シオリの冒険:サトル

 シオリ先生は丁寧に指導をしてくれますが、とにかく甘くありません。この三年の間にどれだけの、

    「こんなものプロの仕事じゃない、顔洗ってやり直せ!」
 これを喰らったかわかりません。でも言葉とは裏腹にボクに期待を寄せているのはヒシヒシと感じます。毎回のように撮影したすべての写真をチェックし、すべてについて指摘とアドバイスが入ります。

 弟子も相変わらずボク一人です。オフィス加納を復活して以来、押し寄せるような弟子入り希望がありましたが、

    「弟子はもう取らない。サトルが最後の弟子だからね」

 これを聞いた時には身の置き所がないって感じになりました。ボクもシオリ先生のところで勉強しているうちに、何かをつかみかけてる気はしています。シオリ先生の方針は加納志織コピーを作るのではなく、独自の個性を花開かせるところにあるのは何度も聞かされています。ですから、中途半端にシオリ先生のマネをすると容赦なくダメ出しされます。

    「師匠の技を盗むのが弟子の仕事。でもだよ、盗んでそのまま使ったんじゃコピーだよ。単なる猿真似じゃ本物を越えられるはずないだろ。盗んだ技を血として、肉として自分の技にするんだよ」

 そんなシオリ先生ですが最近になってボクの写真の評価が微妙に変わっています。

    「う~ん、そうか」
    「そういうことか」

 やり直しの回数もかなり減って来ています。そんなある日に、

    「サトル、個展をやるよ」
    「どこでですか」
    「それは手配しておくからスタッフに確認しといて」
 スタッフに聞くと、弟子が個展を開くと言うのはある種のテストみたいなもので、個展を開くほど認められてる評価でもありますが、ここで期待外れだったら見捨てられる可能性もあるそうです。そのために個展の時にはシオリ先生の事前の審査は無く、弟子が最高と思うものを出すとなっています。

 ボクがつかみかけてると思ってるものは、間違いなくシオリ先生は評価しています。我ながら自分の色が良く出ていると思うものは、シオリ先生はなんの指摘もしないからです。ボクの個性と世界はそこにあるはずです。

 ただなんですが、いつも撮れる訳ではないのです。撮影対象、撮影条件によりますし、それがそろっていてもボク自身の出来不出来で大きく左右されます。というか、満足できるものが撮れる方が少ないぐらいです。

    「サトル、これから一ヶ月、個展に専念しな。オフィスの仕事は無しだ」

 そりゃ、朝から晩まで寝る間も惜しんで専念しました。シオリ先生には、ボクがつかみかてるものが見えてるはずです。これを完全に自分ものにするために集中する時間をくれたんだと思っています。シオリ先生は、

    「プロのテクはいつでも使えてこそのもの。たまにイイのが上がるのは素人のまぐれ当り」

 自分の世界がいつも撮れる条件を分析し尽くしました。どうしてこの場合は撮れて、この場合は撮れなかったのか。その中に要素にレンズはありそうな気がしています。俗に言う良いレンズほど自分の世界に入りやすいのです。ボクが知っている最高のレンズとなると、

    「今日はお時間を取って頂いてありがとうございます。ボクはオフィス加納でカメラマンをやらせて頂いている星野サトルです」
    「社長のマリー・アンダーウッドです。御用件を伺いましょう」
 意を決してロッコールにコンタクトを取りました。広報担当に面会を申し込んだのですが、なんと現れたのが社長さん。それにしても日本語上手だな。それはともかく、後はボク次第です。ボクがシオリ先生の最後の弟子として扱われてること、自分の世界をつかみかけてること、そのためには最高のレンズが必要なこと。

 そりゃ、買えるものなら買いますが、ロッコールのフラッグシップである加納志織モデルは高いなんてものじゃありません。ある程度そろえるだけで家が建つ値段です。でも今のボクには必要なんです。アンダーウッド社長は静かにボクの話を聞いた後、

    「あなたがプロとして自立するために、弊社のレンズが必要ということですね」
    「無理な事は百も承知ですが、二週間、いや一週間、三日間でもかまいません。貸し出しをしてくれないでしょうか」

 ロッコールの加納志織モデルはシオリ先生が監修して作り上げられたもので、先生も愛用されています。ボクも触ったことはありますが、その素晴らしさは知っています。あれが今のボクには必要なのです。アンダーウッド社長は秘書になにか耳打ちされ、秘書はやがて大きなカメラ・バッグを持って現れました。

    「あなたのことは加納先生から聞いております。もし弊社に現れることがあれば、力になって欲しいと承っております」

 バッグを開けると加納志織モデルのセットが。

    「どうぞお持ちください」
    「いつまでですか」
    「星野さん、あなたの気の済むまで」
 シオリ先生は気が付いてたんだ。ボクの世界の写真を撮るにはレンズがキモだって。それをボクがいずれ気づくことを予想して、アンダーウッド社長に話をしていてくれていたのです。何度もお礼をいって、拝むように持って帰らせて頂きました。

 使ってみるとレンズの素晴らしさに改めて感動しました。そうですね、今まで持っていた最高のレンズが曇りガラスじゃないかと思うほど違います。批評誌に魔法のレンズとか、夢のレンズと絶賛されているのがよくわかります。

 このレンズを使うとボクの欲しい世界がハッキリと見えてきます。見えるだけじゃありません。レンズを通してボクの世界が広がります。今まで壁のように立ち塞がっていたボクの世界に自動ドアが開くように誘います。

 そうやって入れるようになると、他のレンズでの入り方もわかりました。いわゆるコツをつかんだのです。もう個展まで五日を切ってましたが、それこそ撮りまくりました。個展のための展示が終わった頃にシオリ先生が現れ、

    「サトル、つかんだな」

 この言葉を聞いた瞬間に涙が止まらなくなりました。

    「泣くなサトル、これからお客さんが入ってくるんだから」

 そういうとシオリ先生は受付の方に。この個展ではシオリ先生が受付をされます。個展の合否の基準はシオリ先生が受付をするかどうかなのです。シオリ先生は、

    「受付も久しぶりだねぇ。わたしが受付で評判落としたらサトル先生にどやされるよ」

 シオリ先生が声をかけてくれたからだと思いますが、写真界の重鎮とされる方も次々と訪れましたし、業界誌の取材もありました。応対に大わらわでしたが、成功裏に終わったとしても良いと思います。業界誌にはこじんまり記事でしたが紹介され、

    『和の美の世界の探求者』

 こういう評価を頂いています。ロッコール社を訪れてレンズを返そうとしたのですがアンダーウッド社長は、

    「このレンズは気に入りませんでしたか」
    「そんなことはありません。まさに最高のレンズでした」
    「では引き続きお使いください。お貸しする時に『気が済むまで』と申したはずです」
    『カランカラン』

 シオリ先生に誘われてバーに、

    「サトル、三年もかかって悪かった。もっと早く教えてやることも出来たんだけど、自分でモノにしないとメッキみたいなもので、すぐに剥げちゃうからね」
    「レンズはいつ気づかれたのですか」
    「初めて会った時だよ。あの時はライカを上手く使うのもだと思ってたけど、弟子にしてからはっきりわかったんだ。サトルの写真はレンズに大きく左右されるって」
    「だから・・・」
    「そうだよ、サトルは必ず気づくって。レンズを追求したら行くだろうって」

 今日のシオリ先生は一段と綺麗に見えます。まさに息苦しいぐらいに綺麗で、喉が渇いて仕方ありません。

    「あのレンズを使うことで、他のレンズも使えるようになった気がします」
    「そういうこと。あのレンズはサトルの世界に入り込むには最適だったし、入ってしまえば他のレンズでも駆使できるようになるさ。それだけの苦労をサトルは積み重ねたんだ。おいおい泣くなって、サトルは男だろ」

 今までの苦労が思い浮かび、涙が止まらなくなっています。

    「サトルはもうどこに出しても恥しくない一流のプロだよ。最後の弟子が最高の弟子とは嬉しいね。フォトグラファーの最後の仕事としてやりがいがあったよ」
    「すべて先生のお蔭です」
    「悪いけど、ちょっとだけ恩返ししてくれるかい」
    「なんでも言ってください。出来る事ならなんでもします」

 シオリ先生はグラスを静かに傾けてから、

    「長くないよ」

 えっ、

    「そろそろお迎えが来るってこと」

 まさか病気?

    「だからサトルにオフィスを継いで欲しいんだ。あの連中もわたしがいなくなれば、仕事に困るし。頼めるかな?」
    「ボクでイイのですか」
    「セコハンで悪いけど、そうしてくれたら助かる」

 ずっとボクがオフィス加納を背負うって言われ続けてきたけど、あれは本気だったんだ。数日後にオフィス加納のスタッフの前でシオリ先生は、

    「わたしも八十三だ。カズ君が癌になった時に、仕事じゃなくて、自分で撮りたいもの撮ろうと思ってたのだけど、その夢を叶えたい。だから一線は退きたい」

 スタッフに沈黙が広がります。

    「社長はサトルで、わたしは顧問で好きにさせてもらう。悪いけど了承して欲しい」

 スタッフの反応が心配でしたが、

    「シオリ先生、ありがとうございました」
    「この三年間、また一緒に仕事が出来て幸せでした。後は先生の時間をお過ごしください」
    「な~に、オフィスにはサトルがいます。コイツなら立派に先生の跡を継いでくれますよ」
 こうして思わぬ成り行きでボクがオフィス加納の社長に就任です。看板の余りの重さに押し潰されそうですが、石にかじりついても守って見せます。