ツーリング日和11(第7話)妻籠で恋バナ

 馬籠宿を下ってバイクで陣馬上展望台に登って妻籠に。馬籠から妻籠は遊歩道と言うか昔の中山道を歩いて行けるそうだけど、今日は県道七号で行く、と言うかバイクじゃ走れないものね。

「今日は妻籠で泊まるけどエエか?」

 妻籠に泊まる♪ それって夢みたいなものじゃない。妻籠に旅館があるのは知ってるし、泊まった人の経験談も読んだことあるけど、本当に泊まれるなんて信じられない。それはそうと聞いておきたい事がある。加藤さんの好みの女性って、

「そりゃ、気立てが良くて優しい人やろ」

 まあそうだよな。気立てが悪くて陰険な女は誰も選ばないだろう。やっぱり美人が良いよね。

「他の条件が同じで二択やったらな」

 極端なフェミ連中は男が女をブスと言うのはもちろんだけど、美人というのもハラスメントだと喚いてたな。そりゃ、ブスと言われるのは嫌だけど、美人もハラスメントは言い過ぎだろう。何事も時と場合があって、褒め言葉に使われたら無条件に嬉しいもの。

 それとどんなに建前を積み上げようと美醜は男にも女にもある。どうしたって人は外見から入るもの。だって最初に飛び込んでくる情報は目からだものね。そこでの第一印象の大きさは誰にも否定できないよ。

 加藤さんが言うように他の条件が同じの二択で、ブスと美人なら美人を選ぶのは当然だよね。女だって同じ条件ならイケメンを選ぶに決まってる。ブスやブサイクが美人やイケメンに勝つには、その他の条件で競う以外ないもの。

 でもね、でもね、美人だとかイケメンも個人差はある。たとえばあのクソ元カレがエルを選んだのもそうのはず。あのクソ元カレはイケメンだったし、モテるのは間違いなくモテてた。そうエルを選ばなくとも他も余裕で選べたはずなんだ。

 相手を好きになるのがイコール美人とは言わないけど、好みってのはある。好みと美人がイコールかどうかも微妙だけど、相手に恋愛感情を抱く容姿は自分の好みの部分に左右されるはず。

 好みの幅が広いのだけは知っている。一般的に細身の女性が好まれるし、そう女も思っているから必死でダイエットに励む女も多い。だけどね細身好きの男しかいないわけじゃない。デブ専はさすがに少ないかもしれないけど、ポッチャリタイプが好みの男性は一定数存在する。

 ポッチャリが好きな男からすれば、細身過ぎる女は鶏ガラ程度の魅力しか感じないってこと。この辺はオッパイの大きさだってそうみたい。オッパイだって大きい方が基本的には有利だけど、

「そりゃ、小さいより大きい方が目を引くのは間違いあらへんけど、何事にも限度がありまっせ」

 ちょっと生々しい話になるけど、大きすぎるとどんなに頑張っても垂れる、こればっかりはどうしようもない。これはエルも見たことがあるけど、ブラ外したらドサって感じで垂れ下がるもの。

 それでも巨乳が良い男も多いかもしれないけど、あそこまでの巨乳は遠慮する男も少なくないはず。女のエルが見ても巨乳過ぎるのは肩が凝る云々はさておき、あそこまで欲しいかと言われると考えこむぐらい。

 女だって小さすぎるのはコンプレックスになる。そりゃ、AカップならせめてBカップ、BカップならCカップは欲しいぐらいだよ。でもGカップが欲しいかと言われたら御遠慮するぐらい。せいぜいDカップぐらいかな。

 この辺は微妙な女心もからむけど、Dカップの女がFカップが欲しいかと言われたら、どうなんだろう。ましてやFカップがGカップが欲しいとかあるのかな。ちなみにエルはもう少し欲しいけど。

「なに言うてまんねん。エルさんは理想的なバストでっせ」

 ありがと。お世辞でも嬉しいな。でもまさか見たとか、

「そんなもん見たら鼻血で失血死しまっさ」

 エルのオッパイ見たぐらいで死ぬわけないでしょ。そんなことより加藤さんの理想は、

「そりゃ、気立てが良くて優しい人」

 それはさっき聞いたって。でもね、でもね、この加藤さんの話し方ってどこかに聞き覚えがあるような。

「だからデジャブでっしゃろ」

 まあそのはずなんだけど。そんなことを話しているうちに妻籠が見えて来た、脇道から妻籠の町に入ると、こ、こりゃ、時代劇の映画のセットみたいだ。これだけの宿場の街並みが残されてるのは妻籠が随一かもしれない。

「残ってると意味ではそうかもしれんけんど、規模はそうでもあらへんで」

 でもこれだけの規模じゃない。

「たとえば馬籠宿でっけど」

 馬籠宿の長さは三百九十メートルぐらいだそうだけど、妻籠宿は二百七十メートルぐらいしかないそう。宿場の建物の数も馬籠宿が六十九軒だけど妻籠宿は五十一軒。その代わりじゃないけど旅宿の数は馬籠が十八軒に対して妻籠が三十一軒。あれかな馬籠は通り抜ける人が多くて、妻籠は泊まる人が多かったとか。

「妻籠は細久手と較べても小ぶりでっせ」

 細久手って尾張藩専用の本陣があったところよね。あそこは長さが四百メートルで、家屋の数は五十一軒、宿屋の数は三十一軒。あっ、そうなのか、かつての細久手宿も妻籠や馬籠ぐらいはあったんだ。妻籠はとりわけ大きいわけじゃないんだ。

「だから残ってんやろな」

 江戸時代の宿場は明治に入ってからの鉄道や道路整備の直撃をどこも受けたで良さそう。そこで都市として発展すれば当たり前だけどまず残らない。大きくなり過ぎたりすれば、第二次大戦の空襲にも見舞われる。

 妻籠は中山道が街道としての機能を失ったから、町が開発、さらには最開発されなかったのはあったで良さそう。でもね、それは必要条件だけど十分条件にはならない。それなら細久手だって残りそうなものじゃない。

「馬籠もそうやけど、神の見えざる手の悪戯が起こったとしか言いようがあらへんな」

 昨夜の関が原の旅館も旅籠の雰囲気を残していたけど、妻籠の宿はそれ以上だよ。こんな宿に泊まってみたかった。関が原の旅館も良かったけど、馬籠の旅館になると窓から見える風景も江戸時代だもの。

 部屋の窓から街行く人を見ていると、江戸時代もこうやって見下ろしていたんじゃないかと思っちゃうものね。お風呂に入ってから夕食。ここもいかにも山の幸って夕食だ。

「カンパ~イ」

 まだ二泊目だけど、ずっと以前から加藤さんと一緒にツーリングしている気になっちゃうな。だってずっとデジャブに襲われっぱなしになってるもの。気分は恋バナだよ。

「それにしてもよう笑いまんな」

 そうかな。加藤さんが相手だったら、誰でもそうなるに決まってるじゃない。一緒にいるだけで周囲を笑顔にしてくれる人だもの。加藤さんの初恋は、

「オクテでしたから高校でっさ」

 これには補足があって、中学でも好意ぐらい抱く相手はいたそうだけど、あれを初恋とするには未熟過ぎるというか幼すぎたぐらいとしてた。なんていうか異性への憧れみたいなものだろうって。じゃあ、高校の初恋の相手は、

「中学の同級生がイモに見えましたわ」

 一目見ただけで圧倒されるぐらいの超絶美少女だって。いわゆるクラスで一番の美少女ってやつかな。

「なに言うてまんねん。学年どころか、学校一、いやこの歳になってもあれほどの美少女はそうはいまへん」

 こりゃ相当の入れ込みようだ。だから初恋か。それなりに綺麗だったんだろうけど、歳月による記憶の美化は入ってるはず。だって十年以上前の話だもの。それにさらにがある。女だって輝く旬はあるのよ。

 高校生はまだ成長過程なのよね。大学生になったり、社会人になって変わる女の子はいくらでもいる。高校時代は地味なブス子だったのが、突然花開くってタイプ。だから逆もある。高校時代は美少女でもブスとまで言わなくても並になってしまうのもね。

 この辺は体形の変化もあるし、美容術、化粧術でも変わってくる。そうだよ女は化けるの。化け方の巧拙は確実に出てくる。髪型やファッション一つで大きく変わるのが女だし、それがベストの状態になるのが女の旬かもね。

 加藤さんの初恋の相手の超絶美少女だって今はどうなっていることやら。たとえば結婚して母親になってるだけでも大きく変わるもの。それはともかく、そこまで入れ込んでたなら告白したの。

「ヘタレでようしませんでした」

 あははは、これも青春ね。

「そやけど学校中の男から告白されたんちゃうやろか」

 そんな女が本当に実在するんだ。ラノベとかマンガならよくある設定だけど、エルの学校じゃいなかったもの。じゃあ、その初恋の人が誰かと付き合って加藤さんの初恋は破れたとか、

「そうなってもおかしゅうあらへんかったけど、その子は誰に告白されてもNOでしてん。たぶんやけど誰とも付き合うてへんと思います」

 だったら行けば良かったのに、ひょっとしたら加藤さんの告白を待ってたとか。

「そんな妄想ぐらいしてましたけど、とにかく高嶺の花過ぎて今に至るでっさ」

 初恋ってそれぐらいで終わるのが多いかも。初恋は男と女の恋の初体験なんだよ。恋が実るかどうかは、相手が自分のことをどう想っているかに尽きるのよね。これがわからないから人は苦しむぐらいかな。

「もっとも告白して交際しても、その先をどうするかがわからん年代でしたな」

 それはある。社会人になればエルもそうだったけど、交際のゴールはやはり結婚。それもかなり具体的な結婚像さえ描いてるかな。たとえば相手の年収とか、将来性とかね。そもそも交際をOKするかどうかも、その辺を計算している部分は確実にある。

「高校の時は手をつないで、ハグして、キスして、エッチしてまでは妙にリアルに妄想できても、結婚は現実感が薄いものでっから」

 まだ社会人になるのさえ実感として乏しい年代だものね。ましてや大学進学を考えていたらさらにだもの。社会人の実感さえ乏しいのに結婚なんて霞の先の夢みたいなもの。加藤さんの言う通り妙に現実感があるのは、どこまでエッチをするかだもね。

「暮らすためのゼニをどうしたら稼げるかを知るのが社会人やけど、こればっかりは社会出てみんとわからんと思いますわ。ましてやゼニ稼げんと結婚なんか無理って話もや」

 でもさぁ、でもさぁ、その代わりに余計な要素を含まないピュアな恋愛が出来る年代とも言えるじゃない。

「そない言いまっけど、あの年代でホンマの恋人をゲットできるのはそんなに多いとは言えまへんで」

 う~ん、そうかもしれない。そりゃ中学時代に較べればカップルは増えてたけど、間違っても全員とか、ほぼってもんじゃなかった。彼氏や彼女が高率にいたのは陽キャ連中で、エルのような陰キャには縁遠い世界だったものね。