記者クラブ問題で初笑い

記者会見・記者室の完全開放を求める会なるものがあるようです。この会の目標として、記者クラブに入れないジャーナリストを「記者会見に参加させろ」の趣旨のようです。世界の大勢からすると日本とジンバブエにのみ見られる、極めて珍しい閉鎖的体制ですから、根本的には「グローバル・スタンダード」に則って、進んで記者クラブ側が開放しなければならないものと思います。

もちろん記者クラブ側にそんな気はサラサラないのは周知の事です。なんと言っても長年築き上げ、美味しい汁を享受して来た「既得権益」ですから、「日本の特殊性」の大義の下に死守する構えを譲りません。もっともこの既得権益を譲り渡してしまうと、既製メディアが他のメディアに対して優位に立てる面が乏しくなりますから、聖域の死守みたいな様相になっています。

それでも記者クラブ問題は、既製メディアの必死の鎮静化にも関らず、ジワジワと火が付きかけています。おそらく背景には報道不況があると考えています。既製メディアは新聞を筆頭として、すべてのメディアで退潮傾向が著明です。業績が苦しくなるとは、商売でジャーナリストをやっている人間のマーケットが狭くなる、つまり食えなくなる事につながります。

これまで記者クラブ制度があっても、他の分野の報道で食えていた人が、分野のマーケットが狭くなれば、既製メディアの牙城を突き崩しても「飯の種」を求めるのは自然の流れです。優雅に既製メディアの聖域を認める余裕がなくなってきている一つの証拠かと思います。



今日「初笑い」として取り上げるのは、記者会見・記者室の完全開放を求める会の総務省記者クラブからの返答からです。まずこの日のエントリーまでの簡単な経緯です。

前回の記事でお知らせした通り、12月22日に行われた総務省記者クラブとの懇談会の続報です。

12月29日、総務省記者クラブの幹事社である毎日新聞記者より、会見開放を求める会の渡部真(フリーランス編集者)へ電話がありました。
先日の懇談会の中で、当会呼び掛け人である畠山理仁氏(フリーランスライター)から、「今年の年初から動画撮影の申し入れをしているが、未だに正式な返答がない。幹事社が代わるたびに説明しており、記者クラブ内で申し送りされている様子もないし、どうなっているのか? 次の幹事社に代わる前に、きちんと返答が欲しい」という申し入れがあったため、この件については必ず年内に返答する事になり、その返答の連絡でした。

以下、毎日新聞記者と渡部の電話会談をまとめたものです。

記者会見・記者室の完全開放を求める会(以下、求める会とする)は総務省記者クラブと話し合いを断続的にもって来たようです。12/22にも話し合いが行われたようですが、その時のテーマは、

    動画撮影の申し入れ
会見風景をビデオに撮影する申し入れであったようです。この動画撮影の申し入れは、どうやらこれが初めてでないらしく、
    幹事社が代わるたびに説明しており
幹事社の任期がどれほどのものか存じませんが、おそらく1年ないし2年程度かと推測されます。そうなるとこの問題は、少なくとも3年程度以上の課題となっていると判断して良さそうです。記者クラブ側の対応は、それは見事なものであったようで、どうもなんですが、幹事社は1月辺りに交代する慣例があるようです。この慣例を利用して毎回正月漫才を行っていたようです。
    求める会:「動画撮影を認めるように申し入れる」
    幹事社A:「各社の意向もあり、時間が必要だ」
    ・・・・年が改まって・・・・
    求める会:「動画撮影の件はどうなっているのか」
    幹事社B:「はぁ?、何の話かサッパリ聞いてまへん」
こんな漫才に万年付き合うほど求める会も愚かではなかったようで、
    次の幹事社に代わる前に、きちんと返答が欲しい
ここまで言われての記者クラブ側からの返答が電話であったのが「なんとも」な感じですが、求める会は電話ではありますが、なんとか記者クラブ側の返答を聞きだすところまで交渉が進められたようです。幹事記者からの返答は簡略で、

総務省記者クラブの総会で、申し入れのあった動画撮影について各社の意向を確認したが、結論から言うと、今回の総会では動画撮影を認めるという結論に達しなかった。

予想通り「No」です。たださすがにこれだけの返答では悪いと思ったのか、「No」の理由を3つ挙げています。記者クラブ側の3つの理由と求める会の反論を並べて編集しましたのでお楽しみ下さい。


理由1

記者クラブの主張 求める会の反論
まず新聞協会の見解を確認したが、たしかに記者会見を開放しようという見解になっているものの、動画撮影について言及して認める方針は示されていない。新聞協会の見解を根拠に動画撮影をフリーランス・ジャーナリスト認めることはできない。 新聞協会の見解が個別の取材方法(撮影)に言及していなくても、そこはジャーナリスト全般に対して取材活動を公平に扱うべきだという趣旨のはず。そもそも、新聞協会がいちいち『動画撮影を開放すべき』と言わないと許可しないなんておかしい。


ここでの議論の焦点になっているのは、新聞協会の見解のようです。どうも新聞協会は基本的に記者会見に記者クラブ員以外の参加を認めざるを得ないの意見を出しているようです。新聞協会といえば総務省主催の「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」で、記者クラブ問題に触れられようとすればすかさず、

日本新聞協会からのメモを代読します。今回のヒアリングにおいて、個別の記者クラブ・記者会見について当新聞協会はコメントしない。記者クラブ・記者会見等についての質疑応答は一切受け付けない。このフォーラムで記者クラブ問題について議論するのは違和感を持たざるを得ない

こういう声明を叩きつけたところです。そういう御立派な協会ですから、記者会見の開放の趣旨はあくまでも記者クラブの完全統制の下の制限された開放であると解釈するのが正しいかと考えられます。求める会の解釈である、

    ジャーナリスト全般に対して取材活動を公平に扱うべきだ
これは拡大解釈も良いところだと記者クラブはしています。


理由2

記者クラブの主張 求める会の反論
総会の中で、撮影者の意図と関係なく、インターネットなどで公開した映像が、第三者によって二次使用されるリスクがあると指摘する意見があった。そこに映っている人の発言・質問などが、本人の意図した内容と異なって、一部だけ使われると全体の真意が伝わらないこともある。それを危惧する意見があった。 二次使用のリスクは、記者クラブ加盟社でもフリーランス・ジャーナリストでも、同じようにある。そもそも、取材対象者である大臣や官庁側の発言が、部分的に使われて不利益があったとしても、それを心配すべきなのは大臣や官庁サイドであって、記者クラブが心配すべき事じゃない。それに、記者クラブ加盟社でもフリーランスでも、ある程度は部分的に切り取って報道している訳で、加盟社は部分的に切り取って使っても良いけども、フリーランスが部分的に使うのは認めないっていうのもおかしい。一般の人が公開された情報を悪意をもって二次使用することを心配するのかもしれないが、逆に、記者クラブ加盟社は悪意がないという保証はどこにあるのか?


ここも楽しいところですが、非常に首尾一貫していると感じるところです。誰でも目に付く記者クラブ側の注目発言ですが、
    そこに映っている人の発言・質問などが、本人の意図した内容と異なって、一部だけ使われると全体の真意が伝わらないこともある。
私も危惧してますし、今やメディア・リテラリシーの基本中の基本です。一般的に記事の構成は、
  1. 資料的な事実の部分
  2. 記者が感じた感想
  3. 非取材者の意見
こういうパーツがあります。必ずしも綺麗に分割できませんが、そういう風に分けて私は読みます。問題なのは記事全体が記者の手によって書かれている事です。記事を記者が書くのは当然なのですが、記者が記事を書くときには「高度の創作性」が新聞協会によって推奨され、これが記事の著作権の根拠にもなっています。さらに記者には「強力無比の編集権」が付与されています。

つまり「強力無比の編集権」によってつまみ食いされた「事実」をつなぎ合わせて、「高度の創作性」に基いたお話を作り出しているわけです。編集権と創作性の力は怖ろしいほどで、非取材者のコメントすら改変されます。たとえば「」で括った部分は非取材者の実際の発言ではありますが、確認できるのはそれだけです。

前後の記者の純主観による文章の間に挟めば、非取材者の発言はどうとでも左右できます。さらに「」の部分でさえ編集権は強力に左右します。一連の発言を自在に切り貼りできると言う事です。極論すれば、古風な脅迫状のように新聞文字を切り抜いて文章を作る事も日常茶飯事だと言う事です。こういう「高度の編集権」及び「強力無比の編集権」を記者会見によって行使できるのは記者クラブ員のみの特権ないしは特殊技能であると主張されている事になります。


ここはもうちょっと考えるべきところで、記者クラブの意図は違うところにあると読み取ります。創作性も編集権も誰であっても扱えるのですが、記者クラブとして本当に困るのは、創作性や編集権を行使して出来上がった記事の内容にブレがあったら困ると考えているのだと思います。同じ記者会見を取材しているのに、そこから出された記事がバラバラであるのを危惧していると言う事です。

創作性と編集権バイアスを通り抜けた記事が「本人の意図した内容と異なって」いても、全社が同じ内容の記事を発信していれば、これは報道側が悪いわけではなく、情報発信側が「誤解を招く発表するから悪い」に出来ます。その証拠が全社の記事が同じだと言う事です。ところが異分子が入り込んで、違う内容の記事を様々に発信すれば、誤解した取材側の責任問題が生じるわけです。

もうちょっと言えば、記者クラブが取材し、記者クラブが出した結論以外の報道をされては不都合だと言えばよいのでしょうか。そういう点を

    それを危惧する意見があった
こういう論旨ですから、求める会が
    部分的に使われて不利益があったとしても、それを心配すべきなのは大臣や官庁サイドであって、記者クラブが心配すべき事じゃない
こう反論しても、議論が一向に噛みあわないと見ます。


理由3

記者クラブの主張 求める会の反論
やはり各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと、記者クラブの担当者だけで決める事が出来ない。そのためには時間がかかる。 今月の総会までに各社が持ち帰って本社の意向を確認する時間がないというが、それでは、来月の総会までには確認できるのか?


ここも記者クラブの在り方を明瞭に示しているところがあります。今さらなのですが、わざわざ明言している点だけ注目しておいても損は無いでしょう。
    やはり各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと
記者クラブは原則として、記者が自主的に結成した自治組織のようなものだと解釈しています。そうでなければ、総務省記者クラブの場合、国税で運用される記者室や記者会見場を無料で独占使用し、電気代や電話代、光熱費や水道代まで国税で払う理由がありません。あくまでも記者間の自治により、記者会見場の取材ルールや、記者会見場の収容人数に上限があれば調整する自治組織です。

あくまでも建前ですが、建前は時に非常に重要です。実際的には記者クラブの利害は所属する報道機関の利害に連動しています。ですから出先の記者の意見で大きな決定を行いにくいのは理解はします。ただそれを建前の理由にしてしまうと、建前上も記者クラブは報道機関の独占使用を行なっている事を認めてしまう事になります。

記者による自治組織の建前を崩すと、今度はなぜに私企業が記者室や記者会見場を税金で無料使用しているかの問題に波及します。この記者クラブの立ち位置と独占使用の関係は、記者クラブ問題がマスコミの利権で無ければ、今ごろはマスコミが槍玉に挙げ巻くって袋叩きにしている問題に相当します。そういう点で不注意な発言と思います。



皆様、楽しんで頂けたでしょうか。茶番としてはテレビのバラエティ番組程度には笑えたと思っています。それにしても感じたのは求める会も「ぬるい」と言う事です。「ぬるい」理由も少しでも考えれば単純で、求める会のジャーナリストの食うための目的を考えればすぐに判ります。求める会のジャーナリストは取材した記事を既製メディアに売る事によって食っているためです。

記者クラブ利権に噛み付いているのは求める会にすれば、食うための必要性ですが、一方で求める会ジャーナリストは、記者会見で取材した記事を記者クラブ側の報道機関に売らなければならない関係がしっかりあります。そのため、記者クラブ利権に手をかけても、あくまでも友好的に、最後の機嫌を損ねないように対応せざるを得ないと言う事です。

求める会が本当に求めているのは、たぶん記者クラブ員の枠の拡大だと考えています。記者クラブの廃止みたいな状況は、求める会ジャーナリストも好ましくなく、利権のおすそ分けの拡大を要求していると見れば、正月漫才みたいな交渉の経過が綺麗に理解できます。近いうちに去年の幹事社でも倒産・廃業すれば枠が空くかもしれませんが、そうなると求める会ジャーナリストの記事の売り込み先も減りますから、痛し痒しにも見えます。

もちろん求める会の姿勢が悪いとは一言もしていません。社会で食べていくためには綺麗事、正論だけでは無理ですから、そういうしがらみの中で精一杯努力していくものです。今年中に記者クラブ側との妥協が成立して動画撮影が可能になることを私も願っています。