ツーリング日和11(第17話)外湯巡り

 宿は外から見たら古びてる感じもあったけど、中に入ると、ひゃぁ、なんてゴージャス。ゴージャスもおかしいか。圧倒されそうなぐらい立派。あれは檜かな。ごっつい柱があって、床だってびっしり板張りして黒光りしてるもの。見ただけでわかる高級日本旅館じゃない。

 案内された部屋だって、これでもかの和風。だってドレッサーじゃなくて鏡台なんだもの。これはまさにお屋敷の一部屋だ。関が原や妻籠の旅館も良かったけど、あれは江戸時代風の旅籠で、今日の宿は現代に完成された和風旅館の粋みたいなもの。

「気に入ってもらえましたか」

 もちろんよ。野沢温泉にも鉄筋の現代風のホテルもあるそうだけど、造りから和風のこの宿にしたって言うけど、うん、うん、まさか、

「そりゃ、ビーナスラインで突然のマスツーになってもたし、エルさんもおりまんがな」

 それを言い出したら加藤さんとも突然のマスツーだよ。おかげで楽しいと言うか、最初に思ってたのとまったく違うツーリングになってる。これだけで一生忘れられないぐらい楽しいけど、

「それを聞いて安心しましたわ」

 そこじゃない。加藤さんにしても、あの二人にしても最初からロングツーリングの予定で出発してる。加藤さんに至っては仕事だよ。泊りを重ねる旅行はセットで宿の手配が付いて回る。

 そりゃ、気まツーで、たどり着いたところで宿を探すとか、キャンプするタイプの旅行もあるけど、エルにはハードルが高すぎる。まあ今回はそんな気で家を出発したけど、あれだって泊まれたら泊まるぐらいで、本音は日帰りだったもの。

 陰キャブスの地味子でも、これでも女。夜はちゃんとしたところに泊らないとやっぱり怖い。これはあの二人だってそのはず。当たり前だけどツーリング前に泊る宿の手配は済んでいたはず。いや、済んでない方がおかしい。

 だったら、だったら、エルが加わったばっかりに新しい宿の手配も同時にやっていたことになる。そうだよ、加藤さんの仕事だって塩尻宿で終わりのはずがない。本来なら東京まで全部するはずだったはず。だって仕事じゃない。

「仕事いうてもモトブロガーでんがな。予定変更なんて日常茶飯事でっせ」

 並のモトブロガーだったらね。加藤さんの番組は大人気だからエルもよく知ってる。いかにも勝手気まま、適当にツーリングしているようにしてるけど、あれって綿密過ぎるぐらいのシナリオで動いているもの。

 そうじゃなければ、あれほどいつもいつも上手く行くはずはないじゃない。そう言えば、どこかのモトブロガーが加藤さんの番組のツーリングを自分でやってみるってのがあったけど、どう頑張っても加藤さんみたいに行かないのよ。

 これは加藤さんがインチキしている訳じゃない。それこそコースやアクシデントの下調べを、これでもかと言うぐらいしてるから。ひょいと出かけただけで同じツーリングなんて絶対出来ないって結論だった。

 これは草津宿からの中山道の取材振りで良く分かったもの。仕事中の加藤さんは、まさに黙々って感じで丹念に調べ上げてた。エルが加藤さんをカトちゃんと気づけなかったのもそこ。余りにも真摯な取材で、番組の中のカトちゃんと結びつかなかったんだ。

 やっぱり、エルがマスツーに加わったばっかりに加藤さんの仕事の邪魔をしてたんだ。エルが加わったばっかりに・・・

「なに言うてまんねん。こう見えても、わては気まツーの本家本元でっせ。これこそが本物の気まツーでんがな」

 バイク乗りなら誰でも一度はやってみたい気まツーを広めたのが加藤さん。バイクに跨り、風の向くままま、気の向くままに、どこまでも走って行く旅。エルもそれがしたくてバイクを買ったようなものだし。今回も気まツーの気分の一端だけでも味わうためだった。

「モトブロガーは仕事でっけど、普通の仕事とちょっとちゃいまんねん」

 どう考えても一緒じゃないよね。

「モトブロガーに求められるのは、仕事が楽しいと感じ続けることでんねん。仕事はこなすもんやなく、楽しみ、楽しみを成果にすることですわ。そのためには仕事に心を縛られたらあきまへん。いかに自由でいられるかが、なにより大事でんねん」

 でも、大事な仕事が中断されちゃったじゃない。

「仕事は大事や。やらんとオマンマの食い上げになりまっからな。そやけどサラリーマンとちゃいま。時間をどう使うかは、わての胸先三寸がすべてや」

 わかったような、わからないような。

「エルさんに出会った時に、地の果てまで一緒にツーリングしたいと思うただけです」

 それって・・・

「外湯巡り行こうよ」
「これをせんかったら野沢に来た意味ないで」

 ええい、この大事な時にお邪魔虫が。野沢に来るまでは気が乗らなかった外湯巡りだけど、あれだけあちこちにアピールあったら、行っとかないと後悔する気がする。それにもし、まだもしだよ、加藤さんと結ばれてヴァージンロードを歩けたら、エルはカリスマ・モトブロガーの奥さんじゃない。

 加藤さんなら野沢温泉のすべての外湯を当たり前のように取材するはず。奥さんになりたいって思ってるのに、こんな事さえ付き合えないないのは、この時点で失格じゃない。

「そうや妻たるものの責務や」
「モトブロガーの嫁たるものだよ」

 モロに言うな。まだ手も握ってないんだから。そうなりたいって勝手に思ってる段階なの。とにかく行ってみよう。ところで外湯っていくつあるの。

「十三か所や」

 ひぇぇぇ、そんなにあるんだ。

「その一つが一つが個性的なのよ」

 野沢温泉の外湯の特徴はすべて共同浴場で地元の人が維持管理してるんだって。つまりは観光用に存在しているのじゃなくて、生活用にあるから、入らせてもらうって心がけを忘れたらいけないって。

 それと入浴料は無料で管理人が常駐してないけど、自分で決めた維持管理料相当のものを賽銭箱に入れるんだって。そんなお風呂だから石鹸とか、シャンプー、言うまでもないけどタオルもないから持参していくのも鉄則だそう。

「それと、とにかく熱いそうや。いきなり飛び込んだらエライ目にあうらしいで」

 なるほど、なるほど、

「外湯も巡るのやったら、入ったらさっさと上がって次の外湯に行くぐらいのつもりでな。この辺は城崎も似たようなもんや」

 イメージとしては、浴衣を脱いで湯船につかって、温まったら風呂を出て浴衣を着て次の外湯を目指す感じで良さそう。

「ほな行こか」

 宿の前の道を麻釜通りって言うのだけど、これを下るとあるのが麻釜の湯。

「全部は無理やからな」

 この二人ならやりかねないと思うけど、そこから次の通りを上がって河原湯を通り越して見えて来たのが、

「野沢温泉の外湯の代表の大湯や」

 なんて言えば良いのだろう。木造三階建てで、金箔の貼っていない出来損ないの金閣寺みたいな建物だ。

「湯屋建築っていうらしいで」

 浴衣を脱いで浴室に入ると木の湯船が二つ並んでいて、あつ湯とぬる湯って書いてある。ここはぬる湯にしとこう・・・って、これのどこがぬるいんだよ。ゆっくり体を沈めていかないと入れるものじゃない。

 ようやく体を沈めて浴室の中を見回したんだけど、いわゆる銭湯と違う、温泉旅館の大浴場とも違う。だって洗い場もあるけど、えらく狭いもの。ホントに湯船につかって体を温めるためにあるって感じがする。

「出よか」

 うん、こんなもの長い時間入っていられるようなものじゃない。大湯を出て大湯通りを歩くのだけど、ここは野沢温泉の繁華街みたいなとこで良さそう。旅館やお土産屋さんが軒を並べるものね。五分も歩くと、えっ、ここなの。

「十王堂の湯や」

 これはさっきの大湯と違って、コンクリート造りの昭和の銭湯風じゃない。一階が女湯で、二階が男湯なのか。浴室もタイル貼りだものね。ここにはぬる湯がなくて湯船は一つ。あ、熱い、熱すぎる、激熱だ。あの二人はよく平気な顔で入ってるな。

 大湯の時もそうだったけど、地元の人とあれだけ親しそうにすぐに話しが弾むものだ。そういう意味では陽キャ、いやそういう意味でなくともあいつら陽キャで、陰キャの天敵みたいなもの・・・とも言えないか。

 十王堂の湯を出たらすぐに新田の湯。なんか浴衣の着替え競争やってるみたい。ここは大湯みたいな三階建ての木造の湯屋建築で良いはず。なんか新しくて嬉しい。湯船は石張りだけど・・・ぎゃぁ、覚悟してたけど激熱だ。

 もう三つだよと思ったけど、まだ入る気だよあの二人。今度はしばらく歩いて、ここも木造三階建ての湯屋建築だけど、これは大湯より大きいし、立派。浴室も広々してる。中尾の湯ってなってるけど、やったぁ、ぬる湯がある・・・うぅ、激熱じゃないだけ。

 そこから引き返す格好に。横落の湯は通り過ぎたから、さすがに終わりかな。そりゃ四か所も入ったもの。いくら短時間の入浴でも茹だっちゃうよ。

「ここは絶対よ」
「外したら野沢温泉の外湯巡りやった価値があらへん」

 まだ入るの。ここも木造の湯屋建築だけどコンパクトな感じだな。なになに、

『野沢温泉発祥の湯といわれる本鉱泉は、元正天皇の御宇・・・』

 元正天皇って誰だ、。

「ああ、天武天皇の孫で草壁皇子と元明天皇の娘で、文武天皇のお姉さんや。そやから持統天皇の孫や」

 即答かよ。さすがは歴女だ。要は奈良時代の女性天皇って事だよね。

「ついでやけど日本で五人目の女性天皇で、それまでの四人が天皇や皇太子の奥さんやったけど、未婚で初めて即位した女性天皇で、史上で唯一、母娘で皇位を継承しとる」

 なにがついでよ。そこまで行けば歴史講義レベルだ。元正天皇はともかく、この熊の手洗湯が野沢温泉の発祥ってことになるみたい。なるほど、これは外せない。浴室も湯船も綺麗だけど、やったぁ、ぬる湯がある。うん、普通に熱いだけだ。湯屋から出ると、

「なになに源泉は七十五度だから、十二~十四分でOKか」

 湯屋の道路向かいに釜があって、そこで温泉卵が茹でられるみたい。

「温泉に来て」
「これを食べないとモグリだよ」

 美味しかった。

「これぐらいで勘弁したろ」
「残りはまたね」