スラップ訴訟は陰険そうです

チラチラとは耳にしていたので取り上げて見ます。まずはwikipediaからです。

スラップ(英: SLAPP, Strategic Lawsuit Against Public Participation、恫喝訴訟)は、訴訟の形態の一つで、原告が判決そのものの勝訴ではなく被告に対するいやがらせを主な目的とした訴訟である。

経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は法廷準備費用・時間的拘束等の負担を強いられるため、仮に原告が敗訴しても、主目的となるいやがらせは達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。表現の自由を揺るがす行為として欧米を中心に問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。日本でも近年企業と個人ジャーナリストの間でこの形態の訴訟が見られ、この用語と共に概念を浸透させる動きが見られている。

スラップのフルスペルは、

    Strategic Lawsuit Against Public Participation
これをwikipediaでは恫喝訴訟としてますが、直訳すると「市民参加に対する戦略的訴訟」とでもすれば良いのでしょうか。意味的には戦略的に訴訟を駆使する事によって、邪魔者を排除するみたいな感じでも良いかと思われます。戦略的とは訴訟を経済戦略と使う事のようです。訴訟、とくに民事訴訟は誰でも起すことができます。一方で訴訟となれば被告にされただけで多額の訴訟費用が必要となります。訴訟費用もバカになりませんが、訴訟を起されているという心理的重圧や、訴訟への対策に時間を費やす必要も生じます。

もちろん同じ手間が原告側にも発生するのですが、原告と被告の間の経済力に差がある時には、原告側の負担はより重くなります。問題はそれだけでなく、原告側の戦略には別の狙いもあるとされます。原告側が訴訟を起すのは、被告の存在が原告の活動に支障がある時とされます。つまり存在して、発言し、行動される事でデメリットを蒙るわけです。

訴訟を起すことにより、原告側にとって邪魔な被告を経済的にも、時間的にも、心理的にも疲弊させて、原告側にとって目障りな被告の活動を封じ込めようの意図もあるとされます。被告側の活動が訴訟により鈍れば、訴訟費用を上回るメリットを原告側は手にできる戦略目的もスラップ訴訟には込められているとされます。

戦略的訴訟のポイントをまとめると、

  1. 主目的は被告の原告への活動を封じ込める
  2. そのために被告を訴訟の場に引きずり出す
  3. 訴訟で被告を消耗(経済的、心理的、時間的)させる事で目的を達成する
ですから原告側にとっては訴訟に勝つのが主目標ではなく、
    原告が判決そのものの勝訴ではなく被告に対するいやがらせを主な目的とした訴訟である
こう定義されるとなっています。さらに戦略には更なる目的があるとされます。ある被告が原告によるスラップ訴訟で疲弊するのを広く見せつける事により、他の者が原告に対する反対活動を起す事も抑止するのもあるとされます。つまりは同じ事を原告側に行えば、スラップ訴訟の血祭りにあげるの脅しです。これを
  1. chilling effect(冷や水効果)
こう呼ぶそうです。良い意味に使えば教訓ですが、この場合は脅迫とか恫喝に該当すると考えられます。10/2付東洋経済SLAPPという概念を提起したデンバー大学のジョージ・プリング教授とペネロペ・キャナン教授の提言が引用されています。まず定義が行われています。

    第一に、政府・自治体などが権力を発動するよう働きかける(裁判の提訴や捜査機関への告発など)。
    第二に、そうした働きかけを民事訴訟の形をとって行う。
    第三に、(政府、自治体、企業ではない)個人や団体(たとえば住民団体)を被告として提訴する。
    第四に、公共の利益や社会的意義にかかわる重要な問題を争点とする(たとえば製品の安全性)。

これだけでは少々わかりにくいので、具体的な特徴が挙げられています。

  1. 刑事裁判に比べて裁判化が容易な民事訴訟である。
  2. 公的問題がメディア上など、公の場所での論争になっている。
  3. 訴訟の原告あるいは被告は、その公的論争の当事者である。
  4. その公的問題について公的発言をした者が標的とされ、提訴される。ここで言う「公的発言」とは、マスメディアに寄稿することだけでなく、その取材に答えること、ブログや記事を公開すること、新聞の投書欄に投書すること、意見広告を出すこと、労働組合を結成すること、チラシを配布すること、合法的なデモをすることなどが含まれる。
  5. 提訴する側は、資金、組織、人材などの資源をより多く持つ、社会的に比較強者である。
  6. 提訴される側は、それらの資源をより少なくしか持たない比較弱者である。
  7. 提訴によって金銭的、経済的、肉体的、精神的負担を被告に負わせ、苦痛を与える。
  8. 訴えの内容、方法などに、合理的な訴訟ならありえないような道理に合わない点がある。
  9. 訴えられていない反対者・批判者も、提訴された人たちが苦しむ姿を見て、公的発言をためらうようになる。これをchilling effect(冷や水効果)という。
  10. 提訴した時点で批判者・反対者に苦痛を与えるという目的は達成されるので、原告側は裁判の勝敗を重視しない。つまり、訴訟に勝つことは必ずしも目的ではない。

つまりスラップ訴訟とは

    経済・社会的強者による口封じ訴訟
こうしても良いかと考えられます。スラップ訴訟であるかないかの鑑別点は、特徴を読む限り、
    訴えの内容、方法などに、合理的な訴訟ならありえないような道理に合わない点がある
ここは大きいように感じます。訴訟先進国であり大国でもあるアメリカではかなり問題視されているようで、カリフォルニア州では禁止する法律も作られたなっています。さぞアメリカのスラップ訴訟は凄まじいものだと想像されます。では日本ではどうなっているかです。東洋経済では、

最終的にはわが国でも法による抑止が必要だ

日本には法律的にスラップ訴訟を抑止するシステムが無いように書いています。この辺は若干の異論もあるようで、山形ロー・ジャーナル様のスラップ訴訟には、

最判昭和63・1・26民集42・1・1では,

民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」

と判示されています。したがって,スラップ訴訟が提起されても,被告とされた者の救済は現在の判例法理でも可能です。

おぉ、抑止力が存在するのかと喜んだら、すぐ引き続いて、

しかし,(金額的には軽微なため)これは「抑止」にはならないと思われます。

なぜ抑止力につながらないのかの正確な理解は私には難しいのですが、おそらく違法な訴訟と認定されても、それに対する金銭的な負担は社会的・経済的強者である原告側にとって、見返りのメリットで十二分にお釣りが来るほどのものであると考えられます。この程度のデメリットであるなら、スラップ訴訟は十分に行なう価値があるとすればよいでしょうか。


スラップ訴訟は考えようによっては、私も十分に巻き込まれる可能性があるのですが、東洋経済は立法化の必要性の他に

もちろん望ましいのは、日本でも国がスラップの規制立法を行うことである。だが、それ以前にもやれることはある。それは、メディアが、スラップ訴訟の提訴は反社会的な行為であるということをもっと報道、啓蒙していくことだ。

最初は正論と思ったのですが、もう一歩考えると複雑な思いに囚われています。例えば立法化ですが、立法化されるためには一部の識者の見解だけでは大変難しいと考えます。やはりスラップ訴訟が社会の弊害であると認識されるのが先だと考えます。そのためには、新旧のメディアによる報道・啓蒙活動が必要とするのは自然なんですが、旧メディアが果たして積極的になるかです。

スラップ訴訟の基本構図は、社会的強者が、相対的社会的弱者の発言や行動を訴訟と言う手段で封じ込める事によりメリットを獲得するものです。つまりと言うほどではありませんが、社会的強者においてはスラップ訴訟は有力な武器であり、有用なツールになります。どう考えても社会的強者が積極的にスラップ訴訟と言う武器を自ら進んで放棄するとは思えません。

日本での旧メディアは社会的強者の中に入ります。そんな旧メディアが報道・啓蒙活動にどれだけ積極的になるかと言われれば疑問に感じざるを得ません。メディアも様々なので報道・啓蒙活動に積極的なところもあるかもしれませんが、大メディアと呼ばれるところほど消極的であるとするのが妥当でしょう。もうちょっと言えば、大メディアの大きな収入源である広告収入は経済的・社会的強者がもたらすものでもあるからです。

またたとえ立法府にまで上ったとしても、立法府の構成員である議員に大きな影響力を持つのは社会的・経済的強者の面々です。旧メディアと社会的・経済的強者がタッグを組めば、法律が出来たとしてもどんな内容になるかに空恐ろしいものがあり、そもそもそれ以前に握りつぶされると考えるのが妥当です。せいぜい、報道機関に対する名誉毀損訴訟の抑止に転用されてオシマイのような悪寒さえします。

旧メディアと社会的・経済的強者がタッグを打破するには、それこそ巨大な世論のうねりが必要になります。もっと具体的に言えば、選挙の一大争点になるぐらいのうねりです。それぐらいの盛り上がりでも、実は打破ではなく対抗できるがせいぜいです。旧メディアと社会的・経済的強者がタッグは選挙結果がどうであろうと、新たな立法府の構成員に直ちに強大な影響力を及ぼします。


そこまで考えると展望は非常に暗いものに思えます。考えてみればアメリカだって、カリフォルニア州のみしか規制条項は存在していないと言い換えることは可能です。希望をあえて考えると、スラップ訴訟に無条件で反発するであろうネット言う新メディアの活動ですが、これが今後にどれほどの影響力を発揮していくかは、まだまだ未知数の部分が大きいと考えます。

とりあえず巻き込まれないように注意だけは十分に払っておきたいと思います。ただ注意を払いすぎる事が既にchilling effect(冷や水効果)によるものとも考えられ、しんどい気分になっています。