女神伝説第1部:運命の日

 ミサキはコトリ部長とシノブ部長に一緒に行くとは宣言しましたが、最後の最後まで置き去りにされるんじゃないかと心配でした。でもちゃんと迎えに来てくれました。ミサキはマルコからもらった二つの宝物のネックレスと指輪をつけて、

    「マルコ、ミサキを守って」
 こう祈りました。タクシーで向かったのですがコトリ部長は、
    「ミサキちゃん、とりあえずシオリちゃんの大ファンってことにしといたからね」
 なんのことかと一瞬思いましたが、山本先生にも加納さんにも人としては初対面なんです。初対面なのにいきなり家まで上がり込むのならなにか理由がいるってところです。途中で文房具屋に寄って色紙とサインペンまで購入しました。ここでちょっと気になる事を、
    「山本先生ってどんな方ですか」
    「そうねぇ、優しい人だよ。でも優しいだけじゃないのよ、強い人でもあるの。格闘技やらしてもムチャクチャ強いんだけど、そういう意味じゃなくて心が強い人。それでいてすっごくピュア。傷つきやすい人でもあるの」
    「前から気になっていたのですが、どうして三人の女神に愛されたのですか」
    「ああ、そのこと。それはコトリにもわからない。なにか理由があるのか、タマタマなのかもわかんないわ。でも、カズ君こそ世界一イイ男と今でも思ってる」
 そうだった。コトリ部長はかつて加納さんと山本先生を激しく争ったんだった。今だって会えば心が痛むはずなのに、それでも会いに行こうとされてる。どうにもさっきから体の震えが止まりません。ふと見るとコトリ部長の手もかすかに震えています。シノブ部長は一言も話しません。

 みんなこれから起る事に様々な暗い予感を抱えているのがよくわかります。ミサキもマルコからもらった指輪を固く握りしめています。そうそうマルコのお見舞いにも行ったのですが、単なる寝不足と低血糖だったみたいで元気になってました。指輪のことを聞いたら、

    「あれは守りの指輪って呼ばれてる。ひい爺さんもエレギオンの金銀細工師だったのだけど、たぶんひい爺さんにのみ伝えられたものだと思ってる。必ずミサキを守ってくれるよ」
 今はその言葉を信じるしかありません。ふと窓の外を見ると快晴ってぐらいのお天気で、公園で遊ぶ子どもの姿が見えます。楽しそうなんですが、なにか自分は別次元の世界に向かっているような気がしています。いつの日かマルコとの子どもと、ああやって公園で遊ぶ日は来るのでしょうか。しばらく走るうちに立派を越えて超豪華なマンションの前に到着しました。インターフォンから連絡をコトリ部長が取られると自動ドアが開き、エレベーターに向かいます。
    「最上階なんですか」
    「そうよ、最上階は一部屋しかないの」
    「ふぇぇぇ、さすがお医者さんだ」
    「違うわよ、いくらカズ君がお医者さんでも無理。これはシオリちゃんが買ったようなものよ」
 そうだった、加納さんは人気ナンバーワンのフォトグラファーなんだ。一億や二億ぐらいはたいした金額じゃないのかもしれない。やがてエレベーターは最上階に着き扉が開くとそこはホールになっていました。ついに首座の女神の家に着いてしまったのです。なんか喉が渇いてしかたありません。
    「ミサキちゃん、最後のチャンスよ。今なら戻れるよ。このままエレベーターで下りたらイイだけだから」
    「いえ、わたしは行きます」
 コトリ部長はミサキを見つめて、
    「さあ、笑って。別にヤーさんの事務所に殴り込みに行くわけじゃないんだから」
 なんかそれぐらい怖い気もしないではありませんが、コトリ部長はドアホンをついに鳴らされました。
    「コトリです」
    「いらっしゃい、今、開けます」
 あの声は加納さんのはずです。初めて聞きましたが、とくに緊張している様子はありませんでした。そりゃ、そうか。主女神が宿ってるとはいえ、なんにもしらないですからね。ドアが開くと広くて大きな玄関になってます。そこに加納さんが立っておられたのですが、それこそ驚かされました。美人だ、美人だとテレビでも週刊誌でも話題になられていますが、世の中にこれほど綺麗な人が本当に存在するんだと見惚れてしまいました。
    「コトリちゃん、久しぶり、よく来てくれたわ。あのバーの時が最後だったかしら」
    「そうだよシオリちゃん、結婚式は行けなくてゴメン」
    「イイのよ。今日、コトリちゃんが来てくれただけで十分よ。会いたかった」
    「コトリもよ」
 加納さんは本当に嬉しそうです。
    「シノブちゃんも久しぶり、会えて嬉しいわ。あの時の素敵な彼氏と結婚したんですって。おめでとう」
    「ありがとうございます」
 今日初めてシノブ部長の声を聞いた気がします。
    「こちらが香坂岬さんね」
    「初めまして。厚かましいと思いましたが、是非一度お目にかかりたくて、小島部長に無理やりお願いしました。後でサインをもらって良いですか」
    「ミサキちゃんって呼んでもイイのかな。大歓迎よ、ゆっくりしてって下さいね。サインなんてお恥ずかしいけど、私ので良ければもらって帰って下さいね」
 その時に奥の方から、
    「お〜い、シオ、いつまでも玄関に立たせたままにするのは失礼だぞ。早く上がってもらい」
    「あらやだ、失礼しました。どうぞ、どうぞ、お上がりください」
 加納さんってフォトグラファーですから、もっとシャキッとした感じの対応をされると予想してたのですが、それこそ優美そのものです。リビングに案内されるとそれこそ二十畳ぐらいは余裕である広さです。そこには山本先生が立って出迎えてくれたのですが、
    「さあ、さあ、まず座って、座って。さっき、あんなこと言うてもたから、ここで立ったまま挨拶やらかしたら、シオに睨まれる」
    「そんなこと言いませんよ〜だ。お茶を淹れますね」
 大きなガラス窓からレースのカーテン越しに入って来る光が部屋を照らしています。
    「カズ君、開業したんだって」
    「そやねん。シオも忙しいやんか、ボクも勤務医やってたから、しょっちゅう病院から呼び出しがあってな・・・」
 そんな話をしている時に加納さんが紅茶をもってリビングに現れ、
    「私もね、カズ君と結婚してビックリさせられたの。だって、やっと帰ってきたと思ったら、呼び出しでしょ。それが毎晩のようにあるのよね。ホントあ・・・」
    「シオ、今日は優雅な夫人役をやるんだから、下ネタはアカン」
    「あははは、そうでした。やはり二人の時間が欲しいから、開業してもらったのよ」
    「その『よ』はやめて〜な。ただでも、シオが趣味で飼ってるペットみたいに言われてるんやから」
 なんとなく山本先生のお人柄がわかってきました。緊張したミサキたちをリラックスさせるために、わざと笑いを取ろうとしているされてるみたいです。それにしても、ホントに仲の良さそうな御夫婦で、見ただけであんな御夫婦になりたいと感じさせます。ちょうどシノブ部長の御夫婦を見た時と同じような感触を持ちます。

 そこから山本先生は『飼われてる』ネタで笑わせてくれましたが、ミサキの見る限り加納さんは常に山本先生を立てられます。その姿が本当に自然で嫌みがないのです。ずっと固い表情であったシノブ部長まで笑っています。ここでコトリ部長が、

    「カズ君、どこまで台本書いてたの」
    「ばれてたか、もうちょっとで終りや」
 これも聞いてみると、山本先生はこういう時に笑いを取るためにわざわざ台本書いて練習までするそうです。そうこうしていると、加納さんが、
    「ミサキちゃん、これ早いけどお土産。こんなもので悪いけど、良かったら持って帰ってね」  
見てみると、美しい風景写真に加納さんのサインが入っており『香坂岬さん江』とまで副えられていました。お礼を言ったのですが、
    「大ファンとまで呼ばれたら、これぐらいはね」
 そうやってウインクしてくれました。もうそれだけで大ファンになりました。ホントにホノボノした雰囲気で家に入る前のガチガチの緊張感が解きほぐされるようです。このまま、帰れたらどんなに嬉しいかと思った瞬間にコトリ部長が立ち上がられました。
    「シオリちゃん、ちょっとゴメン」
 そう言った瞬間に加納さんはソファに崩れ込みました。コトリ部長がやったのかと思ったら、
    「知恵の女神、あなたがやるとキツすぎるのよ」
 可愛い女の人の声がします。コトリ部長も驚いたみたいで声の方に振り返ります。そこには意識を失くした山本先生がソファに崩れ込んでいるのが見えます。
    「ユッキー、卒業以来ね」
    「うふふふ、そうね、四百年ぶりぐらいかしら、知恵の女神」
 ミサキもシノブ部長もソファから立ち上がれない感じです。
    「四百年か。結構長かった気がする。ところで、首座の女神がイイ、ユッキーがイイ。私はコトリと呼んでほしいけど」
    「じゃあ、ユッキーにして下さる」
    「イイよ」
 やはりコトリ部長はどうしても首座の女神に会いたかったんだ。でも、こうやって首座の女神が出て来たからには、行くところまで行くことになる。マルコお願い、ミサキを守って。
    「コトリ、まさか五人の女神がこの部屋にそろうなんて、ちょっとビックリしちゃった」
    「コトリもそうよ。もう永遠にそろうことはないと思ってた」
    「でも、そろっちゃったね」
 コトリ部長は、首座の女神の言葉を噛みしめながら、
    「ユッキーに聞きたいことがあって来たの」
    「あら、知恵の女神のコトリが知らないことでもあるのかしら」
    「うん、だいぶ忘れちゃってね」
    「そうなんだ」
 コトリ部長は少しためらいを見せながら、
    「イタリアに行ってきた」
    「あれまあ、何年ぶり」
    「あれ以来」
 コトリ部長やシノブ部長、さらにミサキも含めて、あれだけイタリア語が話せた理由がやっとわかりました。もともと喋ってたんです。大学の授業の時に学んだけど、イタリア語って十三世紀ぐらい殆ど変わってないらしくて、四百年前でも十七世紀初めだから、思い出しさえすれば話せるようになるのです。
    シラクーサも行ったの」
    「行ったよ」
    「あそこも」
    「だいぶ変わってた」
    「そりゃそうでしょうねぇ」
 コトリ部長は意を決したように、
    「どういう理由だったの」
    「思い出さない方がイイよ。コトリだって頑張って知恵を絞ったんだし、それを認めたのはわたしなんだから」
    「でも知りたい。あのね、イタリア、とくにシラクサ行って、だいぶ思い出しちゃったの」
    「コトリはそのために行ったんでしょ。わざわざ静かなる女神や輝く女神まで連れて」
    「バレてた」
    「だって、わたしは首座の女神」
 なんの理由だろう。
    「とにかく大きすぎたのよね」
    「そういうこと、ブレが大きくてお世話するのが大変だった」
    「だから分散しようってコトリが言ったのよね」
    「ユッキーだってそうしようって言ったじゃない」
    「まあ、そうだけど」
 どうしてこの二人はこんなにわかりにくい話し方をするの。
    「でもまだ十分じゃなかった。だからコトリがまた知恵を絞ったのよね」
    「あれで良かったと思ってるよ。当時はね」
    「だけどわたしは最後まで反対した。やっぱりあれは良くなかった気がする」
    「ユッキー、どうしてもあなたとは相性良くないね」
    「そうねぇ、昔から意見が合わないのよね」
 どうにも話し合いの雲行きは怪しそうです。
    「結局は払った犠牲に見合うメリットの考え方かな」
    「そういうけど、結局わたしが殆どやる羽目になったじゃないの。コトリは上手いこと逃げちゃうから」
    「それは言い過ぎよ、希望したのはユッキーじゃない」
    「希望じゃなくて、最初はで交互にする話だったはずなのに、蓋を開けてみたら首座で固定じゃない」
    「だってわたしの方が弱いもん」
    「五分だったのをさらに二人作って、わざとわたしより弱くなっといて」
    「ユッキーの方が合ってるんだもの。だからずっと委員長」
 なぜかコトリ部長の言葉に首座の女神が妙に受けています。それはともかく、シノブ部長とミサキはコトリ部長が力を分け与えて誕生したみたい。だから、あれだけ気が合うのかもしれない。
    「もう念のための部分は外してイイと思うの」
    「なんだ、全部思い出してるじゃない。それなら話が早いわ」
    「もうコトリの分はいらない気がする」
    「それは、やってみないとわからないし、それより、またコトリはわたしに全部押し付けて逃げる気」
 首座の女神の口調にかすかな憤りを感じます。
    「ユッキー、怒らないで聞いてね。ユッキーもコトリも、もう解放されてもイイ気がしてるの。日本に来た頃は『いつの日にか』ってのもあったけど、もう四百年よ」
    「でもそうなれば、わたしもコトリも消えるかもよ。もちろんそこのお二人もだけど」
    「ずっと思ってたんだけど、いなくても良くない。これだけやってると、寄生虫みたいな気がしてしまうの」
    「そうね、あの時にもそう感じ始めたから、日本に来た時に記憶を封印しちゃったのよね」
    「それ考えるとユッキーは、とっくにコトリの封印取れちゃってるのに続けてるのはエライと思うわ。コトリなんて剥がれた途端にイヤになった」
 なんか話がトンデモない方向に進んでいるのだけはわかります。
    「ユッキーも疲れてるんじゃない」
    「どうして?」
    「放しちゃったじゃない。あれだけ後生大事に抱え込んでいたのに」
    「まあね、ちょっと前に教祖様やってたの知ってる」
    「それ、聞いた。ユッキーらしいと思った」
    「でも、同じだった。コトリがいて欲しかった。いれば変わっていたかもしれなかったと思ってる」
    「無理よ、相性悪いもん。一緒にやっても同じだよ。経験済みだからね」
    「確かに」
 首座の女神がなにか考え込んでる気がします。
    「コトリと相性悪いのはイヤってほど経験済みだけど、やっぱりコトリのアドバイスは必要ね。四百年ぶりに聞いて耳が痛いわ。白状するわ、離れてみたかったのよ」
    「やっぱり、そうだったんだ。でも離れてやったら、どうなるかも知ってたんでしょ」
    「もちろん承知の上でやったよ。でも、そりゃ、楽しかった。キッチリ百日だったのは笑ったけど」
    「じゃあ、シオリちゃんにはいつ?」
    「お見舞いに来た時」
 今度はコトリ部長が考え込んでいます。
    「見えてたの?」
    「ゴメン、見えてなかった」
    「でもシオリちゃんに渡したんでしょ」
    「あんなに上手に馴染むとは予想外だったのよ。それもあれだけ穏やかに」
    「ユッキーも人が悪い。失敗するのを期待してたの」
    「失敗するかもしれない保険のためにコトリを選んでしまったの。見えてたら選ぶわけないわ」
    「いつわかったの」
    「かなり最後の方であわてた。この件は知らずにやったとはいえ、コトリに謝るわ。でもね、知らずに見たら本当にイイ女だったのよ。だから選んだ」
    「ありがとう。でも、そうしないとね」
 どうもこれはコトリ部長と加納さんのラブ・バトルに関連するお話のようです。
    「わかったわ、コトリのはもう外すわ」
    「カギは」
    「わたしが持ってる」
 コトリ部長が『うっ』と言った後に、
    「他の二人の分は」
    「取り込んだ時に外してる」
    「重荷は二人でイイよね」
    「そうね、解けないように二人がかりでやっときましょう」
 ミサキもシノブ部長も『うっ』。頭を殴られたような衝撃です。
    「ユッキーはどうするの」
    「もうちょっと考えてからにする」
    「それでイイの」
    「だって男の体だもの」
    「どう、住み心地は」
    「だいぶ慣れたけど、変な感じ。だってレズやってるみたいなものでしょ」
    「そっか、そうなるよね」
    「次はやっぱり女にする」
 なんか上手く話が収まりそうなんですが、
    「カズ君、好きだね」
    「そりゃ、そうよ。カズ坊は氷姫であるわたしを愛してくれた人だもの」
    「ユッキーのそういうところ変わらないね」
    「ありがとう」
 どうも聞いてる限り首座の女神とコトリ部長はそんなに相性が悪そうには見えないのですが、
    「ところでユッキー、もしコトリがあのまま主女神を起してたらどうした」
    「コトリでもその時は容赦しなかった」
    「大怖い、ユッキーとは争いたくないよ。どうしたって勝てないもの」
    「それはこっちのセリフよ。そりゃ、あの時みたいに女神を取り込む手はあるけど、あれって本当にコトリ相手にやると大変で、思い出すのもゾッとするわ。コトリに較べれば眠れる主女神なんて可愛いものだったけど」
 コトリ部長は苦笑いしながら、
    「というかさぁ、ユッキーがいつまでも出てくれないから、困ってたの。あのままじゃ、カズ君の漫才だけ聞かされて帰る事になっちゃうじゃない」
    「それで、帰ってくれるのも期待してたんだけどなぁ。ところでコトリ、次はいつ会えるかな」
    「四百年より短いと思うよ。それよりいつまでそうしてるつもり。そりゃ、そうしてくれたら助かるけど、それじゃユッキーが余りにもじゃない」
    「イイのよコトリ。カズ君が生きているうちはわたしがそうする。コトリと違ってわたしはゼロじゃないから、それなりに楽しめるの」
    「でもユッキー、イイ時代になったと思わない」
    「そうね、女神が自由に恋して幸せになる時代が来るとわね。ではまた会う日まで、そうそう、他のお二人もまたお会いしましょう。今日は知恵の女神とくたびれる会話をしなくちゃならなかったから、ユックリお話できなくてごめんなさいね」
 コトリ部長とユッキーの会話がどれぐらい続いていたかはわかりません。とても長かった気もしましたが、ほんの一瞬だった気もします。というか、あれは本当に声を出しての会話だったのでしょうか。
    「何してるんや、シオ」
    「ちょっとめまいが」
    「そりゃ、働き過ぎやで」
    「カズ君に言われたくないわ」
 それを機会にミサキたちは帰らせて頂きました。玄関で加納さんは、
    「今日は十分なおもてなしも出来ずに申し訳ありませんでした。これに懲りずに、また遊びに来てくださいね」
 玄関の扉がしまった瞬間に、終わったって感じました。たぶんですが無事に出て来れたはずです。本当に無事かどうかを確かめる方法は頭に浮かびませんでしたが、とにかくマルコに一刻も早く会いたい気分でいっぱいです。