クレイエール本社ビルは綾瀬社長時代に新築されてまして、三十三階の高層ビルです。最上階には高級イタリア料理店が入ってまして、三十二階はお鮨屋さんとか、蕎麦屋さんとか、鉄板焼屋さんとかが入っていて、外部からの利用も可能になっています。でもって三十一階は社員食堂。ここも外部利用が可能です。
とくに三十二階のお鮨屋さんは有名で、あの龍すしのお弟子さんが暖簾分けして入られています。開店の時には大将や女将さんも来られていて、
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「結崎さんや香坂さんはホンマに歳取らん」
なぜか女将さんは張扇を取り出してきて大将の頭を叩いてました。それにしてもあの女将さん、いつも張扇を持ち歩かれてるんですねぇ。そうそう最上階のイタリアンも有名で、各界の有名人も利用するほどです。その中には日本一の大写真家もおられます。お邪魔しては悪いと思ったのですが、ちょっと挨拶に、
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「こんにちは」
「香坂さんもお変わりありませんね」
「加納さんこそ」
「シオはホンマに歳取らへんわ。言っとくけど同級生で同い年やのに、今じゃ、
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『娘さんですか』
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これマジで言われるんよ」
ただユッキー社長とコトリ副社長は決して会おうとはされませんでした。二人で顔を見合わせて、
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「なんかね」
「そうやな」
三十階は社長室と副社長室なのですが、ここはガランとしたワン・フロアで社長室や副社長室と言っても衝立で仕切ってあるだけです。衝立だって固定式でなく、簡便に持ち運べるタイプです。机や椅子もヒラ社員と同じものです。これなんですが、エレギオン流の、
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『女神の暮らしは国民の手本』
お二人が喧嘩になると三十階が廃墟に変わってしまうのです。さらに二人が喧嘩を始めると誰も止め様がなくなります。それこそ自衛隊が来ても米軍が来ても止めるのは無理です。シノブ専務に相談しても、
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「私だって死にたくない」
全部ミサキの指示なのですが、これはユッキー社長体制が始まった時に命じられた役割なのです。ミサキには、
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『女神懲罰官』
三座の女神から見ても首座と次座の女神ですし、常務から見ても社長と副社長ですから、最初の頃は穏やかに注意とお願いをしていたのですが、そんなものを屁とも思われずに喧嘩は始まりますからミサキも今や鬼の懲罰官になっています。なるほどこういうブレーキ役がお二人には必要とわかった次第です。
何度目かの喧嘩の後に三十階フロアを今の状態にしています。給料だって今や五十%カットで次に喧嘩したら百%カットで一年タダ働きと通告してあります。もし次もやらかせば、必ずそうします。許したりとか、温情なんてかけたりするものですか。どうもミサキの本気度が伝わったみたいで、ここのところは喧嘩もないようです。もっともこれだけ凄まじい喧嘩なのですがお二人に言わせると、
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「ちょっとふざけてるだけなのよ」
「そうそう、じゃれあってる程度」
「ほら、その証拠に怪我一つしてないでしょ」
「加減はしてるんよ。女の子同士の喧嘩って良く物投げたりするのと同じ」
まあ、お二人のエレギオン時代の喧嘩は神殿の床や壁の石が飛び交ったそうで、神殿が三回ぐらい瓦礫の山になってしまったそうです。おそらく、その時にくらべれば穏やかとお二人は仰りたいようですが、そんなものミサキが許すはずがないじゃありませんか。クレイエール本社ビルを瓦礫の山にされては困ります。
さすがにお二人ともコンクリート剥きだしの社長室や副社長室には少しは懲りたのか、顔を合わせるたびに、
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「そろそろ三十階を元に戻そうよ」
「そうよ、あれじゃ倉庫の中で仕事しているようなものじゃない」
「せめて床にカーペットぐらい敷いてもイイやんか」
「天井もないと落ち着かへんし」
ミサキは断固として、
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「いたしません。次にお二人が喧嘩をされたら、本社ビルから出て行ってもらいます」
「どこに行くの?」
「駐車場の隅っこにテント張っておきますから、そこが社長室と副社長室です」
でも仕事をやらせたら、ミサキやシノブ専務でさえ足元にも及びませんし、二人がコンビになれば最強なのも誰もが認めています。二人が行くところに不可能の三文字はないとまで言われています。そんなお二人の仕事ぶりはミサキから見ても激務なのですが、
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「コトリ、退屈ね」
「しゃあないやんか、ユッキー。これも仕事やし給料もろてるんやし」
「もっと刺激が欲しいわね」
「そないに楽しいことが起る訳でもないし」
「あ~あ、退屈。つまんないね」