尻啖え孫市

 歴史小説とは史実を踏まえながら、史実にないところを創造で埋め、つなぎながら出来上がった小説と考えてします。一方の時代小説とは、時代の背景だけ借りながら、そこに新たな物語を紡ぎ出すものでしょうか。

 時代小説でわかりやすいのは捕物帖とか、忍法帖みたいなものとされます。剣豪小説もそうかもしれません。二つのジャンルの違いはクロスするところもありますが、ジャンルとしてはわかれるとは思っています。

 歴史小説家として代表的な作家として司馬遼太郎は挙げて良いと思います。ですが司馬遼太郎の小説家としてのスタートは時代小説家です。初期には忍者ものが多くて忍豪小説家とも呼ばれた時期があったぐらいです。


 司馬遼太郎にはいくつも代表作がありますが、その中に尻啖え孫市があります。たしか大河かなにかの原作になったはずです。桁外れの痛快児雑賀孫市の一代記で、好きな作品一つですが、最近読み直して、これが歴史小説なのか、時代小説なのかクビを捻りました。

 尻啖え孫市の前半のヤマは金ヶ崎の退き口です。これも有名な戦いですが、この戦いを詳しく書いた作品は少ない気がします。そういう意味でも興味深いのですが、どうにも史実に反しすぎる気がします。

 言い出したら孫市が金ヶ崎の退き口に参加していたとするところから無理があり過ぎますし、信長の前で鉄砲興行を演じたのも完全にフィクションです。ついでに言えば田楽を信長の前で披露したのもです。

 ひょっとしたら、その設定を出した時点で時代小説であると宣言していたのかもしれませんが、一番気になったのは信長軍の進撃ルートです。

 作中では常楽寺から北国街道を北上して敦賀に乱入していますが、史実はそうではありません。西近江路を北上して若狭に入り、佐柿から東に進み敦賀に攻め込んでいます。

 これは信長公記にも明記されていますし、信長公記をタネ本にした小瀬甫庵の信長記でもそうです。それでもこの辺を照らし合わせると、司馬遼太郎は甫庵信長記をタネ本にしている気配は十分にあります。

 その理由は要所要所の日付が一致してる点と、秀吉が金ヶ崎で殿を行ったエピソードの一致です。秀吉の殿志願エピソードは有名ですが、小瀬甫庵の絶賛を表現を変えて司馬遼太郎が行ったとしか読めないのです。

 なのに司馬遼太郎は敦賀進攻路を東近江の北国街道に設定しています。そのために信長の撤退戦の描写にあれこれ無理が生じています。

 尻啖え孫市では殿で苦戦する秀吉と孫市の佐柿の国吉城の戦いが描かれています。ここでも孫市の活躍で朝倉軍の包囲網を破って京都に脱出する痛快なエピソードを描いていますが、信長軍の殿である秀吉軍が撤退した後の国吉城がどうなったかを放置しています。

 尻啖え孫市では国吉城は朝倉軍に包囲状態になっています。秀吉と孫市が去っても包囲戦が終わるとは思えません。孤立無援となった国吉城は落ちるしかないじゃありませんか。

 史実として国吉城は落ちていませんし、金ヶ崎の退き口でも国吉城が守る椿峠の要衝を朝倉軍は突破出来ていません。つまり、国吉城は朝倉軍の包囲下になっていないのです。国吉城まで逃げ切れば、熊川宿から若狭街道で京まで撤退できると言うことです。

 信長記まで読みながらなぜに司馬遼太郎がそうしたかはの真意は不明です。もっともそうしたことで、信長が浅井の離反で絶体絶命の窮地に陥り、そこから生き延びるために若狭経由の撤退路を設定したのエピソードを作ったぐらいには言えます。ここについて司馬遼太郎は、

・・・さらに退却戦での損害を軽微にするために、退却路を二つ選んだ。主力は藤吉郎が後から追った佐柿・熊川・朽木谷・大原・京都という道をとり、別軍(徳川家康など)は、小浜から根来谷に入り、針畑を越え、鞍馬山を通って京都に入った

 この個所なのですが、司馬作品では東近江から北国街道で敦賀に攻め込み、浅井の離反で新たな退却ルートを編み出した話にしていますが、史実は進攻路を引き返しただけです。さらに言えば若狭に前進拠点を設けてから敦賀に攻め込んでいたと言っても良いと思います。


 司馬遼太郎の作品の系譜からすると、尻啖え孫市ぐらいが時代小説から歴史小説への転換期と見れそうな気がします。ですから、まだスタンスは時代小説に軸足をかなり置いていた気がしないでもありません。雑賀孫市なんて記録に殆どない人物ですから、忍者小説並みにフィクションを散りばめたぐらいでしょうか。

 そのスタンスからすれば、信長の史実での進攻路なんて変更可能のものと考え、変える事による面白さを優先したのかもしれません。司馬作品では歴史小説になってからも、あまりにも創作部分が巧妙で史実だと思い込ませるものがありましたからね。

 うがって言えば司馬遼太郎の作風として、歴史小説であるより時代小説の方が好みとして強かったのかもしれません。もう少し言えばそこが司馬作品の面白さのポイントで、歴史小説に傾くほど失われた気さえします。

 その辺をどう感じるかは人によって変わりますが、個人的には尻啖え孫市の祟りで信長の進攻路を長い間誤解させられていたのは・・・コンチクショウだです。