第3部後日談編:その人

 オレの通ってる道場は市内でも一番なんだ。格闘技好きなら誰でも知ってるぐらい有名。とにかく館長の教え方が上手くて上達が早いんだよ。この館長だけど優しいと言うよりお人よしと言ってよいぐらいの人なんだけど、稽古は甘くなんだよな。そんな厳しい稽古を乗せられてやらせてしまうあたりが館長の本領かもしんない。

 それと上達は早いんだが、昇級・昇段試験はムチャクチャ厳しいんだ。他の道場に較べたら三倍ぐらい厳しいんじゃないかな。だからこの道場で初段になれたら他の道場の連中は一目置くどころじゃないんだ。たぶん二段かいや三段ぐらいに扱われるぐらいかな。

 そんでオレは三段。自慢するわけじゃないけど、この道場で三段になるのがどれだけ大変だったか。オレの前に三段になったのが五年前ってぐらいなんだ。それでもオレは満足してなくて幻と言われてる四段を目指してるんだ。

 それで館長に聞いてみたんだ。どうやったら四段になれるかって。館長はいつもニコニコしている人なんだけど、

    「うちの道場は三段までで四段はないよ」
 こう言うんだよ。たしかにオレも記録でさえ見たことはないけど、かつて四段以上がいた話は聞いたことがあるんだ。だからその話を館長にぶつけてみたんだ。やっぱり上を目指したいのが格闘技者のサガみたいなものだし。そしたら館長は珍しく難しい顔をして、
    「そんなに四段が欲しいか?」
 こう聞くんだよ。そりゃ欲しいから必死で食い下がったんだ。そしたら館長は明日までに考えておくと言ってくれたんだ。で、翌日に勇んで館長のところに行ったら、
    「特別に昇段試験を行う」
 そう言ってくれたんだ。飛び上って喜んだよ。昇段試験は再来週の日曜日なんだけど、その時に取り計らってくれるって。気になるのは試験の内容なんだけど、
    「ああ、試合をしてもらうだけ。相手は昨日連絡して了承してもらったよ」
 もうちょっと詳しく聞いたら、勝てばもちろんなんだけど、負けても内容で評価するって。猛烈にファイトが湧いたんだけど、気になるのはその相手。とりあえず知ってる範囲の門下生でオレが勝てない相手なんていないんだよ。

 そうなると昔の門下生になるかもそれないけど、三段だって五年前だよ。オレも会った事あるけど、もう現役じゃなくて半分引退状態。たまに顔出して初心者の指導をやってるぐらいなんだ。オレも稽古をつけてもらったことがあるけど、悪いけど今のオレなら楽勝ってところ。

 昇段試験の日は写真撮影もすると聞いてた。パンフレットを作り直したり、ホームページを更新したりするからだって。写真集も出すって言ってたっけ。とはいえオレは館長の知り合いの写真好きとか、せいぜい近所の写真館ぐらいに頼んでるって思ってたんだ。うちの道場は質は一番と思ってるけど、カネはどう見てもなさそうだから。

 ところが当日に来たのはプロの写真家のチーム。その撮影準備の凄いこと。プロの本格的ってああいうのかと初めて見たよ。それだけでも十分驚いたんだけど、一番ビックリしたのはそのプロの写真家の名前。写真も趣味って程ではないけど、そこそこ興味があるから知ってるんだけど、たぶん日本で一番人気のある写真家じゃないかなぁ。とにかく依頼が殺到していて、なかなか撮ってくれないんでも有名なんだ。よくあんなところが来てくれたもんだと思うほどのところなんだ。

 スタッフの準備が一通り終わった頃に写真家の先生が出て来たんだけど、女性ですっごい美人なんだ。目が眩むほどってよく言うけど、マジで目が眩んじゃったよ。道場に入っただけで、全員の目が文字通り釘付け。とにかくスタイルも抜群で、仕事ぶりも格好良いんだ。あそこまで行くと、もう美人なんてレベルじゃないね、女神様って言葉がすぐに頭に浮かんできたぐらいなんだ。

 もし、あんな美人がトーナメントの賞品だったりしたら、間違いなく本気の殺し合いになるね。そりゃ、死んでも奪い取りたいし、奪い取るためには命の一つや二つ惜しくないって感じ。オレが今まで見てきた最高の美人に較べても、段位でいうと二段ぐらいはラクラク差があるよ。世の中はホント広いわ。

 昇段試験の最後にオレの特別試験が組まれてたんだ。あんな女神のような美人カメラマンに撮られてるんだから、みっともない姿をさらすわけにはいかないから、異様なぐらいに気合が入ったのを覚えてる。きっと、オレが昇段試験で勝つ瞬間の写真がパンフレットやホームページ、写真集の表紙を飾るんだなんて思ってた。それどころか、スカッと勝てばあのカメラマンに惚れられてなんてのまで妄想してたんだ。

 そんなこと考えてたのはオレだけじゃなかったみたいで、その日の昇級試験も、昇段試験もみんな異様なぐらいに気合が入ってた。そりゃ、誰だってイイとこ見せたいし、写真集にも残るんだから、みじめな姿より格好良いところが出て欲しいってところ。そんな感じで、この日の昇段試験の熱気は今までなかったぐらいのものになってたんだ。

 熱気が最高潮に達したのが、オレの特別昇段試験。オレも高揚しまくっていたよ。もう全身が気合の塊って感じかな。で、相手が出て来たんだけど、これがなんと笑っちゃったけど白帯。こりゃ花試合と思ったよ。勝つのは当然だけど、いかに鮮やかに技を決めるかが昇段基準じゃないかと考えたぐらい。そもそも相手と言ってもオレより強いのは道場にいないからね。

 その白帯なんだけど、腹が立つ事に美人カメラマンの知り合いみたいなんだ。道場に入ってきた時に親しげに談笑なんてしてやがるんだ。猛烈にムカムカしたよ。ただでも気合入りまくりで燃え上がってるところに油が注がれたって感じ。瞬殺で倒して恥をかかせてやろうと試合に臨んだんだ。

 試合は一瞬で終った。オレが突っ込んだ瞬間に宙を舞わされて、受け身を取る間もなく気絶して終了。オマケに失禁。これ以上、無様な負け方はないってぐらい。よく赤子の手をひねるって言うけど、オレは赤子ってぐらいの実力差だった。

 昇段試験だったので古い門下生の人も来てたんだけど、知ってる人がいて試合の後に教えてくれた。その古い門下生はオレの試合を見てすごい興奮してたよ。あの伝説の白帯が本気で戦う姿を見れたって。

 オレの相手は聞けば聞くほど妙な人で、格闘技を習いに来ていた訳じゃなくて、運動不足の解消のためだけに通ってたそうなんだ。とにかく人と戦うのが嫌いな人だったらしくて、昇級や昇段試験の試合は逃げ回るし、そもそも昇級や昇段に全然興味も関心もなかったんだって。だからいつまで経っても白帯のまま。

 それで実力はどれぐらいと聞いたんだけど、とにかく稽古中の練習試合さえ滅多にしない人で、やっても本気じゃないどころか、相手に必ず勝ちを譲ってしまうそうなんだ。だから古い門下生もその人が勝ったところを見た事なくて、とにかく弱いって思ってたそうなんだよ。

 当時の道場は発展期だったんだけど、そこに大会からの招待状が来たんだ。門下生は誰が選ばれるかの話題でもちきりになったんだが、館長が指名したのはその人だったんだ。一斉に不満の声が上がったんだって。そりゃ、黒帯をさしおいて、どう見たって弱そうな白帯が代表になるなんて納得できるものじゃないだろうからね。そしたら、あのお人よしの館長が聞いたこともないような怒声を発して、

    「私の決定に不服な者は破門にする」
 そこまで言い切ったので、仕方なく了承したそうなんだ。その大会でみんなが目にしたものは、
    「一分以上、立ってられた相手はいなかった」
 魂消た、魂消た、そりゃ強いわ。あの大会のレベルは凄く高いんだ。オレも何度か出たことあるけど、初戦を突破するだけで四苦八苦なんだ。その時にやっとわかったよ。かつて四段以上の人がいたのは、その人なんだって。だから話だけで、どこにも記録がないんだって。

 昇段試験のプログラムになかったんだけど、館長の依頼で、最後にその人の形稽古があった。これは記録用だそうだけど、開いた口が塞がらなくなったんだ。息を飲むような美しさにも震えたんだけど、オレの知らないのがテンコモリあるんだよ。それを記録にして残すのが目的だったんだが、オレが言うから間違いないよ、あれが人間業かよ。

 館長室に呼ばれたら、その人も美人カメラマンもいた。オレが部屋に入るとその人が立ち上がって丁寧に頭を下げて、

    「悪かった。館長が昇段試験に見せかけてるけど、実はポスター用の出来試合で、派手な技で決めることになってるからヨロシクって言われてたんだ。だからあんな技を使ったんだけど、来るとわかってるはずだったから、受け身は取れると思ってたんだ。気絶までさせてしまって申し訳なかった。謝る」
 これを聞いてオレは戦慄した。あの人はオレがサクラで協力していると信じ込んで、単に指定されてた大技を、それを予想しているはずのオレに掛けたつもりだけだったんだと。あの技は余程の実力差がないと普通は掛けられるもんじゃないんだよ。そうなんだよ、あれでも全然本気じゃなかったんだ。

 ほんでオレの昇段試験の結果なんだけど、やはりダメだった。館長曰く、

    「せめて二分ぐらい立ってて欲しかったな。最初のぐらいはしのげると思ってたんだが・・・」
 あんな強い人に二分と聞いて目眩がしたよ。実際に戦ったからわかるんだけど、逃げまわったって二分も立ってられるか自信がないんだ。ちょっとでも組んでしまえば瞬殺だからね。そしたらね、その人が、
    「館長、なんで本気の昇段試験って言うてくれへんかったん」
    「そりゃ、本気って言うたら来てくれへんし、来てくれても勝ちを譲ってまうからや」
 でもオレはそれで良かったと思ってる。御情けで昇段したって意味ないから。それと本当に強い人を知ることができて感謝してるぐらいなんだ。きっと館長はオレの奢りをたしなめるために、その人に無理やり頼み込んでくれたんだと思ってる。

 それと写真なんだけど、その人はオレが投げ飛ばされてる写真を使うのを反対したんだ。宣伝用なら納得づくだけど、真剣に戦ってなら本人の恥にしかならないからって。そんなものをパンフやホームページ、さらにはポスターでさらし続けるのは良くないって。

 でも、オレは是非にとお願いした。オレは全力で戦ったのだから恥ともなんとも思わないって。むしろ伝説の白帯と戦った名誉の記録になるからと。その人が勝つシーンなんて滅多に見られるものじゃないんだよ。

 妙な話かもしれないが、その人が勝つ姿を見せるのは本気の時だけで、たとえそれほど本気でなくとも、オレが負けてる写真は本気になって戦ってくれてた貴重な記録なんだよ。古い門下生がその人が真剣に戦う姿に興奮した理由がオレにも良くわかったんだ。たぶん勝ったのはその人が参加した大会だけじゃないかと思ってる。後で道場の記録も探してみたけど、その人の写真はなぜか一枚も残ってないんだ。

 試合の感想も聞かせてくれたけど、オレの長所ばかりをひたすら褒めるんだ。長所といっても文字通りの瞬殺だから探すのも難しいはずだけど、よくまあ、あの短い時間に、これだけ見つけ出せたものと感心させられるぐらい並べてくれた。それも的確だし。まったく嫌味に聞こえないんだよ。その人の感想だけ聞いてると、実力差は紙一重で、時の運で負けてしまったように思えてしまうんだ。あれだけの惨敗を喫したオレが『そうかもしれない』ってふと感じてしまうぐらい。

 あれだけ強いのに、あれだけ強ぶらない態度を、あれだけ自然に取れるだけで心底『負けた』と思ったよ。本当に強い人は、あんなに格好良いんだと思ったよ。ああなって初めて、男も惚れるイイ男になれるんじゃないかって。オレははっきりいって惚れた。

 どうもあの美人カメラマンは、その人が道場に通ってた頃からの彼女で、道場にもよく遊びに来ていたそうなんだ。館長と楽しそうに昔話に花を咲かせてた。だから来てくれたんだとわかったけど『撮影料はお菓子代でチャラ』で、三人が転げまわって笑いそうになっていた理由はオレにはわからなかった。後で館長に聞いても笑って誤魔化された。

 それとオレの部屋にはオレがその人に投げ飛ばされてる瞬間の写真が飾ってあるんだ。記念に欲しいと言ったら、その人が後日手配して送ってくれたんだ。しっかし、見れば見るほど見事に宙を舞っているのにさすがに苦笑してる。

 でもいつの日か本気で戦ってもらいたい。また同じように宙を舞うかもしれないが、せめてその人の本当の本気で宙を舞うぐらいに強くなりたいと思ってる。その人はオレの目標であり、憧れだよ。越えるのは難しいかもしれないが、ちょっとでも近づけるように頑張るんだ。