紫色先生、御苦労様です

この「御苦労様」に皮肉の意味は一切無く、本当に御苦労されているとの純粋な気持ちです。御苦労の成果は勝訴!対集英社および毎日新聞記者ら本人訴訟−名誉毀損賠償80万円ー第1報に御自身で書かれておられます。紫色先生は説明するまでも無く東京女子医大事件の被告にあり、これだけでも大変なのに東京女子医大事件関連報道の訴訟まで行なわれています。それも弁護士をつけない本人訴訟ですから、並大抵でない御苦労と思っています。

判決の要旨は紫色先生が簡潔に解説されていますが、それを少し引用しながら見てみたいと思います。争点は損害額を除くと2点のようで、

  1. 争点1:本件各記載は原告の社会的評価を低下させるか。
  2. 争点2:被告らの行為の違法性又は有責性が阻却されるか。
ちなみにこの訴訟は名誉毀損の民事です。私は法律の素人ですから、そこの点は十分に理解しておいて欲しいのですが、名誉毀損が成立するには原告の社会的評価が低下するというのが必要条件だそうです。どうもこの社会的評価の低下の有無が争点1になっていると考えればいよいようです。

次に名誉毀損には成立阻却要件(刑法第230条の2第1項)と言うのがあります。原告の社会的評価の低下を認められても、次の3要件がすべて成立すれば名誉毀損の責任を問われないと解釈すれば良いようで十分条件と考えればよさそうです。次の3つで説明されるようですが、

  1. 公共の利害に関する事実に係ること(公共性)
  2. その目的が公益を図ることにある(公益性)
  3. 事実の真否を判断し、真実であることの証明がある(真実性)
これらについて争われたのが争点2としてよさそうです。では争点1から判決文の判断部分を読んでみます。ここは3つに分けられているのですが、一挙に引用してみます。

(1)原告の特定について

⇒「記事が原告の実名が表記されてなくても、本件書籍の発行当時、不特定多数の読者において本件記事中の人工心肺装置の操作を誤った「E医師」が原告である特定して認識できるものと認めるのが相当である。」

(2)原告の社会的評価低下について

⇒「主題や意図はともかく、担当医師が人工心肺装置の操作を誤ったために本件患者を死亡させたという印象を抱かせるものであることは否定できない」

(3)争点1のまとめ

⇒「本件摘示部分を含む本件書籍を執筆・発行した被告らよの行為は、原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為に該当すると認められる」

読んでの通りなんですが、この訴訟では「医療事故がとまらない」という書籍をタブロイド紙が企画し集英社が出版している事に対してのものです。被告側はどうも原告の特定について実名でなく仮名である「E医師」と表現したので特定できないとしたと考えられます。これに対し裁判所はあれだけ元の新聞記事で実名報道を広く行なっており、それに基づいた書籍であるとしているので、「E医師」程度の表現で特定を回避できたとは言えないとしています。

次に名誉毀損成立の必要条件である社会的評価の低下ですが、これも当該書籍を読む限り「本件患者を死亡させたという印象を抱かせるものであることは否定できない」と明快に肯定し「原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為に該当する」としています。私は「医療事故がとまらない」は読んでいないのですが、内容はそれなりに想像できますから、裁判所の判断は妥当かと思われます。

ちなみに「主題や意図はともかく」の部分は被告側が原告の罪を問うのではなく、医療事故全体を減らさせるのが主題であり、意図であるからの主張がなされたと考えています。紫色先生についての記述部分はその主題や意図のためのパーツに過ぎず、全体として誹謗中傷になっていないとのものと推測しますが、「ともかく」で裁判所判断は終わっています。


次に争点2は少々分量が多いので分割して読んでいきます。まずですが、

(1)事実の公共性及び公益性

⇒「記事に記載された事実は公共の利害に関する事実であって、被告らは専ら公益を図る目的で本件書籍を発行した」

なるほどこういう風に公共性と公益性は評価するんだと感心しています。書籍の内容は被告個人の利害ではなく「公共の利害」のためのものであるから、公共性があり、その公共性の利益をひろく知らしめる事、すなわち書籍にして発行する事で公益をもたらそうとしているから公益性があると判断しています。

阻却要件のうち公共性、公益性が立証されてしまいましたが、争点2は「真実性」で争われる事になります。

(2)記事において摘示された事実は真実か

⇒「検察官が公訴事実を維持しているとしても、そのことから直ちに同事実が真実であると認められるものではないことはいうまでもない。」「外部委員会が内部報告書を作成するに際して本件事故の原因につき独自の調査検討をしたことはうががわれないし、女子医大の林院長が内部報告書と同趣旨の発言をしている・・・その発言は、内部報告書に基づいて述べたものにすぎないから、これらによって、上記のような問題点を有する内部報告書の信用が補強されるものではない。

 そして、他に、原告が吸引ポンプの回転数を上げたことが本件事故の原因であると認めるに足りる証拠はなく、前記のとおり、3学会報告書や刑事裁判における認定判断が内部報告書に記載される事実を否定する内容になっていることに照らしても、上記事実を真実であると認めることはできない。」「したがって、・・・同事実が真実であるとする被告らの上記主張は採用することはできない。」

ここもどうもなんですが、原告側の主張として、真実性の根拠として外部委員会の内部報告書を持ち出したようです。さらにその報告書に真実性があるとした根拠は検察がその内部報告書を基に係争中であるからとしたと考えてよいと思われます。これに対する裁判所の判断は3学会報告書と刑事裁判で内部報告書の事実が否定されたことを重視し、真実性を否定しています。

ここで真実性については

真実性については必ずしも真実である必要は無く、ある事実を真実と誤認するに相当の理由が認められる場合(確実な証拠や根拠に基づいた場合など)であれば、真実性の欠如を理由としてその責任を問われる事は無い(最大判昭和44年6月25日刑集23巻7号975頁)。

こういう解釈があるそうで、これについての判断と考えられのが次の「摘示した事実を真実と信ずる相当の理由があるか」です。これも長いので(ア)〜(カ)まで長いので分割しながら読んでみます。

(ア)内部報告書の内容の事実に疑義がある議論がされていた

(イ)毎日新聞紙上よの掲載から一年余の期間を経過した本件発行時点での基準で相当性を判断すべきことはいうまでもない

(ア)(イ)は比較的簡単で、原告が根拠にしたい内部報告書に疑義の議論があることは既に周知の事とされています。正しくないかもしれないの情報は原告も知っていたはずだの判断です。(イ)はその補強のような形で、タブロイド紙報道から既に1年経っており、疑義についての論争は知らなかったとは言わせないと解釈すればよいでしょうか。

(ウ)3学会報告書が、本件書籍にある内容の事実に関して疑問を呈する報告を発表し、その内容の一部はNHKのテレビニュースで2回も報道され、専門誌にも紹介された。被告は、女子医大の内部報告書は、3学会報告書によって完全否定されたわけではないので、これを検討しても内部報告書の内容に疑問を抱く契機にはならなかったと主張が、「両者の意味内容は全く異なるものである上、内部報告書が3学会報告書と比べて信用性が劣るものであることは前記で説示したとおりであること。加えて、装置自体の欠陥を指摘する声を被告は報道しており、人工心肺装置自体の問題の存在にも十分な関心を持っていたのであるから、3学会報告書の内容を真摯に検討すれば、原告の操作ミスの存在を摘示した記載の記載内容を真実の記載として維持することが困難であることを容易に認識し得たものといわざるを得ない

ここは3学会報告書と内部報告書のどちらに真実性が強いか、ないしは3学会報告書を無視して内部報告書を真実と誤認するだけのものがあるかの判断と考えます。これも内部報告書に真実であり、3学会報告書が間違いであるとは誤認する事実はないとしています。また3学会報告書の周知性も「NHKのテレビニュースで2回も報道され、専門誌にも紹介された」とし、知らなかったは通用しないと判断しています。

(エ)「被告は本件書籍発行の段階では、そもそも3学会報告書を入手して検討する契機がなかったと主張するが、NHKでは2度もテレビ放送された。書籍発行前に、原告は無罪の主張をしていた。被告は3学会報告書の存在を認識していたが、十分検討していなかった。原告の上記無罪の主張は、本件連載記事を執筆した当時の被告の認識とは全く異なる状況をもたらしたのであるから、被告取材班において、新たに本件書籍を発行するに当たっては、原告の上記主張の根拠についての十分な取材と検討をし、その主張内容を加筆し、本件摘示部分の記載との整合性を調整するなど、本件連載記事の見直しをする必要があったことは明らかというべきであり、本件書籍の発行に至るまでの間にその契機がなかったということはできない。」

ここも被告は3学会報告書は知らなかったと頑張っているみたいですが、それは知っていたが無視しただけと裁判所はまず判断しています。さらにタブロイド紙連載当時と書籍発行時点では状況が変化しており、問題になっている3学会報告書なども出ているのに、必要な見直しを怠っているとの判断をしています。

(オ)「本件書籍の発行時には原告の刑事裁判の審理が継続中であり、本件事故に関する出来事は、過去の問題ではなかったことなどからすれば、これを新たな書籍として発行する以上、被告取材班においては、記事の事実の客観性を担保するため、十分な追跡調査と記載内容の見直しをすることが求められることは当然というべきである。」「本件書籍の発行時期からすれば校正段階を含めて何ら対応をすることもできなかったとは到底考えられない上、そもそも発行スケジュールは被告らにおいて決したものにすぎず、原告とは何らの関係もないおのである。そして、自ら決したスケジュールのために検討不十分な内容の書籍を発行したというのであれば、それ自体問題というべきであり、その責任が被告らに存することはいうまでもない。」

ここがなかなか厳しい部分なんですが、東京女子大事件は係争中であり有罪か無罪かの決着はまずついていないとしています。ある時点では有罪の印象を持つ根拠があったとしても、その後の訴訟の展開などによりそうではないとの新たな事実が出現していないかどうかを常に検討しなければならないとしています。これもおそらくですが被告側は出版スケジュールを持ち出して「時間が足りなかった」旨の主張をしたのではないかと考えますが、裁判所の判断として、

    自ら決したスケジュールのために検討不十分な内容の書籍を発行したというのであれば、それ自体問題というべきであり、その責任が被告らに存することはいうまでもない
以上の判断により、

(カ)「被告らが、原告が本来してはならない吸引ポンプの回転数を上げ続けるという操作をしたことによって本件事故が発生したことを真実であると信ずるについての相当の理由があったと認めることはできない。この点に関する被告らの主張は採用することができない。」

真実性については明瞭に否定されています。さらに次ぎの結びが凄まじいのですが、

被告が控訴するしないは、自由である。しかし、本件判決は、新聞記事に記載した内容を安易にそのまま書籍にして新たなる利益を得ようとした態度に対する警句である。逮捕、起訴の段階で不十分であったかもしれない情報に、学会という専門家の意見、担当省庁(厚生労働省)の勧告、被告人の無罪の主張を無視して、自らが勝手に決定したスケジュールで出版した姿勢を反省して欲しい。

これに対する12/8付タブロイド紙の反応です。

賠償訴訟:集英社と本紙記者に賠償命令 医療問題単行本で

 01年に東京女子医大病院で心臓手術を受けた女児が死亡した事故で業務上過失致死罪に問われ、1審で無罪(検察側控訴)になった元同病院助手(45)が、毎日新聞医療問題取材班の著書で名誉を傷付けられたとして、発行元の集英社と取材班の記者に1000万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁(石井忠雄裁判長)は8日、80万円の支払いを命じた。

 問題となったのは、毎日新聞の連載記事をまとめた「医療事故がとまらない」(集英社新書)。

 取材班は入手した内部報告書の内容などから、人工心肺装置を操作した元助手がポンプの回転数を上げ過ぎたことを事故原因に挙げたが、判決は「真実とは認められない」と判断。「新聞連載(02年1〜8月)の時点では真実と信じるのに相当な理由があったが、03年12月の書籍発行までには報告書の内容に疑問を呈する学会報告が出されており、記事を見直す必要性があった」と指摘した。

 集英社広報室の話 主張が認められなかった判決であり、ただちに控訴した。

二審があるそうです。もう一度言います「紫色先生、本当に御苦労様です」。