医療報道の掲載基準について考える

5/18付タブ紙記事について何か書こうと思っていたのですが、相手はタブ紙だし、どの角度で書こうかと考えているうちに、うろうろドクター様が93歳女性、「外科医診療でがん死」だそうで…(追記あります) が出て、ぐり研ブログ様の公立おがた総合病院 あるいは大きな影響をもたらすかも知れない小さな事件が出て、読んでいるうちに書くことが無くなってしまいました。

事件の概要はあえて5/17付大分朝日放送から引用しておきますが、

豊後大野市の公立おがた総合病院で亡くなった女性の遺族が、「常勤医師を長期間不在にさせていたことは問題」として市を相手取り1300万円あまりの損害賠償を求める訴訟を起こしました。訴状によりますと、2007年12月、当時93歳の女性は、入院していた豊後大野市の公立おがた総合病院で、胸部のCT画像に影が写ったものの、担当した外科医師が女性の高齢を理由に積極的な検査をしない意向を家族に伝えました。その後、別の病院に移った女性は胃がんと診断され、終末期療養のために再び公立おがた総合病院に入院して、亡くなったということです。病院は当時、医師不足で常勤内科医がおらず、遺族側は「最善・最良の治療をなすべき管理責任を怠った責任がある」などとして、病院を管理運営する豊後大野市を相手取り、1300万円あまりの損害賠償を求める訴訟を大分地裁に起こしました。市は「内容を確認して対応を検討したい」とコメントしています。

亡くなられた患者の御冥福をお祈りします。事件のポイントだけを挙げておくと、

  1. 胃癌を外科医が担当してどこか問題があるのか
  2. 93歳と言う高齢の患者にどんな有効な治療が、そもそも存在するのか
  3. 2008年2月に死亡されて、2011年5月に訴訟を起した背景は(「遠くの親戚」問題とか)
この辺が論点になるでしょうが、あんまり付け加える事は残っていないので、列挙するに留めます。


全然違う視点からこの事件を見てみたいと思います。まず年間の医療訴訟の数です。

2004年の1110件を頂点として減少傾向が続いていましたが、2010年は2009年より増えています。このまま漸減傾向が続く事を祈っていましたが、そんなに甘くは無いようです。今日は医療訴訟数の推移とか内容を論じるわけではありませんから、それでも年間800件ぐらいは医療訴訟が新たに起こされている事実だけ確認しておきます。

それでは年間800件ほどの医療訴訟が、訴訟が起された時点ですべて報道されているかと言えばそうではありません。医療訴訟もピンキリでして、聞いただけで無理筋以前の凄いのがあります。この辺は、そうですね、宜しければ峰村健司様からでもコメントが頂ければ嬉しいのですが、とにかく報道される医療訴訟と、そうでない医療訴訟があります。

ほいじゃどういう基準でこれが行われているのだろうです。そりゃニュース・バリューに基いているはずなんですが、その前の疑問があります。どうやって医療訴訟が行なわれるのを報道機関は知ったかです。

医療に限らずいかなる訴訟であっても起す権利は誰にでもあります。つまり任意なんですが、訴訟を起す時期もまた任意です。奈良大淀病院訴訟の様に、訴訟前から記者が遺族に密着し、弁護士まで紹介していたケースなら「いつ」の情報を入手するのは極めて容易ですが、年間800件の訴訟準備中の遺族や家族、もしくは本人に報道機関がすべてコンタクトを取ってるとはとても思えません。

裁判所にも記者は配属と言うか、担当記者がいるとは聞いた事があります。では訴訟を起しに来た人々を根こそぎ取材し、そこから記事になりそうなものを拾い上げているのでしょうか。今回の事件は大分地裁に起こされていますが、平成21年の裁判所年報の4 民事・行政事件数 事件の種類及び新受,既済,未済 全地方裁判所及び地方裁判所別によりますと大分地裁民事訴訟だけで9005件あります。ちょっと無理そうな気がします。地方支局に、それだけふんだんに記者がいるとも思えません。

そうなると報道機関はやはり訴訟が起される事を事前に知っていたとするのが妥当です。上で記者が自分で訴訟を起しそうな人を網羅的に見つけ出すのは否定していますから、報道機関に寄せられた情報に基いてと考えるのが妥当です。では誰が報道機関に連絡するかと言えば、被告側で無いのは間違いありませんから、原告側によってもたらされたと考える他はありません。他に考えようがありません。


なぜに原告側が報道機関に連絡するかですが、これも広い意味の法廷戦術の一環と考えます。訴訟は法廷内で争われるのが原則ですし、判定するのは裁判官の心証です。裁判官は法廷内に提出された証言や証拠などで心証を形成しますが、法廷外の動きが無影響かと言えば、そうでもないとされます。裁判官自身が認める事は絶対にありえないでしょうが、世論の動きは心証形成に無形の影響を与えますし、与える事は「市民感覚を取り入れる」として必ずしも否定されていません。

裁判官の心証に影響を一番与えるのは世論ですが、世論と言っても裁判官が聞いて回る事も出来ませんから、端的にはマスコミ記事を法廷外戦術として重視してもおかしいとは言えません。マスコミ記事に訴訟が掲載される事により、裁判官の心証が原告に少しでも有利に傾くような狙いです。

えらくあざとそうですが、訴訟は言論による喧嘩であり、もっと言えば戦争です。違法でなければいかなる戦術であっても駆使が許されますし、過程はどうあれ「勝てば官軍」です。もう少し言えば、訴訟の勝敗は判決によりますが、他にも要素があります。マスコミによる訴訟の評価です。判決時にマスコミの支持を得ていれば、ぶぶ漬け勝利であっても「圧勝」と印象操作は不可能でありませんし、それでもって有名人になり御活躍されている方もおられると聞いた事があります。

原告側の戦術としてマスコミに「これから訴訟を起します」と通告する事はデメリットが少なく、得るものが多いものと評価しても良さそうです。だから記事の時に、あれほど手際良く訴状に基づく原告側の主張が記事に出来るだと思っています。つまり訴訟を起すことだけではなく、訴状も情報に送っているのではないかと言う事です。悪いとは言っていません。あくまでも戦術です。


さてなんですが情報を送られた報道機関側ですが、さすがに送られた訴訟のすべてを記事にしている訳では無いと思います。当然ですが記事として取り上げるか否かの判断が行なわれると考えています。そうですね、

    Step 1:記事候補にするかどうかを判断
    Step 2:電話取材なりで掲載するかどうかを判断
    Step 3:展開により単発記事にするか追跡取材にするかを判断
こうやって記事になったものも、
    Stage 1:テンプレでお茶を濁す程度
    Stage 2:単発だが肩入れぐらいはしておく
    Stage 3:追跡取材に備えた布石も打っておく
便宜的にStepとStageに分けましたが、単発にするのか追跡にするのかは、様々な状況判断があると考えています。訴訟内容、訴訟相手、原告側の協力度、訴訟の見通し・・・。あくまでもたぶんですが、原則的には「勝てそう」ないしは「勝って欲しい」は必要と思われます。つうかやはり「勝って欲しい」の心情傾斜がかなり大きいと推測します。

単発であるなら、ある意味書き捨てですから、その日の紙面の埋め草判断でも掲載はありかと思います。しかし追跡にするのは、よほどのニュース価値がないと踏み切らない様に感じています。

ただ追跡になれば原告側は「普通」は有利になります。徹底追跡取材を行い、その取材過程がある程度明らかなものとして、奈良大淀訴訟がありますが、「勝って欲しい」のために物凄い肩入れが行われています。思いつくままに挙げておくと、

  1. 病院との和解交渉を突然打ち切っての衝撃的な記者会見のセッテイングとセンセーショナルな報道
  2. 関連記事の断続的な掲載
  3. 新聞だけでなく系列テレビ局も動員しての報道
  4. 反発する声に対する徹底した反撃
これを報道機関がロハでやってくれるのですから、「普通」は被告に大きな責任を認めないと「許さない」の世論が容易に形成されます。さらに大手報道機関がこれだけのキャンペインを行なえば、他の報道機関も付和雷同して連動します。奈良大淀訴訟でもそうでした。そこまで展開しても奈良大淀訴訟が「普通」の展開にならなかったのは今日は置いておきます。


そいでもって今回の訴訟記事は如何でしょうか。個人的には単発で終りそうに思っています。タブ紙にも学習能力は「たぶん」あると思うからです。このクラスで第二の大淀を目指す判断は「普通」はないと考えます。それでもタブ紙ですから予想を裏切る(ある意味「応える」)展開の可能性は、ある程度以上は残るとぐらいにさせて頂きます。