ツーリング日和11(第9話)ビーナスライン

 コースは最高なんだけど、ビーナスラインに入った頃から天気が怪しそう。諏訪ICでは晴れてたんだけど雲行きがどうにも。こういう高原道路は晴れてたら絶景なんだけど、とにかく山の天気は変わりやすいのはホントだ。加藤さんが難しそうな顔で雨雲レーダー見てるもの。加藤さんは申し訳なさそうな顔をしながら、

「どうも天気がようありまへん。せっかくのビーナスラインやっちゅうのに」

 天気は加藤さんの責任じゃない。そりゃ、晴れてくれたら最高だけど、エルはね、加藤さんと一緒にツーリングしてるのが楽しいのよ。ほら、エルの笑顔で晴れさせてあげる。あれっ、本当に晴れた来た。見たか、エルの笑顔は最強じゃない。

 そしたら二台の赤と黄色の小型バイクがやってきた。よくあれで登れたものだ。なぜか加藤さんの前に停まり、メットを外すと、

「加藤さんやんか」
「信州にお仕事なの」

 エルは腰を抜かしたよ。同性の方が美醜にウルサイとこはあるけど、あれほどの美人は見たこと無いって断言できる。カンナでさえ足元にも及ばないと思ったもの。あんな美人と加藤さんは知り合いなんだ。

 うぅ、エルの劣等感がムクムクと。また元カレのように加藤さんも盗られちゃうとか。でもまともにやりあっても、あんな美人とじゃ勝負にもなりゃしない。

「ありゃりゃ、加藤さんも隅におけへんな」
「紹介してよ」

 二人組の背が高い方がコトリさん、小柄な方がユッキーさん。

「エルさんて言うんか」
「フィアンセとか」

 フィアンセの言葉を聞いて顔が真っ赤になりそう。加藤さんも、

「エルさんに失礼すぎまっせ、成り行きでマスツーさせてもうてるだけでんがな」

 そしたら二人は、

「ひと目会ったその日から」
「恋の花咲くこともある」
「見知らぬあなたと」
「見知らぬあなたに」
「デートを取り持つ」
「パンチDEデート!」

 なんだそりゃ。聞くと加藤さんとはかなり前からの知り合いらしく、

「最初に知ったのは石鎚スカイラインで、初めて顔合わせたんが阿蘇や。最近やったら納沙布岬から小樽までマスツーさせてもうた」

 そんなに深い関係かと思ったけど、

「なんもあらへん。それよりマスツーしたら、ごっつい御利益があるねんよ」

 御利益って妙な言い方だな。なにがあるって言うの。

「空見てみい」

 あれ雲がなくなってる。加藤さんが言うには、この二人組は極限の晴れ女らしくて、

「そんなもんやない。わかりやすく言うたら晴れの女神や」

 なるほどツーリングが常に晴れなのはビッグな御利益だ。北海道で出会った時も小樽から宗谷岬、知床まで加藤さんは天候に祟られ通しだったみたいで、

「やっと晴れた納沙布岬で見つけたんや。こんなもんマスツーするしかあらへんやんか」

 そこからは最高のツーリング日和に恵まれたそう。それってタマタマじゃないの。

「そうやない。あのお二人はロングツーリングもようやりはるけど、雨具は持ってかへんらしいんや」

 えっ、そんな無謀な。

「そやから晴れの女神や。モトブロガーに取ってこれほどありがたい女神はおらへんで」

 なるほど、モトブロガーはツーリング風景を紹介するのが基本だけど、天気が悪かったら良くないよね。できれば絶好のツーリング日和になるのが理想のはず。天候に祟られまくって、晴れの女神に出会えばすがりつくのはわかると言えばわかる。

 わかるけど、本当にそれだけ? これだけの美人だよ。男なら下心が無い方が不思議だろ。加藤さんがイイ人なのはわかったつもりだけど、決して聖人君子じゃない。もっとも聖人君子なら恋も出来ないから困るのだけど。

 なんかモヤモヤばっかりしてたんだけど、加藤さんとあの二人組が話し込んでるじゃない。そりゃさぁ、久しぶりに会ったのだから話ぐらいするだろうけど、エルもいるのになんなのよ。

「それでエエんでっか」
「それで良かったらやけどな」

 なんだって! これからビーナスラインをマスツーするって言うの。そりゃ、進む方向が同じだから、そうなっても不自然とは言えないけど、わざわざしなくたって良いじゃない。加藤さんにとってエルはその程度の存在だって言うの。

 霧の駅からは車山高原を走る。気持ちよい高原道路で、左右には草原が広がってるし、遠くにはあれってアルプスで良いのかな。まさに壮大な景色が広がっている。霧ヶ峰富士見台からは富士山が見えたし、三峰茶屋からの眺望も絶景としか言いようがないぐらいの素晴らしさ。

 晴れの女神の威力かもしれないけど、天気は絵に描いたようなツーリング日和。シチュエーションとしては最高のツーリングなんだけど、エルの心は晴れないよ。あの二人が現れるまでは、加藤さんとあんなに良い感じだったのに、今じゃオマケどころか邪魔者じゃないの。

「エエとこでっしゃろ」

 良いところなのは認める。バイクに乗り始めてから、こういうコースをいつか走るのは夢だったもの。それも出来ればペアで走りたかった。そうラブラブ・ツーリング。そんな夢に手が届くところまで来てたのよ。

 それをぶち壊しやがったのが、あの二人組。あの二人組さえ現れなかったら、コンチクショウ、全部持ってかれちゃったよ。もう別れよう、こんなマスツーなんて意味ないじゃない。

 別に加藤さんと一緒にマスツーに出かけた訳じゃない。たまたま草津で出会っただけ。しょせんはそれだけの縁だから、いつ別れたって文句を付けられる筋合いなどないよ。ここから帰るには、来た道を戻って諏訪ICから高速に乗れば良いだけだもの。

「エルさん、悪いけど美ヶ原高原美術館やけど今日はパスにさせてな」

 どうぞ御勝手に。エルはここから帰るから。あの二人と好きにすれば良いじゃない。エルはね、しょせんその程度の女なのよ。それを一番よく知っているのはエルなのに、勝手な幻想を抱いちゃっただけ。ダメ、涙が、涙が・・・

「いやぁ、ホンマに悪い。そこまで楽しみにしとったんでっか」

 美ヶ原高原美術館なんかどうでも良いの。エルはね、エルはね、加藤さんと一緒が良かったの。もうサヨナラ、そこにあの二人組が。来るな、あっちに行け、最後ぐらい加藤さんと話をさせてよ。

「エルさん。なんか勘違いしとるみたいやけど、コトリはエルさんを応援してるで」
「わたしもよ。加藤さんにこんな素敵なお相手が出来たんじゃない。人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬのが昔からの決まりよ」

 そんなこと言うけど、エルじゃ勝てないよ。そしたら二人は顔を見合わせて、

「あのな。加藤さんとは長いけど、口説くつもりやったら、とっくに口説いとるわ」
「悪いけど対象外よ。でもね、加藤さんは応援してる。あれだけの漢はそうそうはいないよ」

 すると加藤さんは、

「そこまでハッキリ言わんでもエエやんか。そりゃ、わてかって女神は対象外もエエとこやけどな」

 どういうこと?

「ゴッツイ誤解しとるみたいやけど、まずこのお二人はわてのダチの杉田の大恩人や。社長がおらんかったら、杉田の野郎は死ぬまで結婚できんかった」

 えっ、社長って、

「加藤さん、ルール違反や。ツーリング中はコトリや」
「そうだよ。それに杉田さんが結婚できたのは、加藤さんが歯を折ったからじゃない」

 なになに、なんの話なの。加藤さんが杉田さんとかいう人の仲を取り持ったのはわかるけど、そう言う時は歯じゃなくて骨を折るって言うものじゃない。

「ひょっとしたら見たことあるかもしれんけど、杉田が鈴鹿の四耐に挑戦した時のこっちゃけど」

 えっ、えっ、えっ、杉田って人の鈴鹿四耐挑戦って、

「あん時に六花ちゃんと組んどってんけど、この二人がブッサイクな恋しやがって・・・」

 六花って、あの美人レーサーの篠原アオイのことだとか。佐野六花も鈴鹿の四耐に出場してたけど、チームを組んでたのはカリスマ・モトブロガーのスギさんじゃない。さらに言えばこの二人は鈴鹿の四耐の後に結婚してる。

 待ってよ、待ってよ。杉田さんとよくコラボするし、モトブロガー仲間で一番仲が良いのはカトちゃんって、まさか、まさか、

「わても有名やったんやな」

 有名なんてものじゃない。スギさんと肩を並べるカリスマ。どこがしがないモトブロガーだよ。超が付く有名人じゃないの。そうなると中山道を取材してたのは、

「東海道ヤジキタ道中の二番煎じをやろかと思うて」

 それ見てた。大人気番組なんてもんじゃない。加藤さんがあのカトちゃんだったなんて、頭が追いつかないよ。じゃあ、じゃあ、社長って、

「晴れの女神でもあるけどエレギオンの女神や。こんなおっそろしい人を誰が恋愛対象にするか」

 ひよぇぇぇ、エレギオンの女神ならエルも聞いたことがある。あの、あのエレギオンHDの社長と副社長だって言うの。

「誰がおっそろしいんや」
「こんなに優しいのに。失礼しちゃうよ」

 これはエルだって知ってる。エレギオンHDの月夜野社長と言えば稀代の策士、如月副社長に至っては氷の女帝とまで畏怖される人物。この二人が指揮を執るエレギオン・グループは世界最大とも言われてる。でも、でも、

「都市伝説やあらへん。わても初めて会うた時は目を疑ったなんてもんやなかった」

 女神は歳を取らないとされてるけど、若く見えるなんてレベルじゃない。今は真昼間だけど、化粧だってほんの薄化粧なのに、シワ一つ見えないもの。誰がどう見たってエルより若い。

「良かったねコトリ、もう還暦で棺桶に首まで突っ込んでるのに」
「ユッキーも行かず後家に待ったなしやろうが」
「行かず後家の完成型に言われたくないよ」

 ホ、ホンモノだ。そんな二人なら加藤さんだって安易に手を出せないよ。

「そうやで、取って食われてあの世行きや」
「失礼すぎるで」
「親しき仲にも礼儀ありよ」

 だったら、だったら加藤さんは、

「そんなん見ただけで丸わかりや」
「見てるこっちの方が恥しいよ」
「あのなぁ、わてとエルさんはまだそんな関係やあらへん。エルさんに失礼すぎまっせ」

 たしかに聞こえたぞ、加藤さんとの関係は『まだ』だって、

「そんなことはともかく」
「ともかくに出来るもんなんか」
「それしかないでしょう」

 あのカトちゃんが突っ込まれまくりじゃない。

「それでもともかくや! 今から宿に向かうけど、美ヶ原高原美術館はパスや」
「そうよね。二人だけで行きたいよね」
「こんなお邪魔虫とじゃね」
「ちゃうやろ、時間がないからでんがな」

 ところで今日はどこに泊るつもりなの。

「日本でも指折りの高いとこにある温泉や」

 なんでも標高二千メートルもあるらしくて、

「たぶん日本のベスト・テンに入ってるはずやけど、高峰温泉より高いとこにあるのはバイクでは行かれへん」

 二千メートルも余裕で高いんだけど、これより高いところにあるのは立山黒部アルペンルートとか、山道を延々と歩いて行かないとたどり着けない秘湯だそう。聞いてるだけで行きたくなる温泉じゃない。だったら美ヶ原高原美術館は我慢する。

「いつか必ず連れて行くさかい」

 ちゃんと聞いたぞ。『いつか』ってことは次があるってことだよ。男に二言はないよね。