められてしまうからです。

    「だから、せめてコトリ副社長の復活だけはこの目で確認したいのよ」
    「わかりますが、わたし達にはどうしようもないじゃありませんか」

 ここのところ、この問題をシノブ専務とずっと話しています。宿主代わりはコトリ副社長とユッキー社長が行われたのは経験していますが、まだ自分たちには未経験なので想像する部分があまりにも多くてお手上げ状態です。

    「シノブ専務、前の旅行の時に社長は気になることを仰っていました」
    「あれね、記憶を封印した四百年のために記憶の継続がリセット状態になって、社長なら木村由紀恵時代が新たなスタートの感覚があるって話よね」
    「そうなんです。あの言葉で思ったのは、古代エレギオン時代はどうだったかです。始まりはアラッタからですが、ひょっとして記憶を四百年前に封印するまで同じ呼び名だったんじゃないでしょうか」

 シノブ専務はグラスを傾けた後に、

    「随分前に呼び名は数えきれないぐらい変わったとしてたけど、外への呼び名はそうでも、お互いの呼び名はそうだったかもしれない。その方が自然だわ」
    「そうなると今のユッキー、コトリは新たな記憶の始まりとして使われているのではないでしょうか」
    「なるほど、私たちはともかく、お二人にとっての青春時代は木村由紀恵・小島知江時代ってことね。そして、あのお二人が青春時代を共に過ごしたのは明文館」

 ここでミサキはタリスカーをロックでオーダーして、

    「ミサキはアラの臨終の時に一緒にいました。あの時にアラはコトリ副社長にエレギオンHDを守るべきだと言い、コトリ副社長は承諾しています」
    「それも神の言葉・・・」
    「いえ、アラはコトリ副社長、いや立花小鳥の最後の男です。コトリ副社長はアラを女神の男とて認めています。そのアラにウソを吐くとは思えません」

 シノブ専務もニューヨークをオーダーして、

    「ミサキちゃんの意見に同意だわ。同じ青春時代となると気になるのは加納さんね。ナルメル戦のためとはいえ、エレギオンの女神の秘密を教えちゃってるし」
    「そうなんです。あのウィーンの夜にコトリ副社長も、ユッキー社長もどうしても加納さんとして会って話をしたかったとしています。前の温泉旅行もそうです」
    「ミサキちゃんもそう思う」
    「ええ、そうとしか考えられません」

 マスターがオーダーを届けてくれて、

    「今日も深刻そうですね」
    「うん、副社長が心配で」
    「それだったら心配していません。次はどんな副社長に会えるか楽しみにしています」

 さすがに付き合い長いわ。

    「加納さんは一つのポイントかもしれないわ。もし加納さんの記憶の継承をさせるのなら、可能性があるのは社長と副社長が力を合わせた時のみ、コトリ副社長が宿主代わりに入られてしまうと、加納さんの寿命が間に合わなくなる可能性がある」
    「十年なんてやれば加納さんは九十三歳ですからね」
    「だったら、近いうちに何かが起る」
 温泉旅行の前の加納さんに会った時のことが思い出されます。容姿こそ変わりはありませんでしたが、生気の乏しい表情に驚いたものです。あの時の加納さんは天国で山本先生に再会する事しか考えてなかったと思います。

 今はどうなんでしょう。あの温泉旅行で加納さんの表情は明らかに変わりました。それだけでなく、オフィス加納を復活され、現役でバリバリ働いています。ロッコールへの協力も積極的でしたし、加納賞の運営にも精力的に取り組んでおられます。

 生きる活力を取り戻されましたし、社長や副社長との友情も確かめられています。問題は記憶の継承を行ってしまうと天国に行けなくなる点かもしれません。加納さんにとって山本先生は重い存在です。加納さんだけでなく、社長や副社長に取っても重い存在です。

 この記憶を継承すると言うのも、これが良いことか悪いことかはミサキにもわかりません。古代エレギオンでは姿形は変わっても中身は同じ女神であるの国民的合意があったそうですが、現代日本では別人として扱われます。

 ミサキやシノブ専務はエレギオンHDという拠り所があり、エレギオンHDには神が見える首座の女神と次座の女神が君臨していますから、宿主が代わっても、まだなんとかなりますが、加納さんは同じとは言えません。

    「シノブ専務。もし加納さんに記憶を受け継がせるとしたら・・・」
    「ミサキちゃんも、そう思うよね。加納さんをエレギオンHDに迎え入れようとすると思うわ」

 シノブ専務はグラスを傾けながら、

    「それはそうと、また旅行の話が出てるわね」
    「ええ、ホテル浦島から」
 三年前の温泉旅行の時に浦島と神としての対決を予想されたコトリ副社長は、屋号が浦島である点だけですが、用心のためにドタキャンしてホテル中の島に変更しています。

 結局、ホテル浦島は無関係だったのですが、ドタキャンされたホテル浦島の方が大変だったようです。ホテル浦島の予約は正体を伏せてのものでしたが、ホテル中の島の方は急遽だったのでエレギオンHDの名前を使っています。ここで、ホテル中の島の方が、

    『エレギオンHD社長御一行様はホテル浦島を蹴って、ホテル中の島をわざわざ選んでくれた』

 こう吹聴したようです。まあ、エレギオンの女神の審査による格付けは怖いですからね。もっとも旅館やホテルの格付けはやってないのですが、ホテル浦島側からすれば、格付けされたと受け取ったようです。社長や副社長は、

    「忘帰洞は魅力的だけど、また和歌山は気が乗らないし・・・」
    「それにプライベートの時にエレギオンHD御一行様扱いされたらツマランし」

 それでもホテル浦島側からの要請が執拗なので、顔を立てるために行っておこうかの話は出ています。この辺はホテル浦島をドタキャンした理由を説明しにくい点もあるようです。

    「五女神旅行を希望されてるようですが一泊二日じゃ・・・」

 そうなんです。ここも結構なネックで、ホテル浦島はあの時の五人組がエレギオンHDのトップ・フォーに加えて加納さんであったことも知っており、

    『是非、同じメンバーで』
 気持ちはわかりますが、加納さんも忙しくなってますし、エレギオンHDもトップ・フォーがそろってになるとハードルが高くなります。それだけ無理して一泊二日で和歌山に行くのもどうかってのも確かにあります。来週は三十階仮眠室に女神が集まる日ですが、何か起りそうな予感。