ツーリング日和11(第5話)草津宿での出会い

 飯も食べたし、

「とうりゃ」

 あれ、おかしいな。SRのキックが難しいと言っても、あれはコールドスタートの時。エンジンが暖まれば話が違うんだ。

「とうりゃ」

 堪忍してよ。まさかこんなところでキックがヒステリーを起こすなんて、

「とうりゃ」

 SRのキックって一回やるだけで結構な運動量なんだよ。だからって食後の運動に良い・・・なんて言ってられないよ、

「とうりゃ」

 冗談でしょ。ウンともスンとも言わないじゃない。まさかどこか故障とか。でもさっきまで快調だったじゃない。そりゃ、故障なんて突然起こるようなものだけど、

「とうりゃ」

 ダメだ。かかりそうにない。これは困ったぞ。故障となれば修理だけど、どこが故障しているかなんか見当もつかないよ。途方に暮れそうになっていたら、

「どないしましてん」

 男の人に声かけられた。どうしたも、こうしたも見ての通りでSRのキックに苦戦してるのだけど、

「ちょっと貸してみ」

 その男の人が蹴ってもやっぱりダメ。

「これは・・・」

 そう言うと自分のバイクに戻り、持って来たのはプラグレンチ。プラグを外すと、

「焼け付いとるわ」

 あちゃ、プラグが死んでたのか。そしたら、その男はスマホでなにやら確認して、

「ちょっと待っときや」

 プラグを持ってバイクで走って行き、戻ってきたら、新しいプラグに変えて、

『ブルン』

 かかった! 助かった。ここからJAF呼んで帰るには遠すぎるし格好悪すぎる。でもちょっと嬉しいな。バイクトラブルにわざわざ声をかけてくれただけでも嬉しいのに、さっと故障個所を見つけただけでなく、新しいプラグを買ってきて取り換えてくれるなんて。プラグ代は当然だけど何かお礼をしないと。

「礼なんていらんで。困った時はお互い様やんか」

 エンジンがかかって余裕が出来たエルは改めて男を見たんだけど、歳の頃はエルと同じぐらいかな。きっちりライディング・ウェアを着込んでるのだけど、胸元とメットに付けてるのはなんだ。

「ああ、カメラや。これでもモトブロガーの端くれやねん」

 なるほど。本物のモトブロガーと実際に会うのは初めてだな。話を聞くとこれから中山道を取材しながらツーリングをする予定みたい。だったら、しばらくマスツーしてお礼の代わりにお茶でも奢らせて欲しいと提案したら、

「それも断ったら、かえって失礼やな。そやそや加藤言います」
「エルです。よろしくお願いします」

 加藤さんか。顔はイケメンタイプじゃないけど、どこか安心できる顔。それに苦手な陽キャじゃない。でも陰キャでもない。これはお調子者タイプじゃないかな。この辺はもうちょっと話してみないとわからないけど。

 これから行ことする中山道だけど、かなりぶつ切れ状態らしい。草津追分付近ははっきりしてるけど、すぐにわかりにくくなるそうなんだ。東海道はおおよそ国道一号で早くから整備されたけど、中山道はそうじゃないからみたい。

 そう言いながら加藤さんはかなり下調べをしていたみたいで、守山宿本陣跡、武佐宿本陣跡、愛知川宿高札場跡、高宮宿本陣跡、鳥居本宿本陣跡と撮影を進めて、お茶休憩。

「ここから米原行ったら北国街道で、番場に行ったら中山道や。そんで今日はどうするつもりや」

 鳥居本宿ってどこかになるけど、彦根なんだ。加藤さんはここから関が原まで行って泊まりにするそう。聞かれたのは時刻が時刻だから、帰るのならそろそろじゃないかなのよね。ここからなら彦根ICが近いかな。

 エルの予定は実は何も決めていない。日帰りでも良いし、泊りでも良いぐらい。荷物は泊りがあっても良いようにしてる。泊まりにするなら、そろそろ宿を決めないといけないのだけど、関が原に泊まるのはおもしろそう。

 それより加藤さんとのマスツーをもっと続けたい。インカムないから停まっている間しか話が出来ないのだけど、これで終わりにするのはもったいない気がする。加藤さんだって男だから一緒に泊まれば襲われる可能性だってあるけど、エルだってネンネじゃないから旅先のアバンチュールだってありだろう。

 まあ、それ以前に襲いそうな人には見えない。これが見破れなかったっらエルの自己責任だ。だから関が原までマスツーして、一緒に泊まる提案をしたのだけど、加藤さんは渋ったよ。まあね、初対面で、しかも男と女でいきなり同宿までなるとね。

「信用してますから」
「男を無暗に信用したら火傷で済まんで」

 それでも了解してくれた。そこから彦根市内に引き返してインカム買って、

「次は番場宿本陣跡や」

 インカム代はって聞いたら、

「エルさんの声が聞こえたら、お釣りがいるぐらいや」

 たかがエルの声がインカム代になるはずもないけど、頑として支払わせてくれなかった。

「そやなアシスタント代の一部と思うといて」

 そこから番場宿、醒ヶ井宿、柏原宿、今須宿と経たんだけど、かなり近いよね。

「ああ東海道より中山道の方が少し長いけど、宿場の数は六十九個やからな」

 インカムで話す加藤さんはひたすら愉快な人。なんか吉本のお笑い芸人みたいにギャグがいくらでも出てくるもの。

「わてが吉本行ったらM1取れるで」

 かもね。それにしても関が原にもホテルがあったんだね。

「さすがにホテルはあらへんけど老舗旅館や」

 どれぐらい老舗かと言うと創業が永長元年っていつなんだ、

「西暦なら一〇九六年や」

 えっと、えっと、日本でも最古級のはず。宿の中も立派で廊下にも畳が敷いてあるけど、それが横に敷いてあるから廊下が広いよ。明治の頃に宮大工が建て替えたそうだけど、なんか風格がある感じがする。部屋は襖で仕切ってあるだけで襖の上は欄間だから、隣の声なんか丸聞こえだろうな。

「旅籠の趣を残しとるんやろ」

 旅籠って詰め込むだけ詰め込んだみたいで、空いてれば一室使えるけど、混んで来ると相席ならぬ相部屋になって衝立で仕切られたんだって。じゃあ、最悪廊下も。

「あったかもしれんけど、それより襖を取っ払って大広間にするためやそうや」

 結婚式もやってたかもね。風呂は小さいし、浴室自体は現代的な造りなのだけど湯船が檜なんだよ。檜風呂なんて生まれて初めてだよ。さっぱりしたら夕食。加藤さんと一緒にテーブルを囲んだのだけど豚鍋だ。鍋をつつきながら、加藤さんの職業を聞いたんだ。

「そやからモトブロガーって言うたやんか」

 へぇ、専業って珍しいな。だいたいが本業の傍らでやる人が多いものね。そこから加藤さんの生い立ちと言うか、モトブロガーになるまでみたいな話になったのだけど、

「普通や普通・・・」

 どこが普通なんだよ。なんと加藤さんは高校中退、

「ちょっとやんちゃが過ぎて」

 言ったら悪いけど高校中退後はあれこれ苦労があったみたい。加藤さんの話だけ聞いていると七転八倒で笑い転げそうになるけど、町工場の工員、清掃作業員、パチンコ屋で釘師、キャチバーの客引き、キャバクラのボーイ・・・

「普通に世間の裏街道をまっしぐらや」

 転機はバイク屋の整備員になったことで良さそう。だからエルのSRの故障の原因も、

「昔、乗っとった時期もあったからな」

 ところで独身。

「ああそうや。そやからもしエルさんに血迷うたら責任は全部取れるで」

 責任取られて結婚されてもね。今回は中山道ツーリングの動画作りだよね。

「そうなるけど・・・」

 番組にするのはそうだけど、今回は下見だって。なんか加藤さんの独演会みたいになったけど、加藤さんは自分の事を語ってもエルの事を聞こうとはしないんだ。だろうね、こんな冴えないアラサー女の身の上話を聞いてもおもしろくないものね。

「なに言うてまんねん。エルさんほどの女が、ソロツーしてるだけで、深~い深~い事情があるに決まってますやん。そんなもの、会ってすぐに話せるもんちゃいますやろ」

 聞かれてもさすがに今夜は話す気にならないけど、『ほどの女』にはそれこそ程遠いよ。これがカンナなら誰でも夢中になるだろうけどね。それぐらいは、そんなことはわかっているもの。

 でもなんだろ、この感覚。加藤さんと一緒にいるとなんか温かい感じがする。温かいだけでなくリラックスして、全部心の中を開きたくなってしまう。これはカンナに奪われた元カレとはまったく違う感覚。

 元カレはイケメンだったし、物腰もスマートだった。でもね、でもね、どこか身構えてしまうというか、引いてしまうところがあったんだ。これは同棲しても一緒で、どう言えば良いのかな見えない壁みたいなものがあると言えば良いのかな。

 でも加藤さんは逆だ。悪いけどイケメンじゃない。でも元カレとは逆で引き込まれる感じがする。それも違う、引き込まれたくなっちゃう感じかな。きっと引き込まれたら優しくエルを包み込んでくれそう。

 エルもバカだったな。元カレは結局見た目だけの人だったし、エルも外面だけしか見てなかった。そりゃ、外面が良いから一緒にいたら自慢の彼氏だったけど、中身はスッカラカンだったもの。

 恋人として連れて歩くには元カレだけど、一緒にいるなら加藤さんだ。中身が全然違うもの。結婚するなら、そこを見なくちゃいけなかったんだよね。加藤さんもモテるんだろうな。彼女だって、

「おったらエルさんとのマスツーは断ってまっせ」

 やったぁ、空いてるんだ。でも候補にもならないか。女のアラサーと男のアラサーじゃ価値が違うぐらいは知ってるもの。だから結婚も焦ってた。あれがラストチャンスだってね。エルにしたら出来過ぎた話だったものね。ところで明日もマスツー出来ないかな。

「えっ、そのつもりでインカム買うてんけど」

 イイの? こんな冴えないアラサー女でも、

「エルさんと一緒なら地の果てまでもマスツーしまっせ」

 大げさ過ぎるけど優しすぎるよ。加藤さんはエルがマスツーを望んでも、望まなくとも傷つけないようにしてるのは丸わかり。それでも断られなかったから良かった。この出会いは明日も続くんだ。