メディアの姿勢

「がんになっても、あわてない」の本を書かれ、諏訪中央病院緩和ケア科で日々奮闘されている平方眞先生がおられます。平たく言えば日本の緩和ケア医療の大先生です。この先生も忙しい仕事の合い間を縫ってブログで情報発信されているのですが、直接ではありませんが、訴訟に巻き込まれたようです。「病院が訴えられた!」に詳しいのでそちらを読まれたら良いと思うのですが、気になるニュースなので私も取り上げます。

まず訴訟自体は諏訪中央病院の治療が拙かったから賠償せよとのものです。ここでまず誰であっても訴訟を起す権利は手厚く守られています。簡単に言えば、ある問題が発生し、それを聞いた弁護士が「勝算あり」と判断すれば訴訟は成立します。もちろん「勝算無し」でも手数料目当てに訴訟を起す弁護士もいるそうですし、弁護士無しでも訴訟は可能です。だから病院が訴訟を起されたにせよ、ニュース価値は訴訟の内容によるもののはずです。民事訴訟の件数は年間15万件ぐらいあり、医療訴訟も年間1000件くらいありますから、全部掲載していたら新聞がパンクします。

平方先生のところからの引用ですが、12/20付の信濃毎日新聞記事を引用します。

10年前の父親の入院で病院提訴 茅野の遺族男性
2007年12月20日信濃毎日新聞

 諏訪中央病院(茅野市)で1997年、末期の胃がんで約2カ月間入院していた父親=当時(84)=が適切な治療を受けられず、家族にも病状などの説明が不十分だったとして、茅野市内の三男が19日までに、病院を運営する組合に総額2000万円の損害賠償を求める訴えを地裁諏訪支部に起こした。病院側は全面的に争う構えだ。

 訴状によると、父親は97年10月上旬、胃がんで余命約3カ月と診断され、入院した。痛みを和らげるためにモルヒネを投与する緩和医療などを受け、同年11月下旬、多臓器不全で死亡した。

 その際、父親はモルヒネの過剰投与の副作用で無呼吸状態になるなどしたが、医師は漫然と投与を継続した―と主張。緩和医療の方針についても家族に十分な説明がないことで父親が治療上の自己決定権を失い、精神的損害を被ったなどとしている。取材に対し三男は「今は答える時ではない」と話した。

 同病院は「手術などの治療は困難であることを家族に伝え、治療方針についても医師や看護師を集めた会議で決定した。モルヒネ投与の結果とされる症状はがん末期の症状と考えられ、診療行為や家族への説明に関しても落ち度はない」としている。

事実関係をまとめると10年前の話ですが、

  1. 死亡した患者は84歳男性で、入院時には末期の胃癌で余命3ヶ月とされていた。
  2. 入院したのは10月上旬で、死亡したのが11月下旬となっており、入院期間は1ヵ月半程度と推測される。
医師の言う「余命3ヶ月」の意味合いは、「すぐには死亡しないが長くは無い」ぐらいのニュアンスです。現実にはこれより長くなることもありますし、短くなる事も有ります。ですから3ヶ月の宣告で1ヵ月半程度になることは誤差のうちです。人の寿命がいつ尽きるなんかの予想は、医師如きで正確に付くものではありません。あくまでも目安程度と言う事です。

原告側の主張は、

  • モルヒネの過剰投与の副作用で無呼吸状態になるなどしたが、医師は漫然と投与を継続した
  • 緩和医療の方針についても家族に十分な説明がないことで父親が治療上の自己決定権を失い、精神的損害を被った
癌疼痛の緩和剤であるモルヒネの投与方法と、病院側の説明不足に責任があるとしての訴えである事が分かります。これに対し病院側の反論は、
  • モルヒネ投与の結果とされる症状はがん末期の症状と考えられる
  • 診療行為や家族への説明に関しても落ち度はない
真っ向対立しているのがわかります。どちらに理があるかはこれから訴訟の場で争われることになります。少しだけ感想を述べれば、何故に10年前の精神的被害を今になって持ち出したかに興味がありますし、2000万円の根拠も知りたいところです。とにかく訴訟を起すのは自由ですから、裁判はこれから延々と続けられる事になります。

正直なところこの記事内容ではなぜ取り上げられたかわかりません。冷静に見てニュースバリューがそんなにあるとは思えないからです。強いて言えば「10年前」の蒸し返しに価値を見出したのかも知れませんが、それ以外は地方紙とは言え取り上げるほどのニュースかどうかに疑問符を付けてしまいます。

実は平方先生のエントリーと逆の取り上げ方をしているのですが、信濃毎日新聞は形として続報記事になっています。速報記事は12/19に長野日報が行なっています。

諏訪中央病院を提訴 遺族が損害賠償求め
2007-12-19 長野日報

 茅野市玉川の組合立諏訪中央病院で、胃がんの治療を受けていた同市内の男性=当時(84)=が、入院から約2カ月後に多臓器不全で死亡した際、病院側が余命を認識しながら、適切な治療と家族への説明義務を怠ったとして、遺族が同病院を運営する諏訪中央病院組合相手に、慰謝料約2000万円を求める損害賠償訴訟を地裁諏訪支部に起こしたことが18日、分かった。

 訴状によると、男性は1997年10月上旬に大量の血が混ざった排便をしたことなどから、同病院を受診し、進行性の胃がんで余命3カ月程度と診断され入院。手術を想定した胃バリウム検査や腹痛を抑えるモルヒネ投与などの治療を受けたが、11月下旬に死亡した。

 病院の治療のうち、バリウム検査では、事前に肺機能などのチェックをしなかったため、バリウムが気管に流入。男性に肺炎を発症させた。一方、モルヒネ投与では、呼吸回数の減少、無呼吸状態や意味不明な言動の増加など、過剰投与による副作用の症状が現れていたにもかかわらず、漠然と投与し続けた。

 急変後の患者の苦痛軽減のため、心停止後に蘇生措置を行わないとした方針は、一部の家族に延命治療と蘇生措置との区別をあいまいに説明し、患者やほかの家族のはっきりとした意向を確認せずに決めた。

 原告は「病院は治療方針、緩和医療、延命及び蘇生措置について十分な説明をしないまま治療を進め、患者の医療に対する自己決定権と人間らしい死を迎える権利を奪った」と主張している。

 提訴について同病院は「病院としての対処に間違いはなかったと考えている。訴状の内容を検討し、対応したい」としている。

 第1回口頭弁論は来年1月10日に開かれる。

こちらは遺族側から入手したか、裁判所で閲覧したかはわかりませんが、訴状の内容を中心とした記事です。訴状から書いただけに原告側の訴えは具体的なものとなっています。

患者の診断は諏訪中央病院で行なわれ、胃癌の診断のために上部消化管造影が行なわれています。「バリウムを飲む」というやつです。その時に患者はバリウム誤嚥して気管に流入し肺炎を起したようです。そこに病院の手落ちがあったと主張しているようです。胃癌の診断のために上部消化管造影を選択するのは間違いではなく、バリウムを飲むときには気管流入の危険性はたしかに伴います。ただ危険性予防のために

    事前に肺機能などのチェックをしなかったため
肺機能とバリウム気管流入の因果関係については医師である私にも分かりませんが、この点に責任ありとしているのが分かります。バリウムによる肺炎と予後の関係が記事からでは良く分からないですが、次に信濃毎日新聞と同様にモルヒネ投与法に問題ありとしています。

もう一つは家族への説明なんですが、少し難しい日本語になっています。

急変後の患者の苦痛軽減のため、心停止後に蘇生措置を行わないとした方針は、一部の家族に延命治療と蘇生措置との区別をあいまいに説明し、患者やほかの家族のはっきりとした意向を確認せずに決めた。

まず心停止後の蘇生措置をしない説明は病院側は行なっているようです。問題は説明の仕方に有るようなんですが、

    一部の家族に延命治療と蘇生措置との区別をあいまいに説明
ここで言う一部の家族とは原告本人の事を指すと考えますが、「延命治療と蘇生措置との区別」が分かったような分からないような指摘です。あえて考えれば原告の理解には、心停止時に単なる延命治療として無駄である蘇生措置と、そうでない蘇生措置があるとしていたように考えられます。記事からではそれ以上分かりませんが、患者が心停止になった時に、
    蘇生措置をしなかったのは「見殺しにした」、すなわち原告の理解ではその時に蘇生措置をするケースであると理解していたのに病院はしなかった。
つまり病院側の説明では蘇生措置をするケースと理解していたのに、蘇生措置を行なわなかったのは心外であり、心外となった結果を招いたのは病院側の説明不足である。こうとぐらい解釈すれば良いのでしょうか。

法廷では何を主張しても良い事になっていますので、訴状なのでこれぐらい書いてあっても不思議ありません。引き受けた弁護士も本気で「勝算あり」と考えているのか、仕事が無いので手数料を細かく稼ごうとしているかは判然としませんが、とにもかくにも訴訟が始まります。



ところでなんですが、訴訟はシロクロをつける場という考え方も出来ますが、とくに民事では裁判になっただけでは原告、被告のどちらに理があるかは不明です。信濃毎日新聞にもあるように被告である病院側は原告側の訴状内容を否定し全面的に争う姿勢を示しています。立場的には現時点では五分五分です。

例えを思いっきり程度の低いものとしますが、子供が口喧嘩を始めてエスカレートし、どちらかが「先生に言いつけてやる」と職員室に向かったとします。職員室で訴えた子供の言い分を聞いた先生がもう一人を呼びます。訴訟が始まるとはそれに近い状態です。職員室に向かった子供が原告、その子供の言い分が訴状、呼び出された子供が被告です。この時点でどちらに理があるかはまだ決定していません。ここで職員室に呼ばれた子供に「言い分があったら言いなさい」と聞かれても、先に言いつけに行った子供の言い分が分かりませんから、答えようがありません。病院側も、

    病院としての対処に間違いはなかったと考えている。訴状の内容を検討し、対応したい
こういう状態の報道であるのに、長野日報は先に言いつけに行った子供の言い分のみを大々的に報道しています。言いつけられた病院側の方は上記の一文のみです。医療報道では一つの型と言ってよいスタイルですし、他の報道でも良く見られるスタイルです。これでは印象操作として、原告が善、被告が悪を最初から決め付けていると言わざるを得ません。実情はともかく、建前は公平であるべきメディアの姿勢と思われません。訴訟が起こった時点で病院が悪そうの先入観を持っているとの批判さえ成立します。

司法も絶対とは言えず、司法批判も行なっても構いませんが、現在は原告、被告ともスタートラインに立っただけです。立っただけで被告を貶める報道は問題ありです。こんな時だけ訴訟先進国であるアメリカの例を引くのは心苦しいのですが、アメリカでは報道による風評被害に対し、徹底的に名誉毀損で争ったそうです。いかにもアメリカらしい話ですが、良きにつけ、悪きにつけアメリカを追っかけている日本でもそうなる可能性はあります。メディアもそれぐらいの心積もりはしておくべしょう。いつまでも医師は言われっぱなしで耐えていると思うと必ずしっぺ返しは来ます。