第3部後日談編:女神は甦る

 私の本来進むべき道は、どこだったんだろう。今はフォトグラファーとして成功してるから、この道と信じたいけど本当にそうなんだろうか。ヒョットしてあの坂元のところから転落人生を送るのが本来進むべき道だったんじゃないだろうか。どう考えてもそちらの方が私には相応しい。

 私がいなかった世界を考えてる。そうであれば、みいちゃんは坂元と素直に結ばれたはず。結ばれれば坂元も私との時のような事はしないし、みいちゃんと幸せな家庭を築きながら順風満帆なエリートコースを歩んで行ったはず。

 カズ君もそうだ。カズ君がみいちゃんに熱中できたのは、坂元を私が落としたから。みいちゃんがいなければ、あの大失恋もなく、コトリちゃんと結ばれて幸せになっていたとしか思えない。私が坂元さえ落としていなければ、今頃は幸せ一杯のカップルになっていたはずだ。

 みいちゃんもそう。坂元がいなくなったばっかりに、不幸な結婚になってしまったんだ。そんな結婚の原因を作ったのも、誰が見ても私。そのうえ、やっと本来結ばれるべき坂元と結ばれても、坂元にはこれから大変な人生が待っている。それをみいちゃんに強いてるのも私が原因。

 坂元でさえそうだ。私だからあんな狂気に走ってしまったんだ。坂元は私で道を誤ってしまったんだ。私にさえ出会わなければ、もっと素晴らしい人生を歩み、やがてみいちゃんと出会い、昔のままの坂元でいたに違いない。

 どう考えても諸悪の根源は私しかいない。私は罰を受けなければならない。たしかに坂元には罰を受けている。でもこの程度では坂元の人生を狂わせたのさえ償えないかもしれない。たとえ坂元の分の償いになっても、まだみいちゃん、カズ君、コトリちゃんの分には全然足りない。償うためには転落人生をひたすら歩み、誰もから後ろ指をさされ、軽蔑され、パン一個のために喜んで体を開く女になるぐらいは必要だ。

 カズ君は私を転落寸前から救ってくれた。坂元の影に屈しようとした私をもう一度救ってくれた。そのお蔭で今の私がいるが、カズ君になにか良いことがあったんだろうか。時間と手間だけかけさせて、カズ君が手にしたものは何かを考えると悲しすぎる。せいぜい、私の穢れて小汚い体を抱いたぐらいだ。こんなものになんの価値があるんだ。代償どころか飴玉一個の価値すらない。

 今だってそうだ。私はまたぞろカズ君と結ばれたいなんて思ってる。この小汚い体を抱いて欲しいなんて思ってる。そのために結ばれれば、必ず幸せになるはずのコトリちゃんの邪魔をしているだけ。もし間違ってカズ君と結ばれようものなら、必ずカズ君の人生を狂わすだろうし、さらに多くの人を不幸の道に導くとしか思えない。

 そうなんだよ。私さえいなければ、みんな幸せだったんだ。私さえいなければあんな不幸は起らなかったんだ。私さえ、私さえいなければ良かったんだ。私なんかこの世にに必要なかったんだ。私って人の不幸を食い物にして立ってるだけじゃない・・・

    「おい、シオ、どうしたん」
    「ゴメン、ちょっと考えごとしてたの」
    「なに考えとったん。えらい深刻な顔してたで」
 カズ君は優しい。カズ君の言葉に裏表はない。言えば必ず守る。あの夜に『頼れ』と言った限りは必ず頼らせてくれるし、『守る』といった限りは必ず守ってくれる。さらに『責任を取る』と言った限りは望めば結婚だってしてくれる。でも、私がいる事でカズ君に不幸を呼び寄せてる気がする。カズ君の隣に座るのは私じゃない。今ならコトリちゃんでなければならないんだ。
    「シオ、悩み事があるんやったら相談してや」
    「ううん、だいじょうぶ」
 本当はしたい。全部打ち明けて聞いてもらいたい。
    「今日のシオはおかしいぞ」
    「そうかなぁ」
    「ちょっと悪いけど、ボクの話を聞いてくれるか」
    「もちろん、イイよ」
 なんだろう。
    「ボクはシオを恵みの女神と思てる」
 違うわ、私は疫病神がお似合いよ。
    「恵みの女神であるはずのシオが、なんであんな辛い目に遭わなあかんねやと、ボクは天を恨んだわ。なんでもっと幸せな道を歩かせてやらへんのやと」
    「・・・」
    「ボクも坂元を恨んでる。シオやないか、女神やないか、なんであんな事やらなあかんのやって。出来るもんやったら、今からでも殴り倒しに行きたいぐらいや。普通にシオを愛してたら、シオはフォトグラファーにはなれんかったかもしれんけど、ゴールデン・カップルで人も羨む夫婦やったかもしれへんやん」
    「・・・」
    「でも悔しいけど、済んでしもたもんはしゃあないやん。人ってな、先の事はわからへんねん。その時良かれと思ったことを、信じて進まなしゃあないぐらいに思うようにしてるんや。結果が見えてたら進まへんかった道でも、誤って進んでしまうことがあるのが人生ちゃうんかな。でもな、ヒョットしたら先が見えてた人間が一人だけいたかもしれへん」
    「それって、ユッキー」
    「どこから、どこまで見えてたかわからへんけど、死に近づくほど見えてた気がするねん。あのユッキーがあれだけシオを買ってたんやろ・・・」
 ユッキーは私を買ってくれていた。カズ君の恋人になることさえ勧めてくれた。そうだユッキーには私のすべてが見えてたはずなんだ。私の黒歴史さえ見えてたはず。それでもユッキーの私への信頼は揺らぎもしなかったし、あの最後の日に私を選んで呼び寄せてくれたんだ。それにユッキーはここまで言ってくれていたんだ。
    『あれっ、そっか、なるほど、そういうことか。たしかにどっちがイイかなぁ。私はシオリが良いと思うけど』
 ここまで来るとハッキリするが、カズ君の恋人候補は私とコトリちゃんであり、そういう状態になってもまだ私を買ってくれている。ユッキーはもっと見ていたはず。みいちゃんも見ていない訳がない。私がみいちゃんにやったことも見ていたはずで、それでもまだ私を買ってくれてるんだ。

 ユッキーは私がみいちゃんの件で坂元の最後の呪縛を振り払うのも見えてたんだ、そうなった私をカズ君の恋人候補としてユッキーは認めてるんだ。私は誰にも認められていないと思っていたが、ユッキーには認められていたんだ。この世の誰に認めてもらうより、ユッキーに認められている方がよほど価値がある。これ以上、認められて嬉しい人はいない。

 ユッキーは私のすべてを見てもなお、私にあれだけの信頼を置いてくれているんだ。私はカズ君に洗いざらいぶち明けた夜に甦ると心に決めたけど、それでも正直なところ不安だらけだった。本当に変われるのか。変わったつもりだけで、私の心の奥底の坂元の呪縛は永遠に私を縛り付けてるんじゃないかと。

 そうだよ、間違いない、ユッキーは私が変わり甦るのを見てたんだ。私が甦るのが見えていたから、私をあれだけ信用してくれていたんだ。私は本当に変われたんだ。私は本当に甦ってるんだ。

    「カズ君ね、ちょっと悩んでたことがあったの。実はね・・・」
 思い切って話してみた、
    「そんなこと悩んどったんか。誰もシオが不要な人間と思てへん。それはな、シオが一番不幸になる組み合わせを作っただけや。考えてみいな、シオの組み合わせやったらユッキーが出るとこあらへんやん。そんな不幸な目にボクを遭わす気か、ユッキーを氷姫のまま死なす気か。世の中の巡り合わせって、そんなもんやと思うねん」
 そうだった、ユッキーを入れるの忘れてた。
    「それとな、人生は案外帳尻が合うようになってる気がするねん。例外もいっぱいあるのは確かやけど、シオの辛かった分はどこかで埋め合わせがあるはずやねん。フォトグラファーになりたかってんやろ。今なってるやん。これも穴埋めの一つやんか。これは気悪するかも知れへんけど、あの辛い経験がなければ、ボクのところに来るはずがなかったし、言うたら悪いけど、ボクのところに来んかったらフォトグラファーになれんかったかもしれへんやん」
 たしかに。あの辛い経験を潜り抜けていなければ、カズ君に会う事さえなかった。カズ君に会えなければ、売れないカメラマンで終っていたのは間違いない。それも経験したんだ。あの辛い経験が今の私の始まりになってるとしか言いようがない。
    「でもまぁ、ありゃ、それでも辛すぎたわ。でもその代わりに、もっともっと埋め合わせを期待してもエエんちゃうん」
    「カズ君」
    「なんや」
    「私も普通に男に恋して、やきもきして、嫉妬したってイイんだよね」
    「当たり前やん。そうやって、もっと穴埋めしてもらうのが、シオのこれからの進む道や」
    「ありがとう。私、頑張って恋をする。もっと幸せになりたいもの」
    「ええ顔してるで、シオ」
 完全に吹っ切れた。今この瞬間に私は甦り、完全に復活したんだわ。もう何にも縛られずに恋をする。私はカズ君が好きだ、好きだ、大好きだ。心の底から愛してるし、喉から手が出るほど欲しい。恋とはそんなもんだよ。これこそ恋なのよ。たとえライバルがいたって譲らないよ、欲しいから奪い取ろうとするのが恋なのよ。

 天使のコトリちゃんなら、相手に取って不足はない。そりゃ、世界一イイ男を争うには、それぐらいのライバルがいなければおかしいわ。正々堂々の恋の勝負よ。天使はこれまでで最強のライバルだけど、甦った女神様は甘くないよ。覚悟してかかってらっしゃい。

 女神に勝ちたいなら、すべてを賭けないと話にならないよ。女神も天使に勝つためには、もてる力のすべてを使い切る。これから二人の全力バトルが始まると思うとワクワクするわ。世界一イイ男は一人しかいないんだから、勝って選ばれた方が間違いなく世界一イイ女よ。

    「カズ君、乾杯してくれない」
    「なんの乾杯?」
    「女神様が甦った乾杯」
    「もともと、そうやないか」
    「グレードアップしたの」
    「なんのこっちゃ」
    「イイの、イイの。とにかく嬉しいからお願い」
    「まあエエけど」
    「それじゃ、乾杯」
 グラスを合わせた音が、コトリちゃん、私のゴングよ。この瞬間から女神と天使の恋の最終バトルが始まったのよ。うふふふ、これ以上はないぐらいの組み合わせの頂上決戦だよ。

 あの時のユッキーは、まず私にカズ君を託そうとしていた。『ちょうど良い』とまで言ってくれてた。ただもう一度見直してたんだ。そこで天使の存在に気がついたのは間違いない。女神と天使の運命を示している言葉は

    『シオリもそれじゃ辛いかもね。でも必ずしもそうなるとは限らないみたいだし』
 これって、どう解釈しても私が有利な予言と思えないのよね。私にいったいどんな辛いことが起こるんだろう。ここだけでも天使との勝負が甘いものでないのは十分すぎるほどわかるわ。甦った女神の力を以てしても、耐える戦いを強いられそうな感じがする。でもね、こう見えても耐えるのはかなり自信があるのよ。弱音なんて吐くもんか。

 とりあえず今問題なのは、まだリングに上がっていない天使がいつ出てくるかだわ。できたらリングに上がる前に決着が付けれたら言うことはないけど、上がっちゃうんだろうな。それは仕方がないと思うけど、私が手引きをしたりはしないよ。そこまで私はお人よしじゃないの。上がってくるなら自分で上がっておいで。

 でも、まさか私が天使をリングに手引きしてあげちゃう? それだけはいくらなんでもないよね。それじゃ私は単なる道化師やん。いきなりそんな役をやらされるから、そこからさっそく『辛い』じゃ、あまりにも前途多難すぎると思うんだけど。